コロナウィルスを喜ぶ男
(* ̄∇ ̄)ノ 奇才ノマが実体験を語る。みんなもカルトに気をつけよう。
世界的にパンデミックを起こすコロナウィルス。日本も緊急事態宣言となるのか、という昨今。
コロナ疲れ、という言葉も出てコロナウィルスの為に多くの人が困っている。
しかし疲れようが元気であろうが、まだまだこのコロナウィルスの感染と起きる混乱に人は付き合わされることになるだろう。
マスクの次は保存食料の買いだめと転売だ、となるかもしれない。
そんな状況の中で、コロナウィルスの感染拡大を喜ぶ男と会った。
人によってはものの見方を変えることで、コロナウィルスを歓迎する人もいる、という一例は、発想の転換としてはおもしろい。
ということで私の体験をひとつ紹介。
◇◇◇◇◇
久しぶりに親戚の男が訪ねてきた。この男はカルトに嵌まっており、この男の運転する自動車に乗った体験を、リアルホラーとして短編にして、小説家になろう、に投稿したことがある。この男は困った人物だがネタにはなる。
正直に言えば、私はできればこの男に会いたくは無い。しかし、こちらの思惑など関係無く向こうからやって来る。
いつものニコニコとした、狂信から来る薄気味悪い善意の笑顔。話したいことがあるようで、家に上げてお茶を出して少し話をする。
「コロナウィルスでいろいろ起きてる。花見も無くなった」
イベント自粛が増えている。それをこの男は嬉しそうに言う。他にもコロナウィルスの為に店の経営が困る人や、仕事に困る人、病院では医療関係者がたいへんになってることを、ニコニコとして語る。
何がