お題「ヴァイオリン、浮遊、筆記体」(5)(終)
ジャンル: ファンタジー
あらすじ: 名前を筆記体で書いてもらえないと一人前とみなされない世界。先祖に半人前がいるせいで一家ともども嫌がらせを受けていた主人公が、その先祖の墓に嫌がらせをし続けた所、彼の幽霊が現れる。彼は自身を天才ヴァイオリニストだと自負しているが……
僕のアイデアを聞くと、果たしてトッド・ジョンソンは目を輝かせて乗ってきた。そして僕の書いたレイアウト案を見たとき、彼は嘆息をもらして呟いた。
「綺麗……。」
それを聞いて、僕は少し嬉しくなった。
そしてトッド・ジョンソンは、これくらいであれば三日程度で仕上がるからその時にサプライズで持っていこう、と僕に持ち掛けた。僕に異議はなかった。
それから三日は、僕とトッド・ジョンソンは墓地へ行かなかった。とあるものをちゃんと完成させるため、そしてサプライズがばれないようにするためだった。僕らからのプレゼントを見たら彼はどう思うか、考えただけでも心が躍った。
当日に、僕ら二人は、出来上がったものを手に墓地へと向かった。少し大きいものであったので、二人がかりで苦労しながら持っていった。誰かに見られて不審に思われることのないように、ちゃんと覆いをかけて。
道中でトッド・ジョンソンが興味深い話をした。なんでも数日前から、誰も居ないはずの墓地で、一日も休まることなくヴァイオリンの音が響いているらしい。僕らがいない間もレオンハルトは弾いていたのか、本当に好きなんだね、と僕らは笑いあった。
そうこうしているうちに墓地の入口に着き、レオンハルトの墓へと向かおうとした時だった。トッドが不意に僕を制止した。
「待って。誰かいる。……ロビンじゃない?」
思わず持っているものを落としそうになってしまった。しっかりと持ち直して、レオンハルトの墓の方を見ると、確かにあいつはいた。
「何でまたここにきているんだ?」
「ねぇ、何か弾いてる。」
トッドの声につられて僕が耳を澄ませると、確かにヴァイオリンの音色が聞こえてきた。何かの曲を弾いているようだったので、ロビンが一人で弾いているのかと思った。しかし、よく聴くと、どうやら弾いているのはロビンではないようだった。
「――ストップ。エーの音が遅い。やり直し。」
『まだか? これでも最速の運指なんじゃが……』
「駄目だ。ここは特に、たららららー、のリズムが命だからな。ここを詰めないと一気に下手に聴こえるんだ。はい。」
ロビンの声の後、ヴァイオリンが再開される。よく見ると、墓にはレオンハルトの幽霊も居て、レオンハルトが曲を弾いているようだった。――もしかして、ヴァイオリンを教わっているのか?
「信じられない。あのロビンが人にヴァイオリンを教えるなんて。」
トッドが囁いた。僕も同じ気持ちだった。一人前であることに強くこだわって僕を見下してきたロビン、そして自分が天才だと自負してやまなかったレオンハルト。何が起こっているのか、僕には全くわからなかった。
「まだまだだな。もう一回。」
『うぅ…、お前は本当に鬼教官じゃのう。』
「弾き方を教えろって湧いて出たのは貴方じゃないか。僕レベルに曲を弾けるようになりたいんだろう?」
僕は目を見開いた。そんなことがあったなんて。
「今のところ課題はその馬鹿みたいなリズムだけだから、マスターすれば普通に曲は弾けると思う。ほら、頑張って。」
レオンハルトは渋々といった調子で、しかしちゃんと言われたとおりにヴァイオリンを弾いた。するとどうだろう、音と音がちゃんと連なって聞こえたのだ。以前まで感じていた締まりのなさが解消されたようだった。後ろにいたトッドを見ると、目を閉じて静かに聞き入っているようであった。
「――うん、上出来だね。」
ロビンは満足そうに頷いた。彼はおもむろに振り返ると、僕らの方を見た。まるで僕たちがここにいることを勘づいていたようだった。
「じゃあ、通しで弾いてみて。僕も一緒に弾くから、やばそうだったらついてきて。」
『ついにきたか……』
幽霊は目を閉じ、気合を入れるように一つ息をつくと、弓を弦の上において弾きだした。
