お題「ヴァイオリン、浮遊、筆記体」(2)
ジャンル: ファンタジー
あらすじ: 名前を筆記体で書いてもらえないと一人前とみなされない世界。先祖に半人前がいるせいで一家ともども嫌がらせを受けていた主人公が、その先祖の墓に嫌がらせをし続けた所、彼の幽霊が現れる。彼は自身を天才ヴァイオリニストだと自負しているが……
実家に着いた時、家には中年の侍女しかいなかった。彼女は僕を見ると、遅かったですね坊っちゃま、筆記体の練習はなさらないのですか、と声をかけてきた。僕は空返事して家の物置部屋へ向かった。年代物の不用品が、全て仕舞ってある部屋だ。
「えっと、バイオリン……、」
ひとまずケースらしきものを探すが、一眼では見つからず、数十分かかってやっと見つけだした。クッションや毛布の下に埋もれていた。楽器のケースは擦り切れていたり、埃まみれであったが、楽器の胴体はちゃんと艶を保っていた。
「これでいいか。」
時間を確かめたら4時半だったので、僕は楽器を抱えて墓地へ駆けた。
『おお、来たか。ユージよ。』
幽霊、もといレオンハルト・ヒュードは、ちゃんと彼の墓で僕を待っていた。僕の姿を認めると、もう来ないのかと思ったわと、嬉しそうに語りかけた。僕がバイオリンのケースを見せるとさらに嬉しそうになった。
『どれどれ……何じゃ、エー弦が錆びとるのう。誰も手入れをせんかったのか。』
彼は何やらぶつぶつ言いながら、弓の毛に何かを塗ったり、軽く弾いて弦の音を確かめたりした。
「ヴァイオリン、持てるんだな。」
『当たり前じゃ。私は天才ヴァイオリニストじゃからのう。』
どういう原理かはわからないが、深くは考えないでおくことにした。
『それじゃ、……ヴィヴァルディの春、で良いかの。』
そしてレオンハルト・ヒュードはヴァイオリンを左肩にあてがい、おもむろに弾き始めた。
「……うわぁ。」
思わず声が出てしまった。感嘆したのではない、むしろその逆だ。
下手なのだ。何というか、締まりがない。曲が曲として流れていないように聴こえる。僕は音楽のことはまったくわからないが、そんな僕でも異常さを感じられるほどには、異常な音楽であった。
曲が終わると、彼は得意そうに僕の方を見た。
『どうじゃ?』
「貴方下手って言われないか?」
『下手か……』
僕の返答に、幽霊はがっくりと肩を下ろした。
『あれだけ練習したんじゃぞ、何がまずかったんじゃ……?』
「あれだけって、どれくらい練習したんだ?」
『どれくらいも何も、持てる時間の全てを掛けたわ。全てじゃ。』
「仕事は?」
『仕事などしとらん! 私は天才ヴァイオリニストじゃからのう。』
この発言に、僕は一つの確信を持った。こいつ、真正の馬鹿だ。仕事もしないでバイオリンに打ち込んで、それも下手すぎるなんて、救えない。一生筆記体で名前を書いてもらえなかったという話も、至極真っ当なように思えた。
それにしても、僕や僕ら家族は、こいつのせいで今も蔑まれているのか。
僕の呆れが怒りに変わり掛けた時、この幽霊は再びバイオリンを手にした。
『はぁ、しかし、音は悪くないと思うんじゃが……』
彼は悲しそうにひとつ呟き、たった一音、弾いた。
(続く)
前回より短くなりました。これで千字ちょいです。
このお題の話はあと二話の予定です。
その後は、お題を変えて書きます。もっと短くなるかもしれません。