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第五十五話 思い出から羽ばたく時

 次の瞬間、三人は工房の中にいた。綺麗に片付けられたリビングは、話に聞いた通りネジの一本も落ちていない。


「どっこにあるのかしらね」


 シルヴィアはいち早く捜索をはじめた。勝手知ったる親友の家だ。棚の中、(つぼ)の中、観葉植物の(はち)の下まで探す彼女に一切の遠慮もためらいもない。


「シル姉の探し方大胆(だいたん)っすね」

「遠慮してたら見つからないじゃない」

「そんなところに隠し扉があるなんて、初めて知りました」

「隣の部屋にすぐ行けて便利なのよね」

「そのボタン怖くて押せなかったんすよ」

「これ押したらあっちの窓から(やり)が飛んで……」

「「え」」

「……ってローズに(だま)された事があったわ。本当はそこの天窓が開くのよ」

「あ、何だ」

「びっくりしました……」


 工具が入った袋を探しながら、シルヴィアの口から初めて聞かされる生前の母の姿。つい昨日まで実際に会話をしていたかのような生き生きとした語り口は、二人がどんなに仲が良かったのかを示している。工房の中のあらゆる機械の用途から床の細かな傷の原因まで知り尽くしているシルヴィアの話を、リリィとルークは興味深そうに聞いていた。


「うーん、無いわねぇ……あっ!」


 本棚をのぞいていたシルヴィアが、空色の手帳を見つけた。先代の運命の天使ルキウスがいつも持っていたものだ。


「こんなところにあったのね」


 (いつく)しむように一()でして、中身を見ずにリリィに渡す。ローズのものならいざ知らず、親友の旦那のプライバシーをのぞく趣味は流石に無い。


「これがお父さんの手帳……」


 リリィはぱらぱらと手帳を(めく)った。瞬間移動を使いこなして天国の隅々まで知り尽くしていた運命の天使。その手帳はずっしりと重く、膨大(ぼうだい)なページのほぼ全てに細かく情報が書き込まれている。


「凄い! これ全部?」

「うわっ、すげー情報量」


 リリィとルークはしばらく夢中で手帳を見ていた。天国の詳細な地図、少数民族の慣習、真偽不明の噂話や日常生活に使えそうな小ネタまで、細かく記載されている。


「天国ってこんなに広かったんですね」

「全然知らない村とかいっぱいある」

「魔王様の好きな甘味……こんなページまで」

「魔王様って甘党なんすか?」


 ルークの質問に、シルヴィアは頷く。


「えぇ。とってもね」

「なら、クロムさんのケーキを食べたら喜ぶでしょうね」

「そうね。そのために練習したんだから」

「えっ、師匠がケーキ屋始めたのって魔王様が好きだからなんすか?」

「そうよ。あいつ自身はそんな甘いもの好きじゃないもの」


 次々と出てくる新事実に、リリィとルークは目を丸くした。そういえば、クロムが自分の作ったケーキを食べるところをあまり見たことがない。


「そーいやいつも珈琲しか飲んでないっすね」

「確かに。クロムさんがケーキを食べるところ、見た事ないかもしれません」

「食べるより食べさせる方が好きみたいね」


 作るのと食べるのは別だと、クロムはよく言っている。そういえば事件の前、クロムが青い鳥の飴細工に挑戦していた事があったなとシルヴィアは思い出した。あの時の作品は鳥を作っているとはとても思えないほど(ひど)いものだったが、この五百年でケーキまで作れるようになるとは誰が想像できただろう。


「……あっ! これこの工房だ」


 シルヴィアが色々思い出している間に手帳を(めく)っていたルークの手が止まる。間取りとともに数々の工房での思い出が(つづ)られたページには、リリィやルークの羽の長さを記録した壁の傷の位置、正体不明のスイッチの用途。そしていつも大切なものをしまう、目立たない位置にある隠れた引き出し。


「ここですね」


 引き出しは、リリィが開けた。一番上にある小さな皮の袋をルークが手に取り、中身を出していく。


「あ、まじで工具だ……うわ、どんだけ入ってんだろ。すげぇ出てくる」

「こんなに小さな袋なのに……」

「めんどいけど全部出すか。全然()きる気しねーけど」


 不思議な袋に釘付けな二人を微笑(ほほえ)まし気に(なが)めて、シルヴィアは引き出しに手をかけた。閉じようと力を込める。しかし、引き出しはカタカタ鳴るだけで閉まらなかった。


(何かしら? 何か引っかかって……これは……?)