瞬間、今まで聞いたこともないほどの滑らかな音色が、墓地に響いた。すべての音が、目標へ向かって流れていっているようだった。この感覚、あれに似てる、と僕は思った。すごく綺麗に筆記体の文字をペンで滑らせることができたとき。そして出来上がったものが、とてもきれいなものであったとき。僕はその感覚にいいようもない心地よさを感じていたことも、思い出した。僕はトッドもロビンも、レオンハルトまでも忘れて、その音に聞き入った。
そうして、どれくらいの時間が経っただろう。まだ曲が続いていたのだが、突然、レオンハルトの身体の輪郭が、黄色に光りだした。その光は彼の身体を包み、一層輝きを増した。僕は目を開けていられなくなった。ヴァイオリンの音も止まった。そして閉じた瞼の向こう側で、一番強い輝きを放ったのち、光は消えた。
「――レオンハルトさん?」
トッドの声ではっと我に返り、僕は目を開けた。レオンハルトの姿はどこにもなく、墓石の上には彼のよく弾いていたヴァイオリンがおかれていた。僕は強い不安と焦りを覚えた。
「まさか、成仏した?」
「どうしよう、僕たち、間に合わなかったのかな。」
トッドも目に見えて焦り始める。僕たちは大きなサプライズプレゼントを持ちながら顔を見合わせた。
「絶対喜んでくれたのに。」
「じゃあ、今から置きに行けば?」
不意にロビンが口をはさんできたので、僕らは飛び上がって驚いた。その拍子にかかっていた覆いが取れて、中身が見えてしまった。あらわになった僕らのプレゼントを見て、ロビンは息をのんだ。
「――これは、」
僕らが用意したのは、薄い石板だった。ちょうどレオンハルトの墓石と同じ色とサイズの、ぴかぴかの板を使った。そこには僕が考えたレイアウトと、僕が原案を書いた筆記体で、「天才ヴァイオリニスト レオンハルト・ヒュード、ここに眠る」と彫られていた。彫刻したのはトッドで、他の墓石と並べても遜色ない出来に仕上がっていた。
「貴方は嫌がるかもしれないが。」
僕は、訳を聞きたがっているロビンに、渋々話しかけた。
「僕ら、――僕とトッドは、レオンハルトに何かプレゼントがしたかったんだ。素敵な音色を聴かせてくれたお礼。それで、僕は、僕たちなりに一人前だと認めてあげたいって思ったんだ」
「へえ、随分と上から目線だな。」
ロビンのこの発言に、僕は何も言い返せなかった。穴があったら入りたいと思った。僕が赤面してうつむいたまま何も言えずにいると、
「――どうした? 置きにいかないのか?」
と、彼が問いかけて、僕は驚いて彼を見た。
「普通にいいと思うが。――僕も、それが良いと思う。そうしたい。」
彼はそういうと、くるりと僕から身体を逸らし、墓地の入口の方へ歩き出した。
「それじゃあ、僕はこれで。また明日。」
僕はその後ろ姿を呆然と見ることしかできなかった。あいつのことが今までよりも、ずっとわからなくなった。
「全く、ロビンは素直じゃないな!」
僕とは対照的に、トッドは楽しそうに笑った。そして、僕に石板を運ぶ手伝いをするように呼び掛けた。僕は返事して、トッドと共に、石板を置いた。
すると、どこからともなく一陣の風が吹いた。おそらく偶然であろう。でも僕には、その風が、あの一音のように聞こえた。僕が一曲の後に最初に聞かせてもらった、あの甘美な一音に。それは、僕たち二人にひそかに伝えられた、お礼のようだった。
「ねぇユージ、一緒に帰ろう!」
トッドが僕に呼び掛け、僕は頷いた。レオンハルトとの邂逅から一か月が過ぎ、僕とトッドはすっかり仲良くなっていた。
トッドは三週間前と同じように、綺麗なものを愛で、自分の気持ちに素直になるところは変わっていなかった。でも対照的に、ロビンは人が変わったようだった。前のように自慢したり、異様に高い虚栄心を持ったりすることは無くなったし、弱い者いじめをすることもなくなった。ただ僕ら以外の誰もその変化に気づいておらず、ヴァイオリンがこの三週間ですごく上手くなったらしいという噂しか流れてこなかった。恐らくその噂は本物だろうが。
「ほんと、ロビンは変わったよな。」
僕はふと呟いた。それに対して僕は、と続けようと思ったが、そのタイミングでトッドが口をはさんだ。
「ユージ君も、相当変わったよね。」
僕は驚いて、トッドを見る。彼は答えずにふふっと笑って、先にかけて行ってしまった。
(終わり)
これでこのお題は終わりです。
お付き合いいただきありがとうございました。
次は違うお題で書きます。どうぞ宜しくお願い致します。