第二十三話 むやみに撃つのはやめましょう
「えぇ!? 襲撃されたの!?」
いつも通りCLOSEDの看板がかかっている店の二階。突然現れたハルトから事情を聞いたシルヴィアは、グラスを磨く手を止めてハルトを見た。未だ興奮状態が続いているハルトは、ひとまず立ったまま冷たい水を一気に飲み干してカウンター席の中央にグラスを置く。
「防護壁があったから全然大丈夫だったんですけど、びっくりして……」
「そりゃ驚くわよ」
シルヴィアはカウンター席に腰を下ろしたハルトを観察した。跳ねる鼓動を押さえて息を整えている彼の様子を見る限り、どこにも怪我はないようだ。しかし悪魔に初めて襲われた感想が「びっくりした」で済むとはなかなか肝の座った少年である。巻き込まれたのが彼でよかったのかもしれないと、シルヴィアは密かに思った。
「シル姉ー。今日ハルト……いた!」
「ハルトさん! よかった」
早速詳しい話を聞こうと思ったところで、リリィとルークも現れる。今日は特に何の日でもないのだが、偶然はよく重なるものだ。
「あら偶然ね。ハルトくんも今来たところなのよ」
「僕に用事? 珍しいね」
「そ。ミカエル様からとっておきの武器の貸し出し」
「ハルトさんにぜひ使ってほしくて」
二人は揃ってカウンターまで歩いてきて、ハルトを挟んで両隣に座った。リリィがミカエルから預かったばかりの水鉄砲をハルトに差し出す。しかし、その銀色に輝く銃身を見てハルトは一歩引いた。一介の高校生が絶対に触ってはいけないものが目の前にある。
「それ、銃……? 持ったらすごい点数引かれたりしない?」
先ほどの瑠奈とのやりとりが思い出され、ハルトは躊躇した。そんなハルトの様子を見てシルヴィアが笑う。
「大丈夫よ。水鉄砲だもの」
ぱっと見ただけで正確に言い当てたシルヴィアは、おそらくそれを見たことがあるのだろう。だって、どう見ても銀色の銃は水鉄砲には見えない。ハルトはおそるおそる手に取った。ずしりとした重さがあるのだろうと思ったら意外にも銃は軽く、確かにプラスチックの水鉄砲を持っているようにすんなりと手に馴染んだ。
「これが水鉄砲?」
「そ。国宝だから失くさないよーに」
「こっ、国宝!? 水鉄砲が?」
「悪魔祓いの聖水が入っているんです」
国宝と聞いてハルトの手元が震えたが、落としそうになったところをぎりぎりで掴み直した。国宝が水鉄砲なんてファンタジーの世界でもなかなかないのではと思うが、リリィの説明を聞いて納得する。どうやらハルトは、弾ではなく聖水で悪魔と戦う事になるらしい。
「銃だと人間界の法律違反になってしまうけれど、水鉄砲は大丈夫なんですよね?」
「うん。まぁ、そうだけど」
「そのへん師匠とマスター気にしてたからさ」
「水鉄砲なら職質かけられても言い訳できるわよね」
最後にやけに具体的な話が出たのは、シルヴィアがあちこちで職務質問されているからなのだろうか。確かに長身にハイヒールで堂々と立つ美女の姿はどこにいても注目を集めるだろうが、彼女から事件性や怪しさは感じないのに。そう思いながらハルトがシルヴィアを見つめていると、彼女は笑って首を振った。
「違うわよ。あいつよ」
「あ、黒谷さんか」
ハルトは納得した。確かにどこぞのマフィアのボスと勘違いされてもおかしくない見た目をしている。彼ならたとえ持っているのが水鉄砲だったとしても、警察は見逃してくれないだろう。
「ショクシツって?」
「事件を未然に防ぐために、警察が怪しく見える人に声をかけるんだよ」
「あー。師匠めっちゃ声かけられそー」
「クロムさん、よく誤解されますよね。ライアさんの件もそうですし」
「あれはほとんど幻覚と暗示のせいよ。そういうのが得意な奴が裏にいんの」
シルヴィアは嫌なことを思い出したといった様子で眉を寄せて、三人の目の前に冷たい飲み物の入ったグラスを置いた。今日は自家製のジンジャエールだ。爽やかなソーダの中にピリッと生姜が香る本格派である。
「そーそー、それだよ。俺ら結局黒幕の名前聞いてねーじゃん」
「確かにそうですね。私はクロムさん以外の悪魔とは接点がないので、きいてもわからないかもしれないですが」
「まー知らなくても想像はつくけどね。普通に考えてマスターしかありえないっしょ」
ルークが何てことないように言った言葉に、ハルトの心臓がドクンと跳ねた。マスターに命を狙われている身としては聞き逃せない話だ。隣でリリィも頷いている。少し考えればハルトにだってわかるはずだった。黒谷とミカエルが五百年前から手を出せずにいる相手。だったら、向こうもそれなりの大物に違いないのだ。
「やっぱりマスターだったんですね」
「ねーちゃんとおれが同じ結論になるなんて珍しーじゃん」
「失礼ねっ。私だって考えてるんだから!」
「やっぱりマスターって強いの?」
「強いっつーか……法律の縛り? マスターに手を出すと地獄に堕ちるって」
「地獄に堕ちる?」
言葉の意味がピンと来ず、ハルトは口先だけで繰り返した。悪魔の仕事は人間の魂を地獄に導くことと、地獄の管理をすることだと以前黒谷に聞いたのだ。地獄の管理をしている悪魔が地獄に堕ちるとは何事か。