 奥から出てきたのは小さな箱だった。銀色の包装紙に新緑のような緑のリボンがかかったそれを見て、シルヴィアは自分宛だと確信する。髪色と瞳の色。ローズからの贈り物はいつもこの色の組み合わせだった。


(開けるわよ)


 心の中でローズに断って、リボンを解く。包装紙の中から現れた白い箱の(ふた)を開けると、中身は小さな白い花をあしらったネックレス。千年花(ミル・フラワー)だ。


(お祝いしてくれたのね)


 五百年の時が経って届いた贈り物に、シルヴィアの瞳が揺れる。出来れば手渡して欲しかったのにと、どんなに思っても彼女が帰る事はない。


(あら、カード? 珍しいわね。メッセージなんて柄じゃないのに)


 折角用意してくれたのだから(もら)っておこうかと(ふた)を閉めると、ひらりと一枚のカードが舞った。包装紙に挟まっていたらしきそれを拾って文字を読む。


 いつの間に練習したのだろう。それは古代語で書かれていた。秘密の暗号のようにそっと書かれた、筆不精な親友からの短いメッセージ。


【天国の発展と、シルバーの功績に乾杯!】


 身体中から力が抜ける。工房の床に座り込んで、シルヴィアは両手で顔を覆った。リリィとルークが駆け寄ってきて心配そうに慰めてくれても、シルヴィアの目から涙が止まることはない。


 大好きな親友との思い出を胸に、シルヴィアは五百年前のあの日以降、初めて泣いた。



         ◇


 

 

 夜。明かりのない天国には多くの星が宝石のように輝き、昼間よりも少しだけ冷たい風が(ほお)を優しく()でていく。大きく開いたバルコニーの手摺(てすり)(もた)れ掛かり、シルヴィアは天国の夜の風景を眺めていた。


「珍しいな。眠れないのか?」


 後ろから声がかかる。けれど彼女は振り向かない。無視をしているわけではなく返事をする気力がないだけだと、彼は気づいてくれるだろうという甘えだ。


「そういえば、昔ルキウスが言っていたな」


 思った通り、クロムはシルヴィアからの反応が無いのを全く気にせず、バルコニーに入ってきて隣に立った。ちらりとも視線を合わせず、少し遠くの星空を見て話すのは、かつての友人との思い出話だ。


「ずっと向こうに夜だけ架かる星の橋があって、その下の……いやこれじゃないな」


 シルヴィアは思わず隣を見た。途中で止められた話の続きがとても気になる。しかしクロムは何も無かったかのように言い直した。


「あっちの竹林には光る竹が一本だけあって、それを切ると月の精霊が現れるらしい」

「星の橋の下には何があんのよ!?」

「そんな事言ったか?」

「今……いやいいわ。どうせ大した事ないんでしょ」

「そうだな」


あからさまに話を()らすクロムから聞き出すのは難しいと、長年の経験からわかっている。おそらく男同士の内緒話と言うやつだろう。そうでなければ教えてくれるはずだ。


「くだらない事にばかり詳しい奴だった」

「ほんとよ。でも聞くと気になるものよね」

「行ってみるか?」

「今度。気が向いたらね」


 シルヴィアは気のない返事を返して、手摺(てすり)から少しだけ身を乗り出した。このバルコニーから見る景色は以前と少しも変わっていない。こうしているとあの頃に戻ったような気持ちになるのに、決して戻ってこないものがある。


