果てに見たそらいろ
なんちゃってスペースオペラです。
設定ゲロ甘な上に何番煎じだよ感溢れる話ですがさら~っと流して「あるある」と読んで頂けると幸いですm(__)m
灯火管制の所為で薄暗い作戦会議室の、冷たい机の上に誰かが突っ伏している。重いエアーの音を立てて開いたその扉から、その突っ伏している「誰か」を探していたラスロ・ファンデルク少佐は、そっと近づくと肩を竦めた。
お疲れですね、と心の中で呟き周囲を見渡す。
灯火管制の他に、燃料の消費を極力抑えるために、艦内は省エネモードに移行している。寒くはないが、ひたひたと端から冷気が忍び寄って来るのを感じ、一時の休息をとる彼女の為に、何か掛けてやれるものはないかと探したのだが、あいにく暖を取れそうなものはない。
部屋に戻って寝るのが一番なのだろうが、拠点奪還の為に派遣された自分達第三星間艦隊が、その任務に苦戦し、日数が経てば経つだけ、細い肩に重責を負う彼女の気苦労が増えて行くのも知っているから、おいそれと「部屋に戻って休め」とも言えなかった。
恐らく自分が「艦長」として、あるいは「艦隊指揮官」としてここにいたのなら、全く同じ「愚行」を繰り返していると思うし。
(けど、まあ……うん)
さすがに標準時刻で三日も一進一退を繰り返していれば、精神的な消耗ももちろん、物質的にも危うくなってくる。補給艦隊が来るまであと二十時間。小隕石群に身を潜めて息を殺している今この時くらいしか、彼女が休める時もないだろう。
そう考え、意を決したラスロは机の上に突っ伏す彼女に、極力足音を押えて近づいた。
そっと背後から手を伸ばし、ぽんと肩を叩こうとして。
「!?」
がばっと飛び起きた彼女が、流れるような動作で腰のホルスターから拳銃を引き抜き、ラスロの顎の下にぴたりと押し当てた。
「ッ!?」
一瞬だけ彼女の綺麗な空色の瞳に、鋼色の殺気が宿る。だがそれは一瞬で霧散し、椅子を倒して立ち上がった彼女が大急ぎで一歩飛びずさった。
「ファ、ファンデルク少佐!?」
「すみません、寒そうだったので起こそうかなと」
両手を上げてラスロは敵意のないことを示す。その姿をまじまじと見詰めた彼女は、はっとして構えていた拳銃を降ろした。
「い、いえ……私の方こそ申し訳ない」
額から零れ落ちた髪を撫でる。結い上げた黒髪の、目の前の小柄な……だがその実、自分の倍はある体躯の軍曹や少尉たちを投げ飛ばせ、更には射撃の腕では誰もかなうものはなく、更に更に東洋の剣術に秀でて、今や継承者が少ない抜刀術が使える、我が第三星間艦隊・旗艦アルタイル艦長、ユイナ・タチバナ中佐は白い首まで真っ赤になっている。
その様子に、ラスロは出来る限り軽薄に見えるようにへらりと笑って見せた。
「いえいえ……俺みたいな野郎どもと若い頃から密閉空間で寝食共にしてましたら、それくらいの防衛反応はしますよね。声がけせずに触ろうとした俺が悪かったであります」
更には敬礼をして見せれば、数度瞬きをした綺麗な空色が、ふわりと春のそれのように、和らぐ。
「すまない……」
言ってから、タチバナ中佐は深く溜息を吐き、スリープ状態に陥っているタブレットに苦笑する。
「でも、確かにそうだな。こんな所で寝ているくらいなら、部屋に戻った方がよっぽど建設的だ」
固まっている腕やら首やらを動かし、歪んで乱れた髪に手を伸ばす。
そんな気恥しそうな彼女の、薄く赤く染まった白い頬に、一本、タブレットの跡が残っていて、ラスロはこりもせずに無意識に手を伸ばしていた。
「そうですね、こんな所に痕が付いたままでは、部下に示しが」
その瞬間、ラスロは宙を舞っていた。どしん、という音と共に背中から綺麗に落ちた彼を、殺る気満々の鋭利な鈍色が掠め、そののち、はっと大きく見開かれた瞳がみるみるうちに真っ青になる。
