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村と金貨

作者: 名取能貫

 何千年もの間、この妖精界・コッティングリアの住民である妖精達は、人族妖精と魔族妖精の間で対立し続けてきた。それというのも、魔族の多くが人族を殺して食らう事が神々の恩寵に報いる功徳と考え、殺戮を繰り返しているためである。人族妖精の歴史は、いかに彼らと戦い立ち向かってきたかに終始すると言っても過言ではない。

 小山のふもと、シンセネテル・ニーヴ村に、ざらざらとして緊張した陰りが覆いかぶさっていた。山に野良魔族が住み付き、悪さをしているのだ。

 魔族共も動物ではないから、ものを知る事が出来るような場所に住めば、本来は賢くはなれる。(最も、それが人族に対する敵愾心を弱める方に活かされないので、人族と魔族共は天地開闢以降ずっと争い続けているのだが。)しかし魔族共はなまじ体が丈夫なので、頭が回らなくても生きていけてしまう。獣のように野ざらしに寝そべっても恥じ入る事無く、気が向けば狼がウサギを獲るように略奪をして生きている連中も多い。こういう恐ろしい者共を俗に野良魔族と呼ぶ。

 村唯一の狩人ノランによれば、村の小山に住み付いたのは、直立したハツカネズミのようなずんぐりむっくりの種族らしい。乱杭歯の恐ろし気な連中で、小山のどこか、藪の中か洞窟の中かに隠れ住んでいる、と彼は見たそうな。月明かりの無いか小雨の夜になると、それは闇に紛れて村へ降りて来る事がある。そうなれば物は盗る、作物は食う、家畜は殺す。悪くすれば目についた家に押し入って強盗を働く。

 夕べはその起きてはならぬ事が起きてしまった。フィオナばあさんが寝込みを襲われ、足の悪くて寝たきりの夫もろとも頭を殴り殺された。フィオナばあさんは最期に近くの椅子を振り回して応戦したらしかったが、その椅子さえ魔族共はめちゃくちゃに壊していったので、

「めちゃくちゃでねえか。ほれここ、足跡さついとるつう事ぁ、ばあさん殺してからわざわざ壊してったんだど」

「んだべ、おらも五十年生きとるけんど、こんなひどいのぁ初めて見んべ。椅子も床も、真っ赤で――」

「無理に中にいねえで大丈夫だべ、汚えから外で吐いて来やい。村長ん家まで行けよんだったら、村長呼んできてけれ」

「そういや、この家にゃ孫娘さおったべ。嬢ちゃんは無事なんだべか」

「こんだけ探して、出て来んつう事ぁ……」

「かっさらわれたべ? あんなおぼこい子が魔族に……」

「山さ連れてかれただか。ああ恐ろし……もう山にゃ入れねえだよ、山さ入らねかったら火い焚く柴が刈りに行けねっから何にも出来ねっつうのによう」

「実はおらぁ……ゆんべ見ただよ」

「何を、魔族け?」

「んだ、四匹も山道さ出て来るとこさ。ガサガサ聞こえて、猪だ思って家さ出たら、鼠の二本足で歩いとるような奴だったでよ。ノランの言った通りだべ。一匹くれえならともかくよ、おらぁもうおっかなくて、茣蓙(ござ)ん下隠れんのが精いっぱいだったど」

「隠れて正解だど、おら達ぁ戦なんか出来ねっかんな」

「四匹でこれなら、五匹六匹来たら一体どうなっちまうんだべか」

「そもそも小山にゃ一体何匹いんだべか」

「分からね。それに巣さ一つだけこさえとるとも限らねえだよ。山ん中で増えとるかもしんね」

「もしそれがみんな下りてきたら、おら達ぁもうおしまいだど」

「でも領主様に年貢さ払わなきゃなんねっから、畑捨てて逃げるわけにもいかねえべ?」

「逃げねかったら死んじまうど」

「おら、死にたかねえなあ……」

 もうすっかり怯え切ってしまっていた。

 そこで、老婆ダーリェ・ミラガンは、しわだらけの顔をさらに老け込ませ続け、ついに村長として一大決心をした。こうなったら都会まで行って、冒険者達を雇ってしまおう。あの魔族共は冒険者達に退治してもらうほかに手は無いのではないか。でなければこの村は、あの小鼠野郎共に飢え死にさせられてしまう。

 しかしそのような大金は村には無いのだった。ただでさえ例年例月を爪に火を点して生きているような、取れ高と資源の貧相な寒村だ。さらに追い打ちをかけたのが、昨年の豊作を夜盗にふいにされてしまった事件だった。これも結局は泣き寝入りせざるを得なかった。もちろん領主には事情を説明しはしたものの詮無き事で、結局年貢は定められた量には達しなかった。この夜盗の正体も今になって考えてみれば、山から下りてきて山へ逃げ帰っていった魔族共だとしか考えられないのである。

 この困窮した現況で村が冒険者を雇うには、村民から依頼費用を募る他に無かった。そこで村長であるミラガンが自ら杖をついて、ぼろっちくなった籠を抱えて、冒険者に支払う報酬金を、はげかかった白髪頭を何度も下げながら、何日もかき集めて家々を回っていた。

 そうしている間に、ふもとの沢べりで、狩人のノランが変わり果てた姿で倒れているのが見つかった。忌々しい緑色の鼠共に見つかって返り討ちに遭い、生きたまま斧や鉈で――これも元はといえば村から奪窃されたものだ――引き裂かれ、さらに体中に歯型をいくつも付けられており、その姿は悲惨を極めていた。彼のいつも連れているはずの猟犬は連れ去られていた。村人達は、魔族に立ち向かい得る唯一の武力だったノランの死に打ちひしがれ、これ以上座して死すのを待ち続けられないと強く思った。魔族共が貧しい村から貴重な食糧も生活必需品もみんな奪ってゆくせいで、哀れな彼の葬式すらもまともに上げてやることが出来なかったからだ。

 ダーリェ・ミラガンは村の小さな神殿に集まった村民達とノランの弔いのために祈った後、旅支度をまとめ、荷物を負わせるためにロバを借り、村の代表としてシンセネテル・ニーヴ村を発った。老齢の彼女にとっては長旅になるので、お供に数少ない若者、まだ若くて体の華奢な孫のトレナンを連れて行った。



