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19.遭遇する

 まだ日も落ちきらない時刻にガブリエラはジェラルドを伴ってエンバス領に帰り着いた。やや薄暗い木立の中、見張り小屋の前で大男が二人を待ち受けていた。


「ガブリエラから事情は聞いた。これから僕も管理小屋で一緒に張り込むよ。ジョンズもあちらで話を聞かせてくれる?」

「はい、それはもちろん。しかし事態に気付けず申し訳ない限りで」

「今晩決着がつくかもしれないからジョンズの手も借りたい。どう?」


 主人の言葉に落ち込んだ様子を見せていたジョンズが大きく頷いた。午前当番ならとっくに交代の時間だが、落ち込み具合を見て挽回の機会を与えようというのだろう。ジェラルド坊っちゃんは人心掌握に長けているようだ。

 連れ立って到着した管理小屋ではお茶を淹れる間もなく、ジョンズの報告が始まった。


「まず管理小屋の周辺ですが、周囲は砂利敷になっているので侵入者の足跡は残っていませんでした。小屋を取り囲む木立の根元にも荒れた様子や足跡といった痕跡は見つかっていません」


 椅子を勧めても固辞するのでガブリエラとジェラルドだけがテーブルに着いて話を聞く。


「侵入経路の可能性として小屋の東側に広がる森がありますが、そちらはワーケンダー領の森が長く続いているので現実的ではありません。念のため、少し奥に進んでみたところ足場が悪く、特に夜間の移動や活動は光源がない限りは無理と思われます。それに……」


 ジョンズの視線がちらりとジェラルドに向いた。


「まぁこの際だし、言っておこうか。森の少し踏み入った辺りには方々(ほうぼう)に罠が仕掛けてある。夜間はもちろん、日中でもすんなりと移動するのは難しいはずだよ」


 何となく東向きの壁に視線が移ろう。自領ではないから、と森の方に近付いたことがなかったのでまるで知らなかった。


「また、南側はオヴェリーヌ川の護岸となっているのでそちらからの侵入も不可能かと思われます。道らしき道といえば先程我々が歩いてきた青草の道だけで、遺憾ながらそこから侵入したのではないかと」

「巡回の目をすり抜けて往復したことになるのかな。それも二晩続けて」

「……はい」


 ジョンズが苦しげに肯定する一方で、ジェラルドはまだカーテンが開いたままの窓から外を見つめていた。


「木立の影響で視界が良好というわけではないからね。常夜灯で情報を補っているけれど見落としがあっても仕方がない。夜になれば小屋の周辺を除いては真っ暗闇なんだし」

「ちょうど昼間にジェラルド殿と話し合ってきたところなんです。道を整備して常夜灯を置く範囲を広げよう、と。実現すれば皆さんの巡回も楽になると思います」


 助け舟を出すとジョンズはわずかに頬を緩める。しかし、すぐに気を取り直したようにぐっと眉を寄せた。


「失礼ながらガブリエラお嬢さんのブーツも調べさせていただきました。目立った外傷はなし、細かい擦り傷はありましたが畑仕事によるものかと思われます。何らかの薬が塗布されているようなこともなく細工らしい細工はありませんでした」


 今朝ガブリエラが抱いた所感と大差ない。転がっていた場所だけがおかしい。


「同じく手袋も元の位置から離れていたということで検めましたところ、いくつかの小さな穴が空いていましたが、これも畑仕事によるもので?」

「いえ、穴を空けたという記憶はありませんが……」


 思わぬ新情報が飛び出てガブリエラが一番驚いたかもしれない。異変に気付いたときにブーツの確認はしたけれど、革手袋は元あった場所に戻すだけだった。連日の畑仕事の中で小さな穴が空くようなものを触れた記憶はない。

 ジョンズの見た穴は鋭利な針のようなもので空けられていたそうで、何者かによる仕業を想像して三人はしばし押し黙る。


「今もブーツと手袋は元の場所にあるんだね?」

「はい。ガブリエラお嬢さんが置かれていた通り、扉の外に」

「じゃあ変わらずそのままにしておいて」


 報告を終えたジョンズは東手の森から小屋の周囲を見張ると言って去っていった。残されたガブリエラとジェラルドもいつ訪れるか知れない緊急事態に備える。ジェラルドが小屋周りの常夜灯にオイルを継ぎ足し始めたので、農具の中から鋤や鍬など凶器になりそうなものを屋内に運び込んだ。外から窓や扉が簡単に開かないかも確かめておく。

