第三十一話 才能は突然花開く
「あ。そういえば黒谷さん」
瑠奈の話をしていて色々思い出したハルトは、黒谷に確認しておきたいことがいくつかあることに気がついた。この際色々聞いてみようと呼びかけると、残り物を小皿に詰め替えていた黒谷の手が止まる。
「何だ?」
「あの……ちょっと確認なんですけど」
やはり少し言いづらいな、と前置きをつけると、彼の整った眉が訝しげに寄せられる。他の面々も注目する中、ハルトは思い切った。
「黒谷さんって、僕が死んだ方が地獄での立場的に良かったりします?」
「は?」
黒谷の顔が不快げに歪む。両隣のリリィとルークが同時に勢いよく立ち上がった。
「ハルトさん! 酷いです。どうしてそんな事……」
「師匠がハルト生かすのにどんだけ考えてると思ってんだよ!」
「いやいやっ、それはわかってるよ! 黒谷さんには感謝してるし。ただ傍から見るとそういう風に見えるのかなってちょっと心配になって」
ハルトは慌てて首と両手も振って否定する。一人冷静なシルヴィアが、洗い物の手を止めないままに呆れ顔で言った。
「どうせあの娘にそう言われたんでしょ」
「うーん。まぁ……そうですかね?」
ハルトは曖昧に頷く。黒谷はカウンターに両手をついて怒りを逃がすように細く長く息を吐いた。
「瑠奈は何と言った?」
「ええと……」
「いいから全部言ってみろ」
ハルトは瑠奈との会話を詳細に思い出そうとした。『マスターに相応しいあの方』が黒谷の事ならば、瑠奈は黒谷のためにハルトを殺そうとしたことになる。黒谷がハルトを地獄に落とさない為にどれだけ心を砕いているかはハルトもよく解っているが、第三者目線から見てそれが黒谷の立場を危うくする行為なら申し訳なさすぎる。この機会に全部知っておきたかったのだ。でもその前に……
「強く、美しく、思慮深く。広い視野と決して揺らがぬ信念を持ち、そのためならどんな努力も厭わない」
「うわ、ベタ褒め。でもわかる」
「ちょっと合ってんのがまたムカつくわね」
「クロムさんの事ちゃんと見てるんですね」
「お前らは学校で何の話をしているんだ」
あはは、とハルトは笑って誤魔化した。これを聞いた時の皆の反応を見てみたかっただけだ。しかし当の本人はさらりと流して次を促した。
「で? まさかそれだけではないんだろう?」
「はい」
恥ずかしがる黒谷というのも見てみたかったが、やはりモテる男は褒め言葉も聞き慣れているのかもしれない。ちょっと悔しい、と思いながらハルトも本題に入る。
「僕がいなくなることが黒谷さんと地獄のためになるみたいなことを」
「どうしてでしょうか」
「最近地獄荒れてるからじゃね?」
「そういえば、ライアさんの件があってから悪魔たちの様子がおかしいですよね」
「それで黒谷さん忙しいんですか?」
「気にしなくていい」
「あんたいい加減それ辞めなさいよ」
何でも一人で抱え込もうとするのは彼の悪い癖だ。シルヴィアの真剣な表情に、黒谷は少し考えるような間をおいて話し始めた。
「……ライアの件を、俺が指示したという噂が流れている」
「はぁ!? なんで師匠が!」
「やっぱりねー」
尊敬してやまない黒谷の事実無根な噂にルークが再び腰を浮かせる。対して既に予想していたシルヴィアは冷静だ。リリィが信じられないといった感じで目を丸くする。
「そんな酷い噂、みんな信じるんですか!?」
「それが信じるのよ。ほら、こいつ悪魔に嫌われてるから」
「悪かったな」
揶揄い混じりのシルヴィアの言葉に黒谷が軽く言い返す。悪口でも何でもなく事実なのだから仕方がない。
「じゃあ、武器マニアはその噂を信じて、師匠がハルトを地獄に堕とそうとしたって思ってたって事すか?」
「そうなるな」
「ちゃんと誤解を解かないと危ないのでは」
「大丈夫よ。その辺の話はもうしてあるから」
心配そうに眉を下げるリリィに対し、シルヴィアはひらりと手を振った。あの時のフォローが余程効いたのか、瑠奈は異様にシルヴィアに懐いている。瑠奈の怪我が酷いのかあまり連絡は取れていないようだが、あの日に連絡先を交換して以来、時々やり取りがあるようだ。
