お題「ヴァイオリン、浮遊、筆記体」(4)
ジャンル: ファンタジー
あらすじ: 名前を筆記体で書いてもらえないと一人前とみなされない世界。先祖に半人前がいるせいで一家ともども嫌がらせを受けていた主人公が、その先祖の墓に嫌がらせをし続けた所、彼の幽霊が現れる。彼は自身を天才ヴァイオリニストだと自負しているが……
「おお。ユージの奴、本当にここに来てるのか。」
墓地の入り口の木の影から顔を覗かせ、ロビンは驚いたような声を出した。
「学校から直で墓参りってか。やっぱ半人前の身内は考えることが違うなぁ。」
「ええ、僕も最初見かけた時は驚きましたが……」
ロビンに続いて、トッド・ジョンソンも顔を覗かせた。
「最近よく家の前を行き来するなぁと思ってましたよ。いい噂になってますよね。」
「そうだな。……ん?」
突然ロビンは、顔を強張らせて辺りを見回した。何事かとそわそわする下級生を制止し、彼は墓地へと足を踏み入れる。
「何か聞こえたぞ。来い。」
「えっ、本当に行くんですか? 聞いてないーー」
「いいから来い。置いていくぞ。」
慌てて後を追うトッド・ジョンソンには目もくれず、ロビンは音の聞こえた方へずんずん進む。音色からしてヴァイオリンだろう、と彼は見当をつけていた。それならば、自分の得意分野だ。
墓地を進むと、果たしてヴァイオリンはそこにあった。てっきり半人前の身内、ユージが弾いているのかと思ったが、まぁ現実は寄なりとはよくいったもので。
「ーーゆうれい、」
後ろでトッド・ジョンソンが声を上げかけた。ロビンは制止しようとしたが、その瞬間、目の前の何かーーヴァイオリンを持っているように見える、半透明で、あの半人前ととても似た顔の人影ーーが、たった一音弾いた。
瞬間、彼のうなじの毛が逆立ったのを感じた。静まりかえった墓地に、一瞬、ヴァイオリンのキレのあって甘い音色が流れる。これは、ハイドンの交響曲第九十四番の、あの重音だ、とロビンは察した。
「わぁ……! あだっ、」
感嘆の声を上げた下僕に肘鉄を喰らわせながら、ロビンはどこか落ち着かない気持ちになっていた。あれは、レオンハルト・ヒュードだ。ヴァイオリン弾きとして、筆記体で名前を書いてもらえなかった半人前が、この世に未練があって出てきた姿だ。それが、こんなに、いい音を?
いや、とロビンは素早く考え直した。彼はとんでもなく下手だったと、父も母も言っていたではないか。もしかしたら、ただ音はいいだけで、何か致命的な欠陥があるのかもしれない。例えば、リズム感とかーー。そう考えることは、ロビンの不安を大いに和らげた。
「本当、貴方の重音はとても素晴らしいよ。」
『ほう、そうかい? いつも褒めてもらって、ありがたい限りじゃの。』
そのような会話を聞いてか聞かずか、ロビンは二人ーーレオンハルト・ヒュードとユージの元へと足を進めた。
「本当、貴方の重音はとても素晴らしいよ。」
僕はレオンハルト・ヒュードの音を聞き入った後に、こう彼に言った。彼がその言葉を聞くと、嬉しそうに顔を輝かせた。
『ほう、そうかい? いつも褒めてもらって、ありがたい限りじゃの。褒めても何も出ないぞ?』
「いや、本心だよ。」
実のところ、この言葉は本物だった。僕の聴いた彼の音色の中でも、一番重音が好みだった。全ての音がぴたっと同時に流れるのが好きだった。それでも、なぜか曲に重音が入ってくると下手に聞こえてしまうのだった。いままで数度かお願いしてみたものの、曲になると一度とて綺麗に聞こえたことがなかった。
「本当にな、なんで曲になるとあんなに下手になってしまうんだろうな。これだけ音が綺麗なのにーー」
「その程度の音で綺麗というんだな。」
突然背後から声がした。僕が驚いて振り返ると、そこにはロビンがいた。よく僕を学校で揶揄う上級生だ。
『おや、ユージの友達かい? はじめまして、じゃの。』
「はじめまして。下手なヴァイオリン弾きで半人前の、レオンハルト・ヒュードさん。」
『ーーえ?』
ヴァイオリニストの幽霊は、一瞬、とても哀しそうな顔をした。ロビンはそんな彼に一切関心を見せることなく、話を続けた。
「最近貴方の家族が墓地に出入りする、という噂がたっていましたもので、気になって来ちゃいました。でも、まさか貴方の幽霊がここにいるなんて。
それにしても、一音しか弾けないなんて、本当にヴァイオリニストなんですか?」
僕の体に怒りが沸き起こったが、必死の思いで抑えた。見下している相手を煽るのはあいつの得意とするところだ。安易に乗れば、あいつの思う壺だ。