「す、すすすすまない、少佐ッ!」
あわわわわ、と跪いて見下ろしてくる、真っ赤になった彼女の顔を、何とも言えない表情で彼は見上げるのだった。
ひっきりなしに警告音が鳴っている。
どれくらい意識を喪失していたのかわからないが、揺れる視界に映るメインスクリーンはどれこもれも真っ赤だ。
駆動系、制御系はどこもかしこもダメージを受け、だが一応は自動修復が機能し、必死にグリーンに戻そうとしている。
主砲は辛うじて生きてはいるが、他の火器は弾種や兵装を選択できそうもない。
補給のために小隕石群に潜んでいるのを敵側に見付かり、連中に本体に戻られる前にと制圧するべく、ラスロ達艦載機が出撃した。
勝てる戦闘だった。
捕えたレーダーが解析した敵側が、民間機とその護衛船だと認識するまでは。
(失敗したな……)
怯んだ。民間人だと。
だが少し考えればわかることでもあった。
ここは作戦宙域で、民間機が航行するような場所ではない。それでも、非武装を示す旗印を見てしまえば……咄嗟には動けない。この宙域に現れたものは、自軍を示すもの以外は殲滅するという冷酷無比な考えならば、何のためらいもなく撃てたのかもしれない。
だが、それが出来なかった。
できないくらいには……ラスロは「人」だった。
挙句、撃墜される一歩手前まで来ているのだが。
民間機と護衛艦に偽装した敵・斥候部隊は未は、釣りだした本艦であるアルタイルと交戦中だ。自機は右舷に被弾し、上手く飛べない。そのラスロの機体の回収に戦力を裂く暇もないだろう。
真っ暗な世界に花開く、爆発の火花。あかいあかい、血にも似た色。
見ながら、ラスロはざっと自機の状況を確認する。それから近くて遠い、あの細身の艦長が戦う宙域へと視線を遣り、大きく息を吐いた。
彼の鋭すぎる銀色の瞳が、ついっと目の前を過った、自機の倍はありそうな小隕石を捕えた。
「お前は馬鹿なのか!?」
医務室に運び込まれたラスロを見下ろし、ユイナは全身を震わせる。破損したコックピットの所為で肩から胸へと裂傷を負い、縫合され安静を誓わされた男は、その銀色の瞳を濁らせること無くへらりと笑った。
「いやぁ~……自力で戻るにはあれしかないかなと」
「だからって、あんな真似で、更には敵陣の真っただ中を突っ切って着艦するなんて、馬鹿としか言えないだろうがッ」
べしり、と無事な額を叩けば、ラスロはあはは、と乾いた笑い声をあげた。
「でも死ななかったデショ?」
にこにこ笑う、銀髪に銀目の男は、女性士官にとりわけ人気だ。
戦闘機を操る腕は確か。容貌はイケメン。更には誰にでも優しいとくれば、老若男女、そのすべてが魅了されるというものだ。
だがユイナは知っている。
それが彼の「武装」であり、自分の中に抱えている「虚無」や「衝動」をそうやって誤魔化しているのだと。
彼の心に巣食っている、冷たくて暗い固まり。
あいしたひとを失ったという、埋めがたい記憶。
「死ななかったのは単なる結果だ。……あなたは結局……『死んでもいい』と思っていた」
気付けばユイナはそう、口にしていた。うるんで何も映していないような、非常に美しい銀色の瞳が大きくなる。
そのどこかにぴしり、と亀裂が走るのを眺めながら、ユイナはさらに続けた。
「あなたはいつも、どこかで世界に一線を引いて、深くかかわらないようにしている。二度と失わないように……失った時に壊れないように、何も望まないと決めたのだろう」
だからあんな真似も出来るのだ。
小隕石に自機の背後を預け、主砲を撃った推進力で真っ直ぐに。主電源を切った状態で、敵機のレーダーに感知されないように。慣性だけで戦場を突っ切り、旗艦の前まで速度を落とさず突っ込んで。
唐突に目の前に現れた機体に、驚く敵艦載機を彼は主砲で薙ぎ払い、その慣性航行のままアルタイルのカタパルトに突っ込んできたのだ。
