第四十六話 美少女の説得力は段違い
同時刻。執務室では、シルヴィアとルークが棚の奥を探っていた。
「うーん、おっかしいわね。この辺にあるはずなんだけど」
「あー、探すのめんどいっすね。そこもさっき見たけど何もなかったっすよ?」
「あらほんと? じゃあっちかしら」
「あっちも三十年前整理したばっかっすよ。もう無いんじゃねっすか?」
二人が探しているのは、先代守護の天使であるローズが発明した自動計算機だ。書類を読み込むだけで瞬時に計算やデータの整理、印刷も行ってくれる優れものである。
今でいうパソコンのようなものだが、これはそれほど多機能ではない。しかし電気も電波もない天国では、自動計算機と呼ばれるその機械が唯一仕事を便利にするアイテムだった。それを、シルヴィアは必死で探していたのだ。
「今時手計算なんて信じられないわよ。何で文句言わないの」
ここ最近の書類を片っ端から確認していたシルヴィアは、カウンター制度になって数字を扱う書類が激増しているにもかかわらず、そのほとんどが手計算で行われている事にショックを受けていた。あれから五百年、人間は翼がなくても空を飛び、指先ひとつ動かすだけでどんなものも購入するというのに、何故天国はこんなにも退化しているのか。
「えーだって。マスター機械弱いっしょ」
「そうね」
「それに師匠も手計算だって言ってたし」
「脳内に自動計算機埋まってるような奴を参考にすんじゃないわよ……」
シルヴィアは天を仰いだ。クロムの暗算は時に計算機よりも早い。魔王の処理速度も似たようなものだったので、地獄に自動計算機はなかった。一応要るか聞いてみたが、むしろ読み込むのが手間だと却下されたほどだ。
「絶対探してやるわ」
「そんないいもんなんすか?」
「書類の手間が九割減るわよ」
「よっし探そー」
急にやる気が出たルークは棚の奥から箱を引っ張り出したが、計算機はなかなか見つからない。再び諦めそうになった時、シルヴィアが急に手を打った。
「そうだ! 部屋に聞けばいいんじゃないの」
「部屋って何すか?」
ルークは執務室を見回した。人間界には電気消して、などと話しかけるとその通りに動いてくれる機械もあるらしいが、この部屋にそんな物は無い。しかしそんなルークの様子を、シルヴィアは呆れた様子で見ていた。
「まさかこの機能も知らないの?」
「機能? なんすか?」
「信じらんない。ミカエルさまったら何も教えてないのね」
シルヴィアは入口の扉付近に向かい、扉の右側の壁を三回ノックした。すると壁から小さな液晶画面のようなものが出てきて、シルヴィアに話しかける。
「ナニカ ゴヨウデスカ」
「自動計算機を探して」
「カシコマリマシタ」
シルヴィアの言葉に自動音声のような機械音が応えるとすぐに液晶画面から光の球が飛び出し、ゆっくりと奥の棚の上に移動し吸い込まれるように消えていった。
「あったじゃない! 良かったわ」
光の球が吸い込まれた場所から見事自動計算機の入った大きな箱を手にしたシルヴィアを、ルークは呆然と見ていた。五百年間毎日のようにこの部屋で仕事をしていたにも関わらず、こんな機能は見た事も聞いた事もない。
「……なんすか、これ?」
「名前は知らないけど、探し物をしたり天国の様子を映してくれたりするのよ。便利よ」
シルヴィアはテーブルの上に慎重に箱を置いて中から自動計算機を取り出した。五百年ぶりに光を浴びたそれを労わるように一撫でしてルークを見る。これが現役だった頃を思い出しているのか、その新緑は大切なものを懐かしむように色を深めていた。
「この計算機も、その壁のやつも、あんたの母親が作ったのよ」
「ははおや? あー先代すね。凄かったっていう」
母親と言われても、顔も覚えていない存在でまるでピンと来ない。わざわざ先代と言い換えたルークを見て少し寂しそうに眉を下げ、シルヴィアは言った。
「そうね。先代は、あんたにすごく似てた。いつも業務の効率化について考えていて、仕事や生活が便利になる機械をいくつも発明したのよ。天国一の発明家として有名だったんだから」
「それは聞いたことある。でも発明って言ってもピンと来ねーっすね」
「頭の良さは、あんたも受け継いでるでしょ」