「一音だけ弾けても意味がないですよ。楽曲として、通しで弾けてこその音楽じゃないですか。うまく流れないんじゃ、意味ないですよ。
それでも、貴方はヴァイオリニストなんですか?」
『ああ。』
レオンハルト・ヒュードはロビンの眼を真っ直ぐに見て、即答した。
『私は天才のヴァイオリニストだ。ヴァイオリンへの愛は誰にも負けん! 特にお前みたいに、音楽を煽りに使うやつなんかにはな!』
ロビンは一瞬取り乱したように見えたが、不敵な笑みを浮かべて、彼に言い返した。
「じゃあ、競争してみますか? 私と貴方とで、どちらがよりうまくヴァイオリンを弾けるか!」
彼は自分の胸に手を当てて、高らかに言い放つ。
「私は代々ヴァイオリン弾きの家系に生まれました。その中でも私は一番の出来で、いくつもの賞をもらい、他より一足先に筆記体の名前ももらいました!」
『……それがなんだというのじゃ。』
「しかし、貴方が天才ヴァイオリニストなのであれば、私を倒すことも造作ないはず。」
レオンハルト・ヒュードの苦々しい呟きも無視して、ロビンは彼に詰め寄る。幽霊はその場を動かなかった。
「どうです? 一度技をくらべてーー」
『断る!』
レオンハルトのきっぱりとした一言は、墓地を瞬時に静まり返らせた。ロビンが二の句を告げずにいる間に、彼は言葉を続けた。
『話を聞いてみれば、賞だの一人前だの、自分を飾る言葉しか言っとらんな。どうせ私と勝負といったって、お前は半人前を打ち負かした者という、新たな称号が欲しいだけなんじゃろう? そんなことにヴァイオリンを使うほど、私は愚かじゃないわ!』
レオンハルトはぴしゃりと言い放つ。
『よいか。ヴァイオリンは、生きておる。弾き手の意思も汲み取るし、思いを込めれば込めるほど、より深みのある音を出してくれるのじゃ。虚飾のためのヴァイオリンに、そんな音が出るはずもないわ!』
レオンハルトのこの発言に、ロビンは一瞬言葉を詰まらせた。しかし彼はすぐ、強張った笑みを浮かべた。
「……自分は深みのある音が出せる、ってか。
はは、半人前が、何を言っているんだ。誰にも認めてもらえなかったのも納得だな! そんな独りよがりのヴァイオリン、聴かれる価値もない!」
そう言ってロビンは、逃げるように墓地を去った。
ロビンが居なくなった後の墓地は、しいんと静まり返っていた。レオンハルトはがっくりと肩を落としており、うなだれていた。僕はかける言葉を必死に探した。
「……お疲れ。」
『私に足りないものは、何だったのじゃ?』
彼は僕に応えることなく、低く呟いた。少しだけ声が上ずっているようだった。
『あの少年は正しかったのかもしれないな。私はヴァイオリンを自己流で極めた。変だと言われても、聞き入れることなく、怒り、我が道を突き進み、……そして気が付けば、周りには誰も居なかった。』
老人の幽霊は、悲しげに首を振った。
『別に認められなくてもいい、自分が良ければいい。そう思って過ごしてきた。でも、本当に誰も居なくなった時、すごくみじめなのじゃ。すごく。……名前を筆記体で書いてもらえないまま、生涯、私はそれを受け入れることができなかった……。
なぁ、ユージよ。私はどこで間違ったんじゃ?』
最後の問いは、僕に対してというより、自分への悔恨のように聞こえた。でも、もし聞かれていたとしても、僕は黙ることしかできなかっただろう。
するとレオンハルトの身体が、すうっと透明になり、消えた。それと同時に、遠くで五時を告げる鐘がなった。僕は鐘が鳴り終わるまで、ただレオンハルトの墓前にたたずみ、そのブロック体の文字彫刻を眺めていた。
「――そんなに気にすることなのかなぁ。」
突然背後から、大声でそう呟く声が聞こえた。いや、呟いたのではなく、僕に語り掛けたのかもしれない。僕は振り返ると、そこにはトッド・ジョンソンが、頭の後ろに両手をやって立っていた。
「さっきの重音を聴くと、もっと評価されるべきだったと思ったけどなぁ。」
彼はレオンハルトの墓に歩み寄っている。僕は言葉に困った。トッド・ジョンソンは隣人ではあるが、ろくに話したことがない。てっきりロビンと共に帰ったと思っていたので、かなり不意を突かれていた。僕は正直に思ったことを言うことにした。
「一緒に帰らなかったんだな。」
「今は付いていかないほうがよさそうだったからね。」
彼は答えた。
「ロビンはさ、プライドが異常に高いんだよ。あれは流石に堪えただろうなぁ。ヴァイオリンはとても綺麗で、尊敬してるけど。」