 都会はにぎわっていた。

 エシッド王国の王都エシッディアは、長い歴史の上に多様な文化が豊かに蓄積された、発展的な古都である。街中に張り巡らされた運河を行きかう小舟一隻一隻の縁にすら、様々な人族種族の頭部の精密な彫刻が施されているほどで、ミラガン村長の故郷の原始的な風景とは正反対の栄華であった。村では見た事も無い食べ物の屋台が、大通りにいくつも贅沢に並び、会った事の無い種族が往来に交じって平然と歩いていた。

 途中で街の衛視に道を尋ね、冒険者を雇えるところ――こういう店を冒険者の宿やフリーカンパニーなどと呼ぶ、と二人は初めて知った――のうち、めぼしい所を数か所教えてもらった。その時、村から出てきたばかりの老婆ミラガンとその息子の、ほとんどぼろきれのような服を見て、

「大丈夫かね、ご婦人。人様を身なりで見てこう言うのも失礼だが、雇うだけの金はあんのだろうね? ――いや、親切で言ってんだ。足りねえで戻るようなら、骨折り損のくたびれ儲けになっちまわあ。足代をどぶに捨てるようなもんだ」

 と衛視が二人を心配して声をかけた。

 まさにそれこそが彼女の懸念していた事だった。結局村中を何度も回り回ってかき集められたのは、緑青(ろくしょう)のふきかけた銅貨百枚程度の他には売って金に換えないよりはましという小物数点。質屋で小物全てを市民が普段使いする補助通貨のボン銅貨に変えて総額百四十四ボン、受け取った分をフィヒト銀貨に両替して七フィヒト四ボンで、一メイ金貨一枚にも到底足りない。依頼の相場を知らない村人でも心もとなく感じる予算である。村での暮らしをひと月少々送るのに一メイかかり、馬一頭を買おうとすれば三メイしたりするのがこの国の物価だというのに、半月と少しの間糊口を凌げる程度の額しか手元には無い。これで果たして冒険者という武力を村が借りられるのか。


 〈赤き戦斧亭〉。王都の東端の区画の、海岸に程近い通りに大きな宿酒場(イン)が建っている。横には厩が備えてあり、店前には屋号通りの赤い垂れ幕が張ってある。衛視の紹介通りであった。

 中は下町風情ながら都会らしく瀟洒な造りだった。内装はミラガンの住む村から一番近い町にある酒場と似ていたが、こちらの方がはるかに広い。大きな違いは壁には掲示板があって、そこに紙の短冊が何枚も張り出されている事だった(ミラガンばあさんもトレナンも読み書きが出来ないので、二人はそれが依頼票だと分からなかった)。店はエールと丸パンを手にゲラゲラと談笑する客でにぎわっていた。客の半分は革鎧姿で、大抵は腰に武器を佩いていた。杖を手にしたローブ姿も混じっていて、農村部の者にとっては不気味でお近づきになりたくない魔法使い達だった。その横には、白い神官服姿もあれば、狩人風の外套姿もある。混然一体とした暴力的活気に、ミラガン村長もトレナン少年も圧倒された。

 玄関口で立っているとすぐに、幼い女給が小さな体を跳ねさせて駆け寄って来て「いらっしゃいませ」と声をかけた。ミラガン村長が依頼をしたい旨を伝えると、女給はすぐにカウンター席の奥へと引っ込んでいった。

「ようこそ、赤き戦斧亭へ。ご依頼ですってね? 今しがたこいつから聞かしてもらいまして」

 代わりに出て来た店主は、見上げるような女入道だった。上背は今にも天井に脳天がつきそうなほど高い。その隆々たる筋骨の巨体の幅も胸板の厚さも人の三倍はあって、見るからに重々しい。服もエプロンも上下で別の布を縫い合わせて作ってあった。一枚の生地で縫製するにはあまりに体が大きすぎるからだろう。その肥体のいくばくかは店舗経営の間についた商人の脂だろうが、大部分が現役時代から未だに身に着け続けている重厚な肉の鎧であろう。いかにも豪快そうな冒険者界隈らしい風采で、若々しい女に見えるものの種族は判然としなかった。

「店主のアーグステ・ズブレッツィです。お話は奥の部屋で伺いますよ」

 店主は巨体を器用に折り畳んであいさつした。

「ここで結構ですだよ」

「左様ですか。何かお召しあがりになりますか?」

「いえ、お構いのうお願いしますで、店主さん」

「それじゃ、お飲み物だけ……おおい、客だよ」店主は野太い大声を店の奥まで響かせて、給仕に指示をした。「こちらさんにね、エール二杯出してやんな……それで、今日はどういったご用件で?」

「ええ、実は……」

 ミラガン村長は今までにあった出来事から、村の決断に至るまでを、訥々(とつとつ)と話し始めた。その間に釉薬による紋様の美しい乳白色の磁器へ注がれた美味そうなエールが届き――これを運んだ給仕も背が高く、都会の洒脱な雰囲気を自然に身に纏っていた――受け取ったミラガン村長は恐縮しながらエールをすすった。トレナン少年に至っては緊張してエールが喉を通りそうになく、祖母が冒険者の宿の主人に依頼内容の相談を終えるまで、結局一口も磁器に口を付けられなかった。

 依頼人ダーリェ・ミラガンは読み書きが出来ず、トレナンも同様だったので、依頼票は店主が自ら代筆した。

 アーグステ店主は話を聞き終わった後、巨体をミラガンの老体に合わせるように小さく縮めるかのごとく腕組みをしながら、人懐っこそうな顔に眉間を寄せて頷いた。

「――なるほど。そういったお話は良くうかがいますな。色んな所で連中は悩みの種です。よく訪ねてきて下さいました。そういう事はウチは慣れっこでおりますからね」

「どうかあいつらを、追っ払ってくだせえまし」

「ご心配無く。ご当地の様子を拝見させずに断言は出来ませんが、お話を伺う限りじゃあそこまで対応の難しい話じゃないように聞こえますね。大丈夫ですとも。追っ払うと言わず、きっちり討伐するよう言いますよ」

