百ー汽車の僕らとテラリウム
ここは草木が暖かい風に吹かれてなびき、鳥たちがさえずる平原。
遠くには絵本に出てくるような、赤レンガでできた煙突屋根の家が立ち並ぶ町があり、もくもくと白い煙を上げている。家のそばでは子供たちが走り回っていて、平和を体現するのなら、このような場所だろうと思えるほど長閑なテラリウムだ。
テラリウム、それはガラスのようにきらめく膜に覆われた球体で、それが何百、何千、何万個と宙に浮かぶ世界に僕たちは暮らしている。
もともと星の上、地上という場所に住んでいたらしいけれど、生き物を飲み込んでしまう灰のせいで住めなくなってしまった。
堅そうにみえて、子供が引っ張るだけで破れてしまうほど柔らかく、膜が破られてしまったら、形を保てなくなり、星からあふれ舞い上がっている灰に隅まで滅ぼされてしまうため、特殊な仕事についていなければ近づくことも禁止されている。
そんな長閑なテラリウムの空気を食い破るように、異質な存在が近づいていく。
空気を切り裂くような金属のこすれあう音、憤りを感じさせる力強い蒸気を吹き出す音、紙や木に近い油を燃やした時ようなにおい、雷とも思えるような叫喚。
四両もの機関車を使い、重連運転にてたくさんの貨物車を引き連れた汽車だ。
いくつもの犠牲をはらって膜を破らず通り抜ける技術、テラリウム間移動する方法、を研究し創られた存在。
みんなに命の結晶と呼ばれているその汽車は、積み荷を載せ、運び、降し、基本的には絶え間なく移動している。
テラリウムごとに環境が違うため、生活に必要なものを届けるためだ。
貨物車には窓がないため、運転席へ移動して手に持っている紙束を落とさないよう、気を付けながら上半身を乗り出し外の景色を眺める。
冷たくも暖かく、心地よい風につい体を預けてしまいそうになる。
そのままでいると ゴンッ と少し鈍い音ともに痛みが頭頂部を駆け抜ける。
錆びたブリキの人形みたいに ギギギッ と音が出そうなほどゆっくりと首を、音を出した原因から伸びるたくましい腕にそって回していく。
そこには運転手をしている、ワークキャップをかぶり煤だらけになったツナギを着た筋肉質の漢、身長は2mほどありそうな親方が、にっこりと不気味な笑顔を浮かべて鼻息を荒くしていた。
冷たい汗が背中を走る。鼻息が荒いときは、何かしら僕が悪いことをしたときか、機嫌が悪いときだけだ。
《おいお前、仕事はどうしたんだ?うん?》顔は笑っているけれど、明らかに笑っていない声が怖さを増している。
「い、いちおうお、終わりましたけど…」出来るだけ冷静に、しかし震えてしまった声で答えた。
積み荷がちゃんと積まれているか確認する紙束に目を落とす。
直後、すこし薄く感じていた紙束にじわじわと汗が染みる。
親方は、おそらく僕を叩いた思われるスパナを持った手とは反対の手に、紙束をつまんで揺らしていた。
《今お前が持っている分は終わっているんだろうな、「お前が持っている分」は》親方は強調して言う。
明らかに背中を走る汗が増えた。
確かに今までの中で確認する量が明らかに少なかったけれども、積み下ろした量が少なかいから早く確認が終わったと甘い考えをしていた自分を呪いたい。
もうほとんど時間がなく、増えた(見逃していた…)分を駅に着くまでに終わらせるため、親方から紙束をひったくるように取り貨物車へ走って向かう。
背中から親方の深いため息が聞こえた。
駅に着き、再び先ほどよりも大きい汽笛が響き渡る。僕は運転席の冷たい床に転がっていた。
この汽車はとにかく長い。機関車が四両で牽引しているのだから、それはもう往復なんて考えたくないほどに…。
今回もしっかりと積み荷は確認でき、駅に着く前に報告をするために走った向かった結果がこれである。
立ち上がろうとしても生まれ立ての子鹿のように足が震えてしまい立てないのだ。
だけども、親方に首根っこをつかまれ無理やり立たされる。