「アイツのヴァイオリン、好きなんだな。」
「まあね。僕、綺麗なものが好きなんだよ。芸術でも書でも、音楽でも。――ユージ君、だよね。」
いつのまにか、トッド・ジョンソンは僕の隣まで来ていた。
「ね、僕さ、ユージ君のひい爺さんのヴァイオリン、すごく綺麗だと思う。まだ一音しか聴けてないけど、こんなにいい音を出せるなんて知らなかった。」
「そうだな。」
僕は思い起こしていた。一つ一つの技法のすばらしさ、本体のみならず弦にまで配られていた配慮。そして、先ほどロビンに突き付けた、ヴァイオリンは生きているという言葉。レオンハルト・ヒュードは、間違いなくヴァイオリンを愛していたのだろう。
「誇りに思うよ。」
気付かないうちに、僕はこの言葉を口走っていた。それを聞いて、トッド・ジョンソンは顔をぱあっと輝かせた。
「そうなんだね! すごいなぁ、君のひい爺さん。
ねぇ僕さ、お礼がしたい。僕に何かできること無いかなぁ? 僕の家は彫り師だから、僕は、木や石なんかにものを彫るしかできないけど……」
「へえ、そうなのか。すごいな。」
「へへ、ありがとう。でも、原案がないと彫れないんだよね。僕は字も絵も上手くないから、一人じゃ何もできないんだけどね――」
その時、墓地の入口の方から怒鳴り声がした。――お前たち! こんな時間にどこほっつき歩いてんだ! さっさと帰れ!!
トッド・ジョンソンはくすりと笑った。
「怒られちゃったね。じゃあ、また明日学校で話そう? 同じクラスだったよね。」
僕はひどく驚いた。誰かと予定を立てるなんて、生まれて初めてといってもおかしくなかったからだ。
「い、いいのか? 僕なんかと話して。貴方も一人になってしまう。」
「別にいいよ。今回は、共通の目的があるじゃない。それにさ、僕、前からユージ君と仲良くなりたいと思ってたんだ。隣人さんなのに一言も喋らないなんて、おかしいじゃない?」
そう言って彼はふふ、と笑って、僕の言葉を待たずに駆けて行ってしまった。勝手な奴だ、と僕は思った。しかし確かに、心が温かくなったのを感じていた。
家に帰ると、両親とメイドが待ち構えていた。彼らは部屋に逃げようとする僕の手をつかみ、説教をしこたま浴びせかけた。今日も筆記体の練習をさぼったのか、という内容であった。――適度に出歩いたり、遊んだりすることを責めるつもりはない。でも、貴方が筆記体の練習をさぼったら、貴方は「筆記者」になれなくなってしまう。そうしたらあなたもあなたの子も、曾祖父の恥を抱えたまま生きていくことになるの。それがわからないの?
嫌になるな、と僕は自室でノートに練習をしながら思った。
「筆記者」は、人の名前や出来事、公文書を筆記体で書く人で、一番人々の尊敬を集める人たちだ。それだけに志願する人も多い。筆記者が出た家の者は、未熟者が出た家でも一定の敬愛をもって迎えられるため、そして、僕は少し字が上手であったため、僕は家じゅうの期待を一身に受けていた。
でも僕は、字を書くという作業があまり好きではなかった。手が疲れ、ドラマも無く、字が変な絵のように見えて気が狂いそうになることもしばしばだ。やりきれず、練習のふりをして汚い言葉や、人に見せられないポエムを書きなぐったこともたくさんある。
せめて何か実績を作れれば強いんだけどな、と僕はぼんやり思った。僕の字は確かに上手と言われるが、もっと上手な人には及ばない。実際に仕事らしいことをしてみて、それをアピールポイントに使えれば、勝ち目はありそうだけれど……。
そこまで考えた時であった。僕の頭に、あるアイデアが舞い降りた。それは笑っちゃうほど素敵なアイデアで、色々なことをいっぺんに解決できそうなものであった。
これを聞いたら、トッド・ジョンソンもきっと喜ぶぞ。僕はにんまりと笑い、練習もそっちのけで、あるもののレイアウト案を考え出した。
(続く)
四日遅刻ですね。大変長らくお待たせしました。
先週までは、後二話で終わらせようと思っていました。その時にはこんなにこの話が長くなるとも、こんなに書くのに時間がかかるとも思っていませんでした。宣言するのって恐ろしい……。
次の話で終わらせようと思っておりますが、もしかしたら、次の話も長くなるかも。頑張ります。
これからも、このような感じでゆるーく進めていきます。このお題が終わったら、また新しいお題で何か書きます。
あと墓碑銘って故人の生前の業績を彫ったものを指すみたいですね。お墓に彫ってある名前のことかと思っていました。この勘違いが原因で意味不明になっていたりしないかな……。