シルヴィアは箱の底から分厚い紙の束を取り出した。五百年前まで彼女が書いていたいくつもの未完の設計図、完成済みの機械の操作方法。両手でやっと持てるくらいの量のそれをルークに手渡す。
「とりあえず見てみなさいよ」
「えー? いいよ、めんどい……へー。これどうなって……あーなるほど。こっちは……」
すぐに突き返そうとしたルークだったが、設計書を少し読んだ途端に顔つきが変わった。その様子を満足気に見て、シルヴィアは彼の近くの椅子を引いた。
「ここ座ってゆっくり読みなさい。あたしは直接説明されても彼女の言ってることが半分もわからなかったけど、あんたにはわかるかもしれない。使いこなせれば仕事も相当楽になるわよ」
資料から目を離さないまま無言で椅子に座ったルークを見て、シルヴィアは彼女の母親を思い出していた。何を話しかけても聞こえない程の集中力で発明に没頭し、業務効率化や生活水準の向上に貢献した、サクラ色の長い髪に海のような蒼い瞳を持つ美しい天使。
五百年前に彼女を救うことは出来なかったけれど、今彼女と同じ顔で同じ場所に座っている彼は、紛れもなく彼女の精神を受け継いでいる。きっと彼ならば、彼女の遺した全てを理解することが出来るだろう。
(あんたそっくりよ……ローズ)
シルヴィアはルークの向かい側に座り、しばらくの間じっと彼の真剣な顔を眺めていた。するとふと、もう一人のリーダーの事が気になってくる。彼らの父親とそっくりな、少し抜けているが憎めない、トラブルばかり持ち込む癖に何故か人気は抜群な運命の天使は何をしているのか。
(遅いわね)
ルークは広場に残してきたと言っていたが、リリィは瞬間移動を使えるのだし、そろそろ帰ってきてもおかしくない時間だ。
(ちょっと心配よね。ハルトくんと一緒か、白の部屋かしら?)
探しに行こうか迷いながら、シルヴィアは立ち上がった。扉の前まで来て振り返っても、思った通りルークは資料から目を離さない。そんな所もやはり似ていると微かに笑って、シルヴィアは部屋を出た。
◇
「……シルヴィア様?」
廊下を歩いてほどなく、シルヴィアは二人の天使に声をかけられた。見覚えのない若い天使たちだ。
「シルヴィア様、ですよね?」
立ち止まったシルヴィアに、天使は再度声をかけた。シルヴィアは不思議に思って天使を見る。天国に来てから、挨拶に行ったのは医療棟だけだ。昔のシルバーならともかく、シルヴィアという名がそれほど広まっているとは思えない。
「……えぇ。そうだけど……」
「やはり! 噂に違わぬお美しさ!」
「傾国の美女というのも頷けます!」
「え……ありがとう……?」
不審に思いながらおそるおそる返事をしたシルヴィアを、天使たちは褒め称える。しかしシルヴィアは思わず一歩退いた。なんか怖い。
「あっ、すみません。先程お話を聞いたところだったので、つい興奮してしまって……」
「話? 何のかしら?」
「五百年前の話です」
五百年前というのは考えるまでもなく、勇者が悪魔を虐殺し、怒った悪魔が天国に攻めてきたあの事件だろう。魔王を庇って力を使い果たした事が知られているのだろうか。魔王が生きていることはまだ広まらない方がいいのに。
「……何を聞いたの?」
自然とシルヴィアの表情が厳しくなる。しかし天使たちの表情は明るかった。先程感動的な話を聞いた興奮そのままに、シルヴィアに歩み寄る。
「私は今まで愚かにも、魔王様は天使の敵だと思っていたのです。しかし、本当は愛のために戦っただなんて……」
「私はその後、信頼する部下にシルヴィア様を託す魔王様の深い愛情に心打たれました。あの大きな悪魔、正直鬱陶しく思っていたのですが、そんな深い事情があったとは。先程も広場でとても素敵なパフォーマンスをしていただいたそうですし、こんなに優しい方だともっと早く知っていれば……」
「いや、今からでも遅くない! 私達も責任もって真実を広めるお手伝いをさせていただきます!」
「は、はい。……え?」
安心してください、と両手を握ってくる知らない天使の熱弁に、シルヴィアは思わず頷いてしまった。二対の白い翼は未だ興奮冷めやらぬ様子で廊下の奥に消えていき、残されたシルヴィアは彼らの言葉の意味を考える。
(愛……? サタンさまが?)
