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第三十三話 大志は時には邪魔となる

 新学期が始まって最初の大型連休の初日。ハルトは数日分の着替えが入ったリュックを持って、いつものようにCLOSEDの扉を開けた。今日は天国でのリーダー会議だ。


「おはようございます!」

「おはよう。早かったわね」

「迎えは少し遅れるらしい。来るまで時間があるから座ってゆっくりしてろ」


 迎えとはリリィの事だろう。時計を見たら、待ち合わせの時間にはやや早かった。言われるがままにいつもの席に座ると、すぐにオレンジジュースが出される。すっかりハルトの好みを知り尽くしたシルヴィアの出すものに外れはない。


「連休って言っても、学校は宿題とかもあるんでしょ? 大変よね」

「そうなんですよ。一応持って来たんですけど……」


 天国でそんな事をしている場合ではないかもしれないが、ハルトのリュックの中には連休中に宿題として出されたプリントや問題集が入っている。考えるだけで憂鬱だとため息をついたハルトに、黒谷が手のひらを向けた。


「見せてみろ」

「あたしも理数系と英語は得意よ」


 そういえば医師だったなと、ハルトはシルヴィアを見た。あまり勉強が得意そうには見えないがとつい疑惑の視線を向けてしまったハルトに、彼女は口を尖らせる。


「ちょっと! あたしだってちゃんと医師免許持ってるのよ」

「すいません。つい」


 本気で怒っているわけでないのはわかっている。軽く謝りながら、ハルトは宿題の問題集をカウンターの向こう側に差し出した。付箋の貼っているページをぱらぱらと(めく)り、黒谷が頷く。


「この程度なら教えられる。今のうちに少し進めておくといい」

「いいんですか?」

「解き方を教えるだけだ。自力でやるんだぞ」


 カウンターから出た黒谷がハルトの隣に座る。カウンター席の高い椅子に座っても床に届く足の長さやいつになく近い整った顔面を羨ましく思いながら何気なくみていると、彼の眉が微かに寄せられた。


「ほら、さっさと解くぞ。苦手なのは?」

「数学です」

「じゃあそれからだな。まず解いてみろ、詰まったら教える」

「はい」


 しばらく、ハルトがシャープペンを滑らせる音だけが響いた。合間に入る黒谷の説明は簡潔かつわかりやすく、必要なタイミングで必要なことだけを丁寧に教えてくれる。地獄に学校があるとは思えないが何でも知ってる人だなと不思議に思い始めたハルトを見て、シルヴィアが懐かしそうに目を細めた。


「あたしも医学生時代、そこでよく勉強してたのよ」

「そうなんですか」

「試験前はよく朝までやっていたな」

「あれはきつかったわ……こいつほんとに寝かせてくれないんだもの」

「お前が寝ないと言ったんだろうが」

「過去問で満点取るまで休憩もないのは鬼よね」

「俺は『悪魔』だ。それに、ちゃんと首席で卒業できたろう」

「ほどほどでよかったのよ! 大病院に就職したいわけじゃないんだし、その後の誘い蹴りまくるのすっごく大変だったんだから」

「? 大は小を兼ねるだろう?」

「あんたの(こころざし)とあたしのやる気が釣り合わないっつってんのよ」

「た、大変だったんですね……」


 悪魔の家庭教師がついているシルヴィアの壮絶な学生時代を想像して、ハルトの顔が引き()った。おそらく真面目な黒谷の事だ、試験を受けるなら当然満点を目指すものと疑いもなく、彼女に教えるために陰で何倍も勉強したのだろう。


(黒谷さんに試験勉強の付き添い頼むのは、最後の手段にしよ……)


 しかし特に志が高いわけでもないハルトは真っ先にそう思った。確かに成績は上がるかもしれないが、相当な覚悟が(ともな)う。安易に付き添いを頼む前にしっかり勉強の必要性を自分で理解していないと、大変な目に遭いそうだ。


「とはいっても、俺は本当に付き添っていただけだ」


 そんなハルトの胸中を察して、一応シルヴィアの名誉のために黒谷は補足した。当然自分も勉強はしたが、首席を取ったのは彼女自身のやる気と負けず嫌いの賜物だ。徹夜も実は、過去問で黒谷の方が点数が高かったことにショックを受けたシルヴィアが、巻き返すまで寝ないと宣言したのが発端だった。今の発言を見る限り、本人は忘れているようだが。


