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第五十話 運命の天使と黒い翼(前編)

――――太陽のように輝く金髪に、天国の空を映したような空色の瞳。


誰にでも親切で誰からも(した)われ、両手に抱えたトラブルは優しさの現れ。


そんな『運命の天使』が、天国をいつも笑顔で満たしていた――――




――――ぱっと、目の前に金糸の髪が現れる。


「…………」


 地獄の上層。クロムは歩みを止めて眉を寄せながら、無言で目の前の天使を見た。彼がこうして突然現れるのは日常茶飯事。もはや驚いたリアクションすらも面倒だ。


「僕を見てそんなに嫌そうな顔をするのは、クロムくらいだよね」


 言葉とは裏腹に、ルキウスは爽やかに笑った。クロムのリアクションを不快に感じたわけではなく、面白がっているような口ぶりだ。わかってはいるが、一応クロムは言い訳を(つむ)ぐ。


「……別にお前の事が嫌いなわけではない」

「知ってる」

「ただ、お前の運んでくるトラブルには警戒している」

「だろうね」


 ルキウスはクロムを見上げ、視線を合わせた。この男はいつでも真っ直ぐ目を見て話す。それが尊敬に値するところでもあり、少しだけ見透かされているような居心地の悪さを感じるところでもあった。


「で、今度は何だ?」

「ちょっと天国(こっち)側でトラブルがあって」

「お前の周りはトラブルだらけだな」

「便利屋みたいなもんだから、みんな相談に来るんだよ。今目撃情報集めてるから、クロムも何か聞いたら教えて」

「何についてだ」

「青い鳥」

「鳥?」


 いつも通り淡々と想定外の事を言うルキウスに、クロムは眉間の(しわ)を深めた。動物は死んだら直接生まれ変わるため、死後の世界へは来ないし天秤で裁くこともないのだ。


「……誰が死後の世界(こっち)で鳥なんか飼いはじめた」

「違うって、特別功労者! ペットだけ逃げたんだよ」

「特別功労者……あぁ、特例か」


 クロムは少し考え、頷いた。天国行きの魂の中でも、特別に善行を積んだ清き魂。彼らは特別に、ペットとともに天に昇ることが許されている。


「なら煉獄か天国だな。地獄(ここ)には来ないだろ」

「だと思うけど、急いで探さなきゃだからさ」

「急ぎか? 煉獄か天国にいるなら、ゆっくり探せばそのうち見つかる」

「それが違うんだよ。今回はけっこうやばくて……」


 ルキウスは声のトーンを少し落とした。天国内外のトラブルをほぼ全て把握している彼がやばいという時は、本当にやばい時だとクロムは知っている。さて何が出てくるかと身構えていると、案の定ルキウスは爆弾を落とした。


「魂抜くの忘れて、肉体ついたまま死後の世界(こっち)連れてきちゃったんだって」


「…………」


 数百年に一度あるかないかの衝撃的なミスを聞いて、クロムの動きが止まる。対してルキウスは笑顔だ。やらかしたのは新入りの若い天使だが、彼は決してミスを責めずいつも明るくフォローに回る。彼の才能は能力というよりはその性格の方だと、クロムは常々思っていた。


「あはは、言葉も出ないほどやばいと思う? だよね」

「……探せ」

「だから探してるんだって。クロムも仕事中だと思うけど、もし見かけたら……」

「ルキウス様! 煉獄の天秤前に青い鳥が……」

「まじで!? ありがと!」


 遠くから飛んできた悪魔からの目撃情報を聞き終わらないうちに、白い翼はもう消えていた。相変わらず嵐のような奴だと、クロムは感心半分呆れ半分に小さく息を吐く。手伝ってやりたい気持ちはあるが、地獄(こっち)の仕事も山積みだ。きっとそのうち捕まるのだろうと、クロムは自分の仕事を優先した。



――次にその白い翼を見かけたのは、煉獄にある小さな事務室だった。


「またお前か」


 今日中にサタンに提出したい報告書がそこにあったことを思い出し、事務室のドアを開けたクロムはルキウスの姿を見て再び眉を寄せた。部屋の中央に立っていた彼は、爽やかな笑顔で手を振っている。