「おお、ありがたや……そ、それで――」

「ああ、依頼料ですね」

「どれぐれえしますべか」

「心配はいりませんよ。そう多く取るような依頼じゃございませんから」

「おいくら払えばよろしいんでごぜえますべか」

「二メイ半ほどを報酬として支払う内容ですね。金貨二枚、銀貨十二枚」

「な、何メイと半分払うって……」

 ミラガン村長は思わず年不相応な大きな声を出してしまった。手持ちの倍以上の額だった。確かに予算が足りないかもしれないという危惧そのものは村を出た時からしていた。だが店主はこの金額を、いかにも些細な額であるかのような口ぶりで告げたため、その衝撃はより大きく感じられたのだ。

 横に座っているトレナン少年も簡単な金勘定なら多少分かるので、浮かない祖母の顔を心配そうにのぞき込んでいる。

「金貨二枚も、って……足りないんでないかい?」

「トレナン……」

「何、ご婦人。大丈夫ですよ」

 店主は人懐っこそうな顔の上でさらに笑顔を強調しながら言った。ミラガンの不安を取り除こうと努めて寄り添いながら明るく振る舞おうとしているのが、二人には察せられた。

「依頼人が相場通りの依頼料を払えないっていう事は、依頼によっては時折ありますんで……偶然手持ちが無いとかじゃあ小切手を切るとかいたしますが、ミラガンさんのような小口の依頼の場合だと、ある程度はウチが補填する事もあります。つまり、冒険者に払う金はウチからも出すぞって事です。困ってる者を助けるのがこの生業(なりわい)ですからね。ですから全部は払っていただかなくても大丈夫ですよ」

「そちら様でもお金を……はあ、どれだけ減るんでしょうべか?」

「本当なら二メイ十二フィヒト々を報酬として払う依頼を、こっちで半分払って、あと税金もこっち払いだから控除して――占めて一メイと五フィヒト、金貨一枚と銀貨五枚を依頼料として払ってもらう事になるかと……」

 ミラガンばあさんはさらに頭を抱えた。まだまだ手持ちを上回っていたからだ。トレナンが手早く暗算して、祖母にいくら足りないかを告げた。ミラガンは絞り出すような声で、店主の顔を覗き込みながら頼み込んだ。

「……こんな事、言いたかねえんでごぜえますが、その……もうちっとばかし安くなりゃあしませんか。用意して持ってきた金は村のみんなで、やっとこさ絞り出したもんなんでごぜえます」

「お気持ちは分かります、あたしも現役の時に色々見てまいりましたからね。ご心配無用です、何とかつじつまを合わせられないか考えてみましょう。それにギルドの方からも助成金が出ます。届け出を出していただければ、まあミラガンさんの場合なら絶対に受け取れるでしょう。

 申請してから三日四日、どんなに長くかかっても十日もお待ちいただければ、審査が終わります。その頃には依頼料の問題はきれいさっぱり無くなっている事でしょう。逗留にはウチの二階から上がお泊り頂けますよ。ウチは古き良き宿酒場(イン)ですからね」

 ミラガンは白髪頭の中で、往路にかかった日数や畑仕事の予定を思い出し、いつまで王都に留まって待っていられるかを計算した。審査とやらがどれだけ早く終わったとしても、七日は畑を空ける事になる。そんなに待ってはいられなかった。二人は村の畑を空けて村から出てきている。七日も自分達の農地を放置していたら、帰った頃には畑は雑草だらけになって作物が駄目になってしまう。あるいは害獣に作物を全て食われてしまうかもしれない。農民にとって、畑を離れるという事は決死の旅なのだ。

 そもそも逗留が長引けば路銀が()つまい。依頼料も足りていないのに、これ以上出費は出来なかった。

「……依頼料っていうのは、依頼が終わってからお金を冒険者さん方に納める、ってえ事でしょうかや?」

「ああ、前金と後金のどっちで報酬を出すかについてはご相談に乗りますとも」

「依頼料と報酬ってえのは、どう違うんでしょうかや」

「基本的に、依頼料から多少こっちで手数料を引いてから、報酬として請け負った冒険者に支払われます。ま、払う側から見たら大体同じものだと思ってもらって結構ですよ」

「……左様でごぜえますか。ちょっと今、金を用意させとりますで、少ししたらまた出直しますで、へえ。したっけまた後でどうも……」

 ミラガンはうなだれつつ、トレナンの腕を引いて席を立った。

 木の扉を力無く開け、とぼとぼと〈赤き戦斧亭〉から出て行く依頼人ダーリェ・ミラガンの小さな後ろ姿を、店主はしっかりと見ていた。それから己が代筆した彼女の依頼票をわずかな時間見返してから、すぐに席を立って動き出した。



 シンセネテル・ニーヴ村で鍛冶屋をしている中年男ブリアンは、ロバの手綱を引いて村を発ったミラガン村長とトレナンを見送った後ずっと、気を揉みながら過ごしていた。二人が連れて行ったロバも村の大事な輓獣(ばんじゅう)という共有財産であり、もしもそれが村まで生還して来なければ村全体が困るという即物的事情も無いわけではない。だがそれ以上に彼は、村民が村を離れて王都まで長旅をする事自体が危険を伴う博奕だ、と考えていたからだった。彼は鋳掛けに使うはんだを町まで買いに出かけた時の経験から、街道脇の丘にも森にも山賊・野盗が巣食って待ち伏せている事があって、護衛無しでは道中で命を落とす可能性があると知っていた。それに町でも恐喝や掏摸(すり)は起きるものであるし、田舎者(おのぼり)と見るやすかさず口八丁手八丁で詐取(さしゅ)を仕掛ける無頼もいるのを、その目で見てきている。旅に慣れていない二人が生きて都会までたどり着ける保証も、生き馬の目を抜く都会で冒険者に会うまで懐の金貨が無事である保証も無いのだ。