《今回はなんとかなったからいいが…、次からはわかっているな?》
「はい…」ドスの効いたその声に、か細く返事することしか許されなかった。
親方は手を放し、計器類の確認をする。つまり、僕は落下する。油のにおいが染みついた床に打ち付けた体が痛い。もうちょっと優しくしてくれてもいいのにと思うが、親方なりの優しさであるとわかっている。
しばらくそのままでいて、足が動くようになったあと、転がったワークキャップをかぶり直し、心が安らげる積み荷をやりとりしているこの時間、ちょっとお散歩に出かけた。
降りてすぐに目がつくこの駅は、最低限積み下ろしができるようにしただけの線路とトロッコ、そして屋根があるだけの簡素なつくりだ
トロッコの線路は基本的にテラリウムにある町すべてにつながっている。今も積み下ろした積み荷を運んでいる最中だ。
運んでいる男性と目が合う。彼は顔をしかめ、すぐに目をそらし運んでいく。
心に刺さっていた棘が揺れ動いた。
今の出来事はなかったことにして再びお散歩にもどる。
歩いているとふいに小鳥が頭にとまり、木の実をキャップの上に落とした。飛んで行って戻ってきて、たった今取ってきたであろう枝を落とす。
僕はキャップをちょっと背のある木の上にそっと降ろす。また戻ってきた小鳥は、首を少しかしげて今度は僕の肩に枝を落とす。肩にとまりその小さな顔を僕の顔こすりつける。
ふわふわした羽根が暖かい。小鳥の背をゆっくりなでる。目を閉じて気持ちよさそうなこのこを見て、心は安らいだ。
僕たちは人間じゃないから、動物たちはあまり怖がったりしないってのはわかっているのだけどね。
軽い汽笛がきこえた。もうすぐ発車の合図だ。
小鳥は驚き、飛び去って行った。僕も汽車に足先を向ける。
《さっと乗れぇ!もたもたしてっと置いてくぞ!》親方が窓から身を乗り出し怒鳴る。
ジャリジャリ と大きな足音を立てて走り、貨物車の一つに飛び乗る。
ガンッ という硬質な金属の音が響く。
雷のように思える叫喚をだし、黒煙を吐き出す汽車。最初はゆっくりと カシュカシュ と音を出していたピストンは、その音を鈍く加速させていく。発車だ。
次の積み荷を求めるテラリウムへ滑るように走り出す。
窓の外を明かりが彩る景色が流れていく。
三回、汽笛が響きわたる。それは、テラリウムの膜を通る合図だ。はちきれんばかりに石炭を食べ、うなるように水蒸気を吐き出すボイラー。それに合わせて悲鳴をあげるピストンが車輪を回し、汽車を最高速までもっていく。
膜を通る時には大きな速度が必要だ。景色は濁流のように混ざり、ガタガタと揺れが大きくなっていく。もし生き物が乗っていたとしても、その場にいることすらできないし、仮にいたとしても、すぐに汽車の中からいなくなるだろう。
汽車は物質を通り抜ける次元へ移動するためだ。速度が必要なのは、次元を移動すること、そしてテラリウムが崩壊しないために発生させている小さいながらも大きく感じる重力から逃げるためだ。
僕や親方はテラリウムの中で人の姿を形どっているいるけれど、その本質は汽車の一部。姿を変える。
音も明かりもなく、肌…装甲版に感じる水の中へ落ちるような感覚。いつになっても慣れないこの感覚はいつになったら普通に思えるのだろう。
音が戻る。金属のこすれる音、ピストンの駆動音。ただ、明かりだけは見えない。
テラリウムの中からは透き通って見えるこの世界は、一歩外に踏み出せば暗闇が支配する空間に早変わりする。
そんな場所に線路なんてあるはずもない、だけど汽車は走っている
それは、先頭車両が蓄えられた専用資材を使って線路をつくり、最後尾が喰らい資材にもどす。これを繰り返しているからだ。
僕のように彼らも姿を変えられるけれど、人間嫌いの彼らはそのままだ。
親方は僕らの目であり、耳である。
かすかな音をききわけ、目的地のテラリウムを見つける。