天国地獄は共に死者のためにあると、いつも死者の魂の行く先を考えていた仕事中毒な魔王。彼が愛しているのは仕事か部下(特にクロム)か、大好きだった甘味くらいだ。
(変ね。何かの間違い……にしては不自然よね。どこで聞いたのかくらい聞けばよかったわ……でも嘘だとしても何のために……あ)
「あっ……」
その場で考えこむシルヴィアの目の前に、突然金髪の天使が現れた。瞬間移動してきたリリィは、シルヴィアを見るなり明らかに動揺した。目が泳いでいる。
「あ……シルヴィアさん……あの、失礼しま……」
「待ちなさい」
慌てて立ち去ろうとする、トラブルメイカーの運命の天使。その肩をシルヴィアは反射的に掴んだ。犯人は彼女だと直感が告げている。
「あんた何したのよ」
あからさまに目を逸らしたリリィはやはり黒だ。
「言いなさい」
「私は、あの……クロムさんとシルヴィアさんの名誉を守りたくて……」
「それで?」
「なるべく事実に沿うようにと思ったんですけど、機密事項に触れてはいけないので、少し脚色したらどんどん違う方向へ……だから、シルヴィアさんは知らない方が……」
リリィの声はだんだん小さくなっていく。どうやらあの後広場で更なる説得を試みたようだ。気持ちは嬉しいが、彼女の広めた話はおそらく相当事実と違っている。シルヴィアは覚悟を決めて、リリィに促した。
「どんな噂が流れてるか知らなかったら困るでしょう。良いから言いなさいよ」
「……怒りませんか?」
「さあ? 約束は出来ないけどー……でも黙ってたらもっと怒っちゃうかも」
「いっ、言います! あの、実は……」
戦々恐々と先程の話を繰り返した彼女の口から飛び出したのは、勇者と魔王とシルヴィアの壮大な三角関係から意図せず起こってしまった大戦争の話だった。ドラマチックに脚色された話には、もう事実などほとんど残っていない。
「…………」
シルヴィアは、無言で聞いていた。そして、
『勇者は愛するシルヴィアを守りたい一心で魔王を倒したが、シルヴィアが愛していたのは実は魔王の方だった。傷ついた勇者は多くの罪のない悪魔を殺してしまった事を悔いて人間界に戻り、魔王も多くの犠牲者が出たことを悲しみながら、死ぬ前に最も信頼する部下のクロムにシルヴィアを頼むと言い残した。残されたシルヴィアは魔王を失った傷を癒しているうちに、いつしかそばで支えてくれたクロムに心惹かれるように。そして二人は、勇者の愛した天国と魔王の愛した地獄をともに支えようと決意する』
というシーンまで聞いて、そのまま廊下に崩れ落ちた。
「そんなアホな作り話誰が信じるのよ……」
ぼそりと呟いたシルヴィアの思いに反し、リリィが罪悪感に涙を浮かべながら話したこの創作話は光の速さで天国中を駆け巡った。天使という種族が、『愛』というワードに異様に弱いというのもある。
以降、リリィの思惑通りシルヴィアとクロムは周りの天使達から敵対心のこもった目で見られることは無くなったが、代わりに周囲から生暖かい目で見られることとなり、居心地の悪さはむしろ増すことになるのだった。