 それを思うと、二人の無事を案じて思わず悶々としたものだった。だが、ミラガン村長が村を発って四日目の昼過ぎ、ブリアンが髭に付いた煤を手ではたき落としながら自宅のあばら家を出た時、遠くに腰の曲がった彼女がロバの手綱を引いて歩く影を見つけた。村長の無事の帰還を知ったブリアンは安堵し、手を振りながら駆け寄った。

「おお、いつの間に帰っとったんだ、村長」

「……頼んできたよ」

 そういう彼女の顔は浮かない。それに気づいたブリアンは少しいぶかしみつつも、口には出さなかった。それよりは別の疑問点が気になり、素直に彼女へ問いかけた。

「あんれ、ひょっとすると、村まで連れてくるっつうわけじゃあねえのけ?」

「冒険者さんかい?」

「んだ。都会まで行って頼んできたつうからよ、そのまま冒険者さん達と一緒に帰って来るもんだと、おらぁてっきり」

「依頼に合った冒険者さん方に紹介して、それが行けそうなら向かってくれるつう事らしいでね。早けりゃ一日二日遅れで来てくれるつうだよ」

「んじゃ、その内来てくれるんだべな。おらぁ、ごろつきみてえな奴が来たらいやだべ、村長」

「きっと大丈夫さ、ちゃんとした方を寄こして下さるように、深あく頼み込んできたでね」

 歩きながら話しているうちに、ブリアンとミラガン村長は彼女の家の前に着いた。ブリアンは腰の悪い村長の代わりにロバから荷物を降ろしてやった。

 ブリアンはふと気が付いた。彼女が往路で旅のお供に連れて行ったはずの、トレナン少年がいないのである。

「あれ、坊はどうしたあ? ばあさん」

「……トレナンかい?」

「他にいねっだろい。何だ、まさかとぁ思うが、行き帰りの途中でおっ()んじまったんじゃあ――」

「死にゃあしてないよ……」

「ほんじゃあどうしたべ」

「あの子は……置いてきたよ」

「置いてきたぁ? どこさ置いてきた? 坊がいないで畑仕事出来(でけ)るんけ」

「……金が足りなくてね。息子には、体さ売ってもらったよ」



 ミラガン村長はブリアンに介抱されながらさめざめと泣いて語った。

 実は彼女は村を出る時には、すでにトレナンに身売りをさせる事を考えていたのである。無論、目に入れても痛くない孫に男娼などさせたくはない。だが、途中でロバに水を飲ませて休ませるために立ち寄った馬屋で、それとなく冒険者の相場を店の者から聞き出すと、

「どれだけ安く頼むにしても、一メイ金貨一枚じゃあ足りない」

 と言うので、覚悟せざるを得なかった。

 金が足りない事は前もって察しがついたうえで〈赤き戦斧亭〉へ入ったので身構えてはいた。それでもいざ実際に店主アーグステから額を聞いた時、その衝撃は和らがなかった。

 店主に「金を用意する」と告げて店を出た後、ミラガンはトレナン少年の腕を無理に引っ張って、通りを辺鄙な方へと歩いて行った。

 トレナンが動かないのではない。彼女の方が引き連れて行きたくないのである。

 ミラガンは年嵩が張っていて、リウマチで曲がった指で何でも出来るし、薄くなった白髪の下に色々な知恵をため込んでいた。だがそのことごとくが田舎で生きるための技術、都会暮らしにとってお呼びでない知識、村の外では役に立たないものばかりを持ち合わせていた。それに彼女はシンセネテル・ニーヴ村の村長という立場にあり、村を長く空けているわけにはいかない。

 一方、孫は何も持ち合わせていない。ただ、彼は若かった。

 こういう有様の二人がまとまった金をすぐに得たいと思ったら、まず尋常ならざる手段に頼らざるを得なかった。

 旧市街を南へ抜け、広場通りをさらに下ると、都市部の洒脱な街並みが一転して猥雑に変わる。この区域はなんと城壁外のスラム街を前身とする。それが城下町拡大の折に城壁の内側の区域に含まれ、その際に市民の往来として作り変えるべく開発される運びとなった。

 そのご当地のいかがわしい産業は様々ながらも、その目玉は何やかんやとお題目を設けた事実上の性的サービス提供施設であり、もはや堂々と娼館が林立する区画もあるものだ。あとを占めるのもまた違法行為が多分に多く、当局の規制をいなしつつ公然の秘密として繁盛している。

 そこへトレナンを連れてくる他に、田舎者が都会で大金を用意できる術をミラガン村長は思いつかなかった。

「トレナンや」

「何だい、ばあちゃん」

「さっき、冒険者さんのお店で、いくら必要が聞いてくれたっけねえ。そして、お前は優しいから、手持ちさ足りっかどうか心配してくれた」

「おいら、字は読めないけど、数字は分からあ。金貨が二枚から一枚になったっつうて、まるで足りねっだろ?」

「んだ、残念だがね。じゃあ、どこかでお金を稼がなんだらいけねえね。トレナン、今日からお前は、この町のどこかで働いて、お(あし)さうんと稼ぐべよ」

「いけねえよ、ばあちゃん……畑はどうするべさ。それにお金っつうても、いっぱい働かねっといっぱいもらえねっべ?」

「畑は村の皆と何とかすっさ、大丈夫でよ。んで、お金の方はばあちゃん、もう考えてある」

「どうすんだい?」

「お前をどこかの店さ入れる時に、お店の人から必要な分をすっかり借りっちまうんさ。あたしが冒険者さんのお店に払うんだもんで、お店に借金するってわけだべ。その後で、お前がうんと働けばいい。お前のお給金はみんなお店が借金のアテさ言うて持ってっちまうけども、借金さ無くなったらすぐ村さ帰って来れるでよ」

「つまりおらぁ、働きゃいいんだ。村となんも変わんねえや。何育てたらいいんだい」

「畑で働くんじゃねっで、女の人のお付き合いして差し上げんだでよ」

「うへえ、粗相しねっか怖えなあ」

 妖精界コッティングリアの人族が治める土地の多くが、母系社会・女権制社会を採用している。歴史的にはそれが本来の人族の社会構造だったのである。魔族の影響で男性中心社会の時代を長らく挟んだ後、ひと昔前にそれが復活したばかりなので、伝統的な価値観とは手放しで言い切りづらいのだが、とにかくそのため男性は女性に対して社会的にあまり強く出にくいところがあった。

