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20.未来を悟る

「本日は遠いところをお集まり下さり、ありがとうございます。ご協力に感謝申し上げます。どうかお怪我には気を付けて、作業をよろしくお願いいたします」


 ガブリエラが深々と頭を下げると方々から飛ぶ挨拶がエンバス領の空に大きく響く。目の前には土木業や造園業に従事する十数名の人々。ジェラルドの依頼でワーケンダー領から派遣され集まってくれた。

 王城での相談から数日経過した、よく晴れた日の朝。彼は約束通りに人と下準備の手配をしてくれた。エンバス領内にはこれから造る予定の経路を形どったロープがすでに張られており、いつでも除草作業に取り掛かれるようになっている。


「お嬢さん、我々はゲートの測量に向かいますんで」

「俺たちも向こうから整地を進めてきます」

「はい、よろしくお願いします」


 畑の前で顔合わせと挨拶をしたのち、それぞれが得意とする持ち場へ散らばっていく。手慣れた人々は指示をせずとも動き出すのでガブリエラの方が出遅れてしまうほどだ。


(私が一番に頑張らなくてはならないのに)


 そう意気込んで踏み出そうとした足の前を小さな毛玉が転がっていった。


「こら、ベリル! 作業の邪魔になるぞ!」


 ガブリエラの一喝を受けて青草の茂みから毛玉が顔を覗かせる。善悪の区別もつかなさそうな黄色の瞳が青空の下できらりと輝いた。





「メサウルフの幼獣……?」


 ジェラルドの呟きに呼応するように太い尻尾をぶんぶんと振り回したのは茶と黒の斑色をした子狼だった。何かに飛び掛かろうとした子狼と攻撃を繰り出したガブリエラの腕が偶然ぶつかったようだ。一旦離れた子狼がナイフを握ったままの手に長い鼻先をふんふんと鳴らして近付いてくる。


「いや、待て、危ない」


 我に返って子狼からナイフを離そうとするも執拗に追い掛けられてしきりに嗅がれ、しまいにはベロベロと指先を舐められてしまう。


「うわっ。こ、この子が犯人なのか?」

「うん、おそらく。他の何かが逃げた気配も音も感じなかった」


 見かねたジェラルドがナイフを取り上げ、テーブルの上に置いてくれた。それを待っていたとばかりに掌をベチャベチャと舐める子狼からは警戒心の欠片も感じない。


「もしかして……」


 ぽつりと呟いたジェラルドが(おもむ)ろに子狼の背後に回り、脇に手を差し込んでひょいと抱き上げた。足をぷらぷらさせている幼獣はそのままキッチンまで連れて行かれると、途端に全身をばたつかせ、くぅんくぅんと騒ぎ出した。


「肉だ」

「肉?」

「肉目当てだよ」


 床に降ろされた子狼は何とか調理台に乗れないかとぴょんぴょん飛び跳ねている。床板をしゃかしゃかと蹴る音が騒がしい。


「革製のブーツに革手袋。食べ物だと思って興味を示したんじゃないかな」

「……あぁ、手袋の穴は歯型ということか!」

「今日は本物の生肉の匂いがしたから意地でもおこぼれに(あずか)りたかったんだろうね」


 先程扉が立てた怪音は「開けろ開けろ」という訴えだったのだろうか。今このときもくぅんくぅんと主張が激しい。


「メサウルフは山間(やまあい)で暮らすらしいから、向こうの領で親とはぐれて流れてきたのかもしれない」

「長らく空腹だったのか……」


 全身で肉を欲する姿は必死に生きようと足掻いている証拠だ。浴室で手を洗って戻ってきたガブリエラは単刀直入に切り出した。


「この子に肉を分けてあげても構わないか?」

「どうぞ、ご随意に」


 わかっていた、とでも言いたげにジェラルドが微笑む。


「この体高じゃ青草に紛れて見つからないわけだ。ジョンズに知らせてくるよ」

「ありがとう、ジェラルド」


 ランプを片手に小屋を出る背中を見送って、未だ調理台の上に興味を示す子狼に近付いてみた。


「肉が欲しいのか?」


 と声を掛けると間抜けな顔でこちらを見上げ、高速で尻尾を揺らす。意思疎通が成功したようで思わず笑ってしまった。

 落ち着かない様子の毛玉が足元で動き回る中、肉塊を切り分け始めたら、いよいよきゃんきゃんと鳴き始めた。余程の空腹らしい。

 親と離れて、生きていくための食事を自ら探して。


(誰かとそっくりだな)


