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第五十一話 運命の天使と黒い翼(後編)

 翌日の夕方。白の部屋に書類を届けた帰りの廊下で、クロムはまたあの金髪を発見した。青い鳥は昨夜無事に捕まえたばかりだが、彼は今日も床に視線を()わせて何かを探している。


「……ルキウス」


 少し迷って、クロムは声をかけた。珍しく近くに寄っても気がつかないほど集中していたルキウスは、クロムの声を聞いてようやく顔をあげた。


「クロム」

「何だ、珍しく元気がないな。何を失くした?」

「あのさ……ちょっと来て!」


 ルキウスに腕を掴まれた瞬間、クロムは彼と聖なる湖のほとりにいた。よほど内密な話があるのかと身構えたクロムに、ルキウスは深刻そうな表情を浮かべて言った。


「ちょっとまずいことがおきて……」

「鳥よりもか」

「比べものにならないよ」


 ルキウスはこの世の終わりのような顔をしている。聞かずに立ち去りたい気もするが、あまりに大ごとなら早めに聞いてフォローに回った方が後々面倒が少なくて済むと、クロムは考えた。


「何をした」

「ちょっと失くしちゃって」

「だから何を」

「リリィからのプレゼントだよ。昨日の朝もらった絵がないんだ」

「……そうか」


 ルキウスは落ち込み、クロムは脱力した。心底どうでもいい。


「また描いてもらえばいいだろうが」

「だめだよ! 昨日の傑作(けっさく)はもう二度と生まれないんだよ! 描いてもらったとしても、それはもう違う作品じゃないか!!」


 熱弁をふるうルキウスに、呆れかえったクロムは背を向けた。


「じゃあ、俺は行くぞ。見つかるといいな」

「待って!」


 ガシリと肩をつかまれる。その力の入れように本気度がうかがえるが、そんなものうかがい知りたくはない。クロムも忙しいのだ。書類を届けたら、一旦地獄に戻って最下層の点検をしなければならない。


「……俺は行くと言ったんだが」

「僕は待ってって言ったんだよ」

「何のために」

「手伝って。探し物得意だろ?」

「一応聞くだけ聞くが、どこを探すんだ」

「ここ二、三時間で寄ったとこだからそんなに多くないよ。まず地獄上層、煉獄天秤周り、事務室。天国は城、中心街、キャベツ畑の村に、秋の街、雪山の仙人の家に、聖なる木に住む小人の……」

「断る」

「お願いだってば!」


 探す箇所を指折り数えるルキウスに、クロムは再び背を向けた。とても付き合ってられない。しかしルキウスは(ねば)った。腕を力強く引っ張られ、クロムは広げかけた翼を一度閉じて向き直る。


「いくら何でも多すぎだ。付き合ってられん」

「そう言わずに。ちゃんとお礼はするからさ」


 渋るクロムの前で、ルキウスが取り出したのは一冊の空色の手帳だ。天国内外の情報が全て集約されていると言っても過言ではないその分厚い手帳を出してきたという事は、おそらく情報の取引がしたいのだろう。


「何でも言って」


「残念だが、今特に知りたい情報はない」


 クロムは腕を組んでルキウスを見おろした。ルキウスは、必死で手帳をめくっている。その中に今のクロムの興味を()く情報がなければ、交渉決裂だ。


「えーと。じゃあ……悪魔の翼を美しく見せる裏技とか」

「どうでもいいな」

「クロムが契約解除したドラゴンのその後」

「興味ない」

「魔王様の好きな甘味ベストスリーとその入手方法」

「知ってる」

「シルバーが誘いを円滑(えんかつ)に断るためによく使う決め台詞集。男女別」

「…………要らんな」

「あ、ちょっと揺れたね」

「別に」


 その後もルキウスはいくつか候補を出したが、クロムの興味を()くには至らない。そろそろ地獄に戻れるかとクロムが思いかけたとき、ルキウスの瞳がきらりと光った。


「……仕方ない。この手はなるべく使いたくなかったんだけどね」


 少し意地の悪い笑みを浮かべて、ルキウスはあるページを開く。その口ぶりから察するに、これが本命なのだろう。さて何が出てくるのかと余裕の表情で見守るクロムに、彼は探偵のような口調で言った。


「クロム。あなたは常日頃から恋愛には何の興味もないと周囲に言っておきながら、三日前の深夜、『大釜の湯』の責任者のメアリーと、二人きりで人間界の酒場に飲みに行きましたね」