 人族領で「買う」と言えば、たいていは「女が男を」である。(「女が女を」という者も一定数いる。)男を娼館で一晩買って遊ぶ悪所通いの女というのも、特に都会では珍しくない。

 貧しい暮らしをして育った彼の体は華奢で貧相で、身長も育っていなかった。土の妖精ノームの青少年というよりは、むしろ種族特徴として子供そっくりの小さな見た目のまま成熟するブラウニーで背の高い男だと言い張った方が通るほどだ。男らしさとは無縁の体であり、見るからに見劣りして、客を取るにはあまりにもみすぼらしい。他方、ある種の好き者の女にとっては格好の餌でもある。今日から最愛の孫は、農作業で体中負った浅傷以外は何も知らない薄い皮の上に、見ず知らずの女が長い指を蜘蛛の肢のようにわきわきと這わせるのも、(あぶら)のたぎったぶよぶよの顔と体をべったりとうずめるのも、自ら進んで受け入れなければならない。それを思うと、悍ましい以上に痛ましくてたまらず、胸が張り裂けん思いだった。

「分からねえ事さあったら、その道の師匠と姉弟子さん方が何しとるかをよおく見んだよ。おめえなら大丈夫さ、トレナン。おめえは優しっ子だからよ」

 それでもミラガン村長は孫のトレナンを断腸の思いで、行きずりの娼館でいくばくかの借金に変えなくてはならなかったのである。



 ダーリェ・ミラガン村長の決断と悲劇は、村中を駆け回ったブリアンによって、小さい田舎の閉鎖的コミュニティの中でその日の内に広まった。

 一度野良魔族が出たら、子供に身売りをさせねばならない――

 この前例は、ささやかな生活で精いっぱいのシンセネテル・ニーヴ村にとって悲劇的な現実を示唆した。

 これがもしも山賊ならば、しばらくの間は衛視や冒険者が手入れに入ったばかりの場所に別の夜盗は潜伏したがらないものだ。だが魔族にはそのような知恵も手心も無い。勝手に住み着く時は住み着くだろう。別の群れが住み着いてしまえばまた、それを追い払うべく、娘や息子を都会に身売りさせねばならない。農民の苦労を知らない市民に、村中の者が愛する青少年が慰み者にされるのだ。

 それもこれも全て、冒険者などという、ごろつきと違いがあるかどうかも疑わしく見える物騒なよそ者を、三つ指ついて村まで呼び寄せるためだけに。

「……なあ、今からでも断って来れねっだろか?」

「断るって何をさ」

「……その、冒険者を」

「馬鹿言うでねえ! 村長がどんな思いさして都会まで行ったと思っとる!」

「そりゃ、おらも分かってらあ……でも、あんな元気なばあさんが、十も二十も老け込んじまったのを見るとよう」

「したっておめえ、あのおっかない魔族さ来たら、おめえ戦えやしねえだろうが!」

「でも金さかかる。かかりすぎる」

「まず今日と明日の事考えんのが先だべ? おめえ、分かってっか?」

「だ、だどもよう、冒険者さんが村来たら、その後どうなんだべってよ」

「どうなるって、魔族さやっつけて下さるべよ」

「その後別のヤツ湧いたらどうすっべよ。都会から来た奴が、略奪しだしたらどうすっべよ。今の村ン事さ分かってねえのはお前だべ。村長はトレナン坊やを都会に置いて来ちまった。それで村長の家は畑仕事さ出来る奴がいなくなっちまった。おら達ぁ自分が暮らすので精一杯で誰も手伝えてやれねっでよ。それでこの村は今年の年貢、納められっかあ? 村長の畑、大っきいど?」

「それは……」

「それで、今年は良くてもよ。来年また住み着いたらどうするべ? まあた若え奴に都会で体売らせっか? そしたら、畑を耕して継げる貴重な若い妖精(やつ)が村からいなくなっちまわあ。そうなりゃどうだべ。今年魔族に殺されねえでも、来年領主様に殺されっちまわあ」

「そ、そしたら……そりゃ、どうにもなんねえじゃねえか」

「でも冒険者さえ雇わなきゃ、こうはなんねえだ。今まで上手くいっとったんだ、今からでも断りに行って――」

「あたしが馬鹿な事したってのかい!」

 ミラガン村長が、顔を真紅に染めて怒鳴った。

 勝手な議論をする村人達がぎょっとして、ばつの悪そうに居住まいを正す中、彼女は地面に崩れ落ち、鼻をすすって再び泣き始めた。

 それから二晩の間、シンセネテル・ニーヴ村を陰が垂れ込んだ。

 村長の孫、トレナン・ミラガン少年の、社会的・精神的犠牲。それを思うと、もしも我が子が同じ道をたどることになったら、と考えて涙しない親はいない。魔族なんかに、どうして村の子が。あんなに可愛らしかった子が。村長の家へと繋がる(みち)の全てに、今では空虚な寂しさを感じる。

 全ては魔族共が、小山に住み着いて悪さをしているせいだ。暮らしを壊し、村を脅かして、善良な者達をあえて心胆寒からしめた上で、とうとう殺した。第三と第四の神々によって作り出された魔族達の手によって死んだ村人達もまた、他の死者にならってその二柱が作り出した死後の世界〈犬の丘〉へと昇る。その無念はいかばかりであろう。

 だが村人の何人かが気にしている労働力の低下も決して的外れな懸念ではない。壊される前の元の暮らしを再び手に入れるために、村の未来そのものと呼べる子供達を畑から手放さねばならない。そんな事があっても良いのか。子供が何人もいる家庭ばかりではない。貧困にあえぐ村を見限って〈城壁の水は自由にする〔注釈:エシッド王国では、一年間領主から引き渡しを求められずに都市に住み続けた者は、封建制度が適用されない市民階級となれる。〕〉という流言を胸に、村から身をくらませて都市部へ脱出を図る若者も多い。そもそも貧しさで子供一人も十分に育てられない家もある。そんな村からさらに子供を安く切り売りして、それを担保に娼館に借金するというのか? 借金を背負わされた子供は仕送りも出来ないというのに、今の破滅を先延ばしにするために来年の破滅を作っていやしないか?