 そう思うと放っておけない気分になる。

 だから子狼用の肉もちゃんと切り分けているのに、本人はお構いなしで太腿にまで飛びついてきた。


「こら、駄目だよ。空腹かもしれないけれど少し我慢しなさい。これはジェラルドへの贈り物だから最初は彼に食べてもらいたいんだ」


 理解しているのか、いないのか。子狼は切なげに鼻を鳴らす。その背後でカタンと物音がしたので顔を上げると戸口でジェラルドが俯いていた。


「おかえり。これから焼くよ」

「あぁ、うん」


 反応が薄い。

 施錠して着席して頬杖を突いて。その間、一言も発さない。


「ジェラルド、どうかしたのか?」


 気になって顔を覗き込むとぷいとそっぽを向かれた。


「何でもないよ」

「でも顔を伏せて……気分が悪いのか?」

「何でもない」


 目元や頬が熱っぽく見えたが構われたくなさそうなので調理に戻る。

 結局、その晩はジェラルドのために購入した肉を二人と一匹で食べることになり、領地経営相談役の仕事を終えた彼は環境大臣補佐官に戻るため、食後早々に王都に戻っていったのだった。





「メサウルフの赤ちゃんですか?」


 子狼に一声浴びせたガブリエラにそんな問いかけがあった。声の主はガブリエラよりも年若そうな少女で、まだ早い時間なのに全身に溌剌とした空気を纏っている。


「ガブリエラお嬢様が飼われていらっしゃるんですか?」

「数日前に成り行きで出会ってしまって、それから勝手に住み着いているんですよ」


 あの日の高級肉をいたくお気に召したらしく、ジェラルドと管理小屋から去っていったと思いきや、翌日からは堂々と姿を見せるようになってしまった。私設警備団兵にも話は伝わっているようで誰も追い払わないせいか、すっかり住人面をしてそこら中を走り回っている。

 名前がないのも不都合かと思い、ベリルと呼び始めた。


「ベリルちゃんもエンバス領が気に入ったのね」


 ふふっと笑う少女に(肉に釣られただけですよ)とは敢えて突っ込まない。

 そこに少女と同じ髪色をした青年と男性が大きな鞄を抱えてやって来た。少女の兄と父を名乗った彼らは家族で造園業を営んでいるそうで、ジェラルドから連絡を受けて今回の仕事を引き受けたとのことだ。


「人手が足りないのでとても助かります」

「ジェラルド様にお声掛けいただいて助かっているのはこちらの方ですよ。直々のご依頼とエンバス領での仕事という実績は今後の強みになりますから!」


 日に焼けた顔をくしゃりと緩めて父親が笑う。

 いつだったか、ジェラルドは身元の明らかな者だけをエンバス領に通すと話していた。ワーケンダー家やジェラルドが信を置く人々に良い縁が繋がるのであればガブリエラも嬉しい。


「私たちはお嬢様のお住まいの方から作業をすることになっているんですけれど、こちらの道で合っていますか?」

「ご案内します。私も一緒に作業させていただいても?」

「もちろんです! 嬉しい!」


 少女がぴょんと跳ねた。


「妹はガブリエラお嬢様が王女殿下の護衛騎士をされていたと知って大興奮だったんですよ」

「だって王女様やお城なんて遠い世界のお話だと思ってたんだもの。お兄ちゃんだってそうでしょ?」

「そりゃそうだけどさ」


 仲睦まじい会話を背中に聞きながら先導する。管理小屋近くまで来たところで一家は持ち込んだ荷物を広げ始めた。大小様々な鎌やナイフ、麻袋などがごろごろと出てくる。


「我々が上部を刈っていきますんで、根の処理をお願いします」


 そう言って男性陣は作業を開始した。彼らが屈んだ周辺の青草がサクサクと軽快に刈り取られていき、その速度に思わず瞠目してしまう。草を掴んで鎌を引くという一連の動作と、切れ味の良い鎌に職人の業が輝いている。


「素晴らしい手際ですね」

「毎日毎日刈ってますからね、余所の職人さんにも負けませんよ!」

「経験の賜物ですね。私は初めてなので、てっきり手でむしるものだとばかり」

「手でむしっちゃうとまたすぐに葉っぱが伸びちゃうんですよ」


 少女がガブリエラの言葉を受けて一振りの鎌を手にした。足元に伸びている青草を鎌の刃先で器用に掻き分ける。


「この青草の根本、二股に分かれてますよね? ここから新しい葉っぱがどんどん伸びてくるんです。この生長点をちゃんと刈り取らないと、除草と生長の追い掛けっこになっちゃいます」

「むしるだけだと残してしまう、と?」

「上手く根っこごと引き抜ければいいんですけど、上の伸びた部分だけがちぎれて生長点が残ってしまうことはよくあります」


 青草の道がどれだけ踏み付けられても枯れないのは次々に新しい葉が生えてくるからだそうだ。

 次に少女は両刃のダガーナイフを手に取った。すでに生長点を刈り取られた青草の根本にざくりと突き立て、くっくっと左右に倒す。「これ、抜いてみて下さい」と言われたので地上部にわずかばかり残った青草の茎を引っ張ると、びっくりするくらいに簡単に引き抜けた。土の付いた長い根がぷらぷらと眼前で揺れている。