「…………嘘だろ」


 思わぬところから、変化球が飛んできた。


「目撃情報があったんだよ。あ、固く口止めはしといたから安心して」


 片手で顔を(おお)って項垂(うなだ)れるクロムに対し、ルキウスはもういつも通りの爽やかな笑みを浮かべている。これだからこの男は(あなど)れないのだと、特大の溜息(ためいき)をついてクロムは言い訳を始めた。いやそもそも、ルキウスに対して言い訳するようなことではないのだが、この後ろめたさは一体何なのだろうか。


「別に何もなかった」


「泣き落としで誘われて、五十分無言でひたすら食べて飲んで解散する会で何かあるわけないよね。目撃者は、地獄よりも地獄のような飲み会だったって言ってた」

「努力はした」

「最初の十五分はクロムが一生懸命仕事の話を振ったおかげで、上司との圧迫個別面談みたいになっててそれはそれで地獄だったって」

「それは悪かったな」

「あとメアリーは、もう二度と君と食事には行かないって言ってた」

「それは何よりだ。そもそも勘違いされて困る相手もいない」

「シルバーは?」

「あいつは勘違いしない」

「即答でそれ出てくるの、よっぽどの信頼関係だよね」


 ルキウスは(うらや)ましそうにクロムを見た。自分だったら、ローズが他の男と会っていたら普通に勘違いするし絶対にへこむ。


「そもそも恋人じゃないしな」

「似たようなもんじゃん」

「似てるか?」

「何かあった時に真っ先に思い浮かぶだろ?」

「まぁ……あいつかサタン様だな」

「だからやっぱり湧水だってば」

「やめろ。もう行くぞ」

「だめだって。交渉はこれからだよ」

「メアリーの件なら広まっても構わん」

「本当に言ってる? よく考えた方がいいよ」

「どの辺を」

「これがわからないなんて。クロムは多方面で優秀だけど、交友関係(こっち)には本当に(うと)いね」

「言ってみろ」


 くすりと笑うルキウスに、クロムは続きを促した。ルキウスは再び、探偵のようなわざとらしい口調で話し始める。


「君の行動はモテる男の自覚に欠けるということだよ、クロム君」


「どういう意味だ」


「考えてみなよ。君がメアリーに興味がない事は誰の目から見ても明らかだった。それが突然の二人飲み。しかも深夜に、わざわざ人間界に降りてだ」

「それがどうした」

「つまりだ。この話が(おおやけ)になれば、君狙いの女性は皆こう思うわけだよ」


 そこでルキウスは、意味ありげにクロムに視線を合わせた。決めの一言だ。


「クロムには泣き落としが有効。メアリーがいけるなら自分もいけるはず。ってね。明日から大変になるよー?」


「…………さっさと探しに行くぞ」


 クロムの完敗だった。



         ◇



「こんなところまで来たのか」

「ちょっと風の精霊と競争してて」

「お前は一日でどれだけ移動しているんだ」

「情報屋はフットワークが命。ってか会いたいひとも行きたいとこも多すぎる。あっちの木も見てくるよ!」


 既に空はすっかり暗くなり、満天の星が夜空に輝いている。鬱蒼(うっそう)と木が()(しげ)った森の中、ルキウスは瞬間移動で次々と木に飛び移り、枝や葉の間に一枚の紙が挟まっていないかを調べている。


 既に地獄も煉獄も天国の何か所も探し回り、ここが最後のポイントだ。数時間でルキウスの立ち寄った箇所は想像以上に多く、改めて彼の行動範囲と交友関係の広さを目の当たりにして、クロムは驚いていた。瞬間移動は彼のためにあるような能力だ。力の強さではなく、その性格の問題である。


「そういえば、鳥の絵だと言っていたな」

「そうそう。クロムさ、前天国(ここ)で飴細工作ったことあるじゃん?」

「サタン様に頼まれて体験したやつか」

「そうそう。あれにそっくり」


 ルキウスの笑い声が夜の森に響く。そういえば少し前に青い鳥の飴細工を作ったことがあるなと、クロムは思い出した。甘いものに目がないサタンの命令だったが、やってみたら意外と楽しかったのを覚えている。しかし、上手くできたかどうかは楽しさとは別だ。


