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第六十四話 誤解を解くのは難しい

「シルヴィア先生! お疲れ様でした」


 今日を最後に長期休業するクリニック。聖夜は戸締まりを終えると、シルヴィアに花束を差し出した。感謝や前進という意味の花言葉を持つピンクのガーベラを中心とした大きな花束を前に、シルヴィアは(またた)く。


「ありがとう。さすがね」

「先生は花にも詳しいですから、気合い入れて選びました」


 全くそうは見えない余裕の表情で聖夜は笑った。この花を自分で選んだのなら相当贈り慣れているのだろうなと何となく思いながら、シルヴィアはありがたく受け取った。誰かに花を贈られるのは久しぶりだしこういうのは素直に嬉しい。


「聖夜くんは夏休みとか、旅行の計画立ててるの?」


 花束をそっと机に置いて、シルヴィアは白衣を脱ぎながら聖夜に話しかけた。今は初夏。夏休みはまだ先だが、旅行の予定があるならばそろそろ予約をとる時期だろう。旅行サークル所属の聖夜は連休も海外に行っていたし、夏休みになればもっと遠くへ行くのだろうと思ったのだ。しかし聖夜は難しい顔でスマホを確認すると、首を振って予想外の答えを返した。


「サークル辞めたので、まだ未定です」

「え? 辞めたの? 楽しそうだったのに」

「個人的に誘いたい子がいるんです。でもなかなか上手くいかなくて」


 困り顔でスマホを指した聖夜を、シルヴィアは意外に思って見た。彼は恋愛関係には不自由していないのだろうと勝手に思っていたからだ。


「聖夜くんに誘えない子がいるなんてね」

「自慢じゃないけど初めてですよ」

「自慢してんじゃないの」

 

 クスリと笑ってシルヴィアは待合室に腰掛けた。今日で最後だし、たまには恋愛相談にも乗ってあげようかと隣の席をポンと叩く。


「ほら。ここ座って。どんなコ?」

「はい。失礼します……えぇと、年下なんですけど、考えとか仕草がとても大人っぽくて」

「うんうん」

「会話に緊張感があって、一歩間違えると天国に行きそうな」

「うん?」

「辛い事があったみたいで支えてあげたいと思ってるんですけど、なかなか心を開いてくれなくて。僕がいない間に死んでしまったらって気が気じゃないんです」

「やめなさいよそんなの」


 シルヴィアのすぐ隣に座って話し始めた聖夜からそこはかとなく漂うメンヘラ女の気配に、シルヴィアの頬が引き()った。どこの誰かは知らないが、絶対にやばいやつだ。


「あんたモテんのに女のセンス無いのね」

「出会った事の無いタイプだったのでついハマってしまって……」

「でもフラれてんでしょ?」

「フラれるもなにも、まず視界に入る段階という感じです」


 困ったように少し笑って、聖夜はスマホを取り出した。最近瑠奈は下校時に待ち伏せするのを許してくれるようになった。これも修行だとかよくわからない事を言っていたが、修行だろうが何だろうが一緒にいられるなら何でもオッケーだ。


「じゃあ、そろそろ彼女を迎えに行く時間なので」

「付き合ってないのに?」

「待ち伏せはセーフになったんです」

「通報されないように気をつけなさいよ……」


 シルヴィアは何とも微妙な表情で椅子から腰を浮かせる聖夜を見送った。帰り支度をしている途中、聖夜はふと隣のケーキ屋の方を見る。


「そういえば隣のお店、なんか変わりました?」

「え?」

「分からないですけど、雰囲気が柔らかくなったような。今なら入れそうです」

「あんたって凄いわね」


 本当に鋭い子だな、とシルヴィアは驚いた。おそらくルークが置いていった自動防護壁(オートシールド)のおかげで、クロムの気配が外まで漏れないのだ。しかしいくら鋭くても聖夜は普通の人間、天使や悪魔には縁がないことを忘れてはいけない。シルヴィアは聖夜がわかりやすいように簡単に説明した。


