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第五十二話 普通天国へは一方通行

 所変わって人間界。大学近くの大きな駅で友人達と別れ、聖 聖夜(ひじりせいや)は大きなスーツケースをひいて自宅の最寄り駅の改札を通った。いつものこの時間は部活帰りの学生達や会社員でそこそこの人通りがあるのだが、連休も終わりに近づく今日はほとんど誰もいない。街灯の明かりと月明りが頼りの静かな夜に、スーツケースの音だけがガラガラと鳴り響く。


(なんか不気味だな……早く帰ろ)


 聖夜は心霊めいた話が苦手だ。怖がりというのとは少し違う、自己防衛本能が強いのだと自分では思っている。


 近寄ってはいけないと感じる場所で殺人事件が起きたり、自分が見えるものが他の人には見えなかったり、そんな事を幼少期から何度も繰り返し、今では聖夜は自分のその感覚をすっかり信用していた。危なそうなものには近寄らないに限る、今日は早く帰った方がいいと足を早めた。


(……あれ?)


 バイト先のクリニックの近くを通りかかった時に何気なくそちらの方を見ると、建物の前に一人の少女が(たたず)んでいるのが見えた。部活帰りならいざ知らず、こんな時間に女の子の一人歩きは危険ではと思った聖夜は、声をかけようか迷いながらも彼女の方へとゆっくり近づいた。


(え? 泣いてる……?)


 少女の顔が見えるところまで歩いてきた聖夜は、その表情を見て足を止めた。よく見ると、彼女はクリニックではなく隣のケーキ屋の方を見ている。そしてその黒水晶のような大きな瞳に涙を浮かべて、一人泣いているように見えるのだ。

  その表情は息を()むほど美しく、聖夜はすっかり見惚(みと)れてしまい、縫い止められるようにその場から動けないでいた。


(どうしたんだろう? 声かけようかな……でも、いきなりはまずいかな?)


 聖夜は悩んだ。いきなり声をかけてナンパや変質者と間違われるのは心外だ。それに、何となくこの少女からもうっすらと嫌な予感がする。いつもなら絶対に近寄らないのだが、こんな美少女が一人でいたら何か事件にでも巻き込まれるかもしれない。出来れば最寄り駅まででも送っていきたいと、いつものお節介が顔を出した。


 それに、言ってしまえば彼女は聖夜の好みど真ん中だ。漠然(ばくぜん)とした嫌な予感なんかで避けたら後悔すると思うほどに、彼女は可愛かった。


「こんばんは」


「……何ですの?」


 瑠奈は急に声をかけてきた青年を見た。聖なるオーラにあふれている。おそらく天使だろうが、このご時世で悪魔に声をかけてくるなんて、彼は相当な変わり者だ。何か裏があるかもしれないと、警戒心(けいかいしん)(にじ)ませた。ちなみにそれは勘違いで、聖夜は間違いなくただの人間である。


「突然ごめんね。こんな時間に女の子が一人でいたら危ないと思って……」

「ご心配には及びませんわ」


 瑠奈はその可憐な外見とは裏腹に、キッパリと突き放すように答えた。しかし強がるところも可愛らしいと、聖夜は爽やかな笑みを浮かべる。


「ケーキ屋さんに用なの? 連休中は閉まってるって聞いたけど」

「やはりお姿を見ることは叶わないのですね……」


「彼氏? ケンカでもしたの?」


「低俗な発想ですわね。あの方と思いが通じるなんて、そんな分不相応な夢は描いていませんわ」


 再びケーキ屋を見あげる少女を見て、聖夜は彼女の言葉の意味を考えた。つまり、片思いだ。相手はこのケーキ屋の店員か、もしかしたら店長かもしれない。


(シルヴィア先生の友達って人かな? 今度どんな人か聞いてみよう)


 度々話に出てくるケーキ屋は、友人がやっていると言っていた。この店のイメージからしてその友人は女性だとばかり思っていたが、もしかしたら男性だったのかもしれない。何となく近寄り(がた)い雰囲気だからと話を避けていたのが悔やまれると、聖夜は内心で反省した。興味の無い話でも聞いておけば、何かと役に立つものなのだ。


「私にできることは、せめて修行してお役に立つくらい」

「修行? ケーキの?」

「ケーキ……その話はしないでくださいませ」

「え? ご、ごめん!」


 悲しそうに眉を下げる美少女を前に、聖夜は慌てて謝った。意図せず地雷を踏んでしまったようだ。しかしケーキ屋を前にしてケーキが地雷とは難しいと、聖夜は少し考える。こんなに会話が緊張する相手は初めてだ。しかし、謎の美少女に心を奪われ始めている聖夜にとって、彼女と会話が続く方法を考えることは苦にはならない。可愛いは正義だ。