「やあ、クロム! 今日はよく会うね」

「そうだな」

「もしかして書類探しに来た?」

「そのつもりだったが、来るんじゃなかったと思ってる」

「あはは。クロムの正直なとこ結構好きだよ」

「俺も、お前の八方美人なところは嫌いじゃない」

「やったね!」

「いつも馬鹿みたいに前向きだなお前は……青い鳥はどうした」

「それが大変だったんだよ。暴れまわっちゃってさぁ」

「だろうな」


 クロムは、両手を広げてこの部屋の惨状(さんじょう)を示しているルキウスを見て、それから床に視線を合わせた。先程から意図的に視線から外していたものだ。


 床に無造作に散らばる、大量の紙、紙、紙。


「……これだけ大暴れしたなら、当然捕まえたんだろうな」


 これ以上現実逃避していても仕方ない。クロムは深い溜息をこぼして書類を拾いはじめた。これだけの惨事(さんじ)を引き起こしたからには何らかの成果は欲しいところだとルキウスを見て、クロムは即座に諦めた。何せ困ったように頬を()いている。つまり、未解決だ。


「逃げちゃった」

「言ってる場合か」

「想像以上に素早くてさ」

「お前は鳥より速いだろうが」

「速さじゃないんだよ。何だろう……そうだ、動体視力!」

「威張るな」


 自身の動体視力の無さを堂々と報告する彼の方は見ずに、クロムはひたすら書類を拾っている。それを見て、ルキウスもようやく拾いはじめた。


「クロムはさー、聞いたことある?」

「何を」

「天国の城のバルコニーから真っ直ぐ……多分クロムの速さで十分くらいかな?」

「何か知らんが、かなり遠いな」

「そうそう。そこにさ、夜だけ架かる星の橋っていうのがあるらしいんだよ」

「初耳だ」

「見た事ある人はまだ少ないんだけどね。何でもその橋の下の地面を三回たたくと、湧水が出てくるんだって」

「冗談だろ?」

「いやまじで」


 雑談をしながらも、二人は手を止めることなく書類を拾い続けている。ルキウスは短距離の瞬間移動を使って部屋の隅から隅に飛びながら、クロムはぶつからないようにあまり動かず中央で、それぞれ少しずつ厚くなっていく紙束を抱えながらの雑談。この二人の会話は、大抵ルキウスの仕入れた真偽不明の噂話にクロムがひたすら相槌(あいづち)を打つというパターンが多かった。


「でもこの話はここからが本番でさ」

「まだあるのか」

「その湧水を銀の皿に入れて月明りに照らすと」

「工程が多いな。面倒そうだ」

「そう言わずに。それをするとね……」


 ぱっと隣にルキウスが現れた。内緒話のように(ささや)かれるのは、嘘か本当かわからない謎めいた話のオチだ。


「自分の一番大切な存在の姿が映るんだって」


 ぜひ今度やってみてよ、という言葉に、クロムは盛大に眉を寄せた。最後まで聞いても心底どうでもいい話だった。


「そういうお前はやってみたのか?」

「やろうと思ったんだけどさ、ちょっと怖くて」

「何が」

「ローズが映んなかったら困るだろ?」

「違う可能性があるのか……」

「いやないけど」


 怖いという割には、ルキウスはきっぱりと否定した。この男の愛妻ぶりは天国でも地獄でも有名だ。彼女以外が一番大切な存在認定されるとはとても思えないが……


「自信があるならやってみればいいだろうが」

「えーでもさー」

「仮に違ったとしても、黙っていればバレないだろ」

「クロムはそういうタイプだよね」

「真実を伝えることが相手のためになるとは限らん」

「うーん……隠し通せるかな」

「情報屋はポーカーフェイスと駆け引きが命だろうが。それに、リリィかルークかもしれないだろう?」


 クロムはまだ幼いルキウスの子供たちの名をあげた。その途端に、ぱっと空色の瞳が輝く。


「そっか! そういう可能性もあるんだ」

「お前の親バカぶりは有名だからな」

「そりゃ可愛いもん。リリィはローズに似てめちゃくちゃ美人だし、ルークなんかこの前辞書読んで笑ってたんだよ!? 凄くない?」


 辞書、と聞いて、クロムは首を傾げた。ルキウスと散歩しているルークに会ったのはここ最近だが、まだやっと歩けるようになったくらいの幼さだったはずだ。


「……ルークはまだ会話も難しいと思ったが」

「ローズくらいの天才になると、会話よりも読み書きの方が簡単らしいからね。似たんじゃない?」


 ルキウスの妻ローズは、根っからの研究者肌だ。ルキウスと違いあまり表に出ず、大抵は工房で発明品を作って一日を過ごす。三度の飯より論文が好きで、知識欲を満たせれば専門外でもお構いなし。ルキウスと違い交友関係は広くはないが、天国一の美女と名高いその外見は、どこにいても意図せず周囲の視線を集める。


