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21.ジェラルド、交渉する

 紙をめくる音は退屈だ。日がな一日聞いていると眠気を誘われて仕方ない。

 しかし、その紙の山をやっつけなければジェラルドの業務も終わらない。やむなく並ぶ文字に目を走らせる。


「ジェラルド様、モアベット視察の件についてですけれど」


 同僚のマルグリットが紙束を抱えてジェラルドの執務机にやってきた。気怠い午後でもきりっとした姿勢を崩さない彼女は優秀な文官だと密かに感心している。


「こちらをご覧下さる? 昨年までの報告書と今年の報告書で測量値に大きな差がありますの。今年モアベットに派遣されたのは新人補佐官なので、もしやと思いまして」

「……仰る通りですね。追記事項はないので現地で事故があったわけでもないでしょうし、単純な測量ミスでしょう」

「そう思います。つきましては私自身が再測量に赴こうかと考えておりまして」

「それは助かります、マルグリット殿」


 ジェラルドは(おもて)に作り笑顔を載せて感謝を述べる。表情は紛い物だが言葉に偽りはない。それを見た彼女は慎ましやかに首を傾けて続けた。


「ですが、万が一ということもございますでしょう? もし私も同じ失敗をしたらと思うと少々不安でして……もしジェラルド様がよろしければご同行願えませんかしら? 二人ならきっと失敗はありませんから」

「いえ、お一人で大丈夫でしょう」


 寸分も変わらない笑顔で断じてみせた。


「マルグリット殿は優秀でいらっしゃいますから、わたくしめなど必要ございませんよ」

「そ、そうでしょうか」

「えぇ、あなたの手腕を信じております」


 念を押すとぎこちない微笑みでマルグリットは引き下がる。彼女がモアベットに出向いている間、こちらに割り振られる仕事量は多くなってしまうが、二人きりで変な気を起こされるよりはよほどましだ。

 彼女は文官としては優秀だが、時折滲ませる女の側面が少々厄介だった。


(大事な時期に王都(ここ)を離れるわけがないよ)


 ジェラルドには環境大臣補佐官とは別の肩書がある。

 エンバス領の領地経営相談役が稼働したばかりの()の地を置き去りにして余所の視察に出向いてなどいられない。環境大臣の補佐は幾人いれども、エンバス領領主を支えられるのは自分だけなのだから。

 中断した仕事に戻ろうと視線を手元に落としかけたところで大臣補佐官室の扉が強くノックされた。鬱陶しいな、と心の中だけで愚痴り、「どうぞ」と入室を促すと遠慮なく扉は開かれる。踏み込んできた人物はマルグリットとジェラルドの顔をさっと見比べたのち、こちらに声を掛けてきた。


「ジェラルド・ワーケンダーくんだね? エンバス領相談役の」


 来訪者に見覚えがあったジェラルドは即座に立ち上がり、慇懃に一礼する。


「マリロイ公爵閣下、いかにもわたくしがワーケンダーでございます」

「職務中にお邪魔してすまない。少々構わないかね?」

「はい、何なりと」


 前触れもなく現れたマリロイ公爵だが、社交の場では度々見掛けたことがある。一見柔和で温厚そうな容貌ながら国内に数家しかない公爵家を牽引している遣り手だと密かに噂されている。これまでジェラルドと彼に接点らしい接点はなかった。


「こちらを君に受け取ってもらいたい。いや、正確には君()()、かな」


 執務机に並べられる二通の封筒。目が覚めるような白地に金粉が漉き込まれたデザインは公爵家らしい高貴さを醸し出している。

 中身が何かを尋ねる前にマリロイ公爵自らが説明を始めた。


「これは来週に私が主催する夜会の招待状だ。是非君とガブリエラ・オークス嬢を招待させて欲しい。急で申し訳ないけれどね」


(夜会の招待状……確かに急な話だし、ガブリエラまで?)


