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第四十四話 死後の世界は魂とともに(後編)

「よし、ここはこれで終わりだ。次はもう一度最下層に行って炎の温度調節……は俺がやるから、お前には新しく来る魂の確認を任せる。その後は執務室に寄って書類を確認。それから下層の……」

「ちょっ……ちょっと待ってくださらない!?」


 ルナは中層の岩の上に座り込んだ。朝からずっと歩きっぱなしで足と翼が痛い。激務だとは聞いていたがここまでだとは思わなかった。


「どうした?」

「貴方には休憩という概念は無いんですの?」

「休憩? あぁそうか」


 そこで初めて気がついたというように、クロムはルナの座っている岩の近くに立った。腰掛けられそうな岩は沢山あると言うのに、自分も一緒に休息を取ろうという考えは無いようだ。


「いつもこれだけの仕事をお一人で?」

「普通だ」


 なんて事ないように言ったクロムの表情を見る限り、本当にこれは彼にとっての通常業務に過ぎないようだ。今地獄はかってないほどの人材不足に(おちい)っている。その事を知識として知っていても実感が無かったルナは、己の認識不足を恥じた。


「人材不足でも地獄は何とか回っていると思っていたのは間違いでしたわ。貴方が、回しているのですね」


 ちょうどすれ違った悪魔たちが空箱を地面に捨てて行くのが目の端に見え、ルナは眉をひそめた。悪魔は本当に品がない。同じくその光景を見ていたクロムは直ぐにその箱を拾いに向かい炎の中に投げ入れる。空き箱は炎に近づくと瞬く間に灰へと変わった。


「どんな仕事も誰かがやるから片付くものだ」

「そうですわね」


 ルナは目の前で勢いよく燃えている炎を見た。罪人を焼く地獄の業火、魂が燃える音を聞くのは気持ちの良いものではない。死者を苦しめるために存在するような地獄のために、自分はどこまで身を削れるだろうか。ルナは肩越しに自分の黒い翼を見た。これが純白だったらと何度思った事だろう。


「地獄は嫌いか?」


 内面を見透かされたような質問に、ルナは顔を上げてクロムを見た。彼の無表情は何を考えているか分かりづらいが、特に怒られているわけでは無いようだ。ならば、とルナは思い切って本音を言う。


「大嫌いですわ」

「そうか。それでいい」


 一個人の感情に過ぎないものだが地獄を否定したも同然の事だ、少しは文句を言われるかと身構えたルナの耳に即答で返ってきたのは肯定の言葉だった。ルナは目を丸くする。彼がこれだけ地獄のために働いているのは、ここが好きだからだとばかり思っていた。


「体質的に地獄が落ち着くのは当然だが、好き嫌いは別だろう。お前ほど地獄を嫌う悪魔というのも珍しいが、実は俺もあまり好きではない」

「意外ですわね」

「そうか?」

「貴方は人一倍地獄のために働いておりますので……その……お好きなのかと」


 (うかが)うようなルナの視線にゆっくりと首を振り、クロムは脳内に尊敬する黒い翼を思い描いていた。随分昔に彼と似たような話をした事があった、あれはいつの事だったか。


「ある悪魔が昔、言っていた」

「?」


 それはルナへの言葉なのか、それとも自分に再び言い聞かせているだけなのか。独り言のようにぽつぽつと話すクロムの言葉に、ルナは静かに耳を傾けた。


「天国も地獄も同じ。死者のため、人間のためにある。地獄の役割は死者を苦しめることでは無い。罪を犯した魂が天国を荒らさないように守る事、そして、(みそぎ)が終わった魂が今度こそ天国へ行けるように願い導く事だと」


「地獄が……人間のため……?」


 ルナは衝撃を受けたように固まった。人間を苦しめる地獄が、人間のために存在する。そんな考え方があるとは思わなかった。憧れてやまない天国。そこに行くことは出来ないけれど、そこにいる魂を守る事が出来るのだ。


 二度と忘れないよう、頭の中で何度も先程の言葉を繰り返す。今この話を聞けて良かった。これから悩み迷った時、自分はきっと何百回何千回とこの言葉を思い出すだろう。


「ありがとうございます」

「ただの受け売りだ」

「誰の言葉かなんて関係ありませんわ。私が今、この話を聞けたと言うことが重要です」

「そうか。良かったな」


 クロムはそれだけ言って、ルナの回復が終わるのを無言で待っていた。やがて二人は再び歩き出す。山積みの仕事は変わらずルナを待ち受けているが、もう激務も苦にはならないだろう。


 誰よりも地獄の事を考えているのに、誰よりも魂の天国行きを願っている。そんなクロムをルナは心から尊敬した。一足先に飛んだ大きな翼を追いかけるように最下層を目指して飛ぼうとしたルナの背に、あれほど嫌だった黒い翼が誇らしげに広がった――――




――――バシャン! 