「悪魔の死刑は魂の地獄行き。つまり罪人と変わらない扱いで、死んでから魂が地獄に堕ちて罰を受けるの」
「うわぁ……」
「サイアク」
「酷いですね」
ハルト達が三者三様に顔を顰める様子を見て、シルヴィアが頷く。正面から戦えば黒谷が勝てるであろう相手と五百年も膠着状態が続いているのは、ひとえにこの法律のせいである。
「法律違反を恐れずに真正面から戦えば、黒谷の方が強いに決まってる。でも天国のためにも地獄のためにも、あいつだけは絶対に失うわけにはいかないのよ。法律は遵守しなくては」
「法律って厄介っすね」
「そうでもないわよ。その法律のおかげで、あっちも手を出してこれないんだから」
「地獄法十三条。悪魔は他種族を傷つけてはならない、ですね」
「でも僕は例外らしいんですよね。だから襲われたんだ」
国宝の水鉄砲で上書きされたはずの記憶が思い出され、ハルトは頭を抱えた。午後の授業をサボってしまったなとか、鞄がまだ校内にあるとか、次学校に行ったときに瑠奈に会ったらどうすればいいんだとか、よく考えたら問題が山積みだ。そんなハルトの様子を見て両隣の二人が同時に立ち上がる。そういえば、リリィとルークに襲撃事件のことはまだ話していなかった。
「ちょっと! ハルト襲われたの!? 早く言えよ!!」
「無事だったんですか!? お怪我は??」
「ないない。防護壁と瞬間移動が助けてくれたからね。ありがとう」
ハルトはにこりと笑ってリリィとルークに礼を言った。実害がないなら、と渋々座った二人とシルヴィアに、瑠奈との詳細を話す。
「実はさ……」
◇
「やべーな。その武器マニア」
ルークが心底嫌そうな顔でジンジャエールを一気に啜った。リリィは心配そうにハルトの顔を覗き込む。
「そんな事があったなんて……怖かったですよね」
「いや。当たらなかったし大丈夫だよ」
「ハルトくんって凄いわよね。普通悪魔に大鎌で狩られそうになったら平静じゃいられないわよ」
「死神が来たかと思いました」
あははと笑うハルトの横で、リリィが青ざめる。全然笑いごとではない。
「それ、マスターの命令なんですよね。ってことは、マスターがハルトさんの命を狙っているって事じゃないですか!」
「僕もそう思ったんだけど、今思い返したら命令とは言ってなかったんだよね。お役に立ちたいって言い方してたから……」
「独断の可能性もあるわよね」
「話聞く限り独断っぽくね? なんか思いこみ激しそーだし」
確かに、とハルトは頷く。というか独断であってほしい。マスターに命を狙われているなんて、さすがに考えたくなかった。いったい地獄のマスターとはどんな悪魔なのだろう。そう思って、ハルトはふと気がついた。まだ地獄の事をほとんど知らない。
「そういえば僕、地獄のマスターもそうだけど、リーダーも黒谷さんの事しか知らないんだ」
「他のリーダーについてですか? 私もあまり詳しくなくて……」
「『破壊の悪魔』『策略の悪魔』『魅惑の悪魔』ってのは本に載ってたな」
ルークが指を三本立てた。破壊の悪魔が黒谷の事なら、リーダーはあと二人。
「その『策略の悪魔』ってのがマスター名乗ってるやつよ」
シルヴィアがさらりと重要な情報を流した。リーダーとマスター兼任という事なのか、それともマスターにリーダーのような二つ名がついているのか。となると、どうやら地獄にもリーダーは二人しかいないようだ。
「じゃハルト襲ったのは『魅惑の悪魔』って可能性ある?」
「魅惑の悪魔……」
ハルトは考えた。瑠奈は確かに美人だし、魅力的な外見をしている。しかし、大鎌をかつぎナイフを投げつけてきたあの戦闘スタイルは、とても魅了を主な能力とする悪魔には見えなかった。
「……たぶん違うよ。凶器の悪魔とかならそうかなって思うけど」
「武器でガンガンだもんなぁー」
数分考え、ハルトはばっさり否定した。実は瑠奈は最初ハルトに魅了をかけようとして弾かれたのだが、その後の武器のインパクトが強くて完全に忘れ去られている。
「じゃ一般の悪魔かしらね。リーダーじゃないならその水鉄砲で一発よ」
「クロムさんには全然効きませんでしたけどね」
「あいつは別枠だから」
「つくづく規格外っすよね」
「でも先輩には効くかもしれないんですよね? あまり自信はないけど、次襲われたら反撃も考えないと」
ハルトはカウンターに置いていた水鉄砲を手に取り、店の中央に向かって何気なく引き金を引いた。いきなり生徒会長を撃つのは気が引けるが、せっかく与えられた武器だ、予行演習に少しだけ試してみたかったのだ。
聖水が水の矢を形づくり、弾丸のように速く真っ直ぐ飛んでいく。誰もいない場所へと撃った矢は勢いよく窓際へと向かいパシャリと弾けるはずが、
「ギャァァァアァァァァァァァァァァァ――――――――」
耳をつん裂くような金切り声とともに黒い煙があがる。煙と声はわずか数秒で消え、予想外の事態に目を丸くした四人の戸惑いの声が同時に落ちた。
「「「「え?」」」」




