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16.夢を見る

 そぼ降る雨の日の夜だった。

 ガラガラと車輪が石畳を蹴る音と馬の(いなな)きを耳に捉え、急ぎ足で玄関ホールに向かう。家人や使用人が待ち受ける中、外套に雨粒を乗せて屋敷に戻ったその人をガブリエラは笑顔で出迎えた。


「お父様、お帰りなさいませ」


 母や弟も同じ言葉で父アランを労っている。長旅でやや疲れた顔をしていた父は、それでも笑顔を浮かべて言った。


「ただいま、みんな。今日は良い土産話を持ち帰ってきたんだ。聞いてくれるかい?」


 迅速な使用人の働きによってサロンにティーセットが並ぶ。両親が腰掛ける長椅子の対面に弟と並んで着席すると、まずは母が口を開いた。


「あなた、お帰りなさい。予定より遅れましたのね?」

「国境付近から雨が続いていたから馬車の速度が出せなくてね、少し時間が掛かってしまったよ」

「まぁ、そうでしたの。お疲れ様でございました」


 そんなやり取りを隣で聞いていた弟がじれったそうに遮る。


「お父様、それよりも土産話というのは? 早く教えて下さい!」

「アンディ! それよりもとは何ですか。お疲れでいらっしゃるお父様に失礼でしょう」

「でもお母様だって気になるでしょう? ねぇお父様、早く!」


 ガブリエラより二つ下のアンディは十五歳になっても少し子どもじみたところがある。それを熟知している父はやれやれと苦笑いを浮かべて茶を一口啜った。


「ゆくゆくはアンディにも関わりのあることだから大目に見てやりなさい」

「僕に?」

「あぁ、そうだ。今回、私がバンディッカ王国で取引をしてきたことはお前たちもわかっているね?」


 一同の顔を見渡した父に頷いてみせる。

 かつてのオークス家はその領地に鉱山を有しており、採掘した鉱石を売買して利益をもたらしていた。しかし限りある資源は掘り尽くされてしまい、父の代に残っていたのは何も生み出さない鉱山跡地だけ。領地を経営するどころか維持することも困難な状況だった。

 進退を迫られた父は領地のほとんどを王家に返上し、先代が残した採掘の知識と僅かばかり手元に残った鉱石を元手に交易を始めることにした。

 幸いにもオークス家の面々が生活していくのに事足りる程度に交易は成立しているが、そうまでして貴族という立場にしがみつきたいのかと揶揄する声もあった。

 それでも父は今回のように国境を超えて、他国との取引に奔走していた。


「何度かお世話になっている方に誘われてね、とあるパーティに出席してきたんだ」

「あら、どんなパーティでしたの?」

「有力者と名高い方々の集いだよ。そこで先方の大公閣下とお会いした」

「まぁ! 大公閣下に?」


 母が大袈裟に目を見開く。隣ではアンディも前のめりになっている。


「そう。現王の弟君でいらっしゃる。とても気さくな方だった」

「お父様、お話しになられたんですか!?」

「それだけじゃないよ、アンディ」


 澄ました顔でもったいぶる父の態度にはガブリエラも気を引かれた。それを理解したように父はにっと笑ってみせた。


「大公閣下とお取引の約束を取り付けた」

「ほっ、本当ですの、あなた!」

「すごい! お父様すごいです!」


 一座がわっと沸き立つ。得意顔の父と喜色満面の母、興奮に頬を染める弟を前にしてガブリエラは深呼吸をした。何とも言えない奇妙な予感があったからだ。


「お父様、大公閣下とはどのようなお品を交わされるのですか?」


 率直な疑問をぶつけてみた。


「それがな、ガブリエラ。これもまたとっておきの話なんだが、あちらには五連薔薇の紋をあしらった陶器をご用意していただけるそうだ」

「五連薔薇……」


 信じられない思いで復唱したのはバンディッカ王家に連なる一族がその血の証として掲げている家紋の通称だった。奇妙な予感が心に暗雲を呼び込む。


「あの、お父様。正式な契約はもう……?」

「いやいや、まだこちらも先方も支度は整っていないからね。しばらくは書簡で交渉しながら改めてあちらに伺う予定だよ」

「でしたら、そのお話は保留に出来ませんか?」


 意を決して告げた。ガブリエラが父の仕事に口を出すのは初めてのことだった。


「……ガブリエラ、何故そんなことを?」


 呆れたような、苛立ったような父の声音に一瞬心が怯みそうになる。しかしガブリエラは何の根拠もなく口出ししたわけではない。


「私は学園でエメリア王女殿下をお側から拝見しています。王女殿下でさえ学園にはローデンス王家の紋章を持ち込むことはなさっていません。いくら大公閣下といえども隣国の交易商を相手に五連薔薇をお使いになるとは思えなくて」


 父の過去の取引実績に王家(ゆかり)の品物は含まれていない。そう易々(やすやす)と出回るものではないからだ。大公閣下からすれば隣国の新興交易商に過ぎない父相手に過剰な品が用意されているように思える。そんな大層なものを受け入れてはローデンス王家に睨まれる可能性だって考えられるのに。


