第九十七話 黒い翼と地獄の未来
「っと。危ない」
「邪魔しないでくださいませ」
「いや助けようと思ったんだけど」
「余計なお世話です」
煉獄の天秤前で、ルナは聖夜が操るコウモリを睨んでいた。先程から視界を大量のコウモリで埋められ、よく前が見えないのだ。おまけに自分が倒そうとしている敵を横からどんどん先に消していくのだから、これはもはや援護というよりも手柄泥棒に近いのではないだろうか。
「本当に邪魔ですわ」
ルナはコウモリを見ながら、黒水晶のような大きな瞳を確固たる意志を持って光らせた。
「従いなさい」
すると聖夜に操られているはずのコウモリが、あっさり自分の意のままに動くようになる。魅了は苦手だし好きでもないけれど、使えないわけではないのだ。
「あっ、ずるっ! 横取りじゃん」
「何とでも」
後ろから聖夜の不満そうな声が聞こえるが、ルナは華麗に無視をした。さて次の標的はと周囲を見渡すと、再び聖夜の声が聞こえてくる。
「斜め右から来るよ!」
ルナは斜め右方向に向かって鎌を振り下ろした。カツンという金属音とともに毒針が飛び、防護壁に当たって消えていく。白いタイルに鮮血が散り、真っ赤な口紅の悪魔が現れた。
「姿を消しても無駄ですわよ」
「くっ……あの子何なのよっ!」
「同感ですわ」
「翼生えたんだからもう同族じゃないの?」
「知りませんわよ」
クレハは聖夜を睨んでいる。背中に黒い翼が生えたということは、悪魔の「同族」とみなしてよいのか、それとも彼はまだ人間で「他種族」にあたるのか。他種族ならば傷つけたら死刑。でも同族ならば気兼ねなく殺せる存在。しかし、今の彼がどんな種族に分類されるのか、クレハにもルナにもわからない。
「手を出さない方が無難なのではなくて?」
ルナは口元だけで微笑んだ。聖夜の所属はまだはっきりしない方がいい。人間に分類される可能性がある限り、悪魔は彼に手出しできないのだ。
「ほんとムカつくわね、あんた達」
クレハは舌打ちをして、大きく飛びあがった。ルナが飛んできた毒針を避けると同時に、横から巨大な黒いネズミのような魔物がクレハに飛び掛かる。ネズミの頭から生えている鋭い刃がクレハの腕を大きく傷つけた。
「あぁあ痛っ! もうっ、何!?」
「出刃鼠……いつの間に」
「なんかいたから仲間にしといた」
ばさりと翼を羽ばたかせて宙に浮いた聖夜が、ネズミに褒めるような視線を向けた。
「いい子だ」
キュウ、と鳴いたネズミと聖夜を交互に見て、ルナは溜息をついた。
「あなたはもう悪魔にしか見えませんわ」
「ありがとう」
「褒めてはおりませんが」
「お揃いっていいよね」
「気高き悪魔の翼を揃いの装飾品に例えるなんて、馬鹿にしてますわよ」
「なるほど……失礼。新人なもので」
聖夜は少し考えて、ルナの視界に入る位置に飛んだ。胸に手を当て、恭しく頭を下げてみせる。
「誇り高き翼の末端に加われたこと、至極光栄に存じます」
「付け焼刃」
「どうしろっていうのさ……おっと」
横から白い光が飛んできて、聖夜は空中で身を躱した。この場にいる敵は悪魔だけではない。聖剣を持ち、やはり鋭い視線でこちらを見ている半透明の赤髪の剣士。しかし、彼は聖夜にとって、もはやただの幽霊ではなくなっていた。どうやら恋人を探しているらしい彼は、しきりに「ミア」という名を連呼している。
「ミアはどこだ!」
「だから知らないんだってば」
「隠しているのか」
「違うって」
向かってくる聖剣を避けながら、聖夜はカイルに大量のコウモリを仕向けた。しかしコウモリは地獄の上層から飛んできたもともと弱い魔物にすぎないので、すぐに斬られてしまう。
「あんまり斬らないでよ。せっかく仲間になってくれたんだし」
「お前が仕向けてくるからだ」
「そっちこそその剣どうにかしてよ」
「お前がコウモリを下げる方が先だ」
姿だけが見えていた時とは違い、会話が出来ることでカイルの態度は軟化しているように思う。しかし話し合いは平行線だ。「ミア」というのが天使か悪魔か人間かはわからないが、彼女を連れて来なければ、彼は納得しないのかもしれない。
「ミアってひととはぐれたの?」
「ああ。天使と悪魔の間の戦争に巻き込まれたんだ。まずはあいつが無事か確かめねーと」
カイルの聖剣が白く光る。聖夜はコウモリに合図をして、カイルの周囲から撤退させた。