 徐々に日が落ち、常夜灯の灯りが薄闇にぼぅと浮かび始めた頃、ガブリエラは玄関の扉を施錠してジェラルドと二人きりの空間を作り上げた。


「カーテンを少しだけ開けておくけど、ガブリエラはなるべくいつも通りに過ごして」

「わかった。と言っても日誌を書いて食事をするくらいだが」

「うん」


 短く答えるジェラルドは窓際の壁にもたれながら警戒の視線を外に向けている。ただじっと静かに佇んでいるだけなのに存在感を色濃く放っているのはどういうわけなのだろうか。


(おかしいな……任務のときは気にならなかったのに)


 騎士時代、男騎士と二人きりで小部屋に潜んで見張りをこなしたことがあった。今よりもずっと小さな空間で息を潜めていたけれど気詰まりすることはなかったし、集中力を削がれることもなかった。

 ランプが作り上げる、いつもはそこに存在しない影がガブリエラを落ち着かなくさせる。沈黙が降りるのを避けるように会話の糸口を探った。


「明確な犯人がいればの話だが、捕まえることは出来ると思うか?」

「どうだろう。状況的には巡回兵の位置を把握しやすい相手の方が有利に動ける。今は遠目に姿を確認して対策を練るのが精一杯かもしれないな」


 相手の出方を窺いつつ、後手に回らなければならないということか。


「事前にしっかり確認しておくべきだったな……」


 彼らしくない小さな呟きが落ちた。

 棚から取り出した日誌を広げようとしていたガブリエラはその手を止めてキッチンに向かう。


「とりあえずお茶でもどうだ? 昨日試してみたら上手く淹れられたから、きっとジェラルドの口にも合うと思う」

「珍しい。ガブリエラの方からご馳走してくれるなんて」

「この状況で何も出さない方がひどいだろう」


 外を向いたままのジェラルドの口元がわずかに緩む。何となくほっとした心地でかまどの火に小鍋をかけながら、何者かが早く捕まって彼の懸念が取り払われればいいのに、と思った。


(……捕まると言えば……)


「ジェラルドは姫様襲撃犯のその後を知っているか?」


 かねてより気になっていたことを思い出して口にした。


「あの事件か。投獄されてから大きな動きはないね。ただ、すんなりと事は運ばないようだよ」

「何故?」

「犯人の女は幻覚症状に苛まれているらしい。捕らえられたときから今でも」

「あぁ、そういうことか……」


 ぎょろぎょろとした怪しい視線。

 鋭く尖らせたロザリオを無闇矢鱈に振り回して王女の一団に飛び込んできた女の姿を瞼の裏に思い起こす。隙だらけで何も成し得なかったあの女を突き動かしていたものが幻覚だったというのなら、いくらか納得出来る気がした。


「裏取りが出来なければ即座に処刑というわけにもいかないからな」


 人を襲うことに不慣れな様子だったが、幻覚症状を訴えているならその原因究明は必須だ。存在するかもしれない黒幕を放置するわけにはいかない。エメリア王女の周辺警護も厚くしなければならないし、騎士団には頭の痛い問題だろう。

 護衛を離れてしまったことを歯痒く思いつつ、淹れた紅茶を近くの棚に置いてやるとジェラルドが早速口をつける。「うん、美味しい」と素直に褒められて柄にもなく喜んでしまったのは当の本人には秘密だ。

 今度こそ日誌に着手するが、畑の様子と昼間の話し合いの内容を綴るだけではさほど時間も要さず。時計を見てそろそろ頃合いか、と腰を上げた。


「実はジェラルドにプレゼントを用意している」

「……は? 突然何を言い出すの」


 それまで窓を睨み続けていた彼がこちらに顔を向けた。その瞳に宿るのが驚きよりも疑いの色であることに釈然としない。


「麦わら帽子のお礼に受け取ってもらえれば嬉しいのだが」

「あれはお祝いだって言ったでしょう」

「では、君の相談役就任祝いということにしよう」


 負けじと強引な論法を持ち出すとジェラルドがあからさまに嫌そうな顔をした。やはり釈然としない。


「そんなに迷惑がることはないだろう」

「迷惑というわけじゃないけどさ……」

「歯切れが悪いな、ジェラルドらしくもない」


 感謝の気持ちなのだから、さっと受け取ってもらえればそれで済む話なのに。

 しかし勝算のあるガブリエラは自信満々に大きな布包みをテーブルに置いた。


「君が喜んでくれるものを買ってきたから」

「……どういうこと?」


 ジェラルドの視線が注がれる中で布包みを解放すると立派な木箱が現れた。蓋を外す拍子にみっちりと詰められていたおがくずがポロポロとテーブルに零れ落ちるが、まだ肝心の贈り物は顔を覗かせない。益々訝しげな表情を浮かべるジェラルドのためにおがくずを掻き分け、やがて指先に触れた大きな塊を堂々たる様でガブリエラは持ち上げた。