「ガブリエラ、口を慎みなさい」


 母の叱責が飛ぶ。


「あなたが日々の生活を送り、学園に通えるのはどうして? お父様のお仕事のお陰でしょう。そのご活躍をどうしてお祝い出来ないの?」

「そうだよ、姉さん。今バンディッカの大公閣下と繋がりが持てれば僕の代まで安泰なのに!」


 すっかり取引が成立すると信じているようだ。アンディに至ってはオークス家後継者としての青写真まで描いている。


「実際にお会いしてお話ししたのは私だよ、ガブリエラ。閣下は実に真摯な眼差しで言葉を交わして下さった。私を信じて下さったんだ。『君なら国境を超えた良き仕事仲間になれる』とね」


 うっとりと酔いしれた口調で父は語る。

 彼らには成功への道筋しか見えていないようで、ガブリエラの声は届きそうになかった。



◇◇◆◇◇



「アラン・オークス! この逮捕状に則り、その身柄を拘束する!」


 屋敷中に響き渡る野太い怒声にガブリエラは飛び起きた。この夜更けに何事かと慌ててカーテンの外を覗くと、屋敷をぐるりと騎士の軍勢が取り囲んでいる。目の前の光景が信じられなかった。

 階下が(にわか)に騒がしくなり、ガブリエラも慌てて自室を飛び出す。階段を降りた先には後ろ手に両手首を縛られた父の姿があった。ナイトウェアのままで目を(しばたた)かせ、押し寄せる騎士たちをきょろきょろと見回している。


「こ、これはどういうことですか!? なぜ私が拘束されるのです!?」

「アラン・オークス、あなたには国家間詐欺の罪状で逮捕命令が出ている」

「さ、詐欺? 何のことです?」

「お待ちになって! 旦那様をどうなさいますの!」


 髪を振り乱した母が騎士に縋り付いている。同じく起き出してきたアンディと共に母の傍らに駆け寄った。


「国家間詐欺罪はローデンス王国と王家の威信に泥を塗る重罪です。その身を拘束されたのち、裁判に掛けられて然るべき処罰を受けることとなるでしょう」


 しかつめらしい表情を崩さない騎士は淡々と重い事実を告げた。

 重罪、裁判、処罰。


「お、お父様、どういうことですか? 一体何が……」

「わっ、私にもわからない。詐欺だなんてそんなこと」

「交易商でなくとも偽造品を密貿易すれば罪に問われると思い至るはずだが」


 吐き捨てるような騎士の言葉が引っ掛かる。

 偽造品……密貿易……まさか。


「五連薔薇……?」


 思わず零れ落ちた一言に騎士が耳聡く反応を示した。


「お嬢さん、君も知っているのか? 夫人やご子息もか?」


 鋭い口調は犯罪者に対する詰問のようでガブリエラを震え上がらせた。しかしそれ以上に母とアンディが狼狽えてしまっているので仕方なくガブリエラが対応する。


「ち、父が隣国の大公閣下とお取引をされるというお話を聞いたことはあります……」

「……記録官、準備を。お嬢さん、詳しく聞かせてもらえるかな」


 やや声音を柔らかくした騎士に請われて聴取が始まる。


「話を聞いたのはいつ頃、どこで、誰と?」

「半年くらい前、のことです。バンディッカ王国からご帰還された父を出迎えたサロンで母や弟とお聞きしました」

「取引相手のことをどう知った?」

「父が隣国で大公閣下とお会いしてお取引の約束をしたと仰って……」

「五連薔薇のことはいつ?」

「同じときに、です。五連薔薇の陶器をご用意して下さると閣下がお話しになったと……そう聞いています」


 記録官がすらすらとペンを走らせる。聴取の主導を握る騎士が母と弟に向き直って尋ねた。


「お嬢さんのお話に齟齬や嘘は?」

「ご、ございません。私どもも同じことを聞いております」

「なるほど」


 忙しなく目を泳がせながら話を聞いていた父が口を開いた。


「まさか大公閣下の五連薔薇が偽造品だったと……?」

「知らなかったふりか?」

「そ、そんなまさか! バンディッカ王の許可印もいただいているのにっ……」

「それについてはこちらでじっくり調べさせてもらう」


 父の書斎や両親の寝室からバタバタと家捜しの音が聞こえている。そのうちにガブリエラやアンディの部屋まで調べられるのかもしれない。目眩を起こしそうだ。


「王家にまつわる品がどれほどの重宝であるか、交易商には常識であるはずだが」


 騎士の皮肉に父がはっと目を見開く。そしてガブリエラを強く()め付けた。


「ガブリエラ! 何故止めなかった!」

「な、何をですか」

「お前、あのときに話を保留にしろと言ったではないか!」

「あのとき……」


 たった今、騎士に話して聞かせた半年前のことだろうか。


「大公閣下であっても五連薔薇の紋を使うのはおかしいと、それらしいことを言っていただろう? どうしてもっと強く止めなかった、そうすれば詐欺などには!」

「そんな……」


 無茶苦茶な言い分に言葉を失う。自分自身に酔いしれて聞き入れなかったのは父本人なのに。


「そ、そうだわ。あのときにガブリエラが止めておけばこんなことにはなっていなかったはずよ。こんな、逮捕だなんて……」

「どうするの、姉さん! オークス家の名に傷が付いてしまった。いずれ家を出る姉さんにはその重要性がわからないんだ!」


 悲哀の眼差しで見つめてくる母も咎める口ぶりの弟も、きっと自身の発言などすっかり忘れているのだ。

 真夜中とは思えない騒々しさと家人の無神経さに辟易する。

 渋面でやり取りを見守っていた騎士の哀れみのこもった視線だけがガブリエラの救いだった。


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