 

 と大きな飛沫(しぶき)をあげて、瑠奈は湖から顔を出した。すぐに黒い翼を動かし、用意していたタオルで水気を拭く。


(うっ……痛い……っ!)


 顔から、肩から、腕や脚から黒い煙があがる。聖なるオーラに満たされた湖は、彼女にとっては猛毒だ。ジュワッと溶けるように皮膚が(えぐ)れる痛みをやり過ごし、瑠奈は澄んだ湖を恨めしそうに見つめた。


(でも、昨日よりは耐えられるようになったわ……三十秒も(もぐ)れたんですもの)


 ここは人間界の中でもあまり人が足を踏み入れる事のない、聖域と呼ばれる湖だ。昨日ここに来た時には、瑠奈は足の先を付けることさえ出来なかった。成長したとは思うものの、目標までは(はる)か遠い。


(目標の天国はまだ無理ですけれど、連休中に水鉄砲くらいは克服したいですわね)


 当面の目標は水鉄砲。あの聖水はおそらく、この湖と同じくらいの濃度だろう。これに慣れれば平気になるはずだ。


 湖に入り、すぐに出て、身体を拭き、痛みに慣れてきたらすぐにまた入る。しかし聖なるオーラに焼かれた傷はすぐには回復しない。無理な修行を繰り返し、瑠奈の身体はぼろぼろだった。


(痛っ……いいえ、私には痛がる資格もないわ。あれだけの失態を犯してしまったんですもの)


 尊敬してやまない大きな黒い翼。少しでも近づこうと思ったのに、逆に多大なる迷惑をかけただけだった。何より彼が心を込めて作ったケーキを潰してしまった罪悪感で、瑠奈は最近情緒が不安定だ。


(今思えばハルトさんに怪我をさせなくて本当に良かったですわ。シルヴィアお姉様も。でもケーキは本当に本当に……私なんてハルトさんの水鉄砲で消えてしまえば良かった)


 人の心は点数には出来ない。ハルトが言った言葉は、瑠奈の心に響いていた。カウンターシステムが当たり前すぎてそれ自体を疑問に思う事はなかったが、自分の減点が人を地獄に近づけているのだと思うたび、胸が締め付けられるような苦しさを感じていたのは事実だった。


(情けをかけて判断が甘くなれば正確な判定ができなくなる。そう思いこむことで無理に正当化して、いつの間にか、より多く減点することが地獄のためになるなんて……制度自体を否定するなんて考えた事もなかった……)


 天国や地獄の存在すらも最近知ったばかりの少年に、自分の考えの浅さを見抜かれた気がした。彼は人間なのに、もう瑠奈よりも遥かにクロムに近い位置にいる。そして多くの天使たちの信頼をも得て、死後の世界の内情についても深くまで関わっているのだ。


 ただ巻き込まれたというだけではこうはならないだろう。瑠奈はハルトに、多大なる嫉妬と羨望(せんぼう)を感じていた。


(彼には天使に好かれる素質がある。それでいて、悪魔にも偏見なく接することができる。昔のような死後の世界に戻すためには、彼のような存在は確かに心強い。仲良くしておくべきでしたのに、焦ってとんでもない勘違いを……自分の浅はかさが嫌になりますわ)


 瑠奈はこみあげてくる涙をタオルで拭いた。後悔するよりやるべきことがあるのだと気持ちを切り替える。クロムからちらりと聞いた昔の天国と地獄の形は、とても理想的な姿だった。天使と悪魔が手を取り合い、ともに人間の魂のために尽くす。そんな理想を形にするために身を削って働いているその一員に、自分もなりたいのだ。


(受け入れてもらえるとは限らない……いいえ、受け入れてもらえなくて当たり前。でも、最低限こちらの準備を整えてから申し込みに行くのが筋というものですわ。仲間の本拠地にも行けないなんて、お荷物になりに行くようなものですもの)


 瑠奈は湖を再びじっと見つめた。身体中が悲鳴をあげているが、立ち止まっている暇はない。地獄での本来の業務もある中、修行にかける時間は限られている。


(次は一分……必ず克服してみせる)


 瑠奈は目を閉じ気合を入れて、聖なる湖に頭から飛び込んだ。

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