「魔除けを置いたのよ。なんか凄いやつ」

「へぇー。たぶんそれ凄い効いてますよ」


 良かったですね、と聖夜は笑って帰っていった。もう会うことはないかもしれないとその後ろ姿を見送って、シルヴィアは花束を抱えてクロムの店へと移動するのだった。



            ◇



「水島君! ちょっといいかな」


 放課後。廊下の向こう側から、浅黄が片手をあげてやってきた。立ち止まったハルトは、いつもより軽い鞄を肩にかけ直して軽く頭を下げる。


「浅黄先生。何ですか?」

「ちょっと同好会の事で……あぁ紫藤君。いいところに」

「何か御用ですの?」


 ちょうど後ろからやってきたらしい瑠奈の声は少し不機嫌そうだ。やはり浅黄の事は苦手なのだなと思いながら、ハルトは窓際に移動する。何となくこの二人に挟まれたくない。


「悪いね。少しだけ時間を……」

「今日は急ぎますのよ。あまり時間がありませんわ」

「そうなのかい? 水島君は?」

「僕もこれから……バイトなので」

「バイト?」


 浅黄は驚きの表情をうかべた。この高校はアルバイトは自由なので(とが)めるつもりはない。ただただ意外だったのだ。


「どこでアルバイトを?」

「えぇと……ケーキ屋さんで」


 ハルトは一瞬迷ったが、クロムの店でアルバイトをしている(てい)で乗り切ることにした。全くの嘘だとボロが出そうだし、バイトの時間が(せま)っているといえば早く帰れるかもしれない。というか早く帰りたい。


 しかしハルトのそんな考えとは反対に、浅黄はなぜか興味深そうに掘り下げてきた。

 

「駅前のケーキ屋さんかい? 最近人気だよね」

「いえ。もう少し先の……滅多に開かないので、あまり有名ではないかもしれないですけど」

「もしかしてクリニックの隣の……二階建ての店じゃないだろうね」


 浅黄の表情に影が差す。それに気がつかず、ハルトは頷いた。


「そうです」

「すぐに辞めなさい」


 固く厳しい声が返ってくる。ハルトはそこでようやく浅黄の変化に気がついた。様子を見ていた瑠奈が、少しだけ前に出る。


「先生があのお店をご存じだとは知りませんでしたわ」

「紫藤君もあの店と関わりがあるのか?」

「あそこは知り合いが開いておりますのよ」 

「もしかして長身で強面の男か!?」


 浅黄が一歩前に出た。「黒谷」という名が出てこないところを見るに知り合いというわけではなさそうだが、明らかに彼のことを良く思っていない雰囲気が全身から(にじ)み出ている。


「あの方には良くして頂いておりますのよ……何か?」


 瑠奈の刺々(とげとげ)しい声が響く。既に大半の生徒は下校しており悪目立ちしていないのは幸いだが、遠くの方では何名かの生徒がじっとこちらを見つめていた。さすがに不特定多数の生徒を前に店の評判を落とすようなことは教師の倫理に反すると、浅黄は声を(ひそ)めて二人に言った。


「いいかい二人とも。その男から早く離れるんだ」

「黒谷さんから?」

「黒谷というのか」


 しまった名前を教えてしまったと、今更ながら口元を押さえるハルトに瑠奈が呆れた視線を向ける。


「余計な事を言わないでくださらない?」

「すいません……」

「黒谷という男は危険なんだ!」

「会ったこともないのによくそんな事を言えますわね」


 瑠奈はもはや、嫌いを通り越して憎しみを抱いているような表情を浅黄に向けている。しかし彼は(ひる)まなかった。あの日、紅葉の火傷が顔だけでなく身体中広範囲に広がっていることを確認した浅黄は、生徒が同じような目に()わないよう必死だ。