 寒々しく青い月光が、あばら家に片足を突っ込みつつある集落のさまを、照らすともなく映しているのが侘しい。

 各々のおんぼろなベッドに敷いた薄っぺらな毛布の中で、村人達は魔族共に恐怖するよりも、むしろ村の将来の暗さに苦悩し、何人かは諦観を覚えた。何度も落ち着きなく寝返りを打って、安眠出来ない夜を過ごした。



 明朝。

 空が朝焼けも青みがかりだし、いよいよ明るみ始めてきたその時、

 ――どどどお、どおん、があん、うおうおう……

 村の遠くから不明瞭ながら、どうにも物騒な轟音が聞こえ始めている。

 朝の早い農民達が何事かと飛び上がり、目を擦って外へ飛び出すと、村の入り口付近もそうだが、それ以上に小山の方から、大人数が乱暴に地面を踏み鳴らすような音が低く響いている。そこへ木で出来た何かが衝突する時の鈍い音や金属同士がぶつかり合う鋭い音、明確な暴力が生じさせる背筋の凍るような音が交ざり、次いで緊迫した怒鳴り声が騒がしく飛び交うのが聞こえてくる。

「そっちに行った!」

「向こうは大丈夫か?」

 いずれも聞き覚えの無い声である。地元の村人のそれではない。

「逃がすな!」

 小山のふもとに住む村民だけは、山裾の斜面を滑り降りながら叫ぶ六、七人ほどの旅装束の武装した集団の姿を見る事が出来た。

 旅装束の一団は水車小屋脇を通り抜けて村に入った後も、阿吽の呼吸で散り散りになったり一塊になったりを繰り返しつつ、村の誰かの畑に入り込んで何かを追い回すように走っている。

 その内の白服の一人が細身の剣をすらりと抜きざま、広い護拳と左に構えていた大盾で青い小麦の穂を扇ぐように掻き分けたかと思うと、瞬く間に白刃を縦一文字に振り抜き、

「ギャアアッ……」

 緑肌の直立した鼠のごとき魔族が畑から逃れ出ようとしたところを、背後から一太刀に斬り捨てた。

 薄汚い延髄を鋭利な切先で深々と叩き割られては、いかに頑健な魔族といえど即死だっただろう。

 あぜ道の上にどうっと(たお)れた魔族の短くとも鋭い鉤爪のある手から、鶏の下手に絞められて血塗れになった首が離れた。

 魔族を一人鮮やかに討った旅装束は、

「こっちは一人やったぞ! もう大丈夫だ」

 と叫んで戦況を同胞に共有した。都会の洒脱な話し口調(アクセント)だった。

 旅装束は片手剣を軽く手で振って血を落とし、青麦の穂の(のぎ)が絡まって集中を損ねるのを気にして服を手で払いながら畑から抜け出した。そして再び標的を探して周囲を見渡し始めた。

 それと同じくして他の畑の中からも、水車小屋の水路の下からも、他の武装した旅装束も這い出してきた。厚手な布の服と麻のマントの地味な草染め色に、飾り気のない革鎧の飴色が溶け込んでいる。

 冒険者達の、鮮烈な到着であった。魔族達が再び彼等の足元に斃れた。



 唐突な剣戟に恐慌する村人へ、彼らの一人は〈赤き戦斧亭〉の紋章を見せて、身分を証明した。それから、村に依頼内容を確認するより先に行動を起こした事を律儀に謝罪した。

 どうやらあの魔族共は、フィオナばあさんの家で働いた強盗殺人に味を占めてより大規模な略奪を計画し、今朝未明についに行動を起こしたらしい。だが幸運にも、往路を急いでいた冒険者達がちょうどその場に居合わせ、惨事を水際で食い止めたのだ。この初期対応で討たれた魔族――ボガードという名前で呼ばれているのを村人達は初めて知った――は、合わせて八名。

 その後、冒険者達は意気揚々と小山へ乗り出し、山肌を軽々と健脚で駆け巡ってボガード共を追い回し、洞窟を根こそぎ(さら)って、住み着いていたボガードを全てその日のうちに滅ぼして帰って来た。討ち死にしたボガードの(むくろ)を数えてみたところ四十余名に上り、縄張りの広さと比較して例外的に大規模な集団であったようだった。危険が排除された証拠として、用心棒らしかった巨兵の首級の他、亡き狩人ノランの豚刺し槍と猟犬の死骸も持ち帰られた。

 こうまで軽々と巣穴が踏破されたのには、いくつもの理由がある。

 一つ。事の大きさに対して過分な手練れの冒険者があえて依頼を請けた事。これだけで本来ならばよほどの特例である。

 この手の依頼、辺境からの単純な依頼というのは、まさにこのダーリェ・ミラガン村長の件がそうであったように、報酬をどうしても高く設定できない依頼人が多い。そのため、襲撃者の目撃情報などに不審が無い限りは、薬草摘みのお使い依頼と同程度の小口の仕事と目されてしまいがちである。それを受ける冒険者もまた、素人に毛が生えた程度の若造ばかりなのが現状である。

 だが今日シンセネテル・ニーヴ村まで遠征した冒険者達は、いずれも腕に覚えのある手練ればかりであった。

「いやあ、久しぶりに体を動かしたもんだね」

 二つ。その過剰戦力を引き連れて、店主アーグステ・ズブレッツィが自らシンセネテル・ニーヴ村まで出張って来た事。

 前代未聞であった。店主が現場の冒険に加わるなど、アドベンチャーキーパーとして異質な行為である。店主は村の支払う報酬金に関するやり取りで思うところがあったのか、最後まで親身に依頼に関わり続けようという思いが強くあったようである。あるいは、久しぶりに少しだけ()()()()()()をしてみたくなったのかもしれない。元々ミノタウロス共を「ちび助の小僧っ子」呼ばわりして軽くあしらってきたような怪力自慢の熟練重戦士である。第一線から退いたとはいえ当代きっての豪傑に、弱き者から略奪しながら放浪暮らしを送る野良魔族ごときが敵う道理も無かった。

