お題「ヴァイオリン、浮遊、筆記体」(3)
ジャンル: ファンタジー
あらすじ: 名前を筆記体で書いてもらえないと一人前とみなされない世界。先祖に半人前がいるせいで一家ともども嫌がらせを受けていた主人公が、その先祖の墓に嫌がらせをし続けた所、彼の幽霊が現れる。彼は自身を天才ヴァイオリニストだと自負しているが……
その時僕は、一瞬時が止まったように感じた。その音はとても伸びやかで、透き通っていて、今まで聴いたどのバイオリンの音よりも甘かった。
僕は耳を疑った。抱いた怒りがすっと消えて、戸惑いが残った。今、何が起きた?
「なぁ、もう一回弾いてくれないか。その一音だけ。」
『うん? まぁ、いいじゃろう。』
レオンハルト・ヒュードは訝しげな顔をしたが、快く弾いてくれた。また墓地に先程の甘い音色が響いた。僕はさらに混乱した。どうしてだろう、なんで一音だけだとよく聴こえる?
『……先ほどとは顔つきが変わったのう。どうじゃ、もっと聞きたいか?』
幽霊が僕に、心なしか嬉しそうに声をかけた。僕が頷くと、彼はさらに同じ音を、すこし長めに、何度も弾いた。どの音も同じ音程で、同じ音量で、均一に弾かれていた。それがどれだけ凄いことなのかはわからなかったが、ともかく響きが素晴らしいと感じた。この一音だけでもいつまでも聴いていたいと思うほどだった。
『おっと、いけない。そろそろ時間ではないか。』
僕はその幽霊の声にはっと我に返った。時計を確認すると、五時五分前だった。もうそんなに時が立っていたのか、とまたも驚いてしまう。それと同時に、ある願望が頭をもたげた。
「なぁ、レオンハルト・ヒュード。」
『どうした?』
「明日も、また聴きに来ていいか。」
その言葉に、レオンハルト・ヒュードは顔を輝かせ、大きく頷いた。
それからというもの、僕は学校帰りに毎日墓地へ通うようになった。どうせ一緒に帰る友達もいなかったので、気兼ねなく彼のヴァイオリンの音色を聴きに行けた。
レオンハルト・ヒュードは実に多彩な音色を持っていて、僕相手にいくつも聴かせてくれた。複数の弦を同時に弾く重音。弦を押さえつけず、軽く触れた状態で弾くフラジオレット。弦を右手や左手で弾くピッツィカート。中には、弓の木の部分で弦を叩く、コル・レーニョなんてものもあった。彼曰く、これも手法として認められているとのことだった。どれもこれも彼の手にかかれば、素晴らしい音色となった。しかし曲になると、どうも下手に聴こえてしまうのだった。
「なんでそうなるんだろうな」
『理由が分かっておれば、とっくに一人前になっとるわ。』
そう吐き捨てたこともあった。
またレオンハルト・ヒュードは一度僕にお使いを頼んだことがあった。ヴァイオリンのエー弦が錆びているというので、弦を買ってきてほしいとのことだった。僕が次の日に弦を持っていくと、彼は怒りだし、
『馬鹿者! なんでアー弦を持ってくるんだ、エー弦と言っただろう! これしきを見間違えるなんて、お前の目は節穴か!?』
と僕の前でわめきだした。怒る幽霊という、一般的には恐ろしい場面を目撃しているにもかかわらず、なんだか愉快に思えて吹き出してしまった。それが火に油を注いでしまったらしく、僕はエー弦と、ついでにすり減っていたとされる松やにを買わされた。弓に塗って滑らないようにするものらしい。とんだ高い買い物であった。
しかし弾き終わった後の手入れは丁寧で、楽器も弦も弓も、いつ見ても新品同様にぴかぴかになっていた。彼曰く、
『こつがあるんじゃよ。手入れも奏法も、その真髄を愛を持って習得してこそ、ヴァイオリンは輝くのじゃ。』
とのことだった。それだけに、彼の楽曲の下手さはどこから来るのか、非常に疑問であった。
墓地に通うようになってから一週間が経った時のことだった。その日も僕は一人で墓地に向かったが、突然、背後についてくる存在を感じた。こんな感覚は職業高校に入ってからはじめてだった。
僕は後ろを振り返った。すると、存在は近くの木にスッと隠れた。その動作は俊敏であったが、ヴァイオリンのチャームが揺れているのは確かめられた。それと、その背後でもたもたしている、もうひとつの影も。僕はこの二つに見覚えがあった。
ヴァイオリンのチャームを鞄につけているのは、いつも学校で僕をからかう上級生のロビン。その後ろにいるのは、おそらく彼の下僕の一人のトッド・ジョンソンだろう。彼は同級生だが、あまり話をしたことがない。人は良さそうだが、彼の方から避けてしまうのだ。
ロビンがいるので少々気になるところではあったが、僕はそれでもヴァイオリンを聴きに、墓地へと向かった。
(続く)
昨日は忙しくて書けませんでした。
それと、後二話と一昨日言いましたが嘘です、もう二話ほど続きます。すこし当初の展開を変えました。