「暴力を振るう男ほど、普段は優しく振る舞ったりするんだよ。(だま)されたらだめだ!」

「あの方ほど優しい方はそういません。騙されているのはあなたの方では?」

「実際に被害者がいるんだ!」

「だから騙されているのではと申し上げておりますのに」


 瑠奈は今度は冷めた目で浅黄を見た。見た事も話した事もない人物を危険人物扱いする事は普通はない。誰かに吹き込まれたと考えるのが妥当だ。


 しかしハルトはそこまで頭の回転が早くはないので、普通に浅黄に質問した。


「なぜ浅黄先生がそんな事を知ってるんですか?」

「黒谷の恋人と知り合いなんだ。彼女は酷い暴行を受けていた……」

「「恋人!?」」


 ハルトと瑠奈は同時に叫んだ。暴行ではなく、恋人という部分に衝撃を受けたのも一緒だ。彼をよく知るが故の反応だろう。


「ちょっと! どこの女ですの!?」

「いや黒谷さんに恋人なんているわけないじゃないですか」

「もちろんわかってますわよ。だから一方的に恋人を名乗っているストーカー女はどこにいるのだと聞いておりますの!」


 思いがけない情報に混乱している二人は、クロムに恋人がいる可能性からばっさり否定した。自覚はないがだいぶ失礼である。


 対して浅黄は二人の会話を聞いて、クレハを馬鹿にされてはたまらないと叫んだ。


「クレハさんはストーカーなんかじゃない!彼女は傷ついているんだ!」

「クレハというんですのね」


 瑠奈は思案した。そんな悪魔がいただろうか。とにかく早くクロムに知らせなければと、ハルトに向かって小声で話す。


「(クレハはおそらく悪魔ですわね)」

「(え……じゃあもしかして浅黄先生は)」

「(狙いが何かはわかりませんが、おそらく何らかの利用価値があるのかと)」


 勇者を知らない瑠奈はまだ考え込んでいるが、ハルトにはわかった。浅黄が聖剣で消そうとしているのは、クロムなのかもしれないと。


「黒谷さんが危ない」

「危ないのは黒谷という男の方だ! 彼は悪魔のような男なんだ!」

「当然ですわ」

「先輩!?」

「やはりか! 君たちも何か」

「されてません!」


 確かにクロムは悪魔だが、なぜ今肯定したのだとハルトは瑠奈を二度見した。余計な事を言うなと言ったのは誰だっただろうか。そしてこれ以上誤解が深まってはいけないと、フォローすべく浅黄の方に向き直る。


「黒谷さんはとても優しく紳士的な方です。誰かに暴力を振るっているところなんて一度も見た事がありません!」


ハルトは言い切った。実際は後頭部にフルスイングを受けたり至近距離に雷を落とされたりしているが、あれは修行の一環なのでノーカンだ。しかし、浅黄はハルトに同情の視線を向けた。黒谷というのは表では善人ぶって裏では暴行の限りを尽くす、極悪非道な男に違いないと増々憎しみを募らせる。


「可哀想に……(だま)されているんだな」

「だから騙されているのはそちらが」

「実際に見たんだ! 全身にひどい火傷を負ってたんだぞ!」

「火傷なんかで騒ぐなんて。あの方が本気になれば灰も残ら……」

「先輩黙って!!」


 いくら人間の学校に通っていようと、やはり瑠奈の感覚は悪魔そのもの。こうして見ると、さらりと人間に感覚を合わせてくれるクロムがどれほど凄いかがわかる。おそらく、人間と悪魔が会話をすると普通はこうなるのだ。


 どんどん険しくなっていく浅黄の表情を前に、ハルトは頭を抱えた。割と手遅れな状況だが、これ以上(こじ)れる前にどうにかしてこの二人を引き離したい。


「(瑠奈先輩……僕が先生を引きつけるので、その(すき)に行ってください)」


 ハルトはさり気なく瑠奈に近づき、小声で言った。瑠奈が小さく頷くのを目の端に入れて、真っ直ぐ浅黄の前に立つ。


「やはり君たちも何かされたんだろう? 誰にも言わないから相談して……」

「先生! ちょっとお話があるんです」

「やはりか! 何でも言ってくれたまえ」

「いえ。黒谷さんじゃなくて……えぇと……勇者! 勇者のことで!」


 どうにかクロムから話題を離したいハルトは、とりあえず浅黄が食いつきそうな単語を口にした。予想外の言葉に浅黄が驚きの表情を浮かべている隙に、瑠奈が素早く背を向ける。


 遠ざかっていく小さな足音を聞きながら、ハルトは浅黄に再び言った。


「先生。勇者について、お話が」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 心なしか不穏な雰囲気してんなぁ・・・ これは今後の期待感が高いですねぇ
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