第五十四話 守護の天使と白い翼(後編)
「……そういえば、『虹色のクローバー』って知ってる?」
自分で調合したハーブティーをカップに注ぎながら、シルバーが言った。勝手知ったる友の家だ、キッチンに入ってお茶をいれるのにも許可はいらない。テーブルの向かい側では千年花の研究データを夢中で読んでいたローズがようやく顔をあげた。集中すると周りが見えなくなるのは彼女の悪い癖だが、研究者なら普通の事なのでシルバーは気にしない。
「そういえばルキウスが言ってたわ。幸運を呼ぶんですってね」
「最近人気みたいで、あちこちで探してるのよね」
シルバーは答えた。天国のクローバーは全て四つ葉なのだが、その群生地の中で、葉が虹色に光るクローバーが最近発見されたのだ。発見した天使が相次いで幸運を手に入れていることから、幸運のクローバーとして一気に名が広まり、天国各地のクローバーの群生地では、いくつもの葉をより分けて虹色を探す天使の姿がよく見られるようになった。
「どんな幸運が起こったか、ルキウスから聞いてる?」
「フラれた彼女とよりを戻したとか、失くしたと思っていたものが戻ってきたとか、折れた腕がくっついたっていう話もあるらしいわ」
「腕がくっつくの? クローバーで?」
「枕元に置いて寝たら翌朝には治ってたらしいわよ。医療棟に報告はなかったの?」
「まだ聞いてないわ。でもそのうちあるかもしれないわね」
シルバーは言った。あちこち飛び回っているルキウスの情報は最先端だ。治療に関する幸運があるなら、そのうち話が回ってくるだろう。
「癒しの力が含まれてるのかもしれないわよね」
「そんな感じもしなかったのよね……」
「もしかして見つけたの!?」
「たまたまよ。報告から、ありそうなところ探してみただけ」
「さっすが植物博士ね。願いは叶った?」
「栞に加工してクロムにあげちゃったわ。研究は千年花にかかりきりだったし、まずは仕事手伝ってもらったお礼と思って」
シルバーはそこで少し微妙な顔をした。クロムに関することで、彼女が言い淀むのは珍しい。
「何かあったの? 喜んでもらえなかった?」
「一応もらってくれたわ」
「なんか含みのある言い方ね」
「地獄では、不幸の証として有名らしいのよ。虹色のクローバー」
「嘘でしょ!?」
ローズは思わず身を乗り出した。天国と地獄は関係が近いとはいえ、別の国だ。文化の違いもよくある事だが、ここまで真反対なのは珍しい。
「待って。でも悪魔にとっての幸運ってそもそもどんな扱いなの?」
「それよね。不幸を喜ぶ方が何となく悪魔っぽいけど、クロムとかサタンさま見てるとそこまで感覚が違うとは思えないのよね」
「そうよね……」
真面目に考え込むローズの興味は、今度は種族ごとの価値観に関する考察へと移ったらしい。多趣味なことだとシルバーは感心しながら、ハーブティーを一口飲んだ。
「で、クロムの反応は?」
「何故これを? って不思議がってたわ」
「不幸の証を天使からもらうってとこが引っかかりポイントよね。嫌がらせだと思われてもおかしくはないわよ」
「やーね。そう思われないくらいの信頼関係はあるわよ。でも多少引っかかりはあったみたいね。悪魔からの贈り物ならそんな事は聞かないって言ってたから」
「悪魔同士では不幸を喜び合う風習でもあるのかしら?」
「さぁ? クロムもサタンさまも、郷に入れば郷に従えタイプでしょ? 天国の風習もよく知ってるから、普段は合わせてくれてるんだと思うのよね……」
「自然体に見えるけど、気遣いの塊よね」
二人は揃って、クロムとサタンを思い浮かべた。一緒にいるときに種族の違いを感じることはあまりないが、地獄と天国が、そして悪魔と天使が違うのは明らかだ。
「それで、その栞はどうしたの?」
「回収しようと思ったけど、持ってたいって」
「やっぱり優しいわね。でも、どっちの感覚で持ってるのかしら?」
「幸運の証か、不幸の証かって事?」
「そうよ、そこ。大事でしょ」
ローズは重要ポイントとばかりに人差し指を立てたが、シルバーは首を振った。幸せと不幸は表裏一体、感じ方ひとつでどちらともいえる。
「どっちでもいいわよ。たとえ悪魔が不幸を喜ぶとしても、折れた腕がくっついたら嬉しいと思うわ」
「ふふっ。シルバーらしい見解ね。でもそれが正解かも」
「でっしょー」
白黒つけない。だから上手くいくのだと、ローズは今日一番可笑そうに笑った。楽しそうな彼女を見て、シルバーも微笑む。
「あっ、あとね。この前……」
「え? それってもしかして……」
頻繁に顔を合わせているにも関わらず、二人の話題が尽きることはない。シルバーとローズはこの日、一杯のハーブティーだけで陽が落ちるまで話し続けていた――――
――――あ、起きた!
