第四十八話 線を踏み越え手を繋ぐ
静かになった執務室で、ハルトとリリィは隣どおしに座ったまま、前を向いて固まっていた。お互いに好意を持っているとはいえ、二人きりになったことは初対面の時以外はほとんどないのだ。いきなりこれはハードルが高い。緊張する、と心臓を押さえたハルトに、リリィが消え入りそうな声で言った。
「あの……すみませんでした……こんな風に、伝えるつもりではなかったんですけど……」
「いや。それは僕も……」
「ご迷惑だったらはっきり言ってくださいね」
「迷惑なんて! どうしてそんな事……」
「だって、ハルトさん……私の事好きって感じでは……ないので……」
悲しそうに眉を下げたリリィの言葉に、心臓がキュッと縮んだような気がした。
ハルトが恋心を自覚したのはついさっきだ。もちろん以前から好意はあったし、初対面の時から可愛いとは思っていた。しかし天使と付き合えるわけがないだろうという気持ちも間違いなく、心のどこかにあったのだ。
(天使も悪魔も人間も、何も変わらないって思ってたのに。僕はまだ、勝手に線を引いてたのかもしれない)
隣にいるのは、リリィという名前の一人の少女だ。翼が生えてようと、何百年生きていようと、自分と何も変わらない。笑ったり泣いたり怒ったり悩んだりしながら、毎日必死に生きている。天然だけど一生懸命で可愛い、特別で大切な女の子。
「リリィさん。好きです」
ハルトはリリィの目を見て言った。しかし、リリィはなぜか目を逸らし、困ったように笑った。
「……ありがとうございます。嘘でも嬉しいです」
「いやいやいやいやいや、待ってください」
「さっきの言葉も、優しさから言ってくれたってわかってますし」
「いや。勢いで言っちゃったとかじゃないから! ちゃんと考えてるから!」
「ちゃんと好きになってもらえるように、これから頑張るので」
「いやこれ以上どうやって? というかリリィさん」
「……せめてリリィって呼んでください」
拗ねるように口を尖らせるリリィを見て、あぁやっぱり可愛いなという気持ちがすとんと心に落ちてきた。こんな子が恋人になってくれたら一生大事にするのに。そんな言葉が自然と口から出てくるくらい、自分は彼女に惹かれているのだ。
「リリィ」
ハルトはリリィの手にそっと自分の手を重ね、彼女の顔をのぞきこんだ。ちゃんと目を見て話したい。そんな思いが通じるように、蒼い瞳がこっちを向いた。
「そんな風に思わせてごめん。でも適当じゃない。本当にそう思ったから言ったんだ。心の片隅で、天国を守ろうと頑張ってるリリィが自分と釣り合うわけないって思ってて」
「そんな……そんな事ないんです」
リリィは首を振った。自分はそんな風に思ってもらえる存在ではないのだ。力がどんなに強くても、使いこなせなければ意味がない。せっかくの瞬間移動も、実際は送迎くらいにしか使えていないのだ。防護壁で直接守ることができるルークの方が、よほど役に立っている。
「私はダメな天使です。今日も失敗してしまったし、力が強いというだけで何の役にも立っていない」
「そんなことないよ。リリィはいつも天国のことや仲間の事を考えて、一生懸命頑張ってる」
「頑張るだけじゃダメなんです! 思いやるだけじゃ何にもならない」
リリィは悔しそうに言った。翼が戻ったばかりのシルヴィアの働きぶりをたった数日間見ただけで、自分の無能さが浮き彫りになったような気がしていた。知識力、判断力、行動力。何もかもが違い過ぎて、もはや同じリーダーを名乗るのも申し訳ないと思うほどだ。
「きっと先代は、もっと力を使いこなしていたはずです。でも、どうしていいかわからない……私の足りない頭では、瞬間移動でどうやって天国を守ればいいのかも想像できないんです。私……こんな自分が嫌になる……」
重ねた手に涙が落ちる。ハルトは励ますように、リリィの手を優しく握った。
「じゃあさ、調べてみようよ。ルキウスさんがどうやって能力を使ってたのか。真似できるかはわからないかもしれないけど、参考にはなるかもしれない。僕でよければ、一緒に考えるから」
「ハルトさん……」
「一緒に頑張ろう。僕も勇者って何だろうっていう段階だけど……というか、黒谷さん凄すぎて、引っ張られてるだけというか、言う事聞いてるだけというか……もっと自分でどうにかしないととは思ってるんだけどね」
「わかります」
困ったように頬を掻くハルトに、リリィはようやく微笑んだ。悩みや不安を共有できることが、これほど安心することだとは思わなかった。特殊な仲間の中でも、平凡な感覚を持った二人だからこそ分かりあえることだ。
「リリィは立派なリーダーとして、そして僕は立派な勇者として」
「一緒に死後の世界を立て直しましょう」
二人は同時に頷いた。もう一人じゃない。同じ志を持った仲間。そして、仲間以上の……
「リリィ」
「ハルトさん」
「僕は必ず勇者になる。リリィも、天使も悪魔も人間も、みんな守れるように強くなる。だから……僕と、付き合ってくれますか?」
決意を宿した強い瞳がリリィを映す。それに応えるようにしっかりと頷き、リリィはふわりと微笑んだ。
「勇者でも人間でも天使でも悪魔でも関係ない。私はハルトさんがただ好きです」
「リリィ」
重ねた手に力を込めて、二人は少しの間見つめ合った。白い光が祝福するように一瞬だけ二人を包んで、誰にも気づかれないうちにそっと消えていった。




