第四十五話 想いの強さと集中力
「えぇと……」
待ち合わせ場所として指定された城の裏手で、ハルトはキョロキョロと周囲を見回した。大きな木々で視界が遮られ、待ち人の姿は全く見えない。
(どこにいるんだろう)
あのクロムの事だから、呼び出しておいて来ないという事はないだろう。むしろ早く来て待っているはずだ。しかしどこを見ても、彼の姿は影も形も見つからなかった。
(うーん。木が邪魔で全然見えないな……黒谷さん裏の林としか言ってなかったし、どこかにいるはずなんだけど……)
大きな木の幹に沿ってぐるりと回り、隣の木の裏側をのぞきこみ、時々後ろを振り返りながらハルトはクロムを探し続けた。
「黒谷さーん。どこに……うわっ!」
――――突然、隣の木から真っ赤な炎がぶわりと出てきた。驚いて大きく下がったハルトの視界の中で、炎は瞬く間に広がって大きな木をのみ込んでいく。
(きっと黒谷さんだ)
ハルトは既に手に持っていた水鉄砲を構えた。ここに来たのは修行のためだ。不意打ちもあるかもしれないと、それくらいは想定していた。
引き金を引く。聖水が矢の形をして真っ直ぐ炎に向かっていった。一発で消えた赤い炎。そのあとには黒焦げの木が残るとばかり思っていたが、意外にも目の前の風景は炎が出る前と何も変わらず、燃えたはずの木はそよ風に緑の葉を揺らしていた。
「上出来だ。だが詰めが甘い」
目の前に急に影が落ちる。背後から声が聞こえて、振り向くよりも早く銃身を持つ手に大きな手が添えられた。驚いて固まるハルトの耳に、呆れた声が降ってくる。
「隙だらけだな。次からは気配を感じたら瞬間移動で逃げろ」
「……気配って、どうやって感じるんですか?」
「『違和感』だ。空気の流れ、音、匂い。身体の感覚をすべて使って、いつもと違う雰囲気を感じ取れ」
クロムはそう言いながら、銃身を先ほど燃えていた木の上の方に向けた。よく見ると一部の葉がまだ燃えている。
「全部消えたと思ってました」
「だから詰めが甘いと言ったんだ。これが敵だったら、倒したと思って背を向けた瞬間に後ろから刺されるぞ」
妙に具体的なアドバイスを残し、添えられた手が離れる。ハルトは残った炎に向けてもう一度撃った。水の矢は鋭く炎に向かうと思いきや、隣の枝でパシャリと弾ける。
「あ」
「下手くそ」
「狙ったつもりだったんですけど」
「倒したつもりが一番危険だ。もう一度」
木の葉が何十枚も、ランダムに赤い炎に包まれる。不思議と葉は灰にはならず、クリスマスや祭りの日に木をランプで飾り付けたような幻想的な光景が広がっていた。しかし感動している場合ではないのだ。全部消さなければならない。
「ええと……」
「迷うな。目についたものから消していけ」
「はい! あ」
「……これだけ的があって外せるのはいっそ才能だな」
「すみません。あ、消せた!」
「一つ消しただけで満足するな。弾切れがないんだからどんどん撃てばいい。外しても撃ち続けろ」
「はい! あ……あれ?」
「……狙えよ」
「狙ってます。一応……」
三発に二発は外すハルトに、クロムは根気強く指導した。しかし気合を入れれば入れるほど何故か逸れていく聖水。
「才能が無いのかも……」
諦めかけたハルトの横で、クロムは木を指差した。
「あれを悪魔だと思えばいい。ただの木の葉だと思うから当たらないんだ。もっと危機感を持て」
「悪魔……でも黒谷さん、効かないんですよね?」
「何故俺を想像した」
クロムは呆れて言った。しかしハルトのよく知っている悪魔と言えばクロムと瑠奈、そして魔王だ。木の葉と比べるには無理があった。
「魔物はどうだ?」
「ええと……毛玉と黒猫?」
「それでいい」
「他にはどんなのがいるんですか?」
「犬や狼、蛇、カラス……動物に近い見た目が多いな。最も強いのはドラゴンだ」
「ドラゴンもいるんですか!?」
ハルトは驚きのあまり構えていた水鉄砲を下ろしクロムの方を向いた。今まで出会った使い魔は、小さくて真っ黒な塊のようなものだった。しかしクロムの話では、使い魔にも格があるそうで、強い悪魔ほど強い魔物と契約できるそうだ。
「黒谷さんなら、ドラゴンとでも契約できそうですよね」
ハルトは何気なく言ったが、クロムはあっさり頷いた。
「そういえば昔契約していた時期があるな」