「確かに、ルークは賢くなるかもな。リリィもローズに似ているし、美人にはなるだろう」


 クロムは軽く頷いた。ローズが美人で賢いのは、もはや否定しようがない死後の世界の常識だ。ルキウスの意見に同意しただけなのだが、それを見て、何故かルキウスは不満げな声を出した。


「あっ! だめだよ。ローズは僕のだし、リリィは絶対嫁には出さないんだから」

「……お前は誰に向かって何の話をしているんだ」

「いやわかってるけど。一応釘さしとかないとと思って」

「釘の無駄だ。他に刺しておけ」

「他は大丈夫だよ。ローズが返り討ちにするし」

「何故俺だけ」

「クロムはほら、僕の次にいい男だから。本気出されたらちょっと危ない」

「……それはどうも……」


 事実、結婚前は死後の世界きってのモテ男の名を欲しいままにしていたルキウスの言葉に、クロムは何とも言い(がた)い表情をうかべた。褒められているが何故か全く嬉しくない。そろそろ無駄話も終わりにしたいと思い、拾い忘れがないか確認しながら立ち上がった。それを見て、ルキウスも分厚い紙束を抱えながら立ち上がる。


「まぁそれはともかくとして、さっきの話だけどさ。クロムだったらどっち出るかなって興味あるんだよね」


 無駄話を終わりにするどころか、脱線した話が元に戻った。星の橋の下の湧水に浮かぶ大切な存在の話だろう。しかしクロムは首を(ひね)る。彼に恋人はいない。


「俺か? どっちと言われても、選ぶどころか心当たりが何もないが」

「サタン様とシルバーだよ。どっちだと思う?」

「…………」

「そんな目で見ないでよ……冗談だってば」


 ルキウスは紙束を両手で抱えたまま防御の姿勢を取った。クロムはルキウスを軽く(にら)む。サタンもシルバーも大切に思っているのは否定しないが、こういう話題に名前が出てくるのは何かが違うはずだ。


「お前の口は余計な事ばかり言うな」

「ありがとう!」

()めたつもりはない」

「口数が多いのはいい事だって、聖なる山の(ふもと)の村の村長さんの娘婿のお姉さんがやってる食堂の料理人の奥さんが……」

「誰だよ」

「ご主人が打った蕎麦(そば)が美味しいんだよね」

「そんな事は聞いていない」


 本当に余計な事ばかり話す口だと、クロムは呆れ果てた視線を向けた。ルキウスと会って話をするたびに、どうでもいい情報がクロムの中に蓄積されていく。中には本当に重要な情報もあるので助かることもあるが、九割は確実に不要だ。


「本当にお前は……」

「ルキウス様! 青い鳥が天国へ向かって飛んでいたと……」

「おっ、了解! ねぇクロム」


 ガチャリと事務室の扉が開く。雪崩れ込むように入ってきた白い翼の報告を受け、ルキウスはクロムを見た。悪戯(いたずら)っぽく細められた空色の瞳が言わんとしていることを悟り、クロムはルキウスの立ち位置目がけて早足で歩いた。


「後はよろしく」


 返事を待たずに消えた白い翼。彼の腕があったあたりには拾い集めた紙束だけが残り、支えを失ったそれらが一斉に落ちてくる。寸前で受け止めて安堵(あんど)の息を吐き、クロムはそれを事務室の机に置いた。


「……最悪だ」


 ルキウスが消えたのを見て、報告に来た天使たちもバタバタと走り去っていく。残されたのはクロムと、様々な種類の書類が一つになった紙束のみ。それをしばらく見つめて、クロムは深いため息をついた。今日提出したい報告書が、どこにあるかがもう分からない。


(地道に探すしかないか……ないな……仕方ない)


 あまりの面倒臭さにそのまま帰ろうかと思いかけたが、どちらにせよ誰かがやらないと片付かない。クロムはもう一度静かに息を吐き、最初の一枚から丁寧に(めく)り始めた。

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