僕らには見えない光を見て、進路を決める。
三回汽笛がなる。
親方によって決められた進路通りに侵入することができれば、敷設されている線路にちょうど乗ることができる。
今回は、飛行技術のテラリウム。膜を通り抜け車輪と線路が金属質な悲鳴をあげる。
長閑だった前と違い肝をゆすぶるようなプロペラの轟音、疾風のように過ぎ去っていく大きな影が行き交う場所だ。
テラリウムの中でもとても大きいここでは、駅の近く大きく広がる草原の中、砂利で舗装された滑走路が悠悠と伸びている。テラリウムでは、大きさによってうまれたときからの技術力がきまっている。
いつものように紙束を手に持ち、前のような失態をおかさないようしっかり確認していく。
駅に侵入する。独特な機械油、塗りたてのペンキなど独特なにおいが広がり、ちかちかと蛍光灯が使い古されたトロッコを照らしている。
やはりこの積み下ろしの時間は楽だが暇でたまらない…。僕は汽車を降り、草原に足を踏み出した。
背丈の低い草木が一面に広がっている中、まるでそこだけ消えてしまったかのように一部がきれいになっている場所を見つけた。
ベンチがおいてあり、ひと休憩できる場所みたい。腰をかけると ギシッ という音をたて、長い間ここにあるのだろうとおもわせる。ぼうっと景色眺めていると、あたたかい風になでられる草木の中に、ゆっくりと揺れる物陰を見つけた。
息をのむ。
鈴が落ちたように、空気が静まりかえったように感じた。
その物陰は人の形になり、それは今まで見た中で一番と言えるほどとても、とても蒼い人だった。
暖かい風に揺れる後ろに流した藍色の髪、蒼白というわけではなくほんのりと色がついた肌、ケーバ帽とアクアマリンのワンピースがそれを引き立てている。
綺麗な人とはこういう人のことをいうのだろうと自分の中で認識する。
声が聞こえた。気が付けば彼女は振り返っていて、こちらを向いていた。
『私は…そらを飛ぶんだ。』 間をあけ、手をそらに伸ばして、透明でいてあたたかい声で言う。
『私はそらを知っているけれど君の世界を知らない…君の世界のことを教えてくれるかい?』手を下ろし、僕のことを見て言う。
初めて。しっかりと対面して目をそらさなかったことは。心の棘がわずかに動いた気がした。
だけど、僕はそれを気のせいだとしまっておくことにした。
「僕たち汽車は、何百とあるテラリウムを回って人々に積み荷をわたす存在。」
ベンチから立ち上がり僕はたくさんのことを話した。汽車の走る仕組みや親方たちのこと、僕たちの仕事とかを彼女から時々飛んでくる質問に答えながら。
たくさんの本当の中、僕の仕事については嘘を織り交ぜて。気がつけば小鳥が僕たちにとまり、さえずっていた。
「僕たちの世界はわかったかな…?。今度は、君の世界を教えてほしいな」とても色濃い時間に感じた。こうして話すことなんて欠片もなかったから、口下手でちゃんと話せたか気にしながらも、僕は彼女に問いかけた。
『私は…』 突然の轟音に小鳥たちは飛び立つ。彼女の開いた口は次の言葉を発しようとしばらく形をたもっていたが、元に戻ってしまった。
「時間になっちゃったみたい…。」すぐに戻らなければ、また親方にどやされることになるだろう。
『そっか。またここで会おうね。」蒼いけれどあたたかく感じる彼女はそう言って、背丈が伸びた草木のほうへ冷たさを残し歩きさってしまった。
僕は金属質な音を響かせ、それが合図のように汽車は動き出す。
「そら…か。」手を伸ばし独り言をこぼす。
僕たちは…汽車は何かしらの上に縛られている存在だ。どこへいっても結局は敷いた線路の上を走っているだけ。
だからそらに…、彼女に憧れているのかもしれない。
いつもは カシュカシュ と派手に聞こえるピストンの音は、どこへ行ってしまったのだろう。
もしも僕がそらを飛べたなら…。空想にはせているうちに汽笛が三回鳴り響く。
何を思おうが次のテラリウムへと汽車は進んでいく。
