第五十六話 受け継ぐ者たち
早朝。工房の中でひとり、ルークは設計書を床に広げて工具袋を漁っていた。
「これと、これと……あれ? あー、こっちか!」
手を入れて取り出したいものを思い浮かべると、いつのまにか手のひらに吸い付いてくる不思議な袋。中に何が入っているかは把握済みなので、あとは必要なものを正しく思い浮かべればいいだけなのだが、これが少し難しく、三回に一回くらいは違うものが出てきたりする。
(イメージが甘いのかな? 似てんのいっぱいあるから難しいんだよなー)
取り出して、確認して戻す。また取り出して、確認して並べる。それにしても不思議な袋だと、ルークは工具袋の口を大きく広げて中を見た。真っ暗で何も見えない。
(異空間に繋がってるとか? 明らかに袋より大きい板とか出てくるし。どーなってんだろ)
作る時に特別な能力を使うのか、それとも材料自体が特殊なのか。設計書の中には袋に関する記述はなかったので、おそらく量産する気はなかったのだろう。
(こんなのまで作っちゃうんだから、やっぱ先代は凄かったんだろうな。設計書見ててもすげー頭いいのわかるし。おれはまだまだ足りないけど……でも、これなら)
床に広げた設計書を眺める。初めて作るものにしてはその工程は果てしなく、完成させるまでにはある程度時間がかかりそうだ。しかし、仕組み自体はわかりやすいし、完成すれば確実に役に立つだろうことがわかるこの機械を、作らない選択肢は無かった。
(自動で防護壁を発生させる装置。範囲は半径五メートル以内で調整可能、効果はどれだけ続くか書いてないけど、この感じだとたぶん数千年はもつ。装置自体は重いから持ち運びには適さないけど、おれがいなくても守れるのは大きい)
防護壁は、基本的に自分を中心にして広がるものだ。しかし、この装置があれば近くにいなくても守ることができる。何を守るのか。使い道も、もう彼の中ではっきりと決まっていた。
(天秤が、もう壊れずに済む。マスターと師匠が治して、魔王様が復活したら。そしたら煉獄に置いてもらうんだ)
物心ついた時にはカウンター制度だったルークには、天秤が壊れるということがどのくらい大変なことなのか、よくわからない。しかしミカエルやクロムが必死に修理している様子から、欠かせないものだったのだろうと想像はつく。
(ミカエル様も毎日武器庫にこもってるし、師匠も大量に力を注いでるみたいで最近明らかに疲れてる……おれも、ちょっと無理くらいしないと永遠に差がついたままだ)
天秤を直すことはできないが、守ることはできる。むしろそれこそが自分の本来の役目なのだと、ルークは身を乗り出して設計書の一番上を見た。材料も道具もほとんど揃った。あとは組み立てながら、守護の力を大量に注ぎ込む。かなりの力が必要になるだろうが、遠隔で数千年は守れるようにするのだからそれくらいは仕方ない。
(ミカエル様も師匠もシル姉も目一杯無理してる。ハルトも修行頑張ってるし、ねーちゃんも手帳見て何か探ろうとしてる。おれだって、やれば出来る!)
