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第七十六話 上ると魔王、下ると地獄

 戦闘意欲を失った浅黄の手から聖剣が滑り、カランと音を立てて黒い階段の三段下に落ちていく。


 迂闊(うかつ)にも目の前の恐ろしい金の瞳と目を合わせてしまったことを、浅黄は猛烈に後悔していた。まるで捕食者に(にら)まれたカエルのようだ。少しでも隙を見せたら最後、暗闇の中に引きずり込まれて二度と出ることができない気がした。


「もしかして、お前が聖剣抜いたのか?」


 対するサタンは首を傾げた。聖剣が彼の手から滑り落ちたということは、おそらく彼が抜いたのだろう。この場にハルト以外の人間がいるとは想定外だし、勇者候補が他にもいるとは思わなかった。


「なぁ。お前が抜いたのかって。おーい」


 自分の瞳を映したまま固まっている浅黄に、サタンは諦めず話しかけた。地獄行きになった犯罪者の魂とは仕事柄よく接するが、普通の人間と話す機会はほとんどない。サタンはなぜ返事をしないのかと不思議そうに浅黄を見て、そして何かを納得したように頷いた。


「そうか、耳か喉の調子が悪ぃんだな。シルバーが治癒できるなら治してから……」

「そいつは正常よ」

「サタン様のオーラがあまりにも凶悪なので驚いているだけかと」


 シルヴィアとクロムが浅黄を見る。以前ハルトは割と普通に話していたが、いきなり魔王を見た人間の反応としては浅黄の方が正しい。どちらかというと、ハルトの順応性が異常なのだ。サタンはそれを聞いてようやく浅黄から視線を外し、ハルトの方を見た。


「おぉ、そっか……そんなに怖ぇか?」

「はいまぁ……生きたまま魂抜かれるかもって思うくらいには……」

「お前がクロムと仲良いの何でかすげぇわかるわ」


 以前会話した時も思ったが、何とも肝の据わった人間がいるものだとサタンは笑った。普段から相手をよく観察しているからこその、失礼に当たらない範囲ぎりぎりを攻める素直で遠慮のない物言い。それが何とも心地よい。


 しかしもう一人の人間はそうではないようだと、サタンはハルトを見たまま浅黄を指さした。


「で、こいつ何?」

「僕の担任の先生です」

「タンニン? 胆のうじゃなくてか? 確かにあれをピンポイントで取り出すのはなかなか難しいからな。教えてくれる奴がいるなら……」

「サタン様。内臓の話ではありません」

「違ぇの?」


 素で勘違いしたサタンにクロムが突っ込む。自然に出てきた内臓の話に、浅黄がびくりと大きく震えた。もう二度と目を合わせないようにしようと、先ほどから浅黄は下を向いている。階段の下にある聖剣。あれをもう一度手にする勇気があれば、少しは戦えるだろうか。


「まぁいいや。ミカエルは煉獄にいるんだろ? 合流してぇし一度戻るか」

「そうですね……そろそろ誰か偵察に来るかもしれませんし」


 浅黄との会話を諦めたサタンの言葉を受けて、クロムがちらりと地獄の方を見た。ここはだいぶ地獄の入り口に近い。サタンに面と向かって喧嘩を売れる命知らずは多くないと思うが、不審に思った悪魔たちが大勢こちらに来たら面倒なことになるかもしれない。


「じゃ行くぞ。あー……こいつは?」

「置いていきましょう」

「あ? 一緒じゃねぇの?」

「どちらかというと敵側なのよ」

「聖剣抜いたのに?」

「色々あったんです」


 まさかサタンと戦うために聖剣を抜いたとは言いづらく、三人は微妙に言葉を濁した。黒い翼を全開に広げ背を向けるサタンの背後で、ようやく動けるようになった浅黄が聖剣を掴む。その金属が擦れるような音を聞いてサタンが振り返った時には、浅黄はその剣先を、魔王に向けて光らせていた。


「へぇ? ただの腰抜けじゃなさそうだな」


 金の瞳が愉快気に細められ、銀の剣先が恐怖に震えた。しかしサタンは特に何をする気もない。地獄法十三条もあるし、借り物の聖剣に、今のところ危機感も感じていないのだ。


「あー、お前」

「浅黄というそうです」

「浅黄か。またな(・・・)


 ハルトを抱えたクロムから浅黄の名を聞き、サタンは軽く手を振った。長い階段を上りの方へ飛んでいった三対の翼はあっという間に見えなくなり、真っ暗な道には浅黄と聖剣だけが残される。


「また、か。あんな化け物二度とごめんだが……そうもいかないだろうな」


 腐臭漂う暗い道に唯一人残されても、浅黄が感じたのは安堵だった。しかし水島ハルトの素性は気になる。魔王と親し気に話しているようだったが、いったい彼は何者なのだろう。


(政治家を目指している一般生徒だと思っていたが、認識を改めなければならないかもしれないな)


 悪魔の手先か、もしかしたら人間に化けた悪魔なのかもしれない。人間だとしても、あんなものと平気で話している時点で普通ではないのだ。


(さて。しかし、上には魔王がいるし、下は下で危ない気がするし、一体これからどうしたらいいのか……あれ?)


