第九話 運営元も悩んでいる
「すっ、すみません!」
全員の注目を浴びているのを感じて、ハルトは今の独り言が思ったよりも大きく響いてしまったのだと気がついた。死後の世界の仕組み自体を全否定してしまった事に、慌てて謝罪する。
「そうだね。確かに、この仕組みはおかしい」
もしかしたら消されるかもしれない、という勢いで平謝りの姿勢を取ったハルトだったが、意外にも返ってきたのは肯定の言葉だった。ミカエルが穏やかに微笑んでいる。
「この仕組みは、五百年前に私とクロムが中心になって作ったものだ」
「えっ!?あ、あの……本当にすみません!」
まさかの仕組みを作った本人だった。失礼な事を言ってしまったと、ハルトはミカエルと黒谷を交互に見る。しかしミカエルの穏やかな表情は変わらず、黒谷も全く気にしていない様子で首を振った。
「いやいい。俺も、こんなもの無ければいいと常々思っているからな」
「まーめんどいし、この仕組みふつーに嫌っすよね」
黒谷の言葉にすぐにルークが賛同する。なら何故こんな仕組みを作ったのかと思うハルトの前で、ミカエルが申し訳なさそうに眉を下げた。
「これしか思い付かなかったんだよ。私たちは人間の心を読めるわけではないからね」
「もともと天秤が使えなくなって急いで作ったシステムだからな」
「天秤?」
天秤って、重さをはかるあれの事だろうか。黒谷の言葉にハルトは首を傾げたが、隣ではリリィが大きく頷いている。
「『裁きの天秤』の事ですよね。魂を自動的に裁いてくれるっていう」
「そんなものがあったんですか?」
「俺も話だけしか聞いたことねーけど。あれ、五百年前に壊れたんすよね?」
ルークがミカエルを見た。ミカエルは頷いて、ハルトに向けて説明を始める。
「もともと、天国と地獄の間には煉獄という場所があった。死者の魂が真っ先に行き着く、大きな駅のような場所だ。そこには『裁きの天秤』という大きな天秤があってね、それが死者を順番に裁いていたんだ。天秤はその前に立った人間の心を覗き、天国と地獄の相応しい方へ自動的に傾く」
「天秤は生前の行いではなく、心を裁くから正確だし間違いもない。死後の世界は天秤ありきで回っていたんだ。五百年前に、ある事件で壊れるまではな」
ミカエルの説明に黒谷が補足する。つまり、自動的に魂の行く先を決めていた天秤というものが五百年前に失われてしまった。そして、心をはかることが出来なくなった天使と悪魔は、仕方なく人間の行動を逐一監視して点数をつける仕組みを作った、という事のようだ。
「ある事件?」
「それって何なんすか?本にも載ってねーし、知ってる奴もいねーし」
「そんなに大きな事件なのに知られてないの?」
事件について聞きたいと思ったハルトの向かい側で、何故かルークも首を傾げている。リリィもそういえばと、不思議そうに言った。
「その頃大きな事件が起こってたくさんの天使や悪魔、そして私たちの両親も亡くなったって事は聞きましたが、どんな事件かは教えてもらえなくて」
「五百年前じゃ俺ら小さすぎて記憶ねーし。先代のリーダーがめちゃくちゃ凄かったってのは聞いたことあるけど」
ルークが言う先代とは、彼らの両親の事だ。リーダー職は亡くなった親から引き継いだものらしい。天国を支えるリーダーが二人も亡くなり、死後の世界の中心だった天秤が壊れるほどの大事件だったのに、その内容は公にされていないようだ。ミカエルは当時を懐かしむように金の瞳を細めて二人を見た。
「瞬間移動を駆使してあらゆる情報を集め、天国内外の物流や交流に貢献した『運命の天使』ルキウス。強力な防護壁で天国を守り、また優れた頭脳で多くの便利な発明品を作った希代の発明家『守護の天使』ローズ。彼らが五百年前命を懸けて守ってくれたおかげで、死後の世界は今も保たれている。感謝してもしきれないよ」
「私たちも両親のようになれるでしょうか」
「先代はやっぱ凄かったんすね」
ぼんやりと親と過ごした記憶のあるリリィは両親への憧れを胸に目を輝かせ、全く記憶のないルークは親を先代と呼び教科書に出てくる偉人の話でも聞いているような反応を示した。
おそらくリリィもルークも、他の天使とは比べものにならないほどの強力な力を使いこなしているのだろう。しかし、同じリーダーでもやはり先代とは明確な差があるようだ。親と子なので当然かもしれないが。
「で、事件って何すか?」
両親への興味が浅いルークがあっさり話を元に戻す。黒谷がミカエルを一瞬見て、ミカエルが頷いた。箝口令が敷かれているわけではないがあまり広めたい話ではない。一応注意しておこうと、ミカエルは気持ち小声で言った。
「ここからの話は他言無用だ。いいね」
ミカエルの言葉に全員が頷き、リリィとルークはペンを置いて資料をしまった。メモも取らないという意思表示だ。全員が聞く姿勢に入ったのを確認して、ミカエルが再び口を開く。
「君たちは、勇者を知っているかい?」
「勇者?ってあの、剣を持って戦ったりする勇者ですか?」
「聖剣を持って魔を祓うというのは聞いた事があります」
「何かすげぇ強い人間なんすよね?聖なる気で戦うから天使に近いとか?よくわかんねぇけど」
三人はそれぞれ答えた。概ね近いイメージだ。天国では伝説上の存在らしいが、人間界では完全にファンタジーの世界の話で現実にいるなんて考えたこともない。それが本当にいたのだと、しばらく黙って話を聞いていた黒谷が口を開く。その苦々しい表情から語られた次の言葉に、ハルト達は暫く言葉を失った。
「今から五百年前に事件が起きた。煉獄に現れた勇者が突然聖剣を振り回し、真面目に仕事をしていた悪魔を無差別に虐殺するという事件がな」