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第七十二話 招かれざる客

「あ。そういえば、天秤の調整が終わったら、魔王様ってすぐ復活できるんですか?」


 そろそろリリィが来る頃ではないかと考え、ハルトは少し身を乗り出してクロムに質問した。そういえば天秤が復活してからの流れを聞いていないのだ。迎えが来てからどうやって動けばいいのか、イメージができなければ咄嗟(とっさ)に動くのも難しいだろう。


「魔王は煉獄から地獄へと向かうルートの途中で聖なる刃を受けた。今もおそらくそこにいるだろう。聖剣が刺さっているから、お前が抜け」

「はい?」


 ハルトは間の抜けた声を出した。聖剣は自らの聖なる(オーラ)を糧に創り出すもの(・・・・・・)だと教わっていたからだ。台座から抜くのは浅黄の持っていた本の世界の話で、実際は違うのだと思っていた。


「あの。聖剣って……」

「魔王に刺さっている」

「あれ、でも自力で出すんだって」

「お前の剣はな。刺さってるのは先代勇者の剣(・・・・・・)だ。本来の持ち主じゃないからまともに戦えはしないはずだが、抜くだけなら今のお前でもできるはずだ」

「責任重大ですわね」


 横から瑠奈がプレッシャーをかけてくる。確かに、魔王復活をこの手で成し遂げなくてはならないとは予想外だ。急に重く()し掛かってきた重圧に、ハルトはごくりと喉を鳴らした。その様子を見て、どこか申し訳なさそうにクロムが言う。


「悪いな。お前にここまで頼る予定ではなかったんだ。もともと、聖剣はシルが抜く予定だった」

「シルヴィアさんが?」

人間(・・)だったからな」


 クロムは聖夜と談笑中のシルヴィアをちらりと見た。五百年間人間として暮らしていた彼女は、勇者の条件をほぼ満たしている。しかし予想外に翼が戻ってきた事で彼女は聖剣を扱う資格を失った。それに気がついた時、ハルトがいて本当によかったと、クロムは心から安堵した。


「聖剣はただ持つだけなら誰でもできるが、使うのは人間でなければならない。魔王から抜くとなると、やはりそれ相応の資格が必要だ」

「魔王から……抜く……」

「分厚い氷に覆われてるから、一見して魔王だとはわからないはずだ」

「あ、なんだ。よかった」


 ハルトは一瞬強張(こわば)った身体を緩めるように息を吐いた。もっと生々しい想像をしていただけに、今の言葉で心底安心したのだ。しかし今の反応が気に入らなかったのか、隣では瑠奈が(にら)むようにハルトを見ている。


「情けないですわね。魔王様をお救いするなんてこれ以上ない名誉な事ですわよ。どんな理由であれ尻込みするなんて勇者の風上にも置けませんわ」


 勇者という立場そのものよりは、勇気ある者、という意味で放たれた言葉に、ハルトは無言で頷いた。この先どんな危険な状況が待ち受けているかわからない。毒針でシルヴィアが倒れたあの時のように、一瞬の隙が命取りになるかもしれないのだ。


 しかしクロムは同じ言葉を聞いて、意外そうに瑠奈を見た。つい先ほどまで魔王の存在すら知らなかった彼女が、見た事もない彼に忠誠心など持てるだろうか。


「お前は随分とすんなり受け入れるんだな」

「当然ですわ」


 瑠奈は少しも迷わず頷いた。もともと不自然だと思っていたのだ。玉座から動かない名ばかりのマスター、マスターに並ぶだけの実力があるのに腫れ物のように玉座を避け、淡々と地獄の管理に励むクロム。不自然に天使にライバル心を燃やす、統率の取れない悪魔たち。そして何より。


「クロム様が慕うお方ですもの。間違いありませんわ」


 天国も地獄も等しく死者のためにある。現在も瑠奈の心を支えているその言葉を最初に言ったのは、おそらくサタンなのだろう。先程サタンの話をした時のクロムの表情は、彼が絶大なる信頼を寄せるのに充分な王である事を何より雄弁に語っていた。


「俺を基準にするな。サタン様がどれほど(マスター)に相応しいかは、会えばすぐにわかる」


 クロムはそう言って時計を見た。そろそろ修理が終わる頃ではないかと思いながら、次に聖夜に視線を向ける。彼を煉獄に連れて行くわけにはいかないし、大した説明もなく全員で瞬間移動して彼だけをこの場に残すのも不安すぎる。なるべく早めに退場してもらいたい。


「申し訳ありませんクロム様。(わたくし)が余計な事を……すぐに追い出しますわ」


 瑠奈が申し訳なさそうに眉を下げて立ち上がり、聖夜の方へと歩いて行った。彼をここに連れてきたのは自分だ、責任をもって追い出さなければと、背筋を伸ばし眉を吊り上げる。


