表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/104

第二十一話 変な人には関わるな

 とある昼休み。ハルトは人気の無い中庭のベンチで一人、のんびりと購買で買ったメロンパンを食べていた。まだ少し風は冷たいものの今日は陽射しもあたたかく、真っ青な空に穏やかに薄い雲が流れていくのを見ているのはとても気持ちがいい。


(いい天気だなぁ)


 このまま後ろの木陰で眠れたら、どんなに気持ちがいいだろう。ルークだったらやるかもしれないなとハルトは何となく考えた。鮮やかな桃花色が寝転んでいる場面を想像する。


 しかしハルトの想像上のルークはすぐに起き上がって授業の五分前には席につき、めんどくさいと言いつつも積極的に授業も受けていた。たぶん前日に予習もやるだろう。ここ数日の付き合いでわかったが、彼は面倒だからと夏休み初日に宿題を終えるタイプの優等生だ。雰囲気と発言に騙されてはいけない。


(……予習しよ)


 ルークほど賢くはなれないが、せめて今からでも予習くらいしておこう。そう思って空になったパンの袋をしっかり結んでポケットに入れる。ポイ捨ては−10点で意外に重いのだ。少し前にヤンチャそうなお兄さんが引かれているのを見たことがある。


「(今日の問題はちょっと難しいんだよなぁ……そういえば英語も)うわっ!!!」

「きゃあっ!!!」


 校舎へ戻る途中の曲がり角で、ハルトは誰かとぶつかった。ハルトの方は驚いただけで全く痛くはなかったのだが、相手は激しく転倒して地面に膝をついている。


「すみません!大丈夫ですか!?」


 ハルトは急いで駆け寄り手を出した。すぐに白くて細い手がハルトの手を取り、ひとりの女子生徒が起き上がる。軽いな、というのが第一印象だった。


「ありがとうございます」


 相手は華奢(きゃしゃ)な女子生徒だ。(つや)やかな黒髪が高い位置で二つに結ばれ、二本の大きな青いリボンが頭上を飾っている。黒真珠のような大きな瞳がハルトを映し、その少女はいかにもお嬢様然とした品のよさそうな笑みを見せた。


「お手を(わずら)わせてしまい申し訳ありませんわ」

「いえ、すみません! ぶつかってしまって」


 前を見ていなかったのは自分も同じだ。慌てて謝ると、彼女はふらりとハルトの方へ倒れ込んだ。


「え!? あの……大丈夫ですか!?」

「すみません。少し、貧血気味で……」


 ハルトは女子生徒を支え、先ほどまで腰かけていたベンチまで歩いた。隣に座り、助けを呼ぶ必要があるかを考えながら彼女の顔を覗き込む。確かに顔が青白く、手は血が通っていないのではないかと思うほどに冷たい。更に彼女の様子をよく見ると、左手には包帯が巻かれていた。怪我をしたのだろうか、そう思うハルトに、瑠奈が力なく笑う。


「あちこちで倒れてしまって、怪我(けが)が絶えないんですの。お気になさらず」

「そうだったんですね。保健室まで一緒に行きましょうか?」

「いえ、少し休めば問題ありませんわ」

「そうですか……えぇと」

紫藤(しどう) 瑠奈(るな)と申しますわ。この学校の生徒会長をしておりますの」

「会長さんだったんですね」


 噂の生徒会長と聞いて、ハルトは改めて瑠奈を見た。彼女は驚くほど美人だし、確かに病弱だ。とても運動神経がいいようには見えないが、(おおむ)ね前評判の通りである。


「助けていただいてありがとうございます。水島ハルトさん、ですよね」

「え? なぜ僕のことを?」


 急に名前を呼ばれ、ハルトは驚いた。彼女とは初対面だし、学校でも目立たない方の生徒であるハルトの事を知っているはずがない。もしやどこかで会ったことがあるのかと記憶をたどっていると、彼女の手がそっとハルトの胸に置かれた。黒真珠のような大きな瞳がわずか数センチの距離でハルトだけを映している。


「実は、少し前に見かけてから、貴方(あなた)の事が気になっていて……」

「え!?!? ええと、あの……会長?」

「瑠奈とお呼びになって」

「瑠奈……先輩!?」


 ハルトは思い切り動揺した。ここ最近リリィやシルヴィアと親しくしていることもあって以前と比べれば美人に免疫がついているハルトだが、さすがにこの距離から口説かれたのは初めてである。心臓が痛いほど跳ね上がり、世界から音が消えたように自分の鼓動だけが感じられる。黒一色だと思っていた瞳はよく見るとかすかに深い紫色が混じった蠱惑的(こわくてき)な色合いだ。その瞳から、ハルトは目を()らすことができなかった。