一歩間違えば艦砲の前に散っていた。
確率は五分もなかった賭けだ。
それを選んでもなお、笑う彼はきっと、自身の生を諦めているとしか思えない。
きっと桜色の唇を引き結び、それからユイナは怪我人であるラスロのその怪我をした肩を掴んだ。
「ッ」
痛みに彼の表情が曇り、顎の辺りが呻き声を堪えるように強張る。
「痛いか?」
冷えているのに、どこか熱を孕んだ声が出た。心の何かが震える。無言で見上げる銀色の瞳が、苦痛に歪んでいた。それが肉体的なものではないと、ユイナは知る。
心を暴かれるのは誰でもいい気はしない。上官であり、女性であり、年下であるユイナに対し、その衝動を抑えるべく、どうにか自制心を総動員するラスロを見下ろしながら彼女は口の端を吊り上げて笑った。
「結局、痛いんだ。何をどう守っても。生きている限り。だから死にたいと、少佐は言うのかもしれないな。楽だものな、痛みもない……葛藤も苦悩もない、なにもないせかいは」
けれど、とユイナは歯を食いしばる男に顔を近寄せる。
「だが、貴方が葛藤も苦悩も捨て、そこに向かう限り今度は私が痛い」
びくりと、抑え込むラスロの身体が震えた。亀裂の入った銀色の瞳を見返し、ユイナは、東洋の春に咲く花が散るように微笑んだ。
「あなたは私に……あなたと同じ、黒い穴を背負わせるつもりか?」
それはある意味脅迫で、そんなこと知るかと叫んでも文句は言われない、強引な物言いだが。
銀色と空色に何故か同時に、桜色のさざめきが過った。
風に舞い散る、桜吹雪のように。
「それを良しとするのか、あなたは」
しん、と落ちたその言葉に、ラスロは返す言葉が無かった。
例の釣り出し作戦を乗り切り、奪取されていた拠点の奪還に成功。第三星間艦隊は一路、テラへと戻る。
後部デッキで遠のいていくのか、それともむかっていくのか、そのどちらなのか判断のつかない、真っ暗な中の瞬かない光点の散らばりを見詰める。まるでベルベッドに零した白砂糖のようなそれ。
そこに吸い込まれていくような気になりながら、松葉づえに体重を預けるラスロは、目を伏せた。
しん、と落ちた彼女の言葉が耳に蘇る。
──……だから死にたいと、少佐は言うのかもしれないな……。
(図星だな……)
もちろん死ぬ気はない。だが……死んでもいいかもとは思っていた。
抱えている黒い穴。なるほど、大正解だ。
それを、負わせたいとは思っていない。誰にも。その為に、誰とも親しくならないでいたつもりだった。
でもそうかと、伏せていた目を上げて、彼の瞳が吸い込まれそうな真っ暗なベルベッドと粉砂糖を見詰める。そこに広がる暗い世界はどれも平等で、ラスロが抱える痛みもそれを嫌う心も何もかもを飲み込んで無に帰してしまう。
それでいいんだと思っていた……黒い穴を背負わせるつもりなのかと、言われる前は。そこに還る道を選んでも。
でも……。
「まだ死ぬつもりだというのなら、次の作戦では外すぞ」
冷ややかなのに、どこか熱を孕んだ声が背後からする。振り返る前に、タチバナ中佐が隣に並ぶ。
ぴんと背筋を伸ばした彼女は、視線をよこすラスロを見ない。いつもはきっちりと結われている髪がどこか歪み、更に目元がやや赤い。その様子に、中佐が随分と心配したのだと気が付いた。
身なりを整える間もなくここに駆けつけて、赤い眼のふちは泣きそうなのを必死に堪えた跡なのだと……考えてもいいだろうか。
うぬぼれてもいいだろうか。
「──流石に、ああ言われてまだ死ぬ気です、なんて言えないでしょ」
軽く笑ってそう告げる。見詰める先で、中佐が奥歯を噛み締めるのが、強張った顎のあたりに見て取った。
「そうか」
声は掠れて震えていた。
ああ、後悔させてしまったと、ラスロの胸がきゅっと縮む。恐らく中佐は、ああいってしまったことを後悔している。