「聖夜さん。もういい加減に……っ!!」



――――暗雲が青空を覆い隠し、ゴロゴロと不機嫌な空の音が鳴る。暗い影が落ちた店内に、クロムの低い声が響いた。


「煉獄が開く合図だ」


 もはや部外者一人に割く時間はない。各自表情に緊張を走らせ、それぞれに窓の外に視線を向ける。当り前だが煉獄は肉眼では見えない。しかし鮮やかだった空が突然色を失ったのは、煉獄という世界が現れた影響に違いなかった。


「すぐにリリィが来るはずだ。おい、聖夜といったな」

「はい」


 呼ばれた聖夜は立ちあがり、素直にクロムの元へ歩いた。彼は空気を読むのが人一倍得意だ。このような緊迫(きんぱく)した場で、知識のない自分が生き残る術は我を通さない事だと理解している。


「すぐにここを出ろ。お前を守りながら悪魔は祓えん」

「わかりました……瑠奈ちゃん。玄関まで送ってよ」


 聖夜は今度は素直に動いた。天変地異を起こせるような相手なら、自分は本当に邪魔なのだろう。下手に動いて株を下げたら損だと思考を切り替える。呼ばれた瑠奈は、出て行ってくれるなら見送りくらい何てことないのだと後に続いた。階段を降り、一階の店舗へ。もはやケーキは並んでいない空のショーケースの前を通り、ドアを開けて外に出る。


(聖夜じゃないか?)


 チリンという音とともに扉が閉まり、ショーケースの裏側に隠れていた浅黄が顔を出した。先程から二階が騒がしいとは思っていたが、弟がいたとは想定外だった。


(行ってみるか)


 自分が招かれざる客だというのは理解している。しかしクレハの件は許せない。この店と繋がりがあると言っていた生徒たちに被害がないかも、この目で確かめなければならないのだ。


(これからアルバイトだと言っていたのに、店は閉まっていた……怪しすぎる。水島君は無事だろうか)


 浅黄は一教師としてハルトの安否も心配している。二階は非常に静かだが、何となく彼がいるような気がして、浅黄はそっと階段を上った。


「ハルトさんっ! 皆さん、全員いますか?」


 案の定、すぐに水島ハルトの名が聞こえ、浅黄は階段の途中で息をひそめて偵察の姿勢を取った。中では瞬間移動で煉獄から現れたリリィが白い翼を全開に広げている。翼を広げた天使や悪魔は人間には見えない。しかし、浅黄の耳にはリリィの声もよく聞こえていた。


「じゃあ、早速行きますね。ルーク、自動防護壁(オートシールド)も一緒でいいの? ……わかりました。じゃあ一緒に。はい、行きましょう!」


 数秒の後、また同じ少女の声が聞こえた。何かを確認したような言葉の後、急に辺りが眩しくなって慌てて浅黄は目を閉じる。




――――次に彼の琥珀(こはく)色の瞳が(まぶた)の裏から現れたとき。彼は大きな階段の途中に立っていた。手すりのついた木の階段にいたはずが、いつの間にか足元は薄い灰色の大きく長い階段に変わっている。全く別の場所にいると理解できるまで、少し時間がかかった。


 二階から漏れ聞こえた話し声も、もう何も聞こえない。辺りを静寂が支配する中、彼はひとりきりで長い階段を下りはじめた。これは夢だ。そう思いながらも、前へ前へと進む足を止めることができない。


 灰色の階段は、一段降りるたびに次第に色濃くなり黒に近づいていく。それにつれ、辺りも一層暗く、腐臭と何かが焦げるような匂いが鼻についた。地獄へ続く道のようだと彼は本能的に思った。まだ間に合う、引き返さなければならない。そう思いながらも、熱に浮かされたようにぼんやりとした頭の中で、好奇心の三文字だけがはっきりと意思を持って身体全体を前へと進めていく。地獄があるなら見てみたい。帰れる保証なんかないのに、彼はそんなことを思っていた。


「おっと……これは…………?」


 階段の色が漆黒に近づき、周囲の景色もほとんど見えなくなってきた頃、暗く透き通った壁のようなものが目の前に現れ、浅黄は足を止めた。触れてみると、ひんやりと冷たい。叩いてみてもその壁は少しも揺るがず、どっしりとした質量を感じた。

 

(氷の塊……?)


 分厚い氷の塊は、浅黄の行く手を阻むように階段の端から端までを覆っていた。高さも彼の背丈以上はあるので、向こう側も見ることができない。これは戻るしかないかと思いながら何気なく上の方を見た浅黄は、ぴたりと動きを止めた。



 銀色に光る握り(グリップ)、宝石を散りばめたような(ガード)は闇の中でも輝きを損なわず、全体がぼんやりと白く光っている。抜き身の刀身(ブレイド)はその八割が氷塊に埋まっているが、見えている部分は鋭く光ってその存在価値を高めていた。



「……聖剣…………?」



 憧れてやまない存在が、目の前にある。浅黄は熱に浮かされたような状態のままふらりと吸い寄せられるように、巨大な氷塊の(わず)かな(くぼ)みに手をかけた。



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