「……なにこれ」

「見ての通り、肉だよ。伯爵家で出るものからは格が落ちるかもしれないが」

「肉。肉で僕が喜ぶって、どういうこと」

「騎士団の仲間が、男は肉を食べさせれば間違いないと言っていたが?」


 蝋引き紙に包まれた肉塊をテーブルに下ろす。おがくずの中に氷が仕込まれていたのでまだひんやりと冷たい。

 ごん、と壁に頭を打つ音がした。


「そんなことだろうと思っていたよ……」


 はぁ、と溜息まで。


「先に言っておくけど、その認識は間違ってるからね」

「な、ジェラルドは肉が好きじゃないと?」

「好きだけど。気持ちは受け取るけど。時と場合によるって話だよ」

「ちょうど夕食時じゃないか」

「意味が違う」


 騎士団の仲間内のみで通用する話だったのだろうか。使いどころを間違えたか。


(そもそも伯爵家の人間がこんなところで肉を出されても怪しくて食べられないか)


 騎士学校に編入して間もなくに行われた野営訓練の食事にガブリエラ自身が躊躇した過去を思い出した。浅慮だったとしゅんとする。


「で、その肉をどうしたらいいの?」

「えっ、あぁ……ここで夜食をご馳走しようかと考えていたが早計だったかも知れない。一連の話は忘れて欲しい」

「どうして? 有り難くいただくよ。僕へのプレゼントでしょう?」


 散々呆れた態度を見せていたくせに優しい口調でそんなことを言う。

 落ち込みかけた気分が掬い上げられて(敵わないな)と思う。挽回の機会を与えられたジョンズもこんな気分だったに違いない。


「わかった、では調理するからしばらく待って欲しい」

「ちゃんと食べられるものだよね?」

「失礼な。焼いて市販のスパイスを掛けるだけだ」


 そんなやり取りをしながら、肉を切り分けるために調理台で蝋引き紙を開いたときだった。


「ガブリエラ」


 潜められた、しかししっかりと耳に届く声で名を呼ばれた。真剣な声音に異変を察知してジェラルドを振り返る。鉛色の瞳はしばしガブリエラを見つめた後、ちらりと窓の外に視線を流す。人差し指を唇の前に立てたので、音に留意しろという合図だと悟る。

 動きを止めて澄ました耳にチャリチャリと軽い音が聞こえた。砂利同士がぶつかっている音だろうか、近くなったり遠くなったり、しばらく続いたかと思うとぴたりと止む。

 カーテンの隙間から外を窺うジェラルドは微動だにしない。身を隠さないということはあの場所からは犯人の姿を捉えていないのだろう。


(では、どこに?)


 ガブリエラは平静を装って室内を歩いた。異変などない、平常通りだという態度で居間を横断し、けれども買ってきたばかりの大型ナイフと捕縄を素早く手繰り寄せて玄関脇につける。

 次の瞬間、ガリガリガリッと扉に衝撃音が走った。


(動くな!)


 目と手でジェラルドを制す。今にも踏み出さんと前のめりになった彼がぐっと堪えたのを横目に見ながら再び耳を澄ます。何も聞こえない。

 ガブリエラは威嚇と警告の意味を込めて扉に拳をドンッと叩き付けた。チャリ、と砂利の鳴る音がしたので(逃げるつもりか?)と飛び出す構えを取る。しかしまたもガリガリガリッと扉がおかしな悲鳴を上げた。


(今だ!!)


 不穏な音が鳴り止むと同時にガブリエラは扉を全開した。攻撃の手を止めた瞬間に隙が生まれると知っているからだ。

 即座に身を屈めて背中を壁に預け、流れる動作で逆手に持ったナイフの柄を空いた空間に突き出した。狼藉者の動きを封じるために足元を狙ったつもりだった。

 しかし。


「うわぁああっ!」

「ガブリエラ!!」


 ガブリエラが攻撃を当てるよりも早く、相手からの一撃がナイフを持つ手に直撃した。もふっと柔らかい……もっと厳密に言うならば、ふわふわと温かい毛に覆われた何かがガブリエラの手首に覆い被さるように触れた。


「なっ、なにっ、これ!」


 思わず情けない声を上げてしまうと相手の目がこちらを向く。まん丸で黄色い、曇りない瞳。

 駆け寄ってきたジェラルドが外に視線を走らせて他の何者もいないことを確認すると、後ろ足で立ち上がってガブリエラの手にもたれかかっている闖入者をそっと払い退けた。


「メサウルフの幼獣……?」


 ジェラルドの呟きに呼応するように太い尻尾をぶんぶんと振り回したのは茶と黒の斑色(まだらいろ)をした子狼だった。


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