03話 寂しい女の子
テケリ・リ、テケリ・リ
アメーバで包まれた玉虫色のスライムは、今まで聞いたことのないような奇々怪々な声を発して、不定形の触手を魔女さんと僕目掛けて風を裂かんばかりの勢いで突き出してきた。
「走ってぇぇぇぇ!」
「言われなくてもぉぉぉぉ!」
僕と彼女はほぼ同じ速度で、かつ同じタイミングでショゴスから距離を取ろうと走り出した。
ドゴォォ!ベチャァァ!と粘着質な音を撒き散らせながらショゴスも僕らを捕まえようと躍起となり近づこうとする。
彼女が僕に手を伸ばした。
鬼気迫る様子で。
「お願い!今から飛ぶから、手を掴んで!そして離さないで!」
「飛ぶぅ!?」
異世界ということはやはり魔法はあるらしい。
いやそんな呑気なこと考えている場合じゃない。
「わかった!絶対に離さないよ!絶対。」
僕は彼女の手を掴んだ。
「飛躍!」
その刹那、遥か上空まで僕と魔女はぶっ飛んだ。
空気抵抗にさらされてなのか、はたまたぶっ飛んだ勢いでなのかは知らないが、鼻から血液を垂流している僕がいた。
その血が魔女の頬に一滴かかった。
極めて微細な問題に過ぎなかったのだが彼女は。
「あ…あ…あ…ごめんなっ…さ…。」
「まっ前ぇ!」
そう真下からショゴスがアメーバを変形させ僕らめがけ、触手のような何かを形成し長距離から放出していた。
「ふあ…。魔術=被害を逸らす。」
彼女がそう唱えた時だった。
刹那、触手は僕らに到達するはずだったのだが、不自然にも軌道が外れて触手による攻撃は空を切った。
「ごめんなさい…。後ろに掴まって…。」
テケリ・リ…テケリ・リ…
「うん!わかった。」
僕は彼女の指示通りに後ろに掴まった。
頼むぞ、どうかこの状況を切り抜けられる何かを。
ショゴスはさっき飛び散った自身の身体の一部を集めるため、ドゴォォ!ベチャァァ!と辺りに不愉快な轟音を散布していた。
さらに有無を言わさず第二撃を放たんとして、自身の身体を圧縮し、収縮し、硬縮させ、自身の身体の一部を塊として創り出し。
そして放たれた。
さっきとは違い、まるで音と同等かのような亜音速での二撃目だった。
テケリ・リ!テケリ・リ!
化け物は雄叫びを上げる。
「長引かれると面倒。…去ね。」
彼女は手をかざした。
空気が歪み、彼女が明確な殺意を持って何かをしようとしているのだけは確かだった。
そして触手が僕らに到達するかに見えた次の刹那。
「魔術=幽体の剃刀。」
シュミミーン!
巨大な透明色の刃にさらに赤褐色の小さな凶刃が付与され辺りに深紅で染まる。
そして斬撃は音を置き去りにした。
さっきの触手の攻撃が音速と同等ならば彼女の攻撃は音速をとうに超えていた。
いうならば超音速だった。
そして触手を液体にする勢いで削り、切り刻み、アメーバは湖や辺りの森にまで散布する。
玉虫色の何かは声にならない声を一瞬上げたかのようだがその声は自身を削る音で掻き消された。
やがては辺りには酷く激臭のする濃黒色の物体で溢れかえっていた。
さっきまでの美しい湖の姿はなかった。
「すごい…。」
まるで相手になっていなかった。
異常なまでの強さ。
僕がいなければもっとスムーズに倒せていたのではないかと思えてくる。
「ここらへんはショゴスのせいで匂いが酷いことになりますから少し移動しますね…。飛躍」
今度は優しい空中飛行だ。
僕を気遣ってのことなのだろう。
まったく持って不甲斐ないな、守られてばかりなんで。
風に揺られながら星を眺めていた。
こんなことがあった後でもやはり星は綺麗だ。
そしてとある村の近くに降ろされる。
「この村は安全です…。村の人達も優しいので頼めば泊めてくれるかもしれません。」
「ありがとう。何から何まで。」
彼女は突然、僕の頬に手を添えて話し出す。
涙ぐみ、今にも零れ落ちそうにしながら。
「…。あの、鼻血…大丈夫ですか…。ごめんなさい、私がもう少し優しく飛ばしていれば、私なんかを優しく接してくれたのに…。ごめんなさい。ごめんなさい。」
「いや気にしないでよ。僕は命を助けてもらったんだよ?僕が感謝することはあっても、君が謝ることはないじゃないか。」
地面が濡れる。
「ごめんなさい…!私なんかといたから…。」
彼女は自身を尊ぶ心がなかった。
彼女の心は濡れていた。
彼女を救うためには。
僕は彼女を精一杯抱きしめた。
僕の胸に頬を寄せて、心臓の鼓動がすぐわかる距離で彼女を温かく抱きしめた。
彼女は僕の服を押さえ胸の辺りを濡らして言った。
「あなたは優しいなぁ…。魔女がどんな存在か知っているだろうに…。」
知らない。
涙を流しながら魔女は言った。
彼女は自分を尊ぶ心が欠けていた。
何故かはわからない。
だが僕はそんな彼女を見て現代に居た頃の自分を照らし合わせてしまった。
嫌なことを思い出してしまった。
しばらく沈黙が続いた。
沈黙を破ったのは彼女だった。
「名前…言ってませんでしたね。」
「確かにそうだね。」
「私は…エーデ、…エーデと言います。」
「僕は白々白、ハクと呼んでほしい。」
「わかりました…ハクさん。」
彼女と別れた僕は村の方へと向かった。