「でも修行ってことは、頑張ったんだね」

「えぇ。血の(にじ)むような努力を繰り返しました。おかげでもう聖なる気も怖くありませんわ」

「聖なる木? あ、もしかしてパワースポット?」

「パワースポット? よく分かりませんが、(みなぎ)る力は感じますわね」


 瑠奈はぐっと拳を握りしめた。その手に包帯が巻かれているのを見て、聖夜は目を見開く。その巻かれ方からして、ちょっとやそっとの怪我(けが)ではなさそうな感じだ。


「それ! どうしたの!?」

「あなたには関係ありませんわ」

「でも心配だよ」

「平気です。短期間で効果を得るには代償(だいしょう)はつきものですもの」

「たくさん修行したってこと?」


 瑠奈は頷いた。よくわからないが危険な事をしているのだろうか。修行の内容を聞こうと口を開きかけた聖夜の前で、再び瑠奈は悲しそうに首を振った。


「でも、まだ足りませんわ。あの方を追って、天国へ昇れるほどの力は無い」

「え、天国!? ……そっか、それは辛いね」


 聖夜は驚いた。つまりこの美少女の想い人は、もうこの世にいないのだ。聖夜はまだ若く、幸運にも大切な人の死に関わった事がない。こんな時になんて声をかけて良いか分からず、少しの間無言が続く。その間瑠奈の言葉を思い返していた聖夜は、突然(あわ)てて口を開いた。


「待って。さっき、追うって言った!?」

「本当は今すぐにでも私も天国に……」

「だっ、だめだよ!! そんな事!」


 聖夜はガシリと瑠奈の腕を(つか)んだ。天国へ向かう修行……つまり、彼女は死のうとしているのだ。手に巻かれた包帯はおそらく。いや、これ以上は考えたくない。


「君が天国に行くのは早すぎるよ!」

「失礼ですわね。少しずつですが確実に近づいていますわ」

「だめだってば! 君はまだ現世(ここ)でやることがたくさん……」

(わたくし)地獄(しごと)を放棄していると!?」


 パシリと腕が振りほどかれる。細い腕に似合わずその力はとても強く、聖夜はふらりと後ろに下がった。聖夜の事を天使だと思っている瑠奈は、悪魔は天国に来るなと言われたと思い涙目で叫んでいる。


(わたくし)の心は、常に地獄とともにあります! より良い状況を望んで、何が悪いというのですか!」

「……そうか……君にとって現世(ここ)は……地獄なんだね」


 聖夜は、瑠奈の言葉の意味を、地獄のような現世から離れて楽になりたいという意味に捉え、愕然(がくぜん)とした。一体過去に何があったら、こんなにも人生に悲観的になるのだろうか。


 幼いころからちやほやされ、どんなことも卒なくこなし何となく生きてきた聖夜は、瑠奈の叫びを聞いて、そんな自分の人生が途端に薄っぺらいもののように感じた。深いところにはどろどろしたものが溜まっているのにそれを見ようともせず、上澄みだけを(すく)って楽しんでいるような人生。それが、人生は地獄だと叫んでいるこの少女と同じだけの価値があるといえるのか。


「……あなた、どうして泣いて……?」


 聖夜の目から一筋の涙が零れた。今の話の流れでなぜ涙をと、瑠奈は不審に思って聖夜の顔をじっと見る。そこで初めて気がついた。数字(カウンター)がある。彼は天使ではなく、人間だったのだ。


「人間でしたのね」

「……え? 当り前だよ。なんだと思ってたの?」

「……天使かと」

「天使?」


 聖夜は涙をふくのも忘れて瑠奈を見た。地獄のような現世を捨てて、天国へ行きたいと憧れる少女。彼女の目に自分が天使に見えるのなら、そうなりたい。聖夜は自然と、天使のように微笑んだ。


「よくわかったね。実はそうなんだよ」

「嘘つきですわね。減点三点……したところであなたの化け物じみた数字の高さでは意味ないですけれど」

「化け物か……でも君が好きなら化け物(そっち)も悪くないかな」

「は?」

「とにかく。僕は君に、現世(ここ)が本当は天国みたいにいい場所だって、知ってもらいたいんだ。きっと、それが僕の使命なんだよ」


 聖夜は瑠奈の両手をしっかり握った。天使と見紛(みまが)うほどの聖なるオーラ。時々羽が生えたようにすら見える聖夜の姿は、瑠奈が直視するには少し(まぶ)しい。


「……天国に行ったこともない癖に、よく言いますわね」

「君も行ったことないだろ?」

「なっ……馬鹿にしないでください! 絶対に行ってみせますから!」

「だからだめだってば!! ……ね、名前教えてよ。僕は聖聖夜っていうんだけど」

「あなた名前まで嫌味ですのね」

「何で!?」


 その後も絶妙に()み合わない会話をくり返す二人を、満月が見守るように優しく照らす。こうして、人間界の夜は更けていった。

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