15.苗を植え付ける
カーテンから漏れる朝日が閉じた瞼をちくちくと刺激する。それを不快と思わずに目覚められたのはぐっすり眠れたからだろう。
畑仕事で蓄積した疲労と心地良い入浴が後押しをしたのか、新調したてのマットで深い睡眠に落ちることが出来た。
良い目覚めはその日一日の活力に繋がる。ガブリエラは颯爽と寝台から降りた。
朝の支度は昨日よりも順調に進んだ。
教わった分量、時間を守って注いだ紅茶を恐る恐る口に運ぶ。舌に感じた風味はジェラルドが淹れたものと大差なく、多分合格点をもらえるもの。ほっと安堵して爽やかな朝に紅茶の香りを楽しむ。
(マリアンヌさんにいつかお礼を伝えたいな)
ジェラルドの尻を叩いてくれた恩人に感謝を告げたい。そして彼がどんな顔をして茶の淹れ方を学んだのか、こっそり聞いてみたい。
(おっと、のんびりしている場合じゃない)
今日の予定は早い時間に済ませたいものだった。
雑事を終わらせて騎士時代の着古した訓練着を身に纏う。訓練着ならばジェラルドも文句を言えまい。そんなつまらない張り合いを心の中で展開していたガブリエラはぎくりと身を強張らせることになった。
「おはようございます」
「……ロンさん、おはようございます」
扉を開けた瞬間、管理小屋からさほど離れていない場所にロンが一人佇んでいるのを認めたからだ。明らかにガブリエラが出てくるのを待ち受けていた様子で躊躇いもなくこちらに歩み寄ってくるものだから、表面では冷静を取り繕いつつも内心は仰け反りそうになっていた。
「こちらをジェラルド坊ちゃんから預かっておりまして」
人好きのする柔和な笑顔でロンが差し出したのは、つばの広い麦わら帽子。ジェラルドの名が出たせいか、思わず受け取ってしまった。
「お嬢さんには是非とも着用していただくようにとのことなんで、うちの心配性な坊ちゃんのためにも被ってやって下さい」
彼の言い分を聞いているうちに、おや?と思う。昨日に比べると幾分か口調が砕けている。
「ジェラルド殿が用意して下さったのですか?」
「えぇ、昨日の夕暮れ時にはすでにワーケンダーのタウンハウスに届いていたとかで。なかなかの仕事っぷりでしょう?」
気安い回答に笑みが溢れる。どうやら相談役はガブリエラの願いを聞き入れてくれたらしい。『一考しておく』などと話していたが、丸一日と経たないうちにロンとの距離が縮まった心地だ。
「迅速な仕事運びですね」
「ああ見えて坊ちゃんは遣り手なんですよ」
頷いて答えるガブリエラに気を良くしたようにロンは笑い、任務に戻っていった。小屋の前に残されたガブリエラは手の内に残った麦わら帽子に視線を落とす。
(随分と可愛らしいな)
頭部を覆うクラウンに淡いピンク色のリボンが巻かれていて農作業のお供としては洒落っ気が強い。とは言え、ジェラルドがガブリエラの体調を心配して手配してくれたのだろうし、これも補助金で賄うはずだから細かいことを気にしても仕方ない。すっぽり頭に乗せると少々視界が狭まるものの陽射しが遮られたお陰で顕著に涼しさを感じた。
(帽子なんていつぶりだろう)
懐かしい被り心地をくすぐったく感じながら作業用のブーツに履き替えようとして、ふと異変に気付いた。
「……ん?」
扉脇に置いていたブーツの片方がころんと横倒しになっている。昨日は確かに並べて立てておいたのに、これではまるで脱ぎ散らかしたかのようだ。ロンにあらぬ誤解をされたかもしれない。
それ以上は深く考えず、ガブリエラはブーツと革手袋を身に纏った。
◇◆◇
購入した野菜苗は約二十本。今日はこの苗たちを畑に植え付けるつもりでいる。強い陽射しで根が痛むのを避けるため、日が昇りきる午前中に済ませてしまいたい。
騎士の鍛錬を積んできたガブリエラは苗鉢を収めた木箱の運搬を難なくこなした。しかし畑に撒くための水を運ぶのには難儀した。揺れで桶から水が零れてしまうし、枯れ草を踏み付けただけの道では足を取られてしまう。
湿ったズボンの感触に苦い顔をしたガブリエラは昨日耕したばかりの土に手を伸ばした。
「うん、柔らかい」
草木灰と肥料を混ぜ込んだ土は手袋越しにもふかふかとしている。
(確か、間隔を空けて植えなければならないのだったな)
根が地中を広く伸びていけるように、やがて生長したときに葉が混み合わないように、ゆとりを持って植え付ける必要があると指南書にあった。
身を起こしたガブリエラは苗鉢をひとつひとつ取り出して実際に畑に並べてみる。それぞれに株間を持たせると幅広で移動距離が伸びてしまうので、野菜の種類ごとに分けて二列に植え付けることにした。
葉野菜、実野菜、根菜と鉢に付けられた目印を元に置き並べる。種苗店の店主から聞くまで野菜をそう区分していることすら知らなかった。
「こんなものかな」