やっと役に立てる。自分にしか出来ない方法で、自分の力を使って。そうして初めて、本物の守護の天使になれる気がする。そんなことを思いながら、右手に金槌、左手に釘を持ち、ルークは守護の力を全力で籠めた。
「よっし!気合い入れて……なんか違うな……めんどいけどやりますかー……あ、痛っ! 手ぇ打った……」
◇
「ハルトさん! 大丈夫ですか?」
同時刻。城の裏の林で、リリィがタオルを持ってパタパタと走っている。ハルトは浅い息を繰り返しながら地面に座り込んだ。顔が火照って、頬を伝う汗が茶色い土を濃く染める。朝日が昇る頃から活動を開始し、既に長距離のランニングと筋トレをこなしたハルトは己の体力の限界と戦っていた。
「だ……じょ、ぶ。ありが……っ!」
リリィからタオルを受け取ったタイミングで、目の端に黒い影がちらりと映る。慌ててリリィの手を掴み、ハルトは瞬間移動で数メートル先へと移動した。自分で発動する以外の瞬間移動に慣れていないリリィは、驚いてキョロキョロ辺りを見回している。
「えっ!? あれ?」
「くろやさっ……今のは、ずる……」
「悪魔に狡いは褒め言葉だ。油断するな」
先程までハルトとリリィのいた位置で、クロムは振り下ろした武器を肩に担いだ。彼が先程から稽古に使っているのは、剣でも木刀でもなく、大きなエアーバットである。ビニールに空気を入れて膨らませる、子どもが縁日で買って遊ぶようなカラフルなやつだ。
「黒谷さん……ずっと、聞きたかったんですけど」
「何だ」
「それ、どこから?」
「店にあった。たぶん客のだが、数年前のものだしもう取りには来ないだろ」
「忘れ物だったんですね」
リリィが納得したようにクロムを見る。数年前に流行したキャラクターが大きく描かれている鮮やかな黄色のエアーバットは、いい大人が持つには違和感がある。しかし彼はいつも通りの無表情で、堂々とそれを肩に担いでいた。
「……何だ?」
「いえ……なんか、何で黒谷さんが持つと何でもカッコ良く見えるんだろうと思って」
「恥ずかしがらずに堂々としていると、こういうものなのかなって思いますよね」
「柄の話か? 何か知らんが、どうでもいいだろ。これは使い勝手が良い」
――――スパァンッ
言い終わらないうちに、クロムの姿が消えた。やばいと焦る間も無く、後頭部に衝撃が走る。
「痛ぁっ!!」
「ハルトさん!」
「油断するなと言っただろう」
後頭部を押さえて座り込むハルトの後ろで、クロムは再びエアーバットを肩にかけた。加減しているのだろうが、その威力は子供のおもちゃとは到底思えないし音も何か違う。そして、叩かれる時に中に入っている鈴がチリンと鳴るのが、地味に心にくる。
「なんで……こんな、痛……」
「ハルトさん大丈夫ですか? 防護壁が作動しないのはどうして……」
「あれは害意のあるものを弾く」
「害意……本当に無いんですね」
「当たり前だ」
――――ヒュッ
呆れたような声が降ってくるのと同時に、背後で風を切る気配がした。ハルトは瞬間移動で元いた場所へと戻る。もちろんリリィも一緒だ。
「よく避けたな」
「違和感、あったので」
「気配がわかるようになったじゃないか」
「ハルトさん凄いです!」
リリィが嬉しそうにハルトの両手を握る。それを見て、クロムは片手をあげて黒い翼を広げた。休憩の合図だ。遠ざかっていく黒を眺めながら、ハルトは地面に手足を投げ出す。今日も青い空が綺麗だ。
「あー! 疲れた」
「お疲れ様です。クロムさん厳しいですよね」
「いや、優しいよ。今日もこんなに早くから付き合ってくれて」
リリィが水筒を差し出す。中身はシルヴィア特製の疲労回復ドリンクだ。最初にハルトがこれを飲んだ時は苦さのあまり吹き出していたが、最近は慣れからか、美味しく感じるようになってきている。何よりこれを飲むと調子が良いのだ。上体を起こして一口飲み、ハルトはタオルで汗をぬぐった。
「あんなに思いっきりバット振ってるのに防護壁が作動しないんだもん」
「害意がないということは、あの厳しさもハルトさんの成長のためってことですものね」
リリィの言葉に、ハルトは頷く。しかし本当に人が好いのは、体力の限界までトレーニングをした直後にあのフルスイングを後頭部に受けておきながら、その行為を優しさからだと迷わず言い切れるハルトの方ではないかとリリィは思っていた。
「これだけしてもらってるんだから、僕もしっかり頑張らないと」
「……そんなハルトさんだから、クロムさんも一生懸命指導したくなるんでしょうね」
「え? 何か言った?」
「いいえ。何でも」
聞き返すハルトに首を振って、リリィはにっこり笑う。初めて降りた人間界で、咄嗟に助けた一人の人間。それは決して間違いではなかった。きっとあの日に彼と出会ったのも『運命』だったのだと、リリィは確信に近い思いを抱いていた。
(お父さん。私もやっぱり、運が良いみたい)
さすがは僕の娘だと、どこかで父が笑った気がした。それに心の中だけで頷いて、リリィはハルトの腕を取る。
瞬間移動で消えた二人のあとに、優しい風がふわりと舞った。