「こうして根っこを切れば生長点が地中に隠れている青草も残さず簡単に抜けます」

「試してみても構いませんか?」

「はい、もちろん!」


 借り受けたナイフを見様見真似で地面に突き立てたら、かすかに根の切れる感触が伝わってきた。左右に倒すとブチブチと一層強い手応え。

 若苗を畑に植え付けたときはあんなにも丁重に扱っていた根をこんな風に断ち切るなんて、とガブリエラはもったいない気分に陥る。

 しかし作業が進むにつれ、地中にしつこく張り巡らされた頑固な根がいかに厄介なものかを思い知らされるのだけれど。



◇◆◇



「ガブリエラお嬢さん、昼食が届いたようですよ」


 作業に没頭していると警備団兵の声が頭上に降ってきた。ジェラルドは昼時に合わせて王都から食事を運ばせる手筈も整えてくれていた。作業の手を止めて少女らと共に畑に向かうと、除草されて広くなった道に大きなバスケットがいくつも運び込まれていた。周囲の人だかりはガブリエラの到着を待っているようで慌てて声を張り上げる。


「皆さん、すみません! 私に構わず、どうぞお食事して下さい!」


 それでも遠慮がちに顔を見合わせるワーケンダー領民に申し訳なくなり、ガブリエラは畑まで駆けて自ら分配を始めた。ようやく食事を手に取った人々は露出した土の上に思い思いに座り込む。きっとこれが彼らの流儀なのだろう。ガブリエラも真似して腰を下ろした。


「そっちの進み具合はどうだい?」

「順調も順調よ。あんたのとここそ遅れてないだろうな?」

「馬鹿言うな。もう綺麗さっぱり刈り取ってやったから」


 気っ風のいいやりとりだ。聞いているだけで楽しい。


「ガブリエラお嬢様、護衛騎士ってどんなことをされるんですか?」


 少女が瞳をきらきらと輝かせながらガブリエラの隣に陣取った。


「その名の通り、姫様をお守りする仕事ですよ。お側に控えてご公務に帯同したり、お茶会や夜会にお供したり。遠方から見張りをすることもありますけれど」

「すごい! 王女様の近くにいられるなんて!」


 頬を染める少女を見ていて過去の自分を思い出す。同じ学園に同級生として通えると知ったときにはガブリエラも興奮したものだ。

 少女の向こうから別の領民が会話に加わった。


「でも突然領主様に任命されたんじゃ戸惑われたんじゃありませんか?」

「そうですね。その点においてはジェラルド殿に大変お世話になっています」

「ロッド様も大層働き者でいらっしゃるがジェラルド様もですか。我々の暮らしは安泰だなぁ!」


 一同がわっと笑いの花を咲かせた。ワーケンダー伯爵家は領民に随分と慕われているらしい。貴族とは()くあるべきなのだろうな、と思うと胸の奥がちりっと焦げた気がした。


「『打ち遣られの領地』だなんて呼ばれてるもんだから、どれだけひどい有り様かと思いきや。我々が暮らしている地方と似た景色で驚きましたよ」

「この畑はお嬢さんがお作りになったんで?」

「いえ、畑は元々ありました。荒れていたのでその一角だけ私の方で耕しました」


 定植したときに比べて明らかに背丈の伸びた野菜苗たちを指差す。支柱を立てたせいか、より野菜を育てているという雰囲気が増しているが、あくまで素人仕事なので堂々と説明するには面映い。しかし領民たちは一様に笑顔を浮かべて話を聞いていた。


「お一人で耕すのは大変だったでしょう」

「この野菜が後々この地の名産品になるかもしれませんなぁ」

「畑作業に人手が必要になったらいつでも呼んで下さいよ!」


(……ジェラルドの言葉は本当だったな)


 誰もガブリエラを咎めたりしない。道造りに協力的で拙い畑を笑うこともせず、笑顔で労ってくれる。ジェラルドはこの温かな人々のためにいずれ伯爵家を継いで領地を経営していくのだろう。

 同じ頃、自分はどうなっているんだろうと考えて背筋がすっと冷えた。この領地を発展させるために尚も奔走しているのか、あるいは騎士として王城に戻っているのか。

 その頃のジェラルドは相談役を続けているのだろうか。ガブリエラがまだ領主としてこの地に深く携わっているのなら彼との関係も継続しているのだろうか。


 しかしジェラルドには伯爵家を守るための伴侶と次代を担う後継者が存在しているのでは。今と全く同じというわけにはいかない。

 そう思うと途端に焦りが生じた。背後に火を放たれてじりじりと追い詰められていくような、薄氷の上に立たされているような感覚。

 これまでに漠然とした不安を抱えることはあったけれど、明確な未来を想像して胸が詰まる。


「今度はガブリエラお嬢様が私たちの住む地方に来て下さいよ!」


 名を呼ばれてはっと意識を引き戻す。屈託なく笑う少女は続けた。


「是非ジェラルド様とご一緒に!」


 そんな機会が訪れる日は来るのだろうか。

 先程までの楽しい気分がすっかり消え失せて重たくなった鳩尾を掌で押さえながら、曖昧な微笑みだけを領民たちに送った。


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