 公爵家による夜会ともなれば招待客のリストアップは念入りに行われているはず。開催間もなくになって渡されたこの招待状は元々用意されていたものではなく、急ごしらえに違いないとジェラルドは察した。


「ガブリエラ殿とわたくしを。大変光栄なお誘いでございますが、どのような趣の集まりでございましょう? わたくしめはダンスが苦手でございまして」

「ははは、何てことはない、ただの交流会だよ。ダンスを強要することもない、楽しく話に花を咲かせるだけのね」


 もう一度、ふふっと笑ったマリロイ公爵がジェラルドの瞳を見つめる。


「せっかく新たな領主が誕生したのだから、お披露目とお祝いも兼ねて。ね」


 なるほど。

 長らく王家が秘してきた曰く付きの地を受領したガブリエラ。彼女を品定めする場として夜会を選んだというわけか。

 かつての王太子が望み治めた土地は、その内情は抜きにしても話題性も価値も高い。公爵家の頂点に君臨する彼にとってエンバス領も新領主も捨て置けない存在なのだろう。


(領主就任は公示されただけで式典の予定は今後もない。強引にでも自分の支配下で披露の場を作り上げて美味い汁を啜ろうという魂胆か)


「温かいご配慮に感謝申し上げます。ではこの招待状はわたくしめからガブリエラ殿に必ずお渡しいたします」

「あぁ、頼む。当日は是非楽しんでくれ」


(楽しむ腹づもりでいるのはそちらだろうに)


 そんな考えは微塵も見せずにマリロイ公爵を送り出す。二通の封筒を胸ポケットに仕舞い込んで、ジェラルドは思案した。


(さて、また大事な仕事がひとつ増えたな)


 早急に解決すべきはガブリエラのドレス。残り少ない日数で必ず用意しなければならない。

 単純な筋道は彼女に事情を話して(あつら)えさせることだが、もう貴族ではないと言い募るガブリエラの性格を考えるとドレス制作はおろか、夜会への出席も断りかねない。

 手っ取り早いのはジェラルドが用意して退路を断つこと。元より費用は受け持つつもりでいるので現物さえ手に入ればいい。


(問題は採寸か)


 しばし考え込んだジェラルドに天啓が降ってきた。


「失礼、少々離席いたします」


 マルグリットに断りを入れて大臣補佐官室を後にする。

 向かった先はガブリエラのかつての上司が控える騎士団長室だった。



◇◆◇



「大臣補佐官殿がこんなところに何用だろうか?」


 執務机で鷹揚に指を組んだ騎士団長が強い眼力でこちらを見据えている。まるで相容れない立場だとでも言いたげだ。いつだったか、ガブリエラと彼らの会話を中断させたことが原因かもしれない。


「ご面会の機会をいただき、感謝いたします。本日はガブリエラ殿のことでご相談に上がりました」

「ガブリエラ? あいつの身に何か?」

「今はまだ。しかし彼女の名誉を脅かす事態が迫っていると言っても過言ではないかと」


 少々脚色したが、これくらいは言っておかないと了承は得られないかもしれない。案の定、騎士団長はジェラルドの話に耳を傾ける気になったようだ。


「名誉を脅かすとは穏やかではないな。詳細を聞かせてもらおうか」

「はい。ガブリエラ殿とわたくしは来週マリロイ公爵家で開かれる夜会に参席することが決まりました」

「あぁ、あの夜会か」


 警備依頼でも出ているのだろうか。騎士団長はすんなりと話を聞き入れる。


「夜会への出席が決定したのはつい今し方のこと。マリロイ公爵閣下はガブリエラ殿をエンバス領の新領主としてお披露目したいと仰いました。彼女の参会を大々的に喧伝するおつもりでしょう」


 予想だが、おそらくそうなるだろうと確信している。渦中の人間を転がすことで自身の影響力を誇示するのはよくある手段だ。


「本人の意思に関わらず、ガブリエラ殿が注目を集めることは必至です。そのため彼女にはいかなる瑕疵(かし)もなく参会してもらいたいとわたくしは考えております」

「ふむ、それで?」

「つきましては騎士団がお持ちであろうガブリエラ殿の採寸記録をわたくしにお貸しいただきたく」


 騎士団長の硬そうな額に深い皺が刻まれた。訝しげに細められた瞳はこちらの魂胆を探る光を放っている。


「何故それを欲する?」

「彼女にドレスの制作を勧めたところで否と答えると確信しているからです」

「君の方で用意すると? 夜会に出席しないという選択肢は?」

「その選択こそが彼女の名誉を脅かす事態になると懸念しております。領主に任命されたガブリエラ殿が夜会に参加しなければドレスの一枚も用意出来ないのかと勘繰る者が現れ、彼女の過去までもを掘り返して揶揄することでしょう」


 彼女自身に何の責任もない凋落の足取りを嘲笑の的にされるのは目に見えている。優位に立つ者の傲慢な遊びだ。

 ジェラルドにまっすぐ視線を固定していた騎士団長が気怠げに頬杖を突く。話に飽きたのか、聞く価値がないと感じたのか、その態度だけでは読み取れない。この交渉を失敗するわけにはいかず、自然と拳を握り締めてしまう。