あるテラリウムに侵入した。ここはとても不思議に感じる場所だ。
風は冷たく、暖かい風とはまた違った心地よい感覚を覚え、そらを見上げると膜の外のように暗闇が支配していると思いきや、きらきらと光の粒が散らばり、丸く光る球体が浮かんでいた。
今までにないとても綺麗なそらに心を奪われ、仕事を行う手と足は止まってしまった。
頭を振るう。残っている仕事を終わらせてからまた眺めよう。誘惑に取りつかれながらも我慢して終わらせていく。
列車は駅に侵入し、作業を始める。
いつものように散歩にでると、駅の近くに屋台と呼ばれるている、そらに浮かぶきらきらや丸く光る球体がたくさん吊るされているお店があった。
宝石を取り扱うテラリウムでもきらきらとしていたけれど、また違う輝きがそこにはあり、こっちのほうが心地よく感じる。
こどもたちがたくさん集まり、少しずつ離れ、屋台の輝きはどんどん小さくなっていく。
僕が近づくと、足音に気が付いて振り向いたこどもたちは、蜘蛛の子を散らすよう一斉に逃げていった。
そのことを少し気にしつつも、中にいる人が見えるまでさらに近づいた。
〈あたらしい おきゃくさんかい?〉鳥が歌うような、丸みのある声が中から聞こえてきた。
〈ここはね こどもたちにしかみつけられない ひみつのばしょさ。あたしは なんじゅうねんとほしとつきを こどもたちにわたしてきたんだ。〉聞いていないけれど屋台のお婆さんは語りだす。こんなに堂々ときらきらする屋台を開いていてそんなことはないだろうと思いながら耳を傾ける。
〈そらをみあげるこは すくなってしまってねぇ。ここのそらは もっとかがやいていたものさ。〉短いため息を吐きながら僕ではなく、そらをみつめていた。
〈きみは そらをみあげるこだ。だからここにこれた。りゆうなんてかんけいないさ。ここにくることができたこには おくりものをひとつあげているのさ〉こちらに向きなおり、お婆さんがお月様と呼んでいた球体の小さくなったものと転がっていかないように木組みの小さな台を手にとり伸ばしてきた。
なんの対価もなしにもらうのは申し訳なく、やんわりと断った。しかし、お婆さんは屋台からでてきて僕の軍服の衣嚢にねじこんだ。
こどもがえんりょするんじゃ ないよ、と言い パンパン と軽く優しくはたき笑った。
僕はお礼を言い、手に取り眺める。硝子のように堅く、けれどどこかふとした時に割れてしまいそうな儚さを感じた。
屋台に顔を向けると、まるで幻だったかのようにお婆さんとともに消えていた。
夢のように思えたけれど手に収まるお月様が、夢ではないことを伝えていた。
汽笛が鳴る
彼女は透き通ったそらは知っていても、きっと輝くお月様を知らないだろう。
次にあえた時、自分よりもそらに近い彼女に渡そう そう思った。
冷たい風がなくなった。
行動は変わらない日々、たくさんの事を考えながら過ぎ去っていく。
汽車は僕ら以外にも複数台いて、担当する部分を分けているため、2、3週間、早ければ1週間ほどでもう一度戻ってくる。
僕らは長閑なテラリウムへ戻ってきた。
相も変わらず暖かい空気が流れる中、煙突からは白煙はなく、走りまわる子供たちの姿は見えず、不穏な空気が漂っていた。
僕の嫌いなにおいがだんだん近づいてきていることを感じる。
駅にたどりつき、積み下ろしをするが、いつもより集まる人の数が少なかった。
いや、まったくと言ってもいいだろう。
積み下ろしがおわる。けれど、トロッコを押す人はいない。
親方も感じたのか、すぐにボイラーに石炭を食べさせる。ピストンが悲鳴を上げ汽車は加速する。
雷とも思えるような叫喚が何度も響く。落ちた影が戻ってきた。
何度も汽笛が鳴るときは、汽車が危機的状況に近しいときだ。
顔を窓からのぞかせ、進路を見る。そこには通り抜ける膜の近くに、重々しい顔で鎌や鍬をかまえる人々がいた。
襲撃 という二文字が背中を伝う。