「ドラゴンを使い魔にしてたんですか?」
「縁あって少しな」
「今はそのドラゴンは」
「契約解除した」
「解除とかできるんですね」
「普通はしないがな」
クロムは当時を思い出したのか、眉を寄せて遠くを見ていた。使い魔とケンカでもしたのだろうか。聞いてもいいものか迷っていると、やがてぼそりと不満げな声が降ってきた。
「奴は火を噴くんだ。勢いよく」
「かっこいいですね」
「しかもでかい」
「ドラゴンのイメージ通りです」
「……俺は書類仕事が多いんだ」
「あぁ……もしかして……」
「執務室にはサイズ的に入らんし、書類は燃やす。煉獄に連れて行けば怖がられるし、使い魔は天国にも来れないからな。全く役に立たん上に邪魔だ」
「……相性が悪すぎたみたいですね」
かつてこれほどまでに、ドラゴンを邪魔もの扱いした者がいるだろうか。ドラゴンと言えばファンタジーの世界では誰もが仲間にしたがり敵に回れば恐ろしい最強の魔物。しかし書類仕事のお供には向かなかったようだ。
「使い魔と契約っていうのも大変ですね……そういえばライアさんの毛玉って今どこにいるんでしたっけ?」
「いったん地獄に返した。毛玉は魔物にしては珍しく賢い、ドラゴンよりも使える」
「ドラゴンの価値がどんどん下がっていくんですけど……じゃあライアさんはそのまま天国に住むんですか?」
「さあな。お前のところに謝罪に行ったのが最後だが、何か言っていたか?」
「いえ……もう号泣しながらだったので、かろうじてごめんなさいしか聞き取れなくて……」
「……そうだろうな」
目の前で泣きながら謝罪された側の居たたまれない気持ちは、経験者にしかわからない。渋い顔をしているクロムは、きっと瑠奈を思い出しているのだろう。ハルトもライアの号泣謝罪は、しばらく夢に出てきそうなほどのトラウマ案件だ。
「まぁとにかく。ドラゴンも毛玉もいったん忘れろ。木の葉を使い魔だと思えばいいという話だっただろう」
「そうでした」
クロムが脱線した話をもとに戻した。ハルトも急いで水鉄砲を構える。
「えぇと……使い魔……つかいま」
「そうだな……よりイメージしやすいように設定を加えよう。守らなければいけない大切な人が大勢の敵に囲まれている。一発でも外すと死ぬ。そう思え」
「守らなきゃいけない……大切な人……?」
ハルトはもう一度木を見た。何故か真っ先に浮かんだのは、輝くような金髪と海のような青い瞳。
さっきまでただの燃える葉だったものが、不思議と全く別のものに思えた。
(死なせたくない。絶対に外さない!)
ハルトの顔つきが明らかに変わったのを見て、クロムは腕を組んで一歩退いた。
白い光が淡くハルトを包みこむ。水の矢が通常の何倍もの威力で木の葉に向かい、次々と炎を消していった。聖なるオーラが聖水の効果を高めたのだ。
(やはり気持ちの問題か……聖なるオーラに満たされた天国での修業は、やはり効果的だな)
それなら次はその感情を保てるかどうかだ。少し乱してやろうかと、クロムはハルトの背後でにやりと笑う。
「余程大切な存在がいるようだな」
「えっ? え!?……あ!」
動揺したハルトは、次の一撃を外した。
「黒谷さん! 何を急に」
「誰のことを考えた?」
「リリ……いや。言いませんけど」
「……今名前を言いかけたのは聞かなかったことにしてやる」
まさか正直に答えるとは思っていなかったクロムは、少し気まずそうに目を逸らした。なら聞くなと言いたげなハルトからの視線を受け、わざとらしく咳払いをして切り替える。
「……とにかく。これで聖水が当たらない原因が集中力の問題であることがわかった」
「あ……そうか……集中力」
「次からはリリィにアシストを頼むか」
「聞かなかった事にするって言ったじゃないですか!」
「何の話だ? 俺は何も聞いていないが。仕事の関係で空いていそうなのがリリィだと思っただけだ」
ハルトが思わず文句を言うと、黒谷は首を傾げた。真顔だが、よく見ると目の奥が笑っている。
「さて。次の修行は厳しいぞ」
「はい! 何ですか?」
「単純に走り込みだ」
「うわぁ……」
「リリィを追っていると思うかルナに追われていると思うかによって、タイムも違ってきそうだな」
「黒谷さん……楽しそうですね……」
ハルトはそれからたっぷり数時間、クロムに遊ばれた。