「仕事熱心だし、あんたの事も真っ当に尊敬してるし普通に良い子よ。ハルトくんの事は、地獄を守るために必要な事なのかと勘違いしたみたいね」
「ハルト勘違いで殺されかけてんのウケる」
「いや笑い事じゃないんだけど」
「地獄のマスターの命令で来たのかと思っていたので、びっくりしましたよね」
「マスター? なぜそう思った」
「『マスターに相応しい』って言われてたみたいよ」
シルヴィアが黒谷に微笑む。孤立しているとばかり思っていたが、わかる人にはわかるのだ。しかし黒谷は眉を寄せた。彼女はどこまで知っているのか。
「……あいつは勘が鋭すぎるな」
「あたしもそう思ったけど、普通に尊敬されてる分には問題ないんじゃないの?」
「だといいが」
黒谷とシルヴィアの意味ありげな会話を聞いてハルト達は顔を見合わせた。常々思っていたが、このカウンター席を隔ててあちら側とこちら側では情報量に差がありすぎるのだ。仕方ないとはいえ、気になったことはどんどん聞いていかないとますます置いていかれる気がする。
「師匠たちさー。まだおれらに隠してることあるっしょ」
「私も情報共有は大事だと思います」
「地獄のマスターについて、もっと詳しく教えてください」
前のめりで聞き出そうとする三人に、向こう側の二人は顔を見合わせた。少し考えて、黒谷が半分の金印を手に取り三人に見せるように腕を伸ばす。突然見せられた謎のアイテムに全員が首を傾げながらしばらく見つめ、やがて代表してハルトが口を開いた。
「これは?」
「『任命印』だ」
「任命印?」
「あっ、もしかしてマスター権限の任命権に関係あるやつ?」
やはりこういう時に最初に気がつくのはルークである。黒谷は頷いて、半円の欠けた方を指でさした。
「これは任命印。もう一つ、元はこっち側に『改正印』というものがあった。二つ合わせて『マスターの証』だ」
「改正印って、法律の改正権ですか?」
「そうよ」
「それをどうして黒谷さんが?」
「現マスターだからよ」
「「「え」」」
当然のようにシルヴィアは言ったが、三人とも初耳である。しばしの無言状態を経て、ルークがようやく口を開いた。
「師匠……クロム様とマスターだったらどっちがいいっすか?」
「そうですよね。クロム様……今まですみませんでした」
「黒谷様、じゃ変ですよね。僕もクロム様って呼んだ方が……」
「やめろ」
くすくす笑うシルヴィアの横、心底嫌そうな顔で黒谷が三人を見る。おろおろしているハルトとリリィは素かもしれないが、ルークは完全に遊んでいるだけだ。
「でも、そうしたら地獄のマスターって呼ばれてるのは何なんですか?」
「あいつは金印を半分盗んだ不正所持者だ」
「自称マスターね」
「あー。だからマスターを名乗ってる奴って言い方してたんすね」
「正しくはリーダーよ。金印はあくまで不正所持」
シルヴィアは頷いた。金印の正当な持ち主は間違いなく黒谷だ。彼こそマスターと名乗って問題ないはずなのだが、本人が一向に名乗ろうとしない。
「……俺は代理に過ぎない。リーダーと兼任だし、権限も半分しかないしな」
「では、自称マスターさんが持っている改正印の方を取り返さないといけないんですね」
「いや、まずは『天秤』を安全に再起動させることが最優先だ。金印は後でもいい。どうせ奴には手を出せないからな」
「マスターに手を出すと地獄に堕ちると言いますものね」
「正しくは、金印を所持する者を、だ」
「じゃ師匠も自称マスターも、どっちも?」
「殺し合いをしたとすれば、負けた方は死ぬし勝った方は死刑になる」
「最悪ですね」
「ムダじゃん」
「だから直接対決は絶対に有り得ないのよ」
嫌な顔をする三人に念を押すように、シルヴィアが人差し指を立てる。以前も言ったが天国においても地獄においても法律は絶対。いかに法に触れずに目的を達成するかが鍵となる。
「ならめんどいけど作戦立てなきゃっすね」
「さっきも言ったが金印の方は長期戦で考えてる。法改正の必要性も今のところないしな」