「あれに似てるのか……」


 クロムは自分が作った飴細工を思い浮かべた。手本を見ながら作っている一部始終を見ていたはずのシルバーに「何作ってるの?」と真顔で質問され、「ルークの作る粘土細工より芸術的よ」とローズに謎のフォローをされ、「トビウオとハエの合成魔物(ハーフ)」とサタンに断定された作品(もの)だ。


「お前の絵のセンスは遺伝しなかったようだな」

「そんなのこれからいっぱい教えればいいよ」

「リリィの能力は瞬間移動だし、それもお前がしっかり教えないとな」


 目の前に白い翼が現れる。向かい側の木の太い枝に腰かけたルキウスと向かい合わせにクロムも枝に座り、何となく雑談が始まった。話しては探し、探して疲れてまた話す。クロムは会話が得意とも好きとも言えないが、永遠と呼べるほど長い一生の中で、たまには今日のような日も悪くはないとは思っていた。


「クロムはさー、『破壊の悪魔』って二つ名に疑問を感じたことはない?」

「無いな。誰が名付けたか知らんが、センスがないと感じることはあるが」

「あはは。まあ、悪魔は能力も目的もはっきりしてるからね」

「罪人を地獄に引っ張っていくためといっても、ほとんど使わないがな。天使の能力の方が日常生活には便利だろう」


 悪魔の能力は、地獄行きを嫌がる死者の魂を地獄に強制連行するための能力だとクロムは理解しているし、実際そうだと思っている。対して天使の能力は、天国で既に幸せな生活をしている魂を安全に守るため、そしてより幸福に導くための力なのだろうと想像がつく。


「それさ。僕は最近、『運命の天使』って何なんだろうって思うんだよね」


 向かい側で、運命の天使本人が心底不思議そうに首を傾げている。どういうことかと無言で先を促すクロムに、ルキウスは続けた。


「『守護の天使』は防護壁(シールド)張って文字通り守るじゃん。で、『癒しの天使』も文字通り癒しの力使って治す。でもさ、おかしいんだよ」

「『運命の天使』がか?」

「そう。だってさ、瞬間移動だよ? どこが運命なのって思わない?」

「……そういえばそうだな」


 クロムは少し考えて頷いた。言われてみれば、二つ名と能力が少し合っていない気がする。


「『移動の天使』じゃ名乗るのには微妙だろう」

「そうだけどさー」

「そもそも『運命』とは何かという話か?」

「それなんだよね。運命ってこう、最初から決まってるレールみたいなものってイメージでさ」

「そのレールを(つかさど)るのが運命の天使ということであれば、瞬間移動以外にもできることはありそうだな」

「そうそう。なんか別のアプローチがあると思うんだよね。シルバーなんてさ、治療とか浄化とか解毒とか、いろいろ使えるわけじゃん?」

「確かに、あいつは色々実験とか研究とかしてるからな」


 クロムはシルバーを思い浮かべた。確かに、彼女は日々治療法の研究をして新たな可能性を模索している。ルキウスが今までそれをしなかったのは、瞬間移動だけで十分すぎるほど役に立っているからだ。


「お前が運命に関して思うことは?」

「うーん……あ。僕さ、異様に運がいいんだよね」

「確かに、祭りのくじ引きとかいつも当たってるな」

「そうそう。じゃんけんも負けた事ないんだよ」

「中心街の噴水も通るたびに虹が出るだろう」

「そうなんだよ。これって凄くない? 偶然かな」

「偶然だとは思っていない顔だな」


 クロムはルキウスを見た。悪魔は暗がりでものを見るのが得意だ。ルキウスの、世界の真理を見つけたような顔もはっきりと見えた。


「『幸運の力』って?」

「それ。今度試してみるよ」

「どうやって」

「そんなのわかるわけないだろ?」

威張(いば)るな」

「でも、意外と自然にもう使ってるのかもしれないって思うんだよね……ほら」


 少し強めの風が葉を揺らす。ルキウスは、目の前にひらりと舞い落ちてきた一枚の紙をつかんだ。おそらく木に引っ掛かっていたのだろうが、このタイミングの良さは偶然か。


「やっぱり、僕は運がいい」


 四つ折りにされた紙を開いて、ルキウスが満面の笑みを浮かべる。幸運の力とやらが本当にあるのかはわからないが、この運命の天使がご機嫌(きげん)でいるならば明日の天国も笑顔で満たされるのだろうと何となく思いながら、クロムは木の太い(みき)(もた)れて心地よい風を満喫(まんきつ)するのだった―――――