本来の仕事はやりたくない。もっと早く、早く加速してくれと心から願う。
ボイラーは今にも爆発しそうなほど唸っている。しかし、願いは叶わなかった。
《間に合わない…やれ!》親方から焦燥感の混じる怒声が飛んでくる。今にも涙が出そうだ。
僕は人から姿を変える。汽車を守るための分厚い装甲版、棘のように突き出した冷ややかなたくさんの銃口。
動物に例えるとしたら、昔にいたという、はりねずみ、と呼ばれている動物が近しいだろう。そんなにかわいいものではないが。
かつて、地上に住んでいた人々は、自分たちの領土を求めて戦争というものを起こしたらしい。
たくさんの人が傷つき、傷つけ、そしてなくなっていった悲惨な出来事。
そんな戦争に使われた人殺しのための道具、それが本来の姿で、人を殺すのが僕の仕事だ。普段は人の皮をかぶった醜い怪物。
資源がもとから少ないテラリウムもある。汽車を走らせたとしてもどうしても零れ落ちてしまう人がいる。
今の苦しい生活を楽にしたいから、そもそも生きていくために、さらに積み荷が必要だから、だから略奪という行為に出る人がいるのは僕もわかっている。
彼らの感じている苦しさは、実際に体験したことがない僕には想像をすることしかできない。けれど、その苦しさをすこしでも和らげたいと思う。
僕らに積まれるたくさんの積み荷を、積み下ろす分以上をわたしてあげたいと思う。だけど、この積み荷がなければ同じように生きていけない人がいる。
全員を救うという正解は見えている。見えているのに線路がない、たどり着くことができない。
汽車になり、無くなった目をつむるかのように、耳をふさぐかのように、僕は心を閉ざした。
気が付けば、僕の装甲版は点々と赤黒く染まり、肉片が所々に張り付いている。硝煙、鉄のにおい、響く悲鳴、それらがずっと心の中で反響している。
物語の英雄のように、みんなを助けて、みんなを笑顔に。なんてこと僕にはできない。閉ざした心には棘が揺れ動いていた。
汽車はたどってきた線路を駅まで一度後戻りする。僕の分を加速するためだ。
いつもより重たい汽車によって線路が大きな悲鳴を上げていた。
駅に戻った。僕は一度洗われないと人の姿になることができないから、次のテラリウムまでそのままだ。
大きなテラリウムには、洗浄を行うための複線がある。
だれも聞く人のいない駅で汽笛が響く。
汽車を襲ったテラリウムには、僕らは二度と戻ることはない。
襲われたならば、膜のことなどを無視して次へ向かい、テラリウムを崩す汽車もいる。
一番初めに僕が染まったとき、しばらくあとに親方と話しあって、亡くなった人々が生きていた証として残すことにしている。
だけど、今回は残せなかったようだ。徐々に降り始めた灰がテラリウムの終わりを告げている。僕たちがここを去った時には存在がなくなっているだろう。
次は、僕と話しをしてくれた彼女がいる場所、飛行技術のテラリウム。
今はもうなにも考えたくないの一心で、ただただ過行く景色に身を預けることしかしなかった。
気が付けば、人の姿になっていて冷たい床に転がってた。
テラリウムに着き、すぐに洗ってくれたのだろう。立ち上がりおぼつかない中見えたのは、いつもは石炭をほおばり熱く燃え盛るボイラーが火を咥えていない姿と、スパナを持った大柄な人の姿。
親方はスパナで僕を コツ っと軽くたたき、汽車から降りた。
言葉にはしない休みというものの合図。汽車はその役目から基本的にその動きを絶やすことはないが、僕らは僕のせいで足を止める。
風に吹かれたら倒れてしまいそうなほど弱弱しい足取りで一番近い貨物車へ移動する。
暗闇が支配する空間で堅い床に体を預け、両肩をつかみ抱えこむような形で丸くなる。心に刺さった棘はいつまでも抜けずに刺さったまま。眠らない僕たちに寝具などはない。
どれくらいの時間が過ぎたのだろう。