 店主アーグステはミラガン村長が王都エシッディアで会った時と異なり、分厚い籠手やすね当て、まるで肌着のように着たチェーンメイル上に冒険者らしい革の胴当てを装着している。巨体を青い空の下、現役冒険者であった頃でも思い出しながら両腕を存分に伸ばし、

「もう大丈夫でしょう。ウチの腕っこきにも相当暴れさせましたからね」

 と、満足そうにシンセネテル・ニーヴ村に対して快勝を宣言し、所属冒険者達を村へ凱旋させた。

 この明言に、狭いダーリェ・ミラガンの屋敷――これもまた山の中からロッジがふもとまで降りて来たようなこぢんまりとした建物だ――の客間の中でも、村を代表する者五、六名に加え、たった今遅れて屋敷へ入って来た店主アーグステと、客間の中央ですでに宴会の主役として村中からの歓待を受けている頼もしい事この上なかった冒険者達のうちの数人、それとなぜかこの場にいる領主に仕える私兵達や役人、これだけ多人数がすし詰めになって狭っ苦しく感じるはずの部屋が急に広くなったかと錯覚させるほどに、一同は達成感で歓喜と安堵にゆるみつつ、大いに高揚した。

 アーグステ店主は周囲に、この事を村中に知らせて回るよう頼んだ。まず村人達が言われずともとばかりに先陣を切って村長宅から駆け出し、次に最後の職務を飾らんと冒険者達が凱旋に赴き、それに私兵達と役人達が随伴して行った。

 それを確認すると、アーグステは一転、静かに椅子を引き、巨体で人の家の物を尻で潰さないよう慎重に腰かけながら声を潜めて、

「で、依頼料の事なんですがね……」

「ありゃあ、もうお払いしたでござんせんかえ……?」

 一度身を切って解決させたはずの懸念だった。どぎまぎして返事をする村長だったが、アーグステ店主の顔は深刻では全くない。にもかかわらず、どこか複雑そうな表情でもあった。

「その事なんですがね――先日一緒にお連れでした、息子さんの事で」

「ありゃあ孫でごぜえますが、トレナンが、何か?」

「ああ、お孫さんで……彼、今年おいくつで?」

「今年で十四になりました」

「失礼ながら、ご一族の種族はノームだとお見受けしましたが」

「種族で? へえ、ウチの村は川辺にいくつかサラマンダーとウンディーネのお世帯がある以外は、みんなノームでごぜえますだよ……以前行商人から妖精界コッティングリアで一番多いのはノームだとお噂を伺っとりました。何ぞおかしな事があるとも思えねっですが……」

「では成人はやはり十五歳でしょう。公娼をそろえるような立派な娼館では、未成年のお孫さんを雇えませんよ」

「あっ……」



 アーグステがトレナン少年の身売りを知ったのは、彼女の洞察力がきっかけである。

 とぼとぼとテーブルを発って〈赤き戦斧亭〉を出た二人が、彼女には、

「とても『金を用意させている』ようには見えない……」

 としか思えなかった。そしてあからさまに小規模依頼の報酬にも事欠いているような者が、すぐに大金が必要になった時にしでかす事、採れる手段というのは、大方仄暗い行為だと相場が決まっていた。

 店主アーグステはすぐに、店に籍を置く女冒険者キーヴィエが一階・酒場のテーブル席で暇を持て余しているのを見つけると、後を()けるよう頼んであった。キーヴィエは気の良いウンディーネで、若さの割に歴の長い野伏であり、ナイフ投げの練達でもある。その技巧の才で、街の中で人目をはばかるための細々とした技を凝らすのも、専門外とは思えないほど得意としていた。

 店主のような冒険者斡旋業者は依頼票を受け取った後、その依頼に不審な点が無いか、必ず裏を取る。たいていは店側が調べるのだが、信頼のおけるベテランがその手伝いを任される場合もある。彼女は若いながらも店主から深く信頼されている冒険者の一人であった。キーヴィエは二つ返事で二人の後を追った。

 手練れの軽業冒険者の尾行など、とても素人に察知できたものではなかった。

 こうして、歓楽街での孫とのやり取りも、ダーリェ・ミラガン村長がトレナンを連れて手近な娼館に入る様も、ぴょこぴょこと尾行していたキーヴィエがすっかり耳と目に入れていたのである。

 そこで彼女は入れ替わりで娼館に入った。トレナン少年が本当に身売りなどしているのか確かめようとしたのである。また娼館から出てきた時のミラガン村長は金を抱えている様子が無かったので、〈赤き戦斧亭〉への依頼料が用意できたのかどうかも調べるつもりだった。

 キーヴィエ曰く、ダーリェ・ミラガンが去った後の娼館の主人はおかんむりであったという。

「訛りがきつくて分からなかったが……お前みたいな歳の男を雇える訳が無いじゃないか! あの婆あ、ウチを違法(もぐり)の店だと思ったのか? 何が冒険者を雇うための金だ、誰が依頼料なんぞ送金してやるものか! 出て行きやがれ!」

 娼館の主は書きかけた証文を巻きながら、まさにトレナン少年を手ぶらのまま店から叩き出そうとした所であった。そこでキーヴィエはトレナンを捕まえ、〈赤き戦斧亭〉まで連れて帰って保護したのだ、と言う。

「つまりトレナンは、娼館に借金出来なんだのでごぜえますか……?」

「ええ、残念ながら。ウチに素直に言ってくれりゃあ、まあ、色々と働かせ方はあったもんですがね」

 清濁併せ呑む店主はにやりと笑った。だがダーリェ・ミラガン村長にとってはそれどころではない。愕然とした顔で、震えながら訪ねた。

「……したら、金はどうなりましたんで? お代が払えとらんのでしたら、なして冒険者さん方が村まで――」

「いや、金が出ないから困りましたよ。でも請けちまいましたし。こんな依頼、断ったら酒が不味くなりまさあね。ですから出せるところに出してもらう事にいたしましたよ。ウチとしちゃあ、村長さんの村が払えないのが分かっていますから、どこにも角が立たないように他に金を払わせられりゃ、それで良かったんでね」