――――さらりと、夜風が金髪を揺らす。


 クロムに連れられて来た大きな木の枝に並んで腰かけ、リリィとハルトは思い出話に耳を傾けた。クロムはあの時の事を詳細に思い出していたが、二人に伝えたのは余計なところを省いたざっくりとした部分だ。彼は確かに子どもたちを愛していたのだと、それだけ伝われば十分だろう。あとは、リリィが気になっていた能力のこと。ルキウスは結局、幸運の力について調べる間もなく消えてしまった。


「ルキウスさん、本当にリリィのこと大事に思ってたんだね」


 ハルトが(つぶや)く。リリィに配慮してか小声だ。リリィはクロムが話し始めてからも、話し終わってからも、一言も口を開いていない。


 知れば知るたびに()いたくなるのだろう。(おぼろ)げな記憶しかなかった父が、確かに生きていたのだとわかる。


「クロムさん。本当に……ありがとうございます」


 リリィは座ったままで、深く頭を下げた。クロムとは幼いころから顔を合わせてはいるが、彼からルキウスの話を聞くのは初めてだった。しかし、踏み越えてよかったのだ。聞いてみれば何てことはない。彼はこんなにもあっさりと教えてくれた。


「今思えば、もっと早く話すべきだったな」

「いえ。私が、聞かなかったので」

「もっと詳しく知りたければ、手帳がどこかにあるはずだ」


 クロムは記憶を辿(たど)った。ルキウスが(のこ)した空色の手帳は、天国内外のあらゆる情報が記入されている。機密事項も多かったので、ミカエルがどこかに保管しているはずだ。


 ちなみに、本人のプライバシーに関しても問題はない。ルキウスはあらゆる秘密を握っていたが自身はあまり秘密を持たず、信頼する天国の上層部とクロムには気前よく情報を共有していた。つまり、公然の秘密というやつだ。それに、本当にやばそうなページはクロムが早々に燃やした。


「ミカエル様に聞いてみるといい。お前ももう大きくなったし、持っていても問題ないだろ」

「はい。ありがとうございます……クシュンッ!」

「あ、ちょっと冷えてきたよね。大丈夫?」

「早く戻れ」


 ハルトが上着を脱ぎ、リリィの肩にかける。嬉しそうにそれを羽織(はお)り、リリィは白い翼を広げた。


「クロムさんは……」

「俺は地獄(しごと)に行く」

「黒谷さん、お先に失礼します」

「お仕事頑張ってくださいね」

 

 記憶にあるルキウスにそっくりな笑顔が、ぱっと消えた。それを無言で見送り、クロムはあの時と同じように太い幹に(もた)れかかる。


(リリィはローズに似ているが、笑顔はお前にそっくりだな。ルキウス)


 会えなくなるとは思わなかった。永遠に近い寿命の中で、いつも近くにいるものだと。しかし本当の永遠なんてどこにもなかった。手の中の砂が(こぼ)れ落ちるように、消える時は一瞬で突然だ。


(リリィは美人になったし、ルークは賢くなった。お前の言う通りだ。嫁には出さないと言っていたが、見守ってやれよ)


 心の中でルキウスに話しかける。天使に死後の世界などないのだとわかっていても、どこかで見ていると願わずにはいられない。今でも時々、あの太陽のような金髪がぱっと現れるのではないかと、そんな願望を抱いてしまう。


(さて、そろそろ行かないと……最近最下層で毒霧が発生したらしいし、奴の精神状態が限界か……そろそろ本当に動きが出るかもしれない。地獄に行く前に少し天秤を動かしておいた方がいいな。奴の部下だというショートカットの悪魔というのも探さなければ。それに通常業務もまだ少し……休んではいられないな)


 振り返っている場合ではないのだ。苦しくても、前を見ないといけない。気持ちを切り替えるように少しだけ目を閉じたクロムの(ほお)を、少し冷たい夜風が(いた)わるようにでていく。


(俺はもう二度と失わない。そのために、やるべきことは全てやる)


 どんなに無理をしても、大切な仲間を永遠に失うあの痛みに比べたら平気だ。決意を新たに黒い翼を広げたクロムの顔には、もう過去への未練は少しも浮かんでいなかった。ただ今ある大切なものを一つも取りこぼすことなく安心して過ごせる未来を目指して、クロムは翼を力いっぱい動かした。

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