地中、または地表近くで育つ根菜と葉野菜を同じ列に配置し、隣の列は上に伸びて枝に生る実野菜でまとめた。しっかりと間隔を空けたので多分大丈夫だろう。
次は植え付けるための穴だ。畑に跪き、苗鉢の前の土を両手でごそっと掘り出す。一度では足りなかったのでもうひと搔きして土を取り除いて穴を広げると、ちょうど苗鉢が収まるほどの穴が出来上がった。
「これを苗の数だけ、か……」
屈んだままじわじわと横にずれて新たな穴を穿つ。
(広い畑ではどうしているのだろう)
このエンバス領も耕したのは手近な一画だけで、まだ向こうに畑は続いている。全面に植え付けを行うとなると相当な手間であることは明白だ。
(やはり人手が必要なのか)
一人きりの領地などエンバス領以外に聞いたこともない。本来なら領民同士で助け合って行うであろう作業をガブリエラは黙々とこなしていく。ジェラルドが用意してくれた麦わら帽子が暑さを軽減してくれるのが非常に有り難い。
やがて全ての穴を掘り終えたガブリエラは、屈みっぱなしで凝り固まった腰を伸ばすように立ち上がった。そして水の入った木桶を手に取って呟く。
「……足りない」
土を湿らせるために掘ったばかりの穴に水を流し入れていくのだが、からからに乾いた土はぐんぐんと水を飲み込んでいき、あっという間に木桶を空にしてしまう。
三カ所しか潤すことが出来なかったので仕方なく管理小屋に戻ってまた汲み直してくるのだが、やはり足元が悪くてすんなりと事は運ばない。
(舗装するべきなのだろうな……ジェラルドに相談してみようか)
今後何度も往復するであろう道をこのままにはしておけない。ガブリエラはおろか、巡回に当たってくれる私設警備団の面々にも苦労を掛けてしまう。
とは言え、ワーケンダーの人々がどの程度まで手を加えることを許容してくれるだろうか。現状ガブリエラの領地であるが、彼らがこの地に抱く思い入れを知っているからその気持ちを蔑ろにしたくない。
(領民がいたらこんな気持ちになるのだろうか)
エンバス領に誰かが住まう可能性は限りなく低い。だから領民の声に耳を傾けるというのはこういうことなのかもしれない、と勝手な想像をして運搬と水撒きをひたすらに繰り返す。
全ての穴に水を流し終えたときには、さすがに疲労感を覚えた。しかし定植作業はこれからが大詰めだった。
「丁寧に、丁寧に……」
傍らの苗鉢を手に取り、苗の根元を指で押さえながら鉢をくるりとひっくり返す。ぱらぱらと零れる土の欠片に気を取られないよう鉢を静かに引き抜くと、鉢の形に固まった土とその周囲にぐるぐると巻き付く白い根が視認出来た。
この根を丁重に扱えるかどうかでこの先の生育にも影響が出ると聞いている。ガブリエラは根鉢を崩さないように両手で天地を戻し、そのまま穴へと下ろして取り除けた土を株元に掛けた。
「……ふぅ、緊張した」
根元をぎゅっぎゅっと押し固めて安堵の息を吐く。
しかしのんびりしている暇はない。刻一刻と陽は昇っているのだし、植え付けた後にも水遣りをしなければならないのであの運搬作業に時間を取られるのは必至なのだ。
だからといって雑に扱わないようにと心掛けて、ひとつひとつの苗を大地に植え付けていった。株によって根の形や伸び具合に違いがあるのだな、と新発見もあった。
終わりが見えれば必然的に足取りも軽くなる。もうひと踏ん張り、と晴れやかな気持ちで運んできた地下水を土が流れないように優しく手で掬って与えていく。
しっかりと根付きますように。
大きく育ってくれますように。
そう願いながら。
全ての株元に水を遣り終えたガブリエラは数歩後退って定植した一画を一望した。小さな苗鉢から広い大地へと住処を移した苗たちは、まだ頼りない小さな葉をそよ風の吹くがままに揺らしている。その愛らしい光景に自然と頬が緩む。
ひとしきり眺めて満足したガブリエラは空になった苗鉢の全てに土を搔き入れ、運搬用の木箱に収めると何度往復したかもわからない青草の道を進んだ。もう今日はこの道を歩かずに済むと思うと心も軽い。
帰り着いた管理小屋の砂利敷きに苗鉢を並べて、苗と一緒に購入した種を蒔く。それが締めの仕事だ。
種袋にはそれぞれの種に適した蒔き方が記されていた。土にしっかり埋めるもの、土の上にばらまくだけのもの、大きさや形もそれぞれに異なっている。吹けば飛んでしまいそうな種の一粒一粒を素手で土に落とす作業は非常に単純で。
(でも、ここから生まれるのだな)
とても神秘的な仕事でもあった。
粗方の鉢に種を蒔いたところで「あ!」と気付く。騒々しい仕草でブーツを脱いで向かったのはキッチンの片隅。先日食べたスイカの種も一緒に蒔いておこうと思ったのだ。
種の位置がずれないように注意を払って苗床を湿らせ、やっと一日の予定をやり遂げた。くたくたの身を投げ出すように砂利の上に座り込む。
今日食べる野菜はいつも以上に有り難みを感じるに違いない。