「せんぱい……」


 頭がぼんやりとする。まるで(もや)がかかったように、何も考えられなくなっていく。遠ざかる思考を放棄して、目の前の美少女だけを見つめていたい。ハルトがそう思いはじめた時、


 バチッッッ


 という静電気がはじけたような大きな音を合図に、瑠奈の身体が吹っ飛んだ。


「え!? ……え?」

「成程。やはり物理攻撃でなくても弾くのですわね」


 何事も無かったかのように起き上がってきた瑠奈は、スカートの裾についた土を払って姿勢を正した。それを呆然と見ていたハルトは、目の前の空気の壁に短剣が刺さったのを見てようやく我に返る。防護壁(シールド)が発動したのだと理解するまで、少し時間がかかった。


「……瑠奈先輩」

「何かしら」

「つかぬ事をおうかがいしますが、悪魔って知ってます?」

「あら奇遇ね。私もその話をしたいと思っていましたのよ」


 瑠奈の背中に、黒い翼が広がった。左手の包帯が解かれ、数字のない手の甲が(あらわ)になる。やはりカムフラージュだったのかと彼女を見ると、いつの間にかその両手にはいくつもの武器が光っていた。大きな鎌を片手に持ち、もう一方の手には小型のナイフ、更に指の間にいくつもの長い針が挟まっている。


「……死神?」

「悪魔よ!」


 思わず口から飛び出したハルトの言葉に失礼ですわね、と瑠奈は眉を吊り上げているが、大鎌を担いだ姿はどう考えても死神のイメージに近い。


「早く地獄に()ちなさい」


 なるほどこれが悪魔なのかとハルトは半ば感心したように瑠奈を見た。現実を受け入れたくなくて変に冷静になってしまっているともいえる。何せハルトは黒谷以外の悪魔を見たのは初めてなのだ。もしも瑠奈のような悪魔が地獄のスタンダードであるなら、黒谷が天国に入り浸るのも納得だろう。要は、出来ればこんなのとは関わりたくないのだ。


「誰かに見られたらどうするんですか」

「何も知らないのね。羽を広げた状態の天使や悪魔は人間には見えないんですのよ」

「そうなんですか!?」


 初耳である。しかし言われてみれば確かにそうかもしれない。人間が死んだときに必ず天使か悪魔が迎えにきて一緒に天に昇るというのなら、空のあちこちで天使や悪魔が目撃されているはずだ。


「さあ、一緒に地獄に行きましょう」


 音もなく長い針が三本防護壁(シールド)に刺さる。ルークには後でフライドポテトを山盛りご馳走しようと心に決めて、ハルトは見えないはずの空気の壁を見つめた。これが無ければ今日だけで何度死んでいたかわからない。


「お断りします」

「断れるものではありませんわよ」

「僕はまだ死んでいないので」

「今からでも遅くはありませんわ」


 瑠奈が素早く大鎌を振る。ガンッという音がしてハルトの周囲の空気が円状に揺れた。武器を自在に操る能力なのかもしれないと思ったハルトの目の前を、猫のような形の黒い影が横切って防護壁(シールド)に刺さった針を回収していった。もしかしたら、武器の出し入れは使い魔の担当なのかもしれない。


「何もしていないのに地獄行きになるなんて、納得できません」

「いいえ、したのですわ。あなたの行動はまさしく地獄行きに値する行為なのですもの」

「理由を考えず行動だけを評価するのは違うと思います」

「甘いですわね。世の中結果が全てですのよ」


 瑠奈が冷たく言い放ち短剣を投げつけた。空気の壁に刺さった短剣が宙に浮く。もしかしたらそろそろ反撃が必要かもしれないと、ハルトは意を決してそれを手に取った。初めて手に取った武器は見た目よりもずっと重い。これを彼女に向かって振り下ろす勇気は、ハルトにはまだ無かった。


「校内で刃物を握るなんて。千点減点ですわね」

「え」

「刃先を向けたら更に五百点減点ですわよ」

「えぇー……」

「返事のキレが悪いですわ。一点減点です」

「……」

「無視しましたわね。一点減点」


「……瑠奈先輩」


 理不尽に減点され続けて、ハルトはキレた。瞬く間に増えていくマイナス。この数字を初めて見た時から感じていた心の奥のもやもやが、はっきりと形になって現れる。


 カウンターは天秤がなくなって急いで作ったのだと黒谷が教えてくれた。この制度はおかしいがこうするしかなかったとミカエルも言っていた。わかっていてもそれ以外の方法がなかったのだと理解していても、やはり心の底から、ハルトはこの制度が大嫌いだ。