「まぁ落ち着いてよ。探すの手伝うからさ。ミアさんって天使? 悪魔? もしかして人間とか」
死後の世界の存続を懸けた戦闘中に人探しをする余裕があるかどうかはわからないが、聖夜は一応聞いてみた。カイルはその時初めて鋭い視線を緩める。これまでは凄腕の剣士という印象だったが、頼りなさげに頬を掻く様子は迷子の少年のようにも見えた。
「人間ではない……と思う。最後に見たときは黒い羽生えてた」
「なら悪魔だね」
「悪魔、なのかな? 自信ねぇ。天使だと思ってたし」
「え? 何で? あ、そっか」
翼見たらわかるじゃん。と聖夜は思った。しかし、天使や悪魔は翼を消せるということに思い至り、頷く。そういえば初対面の時は、ルナのことを人間だと思っていたのだった。彼女を天使だと思ったことはないが、知らなかったら間違える事もあるかもしれない。カイルは眉を寄せ、記憶を辿っているようだった。
「……知らなかったから? ……いや、違う。決めつけてた、かも」
「何で?」
「何でって……そりゃ、恋人に翼があるって思ったら、白いのを想像するだろ普通」
「いや別に?」
まさに想い人に黒い翼が生えている聖夜は素で首を傾げた。ルナの翼が白かったらなどと聖夜は思ったことがない。
「カイルさんは、天使が好きなの? それとも、ミアさんが好きなの?」
「それは……俺は、ミアが」
「ならいいじゃん。僕は結構好きだけどな、黒い翼……」
「剣と何を話しているんですの?」
聖夜が背中についたばかりの黒い翼を動かした時、クレハに重い一撃を入れたルナが横から飛んできた。彼女にはカイルの声はおろか姿すら見えていないが、ミアが本当に悪魔なら、ルナがその名を知っているかもしれない。聖夜は聞いてみる事にした。
「瑠奈ちゃん。ミアって悪魔のこと知ってる?」
「ミア……先代魅惑の悪魔の名ですわね」
「先代かぁー」
聖夜は片手で顔を覆った。彼は先代魅惑の悪魔については何も知らないが、ルナが魅惑の悪魔に就任したのはおそらく、先代が仕事の出来ない状況になったからだと想像がつく。まさか地獄の危機的状況で、悠々自適の隠居生活をしているわけではないだろう。
「(ミアさんってもしかして亡くなってる?)」
「(五百年前の事件の時に、そこの先代勇者と一緒に地獄に堕ちたはずですわ。最下層にまだ魂があります)」
「(それ、魔王様ならどうにかできる?)」
「(できるとしたらマスター権限ですわね……魔王様が許可してくださるかどうかはわかりませんが)」
ルナは地獄へ繋がる階段を見た。もう随分と時間が経ったように思えるが、金印は取り戻せただろうか。戦況を確認できないもどかしさに顔を顰めたルナの横顔を見て、聖夜は溜息をつく。
「やっぱクロムさんにはかなわないかぁー」
「え?」
「や。なんでもない。ちょっとカイルさん連れて地獄行ってくるから。カイルさん、ミアさんとこ行くよ! 瑠奈ちゃんあとよろしく!」
「は? え、聖夜さん!?」
思い立ったら即行動型の聖夜は、ならば魔王に許可を取ってみようと地獄に向かう事にした。カイルの目的が地獄にあるとわかった以上、煉獄で戦っていても意味がない。
しかし不安もあった。もし別行動をとっている間に、彼女に何かあったら。
「瑠奈ちゃん。絶対死なないってその翼に誓える?」
「勿論ですわ。あなたのほうが不安ですけど」
「大丈夫。こっちはカイルさんついてるし。ね!」
赤髪の剣士がしっかりと頷いたのは、聖夜だけに見えている。聖夜はカイルに更に一言二言話しかけると、ふわりと浮いた聖剣を騎士に、地獄の底へと向かっていった。
「行ってしまいましたわ……」
聖剣を専属騎士のように扱うとは、どれほど要領の良い男なのか。嵐のように去っていった聖剣と聖夜を呆れを含んだ視線で見送って、ルナは反対方向の柱に視線を向けた。既に大半の一般悪魔とは決着がついており、残っているのは壁際で震えている根性無しの悪魔たちと、柱に凭れて傷口を押さえているクレハのみだ。
「煉獄はもう、あなただけですわね」
ルナは何の感情も見えない冷たい瞳で短剣を構えた。彼女はもう動く気力もないようで、俯いて顔もあげない。
「意外ですわね。あなたはもっと、諦めが悪いのかと思ってましたわ」
「…………」
クレハは、そんなルナの言葉にも答えなかった。ルナは不審げに眉を寄せる。先程まで勝気で饒舌だったはずの彼女にしては、諦めが早すぎる。