「教える必要がないくらいにこいつも理解しているからな」

「当然でしょ。昔から専門分野だもの」

「昔? そういえばシルヴィアさんって人間ではないんですよね?」

「あら。そんな事言ったかしら」

「だって数字がないでしょう?」


 ハルトはシルヴィアの左手を指した。それを見て黒谷がにやりと笑う。


「なんだ。賢いじゃないか」

「そりゃあこれくらいは」

「ふふ、ばれちゃったら仕方ないわね」


 シルヴィアは椅子に座り、ちっとも残念ではなさそうに微笑んだ。


「昔はあたしにも翼があったのよ。天国にも地獄にも飛んでいける、自由な翼がね」


 シルヴィアが感傷に浸るように頬杖をついた。しかし今はない。ということは、やはり元天使か元悪魔なのだ。どちらだろうと推理を始めたハルトの向かい側で、シルヴィアは珍しく身の上話を続ける。秘密主義な彼女の過去が聞けるのは貴重だと、ハルトは気持ち身を乗り出した。


「わけあって人間になったから、人間界で医療を学ぼうと思ったのよ。そしたら人間の身体って思ったより複雑なんだもの。苦労したわ」

「能力で治せるわけじゃないからな」

「異物を出すのにわざわざ切り開かなきゃいけないなんてびっくりよ。あと傷口を糸で縫うのも衝撃だったわ。傷を塞ぐのに傷をつけないといけないなんてね」

「俺は傷なんてそのうち勝手に塞がるものと思っていたがな」

悪魔(あんた)と一緒にするんじゃないわよ」


「あの。シルヴィアさんってもしかして……」



――――チリン


 シルヴィアの正体に心当たりを持ったハルトが確かめようと口を開いたその時。しっかりと鍵をかけたはずの扉のベルが鳴り、三人は同時に階段の方を見た。リリィなら瞬間移動でいきなり二階に来るし、今日は来客予定もないはずだ。


「何かしら……」

「俺が行く。ここにいろ」


 原因を確かめるため、まず黒谷が階段を降りて行った。もしもまた悪魔が侵入してきたとしても彼ならば問題なく対処できるだろう。ハルトも立ち上がって階段の方へと向かい、少しでも様子を知ろうとシルヴィアもカウンターから出てフロアの中央に立った。



(銀髪の女性……ターゲットを確認しました)


 空気に溶けるほどの小声で最後の連絡を残し、少しだけ開いていた二階の窓から透明な影が忍び寄る。しかし階下に意識を集中している二人は気がつかない。姿を消した見えない敵は音もなくフロアに立つと、彼女に向けて長い針を構えた。偵察班から暗殺班になった彼が上司(クレハ)に持たされた強力な毒針だ。少しでも(かす)れば任務は完了する。


(やはり銀髪に数字(カウンター)はない。人間だと思ってたが、悪魔なのか?)


 彼は壁際からシルヴィアを睨むように見た。これ以上は彼女の胸を飾る十字架のせいで近寄ることができないが、彼女が人間の証である数字(カウンター)もなく、翼もなさそうな奇妙な女性なのはこの距離からでもわかる。いや、女性なのかどうかも少し怪しいが、一体彼女は何なのか。


(悪魔だ、きっと悪魔……頼む。悪魔であってくれ……)


 彼は祈った。頭に地獄法第十三条が何度もよぎる。他種族を傷つけると地獄行き(しけい)。しかし、失敗して帰ってもあのヒステリックな上司(クレハ)かマスターに消されるだけだ。


(そうだ! マスター直々の命令なんだ。きっと大丈夫だ)


 銀髪を消せ。そう命じたマスターは、違反をした悪魔を地獄に送る立場の方だ。自らの命を遂行した者を、まさか法律違反で罰したりはしないだろう。そこまで考えたとき、不意に少年の声が響いた。


「黒谷さん、どうですか?」


 階段下にハルトが呼びかけている。その声に驚いて、暗殺者はびくりと震えた。落としそうになる針を慎重に持ち直し、たっぷり毒が盛られた方を改めてシルヴィアに向ける。もう後戻りはできない。


(マスターのためと俺のため。誰かわかんねぇが、死ねぇぇぇ!)


 彼女に個人的な恨みはないが仕方ないと、彼は半ばやけになって、勢いよく針を投げつけた――――



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