「他に出せるところ?」

「おたくの村の領主様ですよ」

「り、りょっ――」

 ミラガン村長の声は思わず上ずる。

「領主様さ、引っ張って来なすったんで⁉」

「ええ、男爵のお屋敷までちょいと押しかけまして」

「……」

 その場にいた事情を知らない全員の口が、開いたままふさがらなかった。

「依頼を請けてくれた冒険者と一緒に、あたしもこっちまで付いて行きまして。で、途中で男爵様に話をつける事にしましてね。取次の役人には『おたくの領民から、これこれこういう依頼を請けた。依頼人の村長は依頼料に悩まれ、冒険者ギルドから保証を受けてもなお支払いに困っている。

 依頼内容は領内の魔族退治である。つまりこれは、シンセネテル・ニーヴ村から領主への血税を、王都の冒険者が代払いしているのに相当するはずだ』と伝えさせて――」

 租税にも色々な種類があり、対象も人頭税・農地税など様々である。都市部以外では、貨幣ではなく農作物で支払う事を主とした。だからこそ農村部からの依頼人は往々にして、冒険者を雇うために必要な()()を持っていないがために困る。

 そのような多様な租税制度の中でも特に独特な形態が、王侯貴族から戦争のために召集され、兵士として戦闘に参加する事で納税したと見なすものである。これが〈血税〉である。

 冒険者ギルドとは名前とは裏腹に国家の(もと)にある公的機関である。アドベンチャーキーパー達へ冒険者斡旋業の資格を授与するとともに、彼らによる民間への武力の貸し出しが適正に行われているか監督・監視している。冒険者とは民間人にとって容易に手に入る武力であり、常に悪用される恐れがあるからだ。そのため冒険者は全員、国家とその社会秩序に従う事を誓わねばならない。有事には国のために戦う事も求められ、()()()()()()()()()()()()()()()()()場合もあった。しかし平時でも、冒険者および冒険者斡旋業は依頼人の血税の代払いに当てはまる依頼を請ける事がある。この法的立場こそが店主の主張内容の根拠であった。

「つまりあたし達は、男爵にお会いして『おたくの領地の村が危険排除依頼をウチにしに来てお代を払えないって言ってるんだから、もちろん領主が肩代わりしてくれるよな? おたくの領地で魔族と戦うんだぞ?』ってごねたんですよ。誠に勝手ながらトレナン少年の事もそこでお話させていただきました。このキーヴィエも貴族相手にもひるまずに矢面に立ってくれたんですよ」

「そ、それって……そんな事なさって、大丈夫なんでごぜえますかえ?」

「もちろん本当はやっちゃダメな事です。もし男爵の機嫌を損ねてたら、今頃あたし達は監獄の中でしょうね」

 と、平然とからから笑っている。それを見ている周囲の誰もが、貴族の権力に挑戦する行為の空恐ろしさを思うと気が気でなかった。しかし当の店主は大した事でもないかのように先を続けた。

「依頼人に金が無きゃあ冒険者は動かないのが普通ですから、村長のご依頼は実は前例の無い事だったんです。それでも請けちまったウチのせいなんですがね。

 男爵様の方もこんな例外的な事、よく調べもせずには急に返答は出来ません。しかしこのままでは村は滅びかねず、それで領地の一部が魔族領に飲み込まれれば家名にも傷がつきかねません」

「……おら達ぁ、貴族様の事も難しい事も分かりゃっせんもんで……どうか簡単に言うて下さりませんか」

「表向きは断られ、村長のご依頼は無かったことになりましたが――」

「そ、そんな……」

「いえいえ、最後まで聞いてください。男爵様は、村が一刻を争う事態であるかもしれないとおもんぱかられ、『国防は臣民の努め』というご名目をつけられました。それで男爵様は、村長と全く同じ内容の依頼をお出しになりました――ウチが村長の依頼を取り下げる代わりにね。

 つまり、書類上あたし達は村長ではなく領主様の依頼で来た事になってます。依頼人も男爵様という事になりました」

「つう事は?――」

「村長からの依頼じゃなくなりましたので、村はお金を出さなくても良くなったんですよ」

 この時、男爵の私兵が領内の治安維持のために事件に乗り出し、冒険者達はその助力を依頼された、という体裁に変更された。

 三つ。冒険者達の他に、男爵の私兵も魔族討伐に加わった事。たかだか貧村の小山を、伝統的なチェインメイルどころか仰々しいプレートアーマー姿の騎士団の過剰戦力が取り囲んだのであるから、小鼠魔族ごときにはいささか気の毒であったろう。

 ここに、シンセネテル・ニーヴ村そばの小山の魔族共は死に絶えた。店主は元の依頼主ダーリェ・ミラガン村長の頼みに相場以上の力で応えたのだ。

 冒険者達と私兵の邂逅だが、この出来事は意外な好評を博した。この些末事に駆り出されたのが戦闘や行軍においての技術交流の場となり、双方にとって良い機会となったそうな。また領主は〈赤き戦斧亭〉に端金(はしたがね)を支払う事で、領地も面目も保つ事が出来た。もしかすると今後同様の事態が起きても、領主が自ら兵を送って村民を守るよう我々に命をお下しになるかもしれない、とは私兵団長の弁である。

 ただし男爵は〈赤き戦斧亭〉に、一つだけ条件を付けた。

 娼館が危うく雇うところだった、村の少年トレナン・ミラガンをシンセネテル・ニーヴ村に引き渡す事。

「――という事なんで、彼には店で腹いっぱい食べさせた後、お支払いいただいた依頼料の金貨も返金になりますんでそれも持たせて、その内こっちまでお送りします。何もかも事後承諾になってしまいましたが……それでもよろしいですかね?」

 アーグステの確認に、ダーリェ・ミラガンは袖で涙をぬぐうばかりで、しばし答えられなかった。

■エシッド王国における通貨

1メイ金貨=20フィヒト銀貨=240ボン銅貨

金貨一枚あれば田舎での慎ましい暮らしがひと月ほど出来る、そのぐらいの額だと思って下さい。物価にもよりけりですが日本円で約十二~十五万円程度でしょうか。

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