 浅黄は階段の下を見た。ここにいるはずのない人物が、そこに立っている。確かに安否を心配していたが、都合よく彼女が現れるところを見ると、これはやはり夢なのかもしれない。


「夢にしては随分とリアルだが……紅葉(クレハ)さんにまで会えるとは思わなかった」


 浅黄はにっこりとクレハに微笑みかけた。しかし偵察中のクレハは頬が引き攣っている。悪魔は暗闇に強い。浅黄の姿を先に見つけたのはクレハの方だった。


(危なかった……すぐに翼を消しておいてよかった)


「紅葉さん?」

「浅黄さん。あなたは、ここで何を?」


 問いかけながら、クレハは素早く状況を把握しようと浅黄を観察した。彼が持っている聖剣を見て、計画通り彼が勇者になったのだと確信する。しかしこの状況では喜んでばかりもいられなかった。ここが地獄の入り口で、階段を少し下った先には大勢の悪魔がいると知ったら、彼はどうするだろう。この背に黒い翼が生えていると知られたら、自分自身も危ないかもしれない。


「ついに聖剣を手に入れたんです。紅葉さんからもらった本の通りでした。これ自体、手の込んだ夢という可能性もありますがね」


 浅黄は聖剣を高く掲げた。白い光が眩しく光ると同時に、クレハは眉を(ひそ)めて大きく下がる。この光は確かに危険だ。正面から浴びたら、天国に行くのと同じように身体が溶けてしまうだろう。


「紅葉さん? どうしました?」

「あ……眩しいのが、苦手で」

「そうでしたか。すみません、配慮が足りず」


 浅黄はあっさり聖剣を下ろし、そして空いた手を腰に当てて再び周りを見渡した。どれほど見ても、階段のほかに道はない。


「上りも地獄、下りも地獄……か」


 こんな時、「勇者」ならばどうするだろう。やはり魔王を追うべきか、それとも未知の世界に足を踏み入れるか。ゲームや小説の世界では最下層を目指して攻略するのが基本な気がするし、魔王以外の魔物などと戦えるなら経験値を上げておきたい。もちろん、魔物がいる世界だとは限らないし、レベルなんてものは無いだろうが。


「あ。浅黄さんっ!!」


 地獄(した)に向かって階段を下りだした浅黄に向かって、クレハは叫んだ。聖剣を持った勇者が地獄に行って多くの悪魔を目にしたら、計画が裏目に出るどころの話ではない。


「どうしました?」

「あの、下は駄目です。えぇと……恐ろしい悪魔がたくさん」

「恐ろしい悪魔?」


 なるほど、魔物ではなく悪魔がいるらしいと浅黄は思う。しかしあまり怖くは感じなかった。魔王というあの恐ろしい存在を見てしまった今となっては、魔王ではない普通の悪魔とはむしろ戦ってみたい。


「大丈夫です。紅葉さんは僕がちゃんと守ります。悪魔などには指一本触れさせません!」

「え……えぇ……でも、私は上の方に……」

「行きましょう!」

「待ってください浅黄さん!」


 クレハの静止も聞かず、浅黄はずんずん降りていく。あわてて追いかけるクレハの目に、遠くの方から悪魔が二名、様子を見にきているのが見えてきた。今はまだ暗闇に紛れているので浅黄には見えていないようだが、このまま階段を降りていくと鉢合わせるのも時間の問題だ。


「そっちに行ってはいけません。上に行きましょう!」

「でも紅葉さん。上には……」

「お願いします」


 クレハは浅黄の進行方向に回り込み、彼を正面から見つめた。浅黄は立ち止まって彼女を見つめ返す。こんなに必死で止めるということは、もしかしたら彼女は何かを知っているのかもしれない。


「わかりました。では上に行きましょう」


 少し迷ったが、浅黄はくるりと踵を返した。


(助かった……今のうちに)


 クレハは浅黄が背を向けたのを確認すると、すぐに黒い翼を広げ、階段の下から飛んでくる悪魔に向けて毒針を二本投げつけた。


 猛スピードで飛んでいった毒針は見事両方とも悪魔の肩に刺さり、二対の黒い翼はバランスを崩して黒い階段の上に倒れ、闇に紛れて見えなくなる。


「紅葉さん?」

「何でもないです。行きましょう!」


 悪魔達が倒れる音を聞き浅黄が振り向いた時には、既にクレハの翼は消えていた。彼女に背中を押され促されるままに、浅黄は緩やかな階段をどこまでも上っていく。


 その手には先代勇者の聖剣がしっかりと握られ、戦いを待ち望むように白く淡く光っていた。

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