車体を伝う揺さぶるような振動が休みの終わりを告げる。動きたくない気持ちを押し殺して体を動かす。まるでぎごちない操り人形のようにふらふらだ。
紙束を手に持ち 歩く、しかし鉛のように重たい足につられて転ぶ。散らばった紙たちを拾い集め、確認をしていく。
窓を流れる景色はゆっくりになり、そして止まる。大きな汽笛がテラリウム中に到着を知らせる。
そこで僕の見えた反応は様々だった。
顔を青ざめて目をそらす人、お面のような笑顔を張り付けてお礼を言う人、泣いている人。
消えたように見えるそれは、僕に染みつきなかなか消えてくれない。
約束のことを思い出す。
きっと彼女はいるであろうその場所に向かう。衣嚢の中でお月様を握りしめていた。
前と同じような風が吹いている。
以前と変わらず蒼い彼女は風になでられる低い草木の中に背を向けてたっていた。
僕は足を踏み出し、 ジャリッ という土の音を奏でた。
彼女も土の音を奏でた。距離は短くならないまま。
「君もみんなと同じだったんだね。目当ては僕らの積み荷でしょ?」それは、諸刃のことばだった。
「昔から僕に近づく存在はそうなんだよ。それに、そらを知って見上げる君は、あの姿も見えていたでしょ?人の皮をかぶった醜い怪物。どう?」
失望…?焦り…?棘の先から漏れ出る感情にあわせた言葉が自分でもわからない。
しばらくの沈黙のあと、彼女は少し大きく息を吸って、ため息のように吐いた。藍色がゆれる。
言葉を口に含んだように間を開けたあと、ゆっくりと振り返り言った。
『好きだったものが、好きではなくなっただけ…。それにさ、君の見ているものがすべてではないよ。』その顔がどんなものだったのか僕にはわからなかった。
風が大きく吹く。それは、暖かいはずなのに冷たかった。
ゆっくりと背を向けて、重たくも軽くも感じる足取りで離れていく彼女に、背を向けることも、言葉を発することもできず、反射的に伸ばしかけた手を下ろすことしかできなかった。
心の棘がよりいっそう揺れ動いた。
どこか悲し気な台とお月様を衣嚢から取り出して組み合わせる。
血の染みついた肌をつたった雫がテラリウムへ吸い込まれていく。彼女の足跡がのこるベンチのそばにそれを置いた。
きっともう出会うことはないだろうと。
小さな汽笛が聞こえた。
ゆっくりとかみしめるような後ろ歩きだった足は、徐々に前を向きかけ足に変わっていく。
雫と雫は離れていき、テラリウムとはお別れをする。
ジャリジャリ と立てていた足音はやがて金属質な ガンッ という音を最後に消え去った。
空気を切り裂くような金属のこすれあう音、憤りを感じさせる力強い蒸気を吹き出す音、紙や木に近い油を燃やした時ようなにおい、雷とも思えるような叫喚。
寂しくなった駅には、使い古されたトロッコとちかちかと切れかけの蛍光灯、ゆっくりと揺れる物陰だけが取り残されていた。
お話の一つはこれで一旦おしまい。
この世界には、物語が一つ、一つ、うまれ、そこから十の物語が紡がれて
十と十の物語、そこから百の物語が紡がれていく。
時には絡まり、離れて、切れてしまうこともある。しかし、そういった物語が結ばれてこの世界を形づくっている。
ある場所で キュイーン というピッチの高い音で空気が燃え、藍色の三角翼が風に揺れる。
それは、小さく丸く光る球体を輝かせながらそらに線を描いた。
また一つ物語がうまれる。
昔のお話の仕方に百物語といわれるものがあってね。
怖い話をするときにたくさんの物語があつまり、紡ぐ。
まるでこの世界にそっくりで、ボクはテラリウムたちを百と呼んでいるのさ。
お読みいただきありがとうございます!
私のお話はいかがでしたでしょうか?
感情の動きや人間関係、そういった難しいと感じたものを
描けていけたらな と作者は思っています。
気分屋なもので、次回作の内容を考えてますが
投稿するのは結構先になってしまうかもしれません
どうぞ、その時にまたお会いしましょう