「人の心は点数には出来ない」


瑠奈の黒真珠のような瞳を真っ直ぐに見て、ハルトは短剣を彼女に向けた。瑠奈の瞳が大きく揺れる。本当は彼女自身もそう思っているのかもしれないと感じたのは、都合の良すぎる解釈だろうか。


「あなたがどう思おうと、この制度は変わりません。私は私の立場で仕事をするだけですわ」


しかし動揺が現れたのはほんの一瞬だけ。次の瞬間には、瑠奈は冷静に次の武器を選んでいた。大鎌は既にどこかに仕舞われ、代わりに手裏剣とクナイを何本も手にしている。


「それに、あなたがいなくなる事があの方の望みなんですもの。地獄のために犠牲になっていただくしかありませんわ」


瑠奈は尊敬してやまない悪魔を想った。一言命じてくれたら何でもするというのに、まだ若輩な自分では信用に値しないのかあの方からは何の指示も相談も無く、何故か無能な格下の悪魔が動いていたと知った時のショックは計り知れない。


(でも彼女は失敗した。今こそあの方に使っていただくチャンスですわ)


 売り込み時を逃すものかと、瑠奈の瞳に気合が入る。上手くいけば憧れのあの方の目に止まるかもしれないと、そう思って頬を緩ませる瑠奈をハルトは冷ややかに見ていた。あの方というのがどこの誰のことかは知らないが、要は好きな人にいい所を見せたいだけなのだろう。先程までの真面目な問答は何だったんだと言いたい。


「……瑠奈先輩」

「何かしら」

「動機が不純です」

「うっ、うるさいですわねっ!!」


 手裏剣が五つ飛んできたのは、照れ隠しなのだろうか。効かないとわかったら怖くないものだなとハルトは思った。慣れだ。


「だいたい、悪魔が人間を害したら法律違反になるんじゃないんですか?」

「あなたは書類上自死済みとして処理されておりますので、法律の適用外ですのよ」

「そうなんですか!?」


 ハルトは思わず叫んだ。屋上から落ちて助かった時くらい衝撃だ。まさかの書類上死人扱い……とてもショックである。


「それに、たとえそうでなくても私の魂ごとき、いくら差し出しても惜しくはありません」

「そんなにすごい人の命令なんですね」

「あの方こそマスターに相応しいお方ですわ」

「マスター!?」


 続いてまた叫んでしまい、ハルトは慌てて口元を押さえた。ここに生徒が来ることは滅多にないとはいえ、注目を浴びるようなことは避けたい。気持ちを落ち着かせるように深呼吸をして、ハルトは地獄のマスターについて考えた。いるだろうとは思っていたが、その存在についてはまだ聞いたことがない。今度黒谷に聞いてみなければと思ったハルトの前で、瑠奈が黒い翼を羽ばたかせて宙に浮く。


「強く、美しく、思慮深く。広い視野と決して揺らがぬ信念を持ち、そのためならどんな努力も(いと)わない。あの方の崇高な使命に比べたら、私の魂など血の池に浮かぶ肉片ほどの価値しかありませんわ」


「マスターって凄いんですね……」


 ハルトは強くて美しいマスターを想像した。瑠奈の恍惚(こうこつ)とした表情からも、マスターがどれだけ尊敬されているのかがわかる。悪魔視点での良い男というやつなのだろうか。少し見てみたい気がするが、今まさに命を狙われているという現実を思い出し、ハルトは我にかえった。危ない。


「そんなに偉大なマスターなら、人間の一人くらい見逃してくれるんじゃないですか?」

「あの方が人間を犠牲にするような計画を立てたのなら、それはおそらく熟考の末に下した決断に違いありません。確実に始末しなくては」


 その表情を見る限り、瑠奈は並々ならぬ決意を抱いて来たようだ。ライアのようにやらされているわけではない、力になりたいと自分の意志で、法律違反で死罪になっても構わないとすら言える。その強い瞳を見て、ハルトは短剣を持つ手を下ろした。


「あなたは地獄に連れていきます!絶対に」


 ジャラッ、という効果音とともに、これを両手で持てるのかと疑問に思うほどの武器がどこからか出現する。防護壁(シールド)がどこまで弾くかはわからないが、これは流石にやばいかもとハルトは後ずさった。瑠奈の意志は伝わったが、それとこれとは別の話だ。やはりまだ死にたくない。


「死になさい」


 彼女の大きな瞳が猫の目のように妖しく光る。短剣や鎖鎌が一斉にこちらへ向かってくるのが見える。それらが防護壁(シールド)に突き刺さる寸前。


「死にたくないのでさようなら!」


 中庭に大きな叫び声を残し、ハルトは瞬間移動で消えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