表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

大人

作者: 桜木 彩音


 忘れたくても忘れられないこと、

 傷つくよりもっと深くわたしに刻み込まないで。





 オリーブオイルとニンニクの、香ばしい香りが部屋に満ちていた。

 度数37%のジンを口にしたせいで、わたしの意識はもう朧げになる。

 お酒の味とニンニクの香りと、彼の部屋にいるわたしはふわふわと酩酊していくのがわかった。

 背後でわたしを抱きしめる温度に、余計、物事の分別がつかなくなる。


 「手、綺麗だよね」


 言いながら彼はわたしの指を一本ずつ撫でた。

 乾燥した感触が心地いい。


 ハロウィンの仮装で着たナース服をもう一度着てほしい、と彼に言われたのは数日前だった。

 彼の部屋でアヒージョを作り、お酒を飲みながらその衣装に包まれたわたしは、まんまと彼に抱きしめられている。

 比較的アルコールに強いはずなのに、今日は酩酊していて、ぼうっとわたしを上から眺める彼の目を見つめてしまう。


 「ねぇ、酔ってるでしょ」


 軽く笑いながら彼は言った。


 「酔ってない」


 酔ってるかもしれない、と思いながら呟いた。

 

 「うそ、目がとろんてしてる」


 もう彼は笑っていなかった。

 幅広二重の綺麗な茶色い目がじっと私を見ている。

 吸い込まれるようにわたしもそれを見つめた、綺麗、


 「顔が好き」


 言葉が勝手に口をついて出る。

 熱に浮かされているようだ。


 「おれの?ありがと、今日は特別かわいいよね」


 真剣な顔をしないで欲しかった。

 彼の顔がゆっくりわたしの首元に埋められる。


 唇が、薄い皮膚に押し当てられる。


 柔らかさに、温度に、何の区別もつかない。

 脳内はゆらゆらしていて、ただ人の温度が心地いい。



 「ねぇほんとにかわいいね」


 「なにが、」


 ふふふ、て訳もわからず笑ってしまう。


 「かわいいよ」


 そう言って、じっと目を見つめられるから、思わず瞼を閉じた。


 ばかだった。


 ゆっくり唇が重なるのがわかる、

 柔らかいしふわふわしていて、

 わたしの何かが飛んでいくのがわかった。


 ただのキスじゃないのもわかる。

 優しく食まれて、まるでわたしの全部食べられていくみたいな。


 ゆっくりそれに答えながら、

 意識はただ水面をゆらゆらする。


 ゆらゆら、ゆらゆら、


 彼の手がわたしの肩より下に触れた時に、弾かれたように目を開けた。


 「えっだめでしょ」


 一気に意識が戻ってくる。

 肩を押された彼は不満そうな顔でこちらを見ていた。


 「待って、これだめでしょ、

  他の人たちと同じじゃん」


 今まで欲望のままに、わたしを貪ってきた男たちと。

 目の前にいた彼が唐突に遠くに行ったように感じた。

 ゆっくりと、わたしは物理的に距離を取る。


 「もう、こない、会わない」


 暗黙のルールだった。


 手を出さないこと、出されないこと、

 わたしの中の青さが劈くように叫ぶ。

 なんで目を閉じたのって。


 「どうして」


 彼の渇いた声が、響いた。


 「他の男と一緒じゃん、

  そうじゃなかったからきてたの」


 だめ、声が冷たくなってしまう。

 

 彼が、泣き始めるのを見た、

 小さく肩を落として。


 「ごめん、」


 見ないでって。



 「ねぇ、謝らないでよ、

  なんでわたしがここにずっときてたと思ってるの」


 衝動だった。


 「あなたのことが好きだからだよ」


 彼の涙の浮いた瞳が、

 じっとわたしを見た。


 「ごめん」


 俺は、誰も好きじゃないから、と。


 口から溢れた言葉を、

 わたしはわたしの中に密閉する、

 わかっていて口にしてしまったのはわたしのほうだ。



 早く忘れたかった、

 今すぐここから逃げ出して。

 蕩けるほど柔らかい温度を、

 自分の体にとどめていたくない。



 なんで好きな人とするキスはこんなに優しいんだろう。



 彼が、わたしのこと好きじゃなくても。


 お酒とタバコとこの関係も、

 大人じゃなきゃ起こらなかったこんなミスも。


 酔いが覚めていく頭で必死に理性を繋ぎとめた。


 彼の部屋には、わたしと彼しかいないのに。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] わかっていても陥って わかっていても拒んでしまう それは“おとな”の両側なのしょうか?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