固い机の感触と、散らばった書類から香る紙とインクの匂い。身体を起こすと、関節のいたるところがぎしぎしと音を立てる。シルヴィアの目の前では、夢に見たローズの桜色よりも少し濃い桃花色が、心配そうな表情を浮かべていた。
「おはよう……」
「シル姉仕事しすぎっすよ。全然休んでねーじゃん」
「五百年も休んでたもの。大丈夫よ」
「いやそーゆー問題じゃねーし」
シルヴィアは立ちあがって伸びをした。少しうたた寝してしまったようだ。とても懐かしい夢を見たような気がするが、起きた瞬間から記憶が薄れはじめてもうほとんど忘れかけている。
「ミカエルさまいないじゃない」
「とっくに昼食べて師匠と天秤行った。シル姉がほとんど仕事片付けてくれたから修理に集中できるって喜んでたっすよ」
「嘘、そんなに寝てた!? 今何時よ」
「下界時刻で十三時過ぎです。クロムさんがシルヴィアさんにってこれを」
リリィがシルヴィアの前に、一枚の皿を置く。白い皿の上にはおにぎりが三つ、白米に海苔が巻いてあるのと二種の混ぜごはん。おにぎりなのに手間がかかっているのが一目でわかる。
「相変わらず凝り性よね」
別に三つとも白米と塩だけで構わないのに、とシルヴィアは思うが、作ってあるならばありがたくもらう。刻んだ高菜とチーズの混ぜご飯は食感も楽しく、肉の無い天国にわざわざ持ち込んだらしいそぼろが混ぜ込んであるのは、この前まで人間だったシルヴィアに向けて作ったものだろう。白米に海苔を巻いている中身は梅干しだった。疲れた身体に沁みる味だ。
「おいしー」
「シルヴィアさん。お茶をどうぞ」
「ありがとう。悪いわね」
いつの間にか消えていたリリィが、緑茶の入った湯飲みを持って現れた。それを食後に飲んで、仕上げに癒しの力で疲労回復すれば完璧だ。
「おっけー、復活」
「能力で回復すればいくらでも働けるっての違うと思うっすよ」
ルークが半目でシルヴィアを見た。そういえば昔、同じような事をクロムとサタンに言ったことがあるなと、シルヴィアは思い出した。あの時は二人に対してどれだけ仕事馬鹿なのかと呆れる側だったが、自分が言われるとは思わなかった。
「そんなに無茶してたかしら……」
「してる」
「してます」
即答されて、苦く笑う。休んでいた分を取り返そうと張り切りすぎたかもしれない。
「あーあ。やっぱりちょっと休もうかしら」
「それがいいと思います。早くお部屋に」
「寝たばかりなんだしそれはいいわよ。気分転換」
シルヴィアは再び伸びをして、机の上を見た。ルークの近くにある設計書に目をとめると、トントンと指で装置の部品を示した。
「このパーツとか道具、取りに行きましょ」
「え。あるんすか?」
「そりゃあるわよ」
ルークはパチリと目を瞬かせた。この設計書は確かに斬新なアイディアと実現可能そうな技術が詰まっていて読み物として面白いが、実行に移そうとまではあまり思っていなかったのだ。しかし、材料と設計書が手軽に揃うとなれば話は別である。作れるものなら作ってみたい。
「どこにあるんすか?」
「工房よ」
「工房! 私、この後行こうと思ってたんです!」
二人の会話を横で聞いていたリリィが反応した。その勢いの良さに、シルヴィアは驚く。
「どうしたの?」
「あの、お父さんの手帳がそこにあるって聞いて」
「さっきその話してたんすよ。先代運命の天使の置き土産」
「あー。ルキウスがいっつも持ってたやつね。じゃ、持ってくるのは手帳と発明に使う工具とかね。たぶん材料もたくさんあるわよ」
「でも、工具とか材料とかってどこにあるんでしょう?」
リリィが首を傾げた。両親が遺した高原の建物は、工房という名はついているが見た目も中身も普通の家だ。部品どころかネジの一つも見たことが無い。
「あそこには何度か行ったことがありますけど、工具も材料も見たことがないです」
「そんなはず無いわよ」
シルヴィアは工房が現役だった頃を思い浮かべた。壁には手入れの行き届いた何種類もの工具がびっしりと並び、鉄板や木材や鉱石などありとあらゆる資材が所狭しと並んだあの工房に、何もないはずがない。
(あっ、でも。来客があった時は片付けるって言ってたわね。確かあれは……)
記憶をたどっているうちに、彼らの母親ローズと交わした会話が鮮明に浮かんでくる。量産は出来ないから内緒よ、と笑っていた、希少な収納道具。
「何でもしまえる袋があるって言ってたわね」
「何すかそれ?」
「どんなに大量のものでも収納できる袋よ」
「そんな事出来るんですか?」
「物理法則どうなってんすか」
「天使が物理なんて気にすんじゃないわよ」
「そっか」
瞬間移動や防護壁など日常的に反則技を繰り広げている癖に何を言っているのだと、シルヴィアは突っ込んだ。ハルトの宿題を一緒にやった時に少し身についた人間界の常識が、ここに来て邪魔をしている。ルークは納得して頷いたが、やはり原理が気になるようで、早く行こうと騒ぎ始めた。
「じゃあ行きましょうか」
「はい。もちろん!」
リリィは満面の笑みで翼を広げた。父親に次いで、母親の知られざる一面も明らかになるかもしれないと嬉しそうだ。すぐに発動した瞬間移動の白い光に包まれながら、シルヴィアはあの桜色の長い髪を思い浮かべ、目を閉じた。