「……置いてくなんて酷いわよ……」


 ぼそりと呟いたのは、かつての仲間に向けた独り言だ。返事など期待していなかったが、すぐにクロムの低い声が返ってくる。


「お前は置いていくなよ」


 シルヴィアは再び隣を見たが、真っ直ぐ前を見ているその横顔がどんな表情をしているかは暗くてわからなかった。


「守るから。ちゃんと(ここ)にいろ」


 祈るように重ねられた言葉。本心を語る時ほど、彼は視線を合わせない。


「守られるだけなんて嫌よ。あたしはもう、自分で飛べるもの」


 置いていかれたくないのは自分も同じだと、シルヴィアは白い翼を動かした。その姿をちらりとだけ見て、クロムが頷く。


「守るだけ(・・)とは言ってない。どうせ勝手に動くんだろう」

「よくわかってるじゃないの」

「お前の事だからな」

「守ってあげてもいいのよ?」

「……お前に身を預けるのか」

「ちょっと! どういう意味よ」


 不安だなと言わんばかりに考え込むクロムに突っ込むと、柔らかな薄墨色(うすずみいろ)が身体ごとこっちを向いた。月明かりに照らされた揶揄(からか)うような薄い笑みに、シルヴィアは口を(とが)らせる。


「あたしは癒し(・・)の天使ですから。守るのは専門じゃないのよ」

「だから頼んで無い」

「何よっ、あたしにだってできる事が……」


 ポン、と頭に手を置かれた。大きな手と長い腕に視界が(さえぎ)られ、また顔が見えなくなる。


「翼があってもなくても、お前にはいつも癒されてる」


 低い声が腕越しに届く。悪魔は天使よりも体温が低い。夜風に(なだ)められるような静けさを感じながら、シルヴィアは深く息を吐いた。


「……(ずる)い男ね。顔くらい見せなさいよ」


「見たいわけでもない癖に良く言う」


「興味はあるわよ。あんたの照れ顔」


「別に普通……あぁ、そういうことか」


 今気がついたというような言葉とともに、ぱっと手が離れた。激しい熱はないが、柔らかく温かい、確かな情の込められた視線がシルヴィアを真っ直ぐに(とら)えている。彼女が同じくらいの温度で見つめ返すと、クロムはふっと優しく笑った。


「確かに。たまには目を見て話すのも悪くない」


 シルヴィアがほんの少し背伸びするだけで、触れ合う事ができる距離。しかし少しの間視線を合わせて、二人は同時に目を()らした。重なるだけが愛ではない。お互いに別の生きものであることを尊重しながら、心の奥の深い部分では確かに繋がっている。誰にも理解されなくても、そのくらいの距離感が心地いいのだ。


「……さて。冷えてきたな。天秤を少し動かしてくる、お前はもう寝ろ」

「もう少しだけここにいるわ」

「なら先に行く。ほら、手出せ」


 今度は 唐突(とうとつ)に何かを手に押し付けられた。この男の行動はいつも突然だなと思いながら、シルヴィアは細い棒を握る。その棒の先を見た彼女の顔から(うれ)いが消えた事を満足そうに確認して、クロムはくるりと背を向けた。


「これ……食べていいの?」

「もうこんなものいつでも作れる」

「サタンさまの驚く顔が楽しみね」

「実演しないと信じてもらえないかもな。じゃ、俺は行くぞ」


城の中に入っていったクロムを見送った後で、シルヴィアは棒の先のフィルムを慎重(しんちょう)に外した。大きく翼を広げた、今にも飛んでいきそうな躍動感溢(やくどうかんあふ)れる飴細工(あめざいく)。完璧な青い鳥だ。


(こんなに上手になったのね)


これを見たら、サタンは何て言うだろう。そう思いながら青い鳥を見つめる彼女の口角はいつの間にか上がっていた。思い出の中にあるものは、決して失ったものだけではないのだ。


「さ。明日からまた頑張りましょーか」


見ていてね、と輝く星に心の中で一言告げて、シルヴィアもほどなく、バルコニーを後にした。


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