「随分とあいつの肩を持つのだな。相談役として名を挙げる好機と捉えたか?」

「オークス家が没落の憂き目に遭い、ガブリエラが騎士学校へ編入するまでを同級生として見て参りましたので」


 彼女の苦労は騎士の道を歩み始めてからではない。

 コーツ何とかという騎士が駆け出しのガブリエラを知っているように、ジェラルドもまた未知の世界に生きる術を見出そうともがく過去と現在のガブリエラを知っている。

 相談役の名が挙がることでガブリエラに利益をもたらすならそれもいい。

 だから情報を寄越せ、と心の中で強く念じる。


「……今回きりだ。わかっているだろうが、本来持ち出すことの出来ない情報だ」

「それはもちろん。感謝いたします」

「アリスン、ガブリエラの採寸記録の写しを用意してやってくれ」


 秘書官に命じる騎士団長を前に、ジェラルドの内心にはどっと疲労の波が押し寄せていた。ここで失敗していたらエンバス領にマリアンヌを送り込むしかないとまで覚悟していた。ガブリエラにもマリアンヌにも嫌な顔をされそうなので最悪の事態は免れただろう。

 やがて女性秘書官が一通の封筒を執務机に運んできた。念入りに封蝋まで施してある。


「このまま仕立て屋に渡すと約束出来るなら預けても構わない。くれぐれも悪用しないように。ああ見えて、あいつも女だ」

「どう見ても女性でしょう。お約束いたします」


 ジェラルドの言葉に騎士団長が呆けた表情を見せた。今まで纏っていた厳つい空気を一瞬にして霧散させて「随分はっきり言うな」と呟いている。無害な同僚面を装っているそちらの部下と一緒にしないでもらいたい。

 用件を全うしたジェラルドは殊更丁寧な礼をもって騎士団長室を辞去するが、すでに仕立て屋への連絡と夜会に向けての段取りに意識を飛ばしていた。


(ドレスは腕の傷跡が見えないデザインにしないとな。装飾品はどうしようか)


 頭を悩ませたところでジェラルドに良案が浮かぶはずもない。女性の衣装に携わった経験などガブリエラに贈ったシャツと乗馬パンツ、麦わら帽子くらいなものだ。

 仕立て屋に直接依頼状を送るつもりでいたが計画を変更した。タウンハウスのマリアンヌに使いをやって、彼女の意見を仰ぐことにする。ガブリエラと直接対面している彼女の見立てを参考にしたい。


(ガブリエラ好みのドレスを作るのは、また別の機会だな)


 彼女が素直に好みを教えてくれれば、の話だけど。

 なかなか困難そうだと想像してくすっと笑みを零す。


(さすがにドレスのお礼なんてことは言い出さないよね?)


 エンバス領での一幕を思い出す。ジェラルドとガブリエラと、何故かメサウルフの幼獣とで一緒に食事した夜のことを。

 贈り物の正体が肉だと明かされたときは盛大に脱力した。ちょっと期待してしまった自分を恥じた。

 でも、それで良かったとも思う。彼女が他の男性(だれか)に贈り物をした経験がないと、少なくとも肉以外の何かを贈った過去はないと知れたから。

 ガブリエラが子狼に人知れず話して聞かせた言葉がジェラルドの心に大きく響いたというのもある。たとえ子狼が相手だとしても自分を優先したのだ、あのガブリエラが。


(大きな進歩だよ)


「おかえりなさいませ、ジェラルドさ、ま……」


 戻った大臣補佐官室で出迎えてくれたマルグリットの様子がおかしい。


「どうかされましたか?」

「えっ、いえ、随分とお優しい表情をされていらしたので」

「わたくしが?」

「はい、いつもと笑顔の雰囲気が違っていらして驚きました」


 無自覚のうちに頬が緩んでいたらしい。


(彼女には怖がられてばかりなんだけどなぁ)


 そう思うとまた笑いが込み上げてくるので意識して表情を引き締める。マルグリットにじろじろ見られているような気がして、眼鏡のブリッジを上げるふりをして顔を隠した。


 唐突に降って湧いた夜会の招待状はガブリエラを取り巻く事象を好転させるのに良いきっかけとなるかもしれない。

 そう目論むジェラルドは気持ちも一緒に引き締めて、マリアンヌへ送る文面を考え始めた。


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