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第十六話 呼び出しを忘れてはいけない

 天国と地獄を(また)ぐ壮大なロミジュリ騒動から数日後、ハルトは一年二組の教室で睡魔(すいま)という手強い悪魔と戦っていた。


 あの黒い影は途中で姿を消したため、結局黒谷は捕まえることが出来なかった。ライアは数日経っても目を覚まさず、天国で保護されている状態だ。彼女は人間であるハルトに手を出した罰として地獄から追放処分を受けるらしい。本当は悪魔が人間を殺すと死罪になるらしいのだが、ハルトは奇跡的に生きているので追放処分ですんだそうだ。


 しかし、死罪は免れたとしても、悪魔が地獄に帰れないというのは相当辛い事らしい。毎日のように天国に来ている黒谷でさえも、やはり定期的に地獄の空気を吸わなければ落ち着かないそうだ。ライアも、目が覚めたらかなりのショックを受けるだろう。オリバーが支えてくれる事を祈るしかない。


(ふわぁー、眠っ……)


 カツカツとチョークが黒板を打つ。規則的な音と数式がより一層眠気を誘う。


 左手のカウンターは-791067。ライアとオリバーを助けた事での大幅なプラスに加え、リリィやルークやミカエルまでもが加点してくれたおかげで着々とマイナス分は減ってきているが、未だ天国は遠い。まるで借金のようだな、とハルトは回らない頭でぼんやりと考えていた。それにしても眠い。


 ガクッと意識が落ちる。左手が一瞬黒くなり、数字が一つ減った。周りを見渡しても使い魔の姿はどこにも見えないので、どこかに隠れているのかもしれない。


 そういえば、天使の使い魔的なものはいるのか、と以前リリィに質問した時に、天使の方は妖精が手伝っていると聞いた事がある。しかし妖精の方はとてもシャイな上に動きが素早いようで、天使にも滅多にその姿を見せないという。いつか見てみたいものだ。と、授業に全く関係の無い事ばかり考えていた時。


「レオせんせー、ここわかんなーい」

「ん?どれだい?」


 ハルトの前に座っている女子生徒が手を挙げた。すぐに教師が教卓を降り、彼女の手元を(のぞ)き込む。このフットワークの軽さや冗談交じりの分かりやすい授業で、わずか数日にしてこのクラスの担任は女子生徒からの憧れと男子生徒からの親しみを一身に集めていた。


 チラリと、ハルトは目の前に来た浅黄玲央(あさぎれお)という名の教師を観察する。今日も英国紳士のようなダブルスーツに派手な黄色のネクタイが嫌味なく似合っている。真っ白な歯で爽やかに笑う姿はイケメン俳優を彷彿(ほうふつ)とさせ、実はここは学園もののドラマの撮影現場なのではと錯覚してしまうほどだ。


「どうした水島君。君も分からないか?」


 ハルトの視線を感じ取ったのだろう、浅黄がくるりと振り向いてノートを覗き込む。やばい、と隠す暇もなく、ハルトの睡魔との闘いの記録は白日の元に(さら)された。


「ははっ、爆睡じゃないか。放課後準備室に来たまえ」


 気取った言葉遣いも、彼の口からだと嫌味には聞こえない。こんな人の数字はやはり大いにプラスなのだろうと思うが生憎(あいにく)彼の左手はいつも皮の手袋で隠れていた。背筋をピシッと伸ばして教卓へ戻っていく姿を、パリの街角を歩いているように見えなくもないなと思いながら見送る。しかし呼び出されるとはついてない。浅黄はどちらかというと、ハルトの苦手なタイプだった。


「(そーいやさ。会長が久々に登校してきたらしいぜ)」


 隣の男子生徒が小声で言った。今日仕入れたばかりのニュースを、休み時間まで待てないとばかりに良いふらす。「会長」とは、この高校の生徒会長の事に他ならない。どうやら病気がちのようで長らく来ていなかったのだが、今日は久しぶりに登校してきたようだ。


「(えー! 会長様ってあのすっごい美人ってうわさの? 本当にいたんだ)」

「(優秀すぎて、休みがちなのに去年からずっと会長やってるんでしょ?)」

「(すごいよね。授業出てないのにテストも全部満点だって)」

「(運動神経もめっちゃいいらしいよ。病弱なのに)」


 どんな会長だ、とクラスメイトの会話を盗み聞きしていたハルトは思わず心の中で突っ込んだ。ハルト達一年生は、入学式すら欠席した会長を一度も見ていない。上級生から仕入れた噂話だけが彼女を知る手段だが、相当すごい人物らしいことしかわからなかった。