あいしたひとをなくして、自棄になっているのだろうと。
そう指摘して、恐らくは自らも傷付いたのだろう。
彼女はそういう人だ。
それがわかるくらいには、自分が中佐をよく見ているのだとラスロは気付いた。ちょっとした彼女の変化に気付くほどに。
「……何が距離を取っている、だよ」
「なんだ?」
「いや」
彼女の空色の瞳がこちらを向く。東洋の血が入っているらしい彼女は細く可憐で小柄な体型なのに、うちに刃を秘めている。その、鋭利で美しいものに、自分は魅せられていて……それと同時に酷く憧れ、惹かれていたのかもしれないとふと気が付いた。
心の奥の奥で諦めていたこと。
この人の傍にいれば……最後まで生き残れるのではないかという、そんな願望。
光り輝く白銀の強さ、とも言うのだろうか。
「タチバナ中佐」
言葉が零れ落ちる。
「──俺を……おいていかないでくれないか」
かすかに零れ、誰もいない後部デッキに、その声はすとんと落ちた。中佐が目を見張る。その空色をじっと見詰めていると、彼女がふわりと春風が香るように微笑んだ。
「おいていくわけがないだろう。私を誰だと思っている」
「常勝姫ですかね」
「そうだ」
作戦宙域での戦闘で負けたことがない、刃の如き姫君。今回の作戦で、その武功が一つ増えた。
「……傍に……居ても?」
松葉杖を掴んでいない手が、知らず彼女の冷たく握られた拳に触れた。はっと身体を強張らせ、だがラスロの揺れる銀色を見上げて彼女は胸を張った。
「むしろ傍に居ろ。……それだけで良い。それだけで……」
護ってやれる。
約束を違えることなく。
未来へ。
真っ暗な世界で、見えた空色に、ラスロはどこか救われたような気がした。
綺麗で淡く、柔らかな水色は、彼女の瞳と同じ空色。そこに浮かぶ羊雲を見上げて息を吐き、それからラスロは視線を戻すと固い石のレリーフに手を伸ばす。ひやりとした感触に胸が痛む。
ここに刻まれている名前だけが、彼女の姿形を残したものだと思うと酷く……虚しい気持ちがした。
それでも、ここにしか彼女を伝えるものがないならと、背中を蹴られ……いや、押されてここに来た。
「──……えっと……」
「彼を連れて帰りましたよ、大尉」
言葉に詰まるラスロの横で、柔らかな春色のスイトピーやフリージア、ラナンキュラスなどがふわりと春の風に揺れながら、彼女のレリーフの前に置かれる。しゃがみ、東洋風に手を合わせたユイナが声に出してはっきりと告げる。
「ラスロは私が責任をもって寿命を全うさせる。だから……安心して欲しい」
それから、と語を繋ぎ、彼女はこほんと、咳払いをする。視線を落とせば、ユイナの耳が赤く染まっていた。
「彼と生きることを許して欲しい」
掠れ、裏返り、みっともないほど震えていたが、そう告げるユイナにラスロはじわじわとくすぐったいものが胸の奥からこみ上げてくるのを覚えた。
むずむずしたまま、ラスロは裏声で告げる。
「幸せにしないと許さないわよぉ」
ぎ、と人一人射殺せそうな──そしておそらく、手を掴んでぶん投げられれば、レリーフに後頭部をぶつけて確実に死ぬ──眼差しを向けられ、大急ぎで明後日の方を向く。
「……少佐」
「何でしょうか、中佐」
「…………………………まあたしかに」
長い沈黙ののち、観念したようにユイナが告げ、彼女が立ち上がった。それから腰に手を当てて仁王立ちし、ふっととてもカッコよく笑った。
「そうだな、私は生きている限り、あなたを幸せにしないと大尉に顔向けが出来ないものな」
それは俺にも言えることですよ、ユイナ。
そんな台詞を、きっと上官は望まない。だから言わない。
でもただ一つの己の誓いにした。
やがて二つの影がゆっくりと、空いっぱいに広がる桜色の中に溶けて消えて行った。
繋いだままの手を意識しないままに。