「あっちは焦っているでしょうけどね」
「どうしてですか?」
「金印の不正所持は精神を害する。どの程度かはわからんが」
「五百年も持ってるもの。だいぶおかしくなってても不思議じゃないわ」
黒谷はついでに地獄での状況を詳しく話した。シルヴィアは大体予想していたようで時折頷いていたが、ハルト達三人は厳しい顔で黙り込んだ。
「そんな大変なことがあったのに、気がつかずにいたなんて……」
「師匠は一人で抱えすぎだよ。そりゃ、俺らじゃ頼りねーだろうけど」
リリィが自分を責めるように手のひらをぎゅっと握る。ルークの方も、黒谷に頼ってもらえない自分の力不足に対して苛立っているようだった。しかし黒谷は首を振る。
「元からこれは俺の役割だ。確かに最近なりふり構わず仕掛けてきているのを感じるが、仕事が遅れるという以外に困ったことは特にない」
「……それホントっすか?」
「あんた忙しすぎて感覚狂ってんのよ」
「有能な方ってそういう感覚なのでしょうか」
「慣れって怖いですよね」
きっぱりと言い切った黒谷に疑惑の目が向くが、四人は強がりではなく多忙により黒谷の基準がバグっているという結論に達した。大抵の問題を一人で解決できてしまうため、危機を危機だと認識していないに四票だ。
「じゃ、次回のリーダー会議はその辺の話っすね」
「私も色々考えます」
リリィとルークが、自分も役に立とうと決意を新たに顔を見合わせた。すっかり天国に慣れている黒谷とは違い、彼らは地獄に行くことができない。出来ることは限られているが、考えれば何かあるはずだ。そしてそう考えているのは、ハルトも同じである。
「僕も出来る事なら何でも協力するので、言ってください!」
そもそも次のリーダー会議に呼んでもらえるかもわからないが、ハルトは気持ち前のめりで言った。ただの人間に出来ることなど無いのかもしれない。でも、ただの人間だからこそできることもあるかもしれない。
「あぁ、頼りにしてる」
「ありがとう。助かるわ」
「お前マジでいい奴だよな」
「一緒に頑張りましょうね!」
協力は惜しまないと強い視線で告げたハルトを、優しい眼差しが包み込んだ。ここまで深く関わってしまったら、もはや左手に刻まれた数字のことや、死んでからどこに行くかなんて二の次だ。このメンバーとともにいられる今が、とても誇らしい。
「……仲間って良いですね」
「お前は恥ずかしい程ストレートな奴だな」
「あら良いじゃないの。あたしは好きよ」
「ふふ、仲間です」
「まぁ悪くねっすね」
皆の役に立ちたい。皆が運営する天国と地獄を守りたい。そのためにできることがあるのなら、多少の無茶は厭わない。そう決意したハルトをほんの一瞬だけ、強く白い光が包み込んだ。
「えっ!? 今光った!?」
ハルトは立ちあがって全身を確認したが、白い光はもう影も形もない。幻覚だったのだろうかと思い始めたところで、リリィとルークも立ちあがる。
「私も見ました! ハルトさん。お身体は大丈夫ですか?」
「何ともない、ですけど……やっぱ見間違いじゃないよね」
「おれも見た。 師匠たちは?」
「……さあな」
「見なかったわ」
「えー。絶対光ったのに」
ルークが不思議そうに首を傾げる。天使が能力を使うときの光と似ているが、人間が光るというのは聞いたことがない。そのまましばらく考えてみたが、結局謎の光の正体はわからなかった。
「(ねぇ、あれって……)」
「(確証はない)」
そして調理台からその様子を見ていた黒谷とシルヴィアも、ハルトを見ながら短く言葉を交わす。この場で断言することはできないので黙っていたが、あの光はおそらく彼らの知っているものだ。聖のオーラ、善の心、強い精神。選ばれた者だけが持つ聖なる輝き。普通なら歓迎すべきはずだが、手放しで喜ぶには以前の記憶があまりに苦い。
「……次回の会議は長引きそうだな」
あの白い光を受けて出来た傷跡、もう会うことができない白い翼、永い眠りについた黒い翼。押し寄せる様々な感情に蓋をして、黒谷は食後の珈琲を飲み干した。