「そんなに彼女が気になるのかい?」


「うわっ、先生!」

「びっくりしたぁ」

「彼女のように賢くなりたいなら、この問題を解くといい。あとこのページもね」

「せんせーさいあく」


 浅黄は無駄話をしていた生徒全員に宿題を追加した。彼は生徒と友だちのように気さくに会話するが、意外にも授業には厳しい。


「さ、授業は終わりだ。このまま帰りのHRやっちゃって、ちょっと早く解散しようか。たまにはそれくらいいいだろう」


  浅黄が片目を(つぶ)ると、教室から歓声があがった。飴と(むち)の使い方が上手いのがさすがだなと思いながらスマホを取り出したハルトの目に、怪しいメッセージが映る。


『ガッコーおわった?至急店来て。ねーちゃんやばい、もうむり。めんどいけど五百点くらいあげるから』


(まさか、リリィさんに何かあった……!?)


 どこからどうやって送ったのか。画面いっぱいに表示されている文章に差出人の名前は書かれていないが、ハルトにはこれが誰から送られてきたものかすぐにわかった。鮮やかな桃花色を思い出し、急いで帰りの支度をする。まさか、リリィが何か危険なことに巻き込まれてしまったのか。とにかく早く店に行かなければと焦るハルトの脳内から、浅黄の呼び出しの件はきれいさっぱり消えていた。


       ◇


 瞬間移動で店の裏側に移動し、ハルトは急いで店の扉を開けた。てっきり何か事件があったのだろうと思ったのだが、意外にも店内はカップルや若い女性客で(にぎ)わっている。ショーケースには色とりどりの繊細な細工のケーキが並び、その横でレジを打っていたリリィが陽だまりのような笑顔を向けた。


「ハルトさんっ!」

「リリィさん! よかった!」


 どうやら無事だったようだ。それにしても心臓に悪い呼び出し方だと思いながらリリィの笑顔を見て心を落ち着かせていると、隣で若い女性にケーキの入った箱を渡していたルークが、エプロンを持って足早に近づいてきた。


「やっと来たー! 代わって。めんどいけどドリンク作れるの今俺しかいねーし」

「えっ」

「ねーちゃんすぐお釣り間違えるから、ちゃんと見てないとやばいよー」


 ぐいぐいと白いエプロンを押し付けられ、ハルトは戸惑いながらショーケースの裏側へ入った。ルークはお役御免とばかりにスタスタと階段を上り姿を消してしまう。


「ハルトさん、ごめんなさい。ルークが急に呼び出して……」

「いえ全然」


ここに来るまでの短い時間でいろいろ想像したが、まさか店番のヘルプだったとは予想外だ。バイト代がわりに五百ポイントもらえるという事だろうか。やはり自由裁量部分が大きすぎるのではとカウンター制度の穴について考えながら、エプロンを素早く身につける。後ろ手で紐を結ぶと、すぐに順番待ちをしていた若いカップルからの呼び掛けが聞こえた。ハルトはショーケースに向き直ると、注文されたばかりのケーキを慎重に箱に詰めていった。


「はい。お釣りになります」

「リリィさんこれも」

「あっ、すみません!こちらと合わせて、えっと……」

「リリィさん。レジ打ち直した方が」

「はい!」

「あ、そこじゃない。こっち」

「え?」


 ルークがわざわざハルトを呼び出したわけは、すぐにハルトにも分かった。原因はリリィの壊滅的なレジ(さば)きだ。とにかく遅い、そしてミスが多い。なのにクレームが一件もないのは、リリィが可愛らしい笑顔で客の心を(つか)んでいるのと、隣でハルトが必死にフォローしているからだ。先程まではルークが頑張っていたことを考えると、あのメッセージも納得だろう。


「……リリィさん」

「はいっ!」

「レジ、代わりましょうか」


ハルトはにっこりと優しくリリィをレジから引き離した。リリィはまだレジに未練があるようだったが、代わりにケーキを箱に詰める作業をお願いすれば、スピードは緩やかながらも丁寧に化粧箱に並べていく。もともとケーキが大好きなリリィだ、種類を間違えることも無い。会計をハルトが代わったことで流れが幾分(いくぶん)かスムーズになり、なんとか最後の客を見送った時にはもう空は茜色に染まっていた。


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