「何を企んで……」
「見ないで!」
ルナが近づこうとすると、クレハは両手で顔を覆って蹲った。肩が震えている。この状況で「殺さないで」でも「来ないで」でもなく、「見ないで」とは。両手で隠したその顔に、何かがあるのだろうか。
ここにいるのがハルトなら、言われた通りに目を逸らすのかもしれない。しかしルナはそんなに甘くはない。敵の願いをなぜ聞き入れなければならないのかと、構わず近づいた。
「……あぁ。あなた混血種でしたの」
クレハの両手の隙間から青白い肌を確認し、ルナは頷いた。コンプレックスなのだろうか。随分とくだらない事を気にするものだと眉を寄せるが、クレハにはその表情が嫌悪からのものに見える。
同族は皆、クレハの素顔を気味悪がって逃げるように去るか、蔑むように笑うかだ。一部の攻撃的な悪魔は溶岩を投げてくる者さえいる。彼女はどう出るだろうか。クレハは身を固くした。
「……何よ……黙って見てないで、さっさとこの醜い化け物を祓えばいいじゃない」
「あなたの中に流れる天使の血は、醜い化け物を生み出す材料ではありませんわよ」
ルナは冷ややかにそう言った。黒い翼を持ちながら、彼女の血の半分は天使のものだ。ルナが馴染ませるのにあれほど苦労した聖なるオーラも、クレハは生まれながらにして持っている。
「何の努力もせずに天国への訪問を許されている事が、どれだけ恵まれた事か理解しておりませんのね」
「何を言っているの? 悪魔は天国へは行けないのよ。私だって……」
「行けないのだとしたら、あなたが行けると思っていないからですわ」
「行けないし、行こうとも思わないわ。私に天使の血は必要ないもの」
顔を隠したまま更に身を固くしたクレハは、心まで閉ざしているようだった。ルナは短剣を持ったまま白いタイルに膝をつき、クレハの手を掴んで顔から遠ざける。青白い顔は聖なるオーラが混ざった証。天使に憧れを持つルナには、それがとても贅沢な事に思えた。
「黒い翼はそのままに、聖なるオーラにも順応できる。私が欲しかったくらいですわ」
「よしてよ、嘘ばっかり。汚らわしいと思ってる癖に」
「純血主義なんて流行りませんわよ。特にこれからの時代は」
ルナはクレハから視線を外さないまま、地獄に繋がる階段を指さした。今どんな状況になっているのかはわからないが、こちらの勝ちは揺るがないとルナは確信している。この煉獄を中心に、天使と悪魔が当たり前のように関わり合う時代が再び訪れるのだ。
「魔王様が復活された以上、あなたの上司の居場所はありません。地獄だけでは死後の世界は成り立たないのだというごく当たり前の認識が、あなたがたには欠けているのですわ」
「死後の世界……?」
クレハはぎこちなく繰り返した。彼女をはじめとする多くの悪魔は地獄しか知らない。
しかし実際天国は地獄より遥かに広いし、死者の魂の多くは天国に行く。地獄に来る魂などは人間の全体的な数からいうと、ほんの一部でしかないのだ。
「あなたの戦う理由にその血以上のものが無いなら、黙ってそこで見ていなさい。今後はもう、私が誰にも馬鹿にさせませんわ」
クレハはそこで初めて、ルナに視線を合わせた。侮蔑も嘲笑も含まない、真摯な瞳。同族から向けられるこんな視線を、クレハはずっと求めていた。しかし、そう簡単に絆されるほど、彼女の傷は浅くない。
「……簡単じゃないのよ。周囲を変えるのも、自分を変えるのも」
「自分を変えるのはあなたの仕事ですが、周囲を変えるのは私達の仕事。私も未熟なゆえに今まで気がつきませんでしたが、これからは魔王様とクロム様の下で精進しようと思いますわ」
「クロム……それに、魔王……いったい何が起きているのよ」
「そこまで何も知らなくて、よく戦っていましたわね」
「それは。私は……天使が、居なくなればと思って」
クレハはルナから視線を外した。しかし、もう彼女がルナの前で顔を隠すことは無い。それを微かな前進と捉え、ルナはクレハの隣に腰を下ろす。
「……私も、全てを知っているわけではありません。でもこれからの地獄がどこに向かうべきなのか、今わかっている範囲の事は教えられますわよ。ほら、あなた達も」
ルナは柱の陰や壁際で小さくなっている悪魔たちを呼んだ。彼らは敵ではなく、これからの地獄の働き手。二度と誤解のないように、ルナは丁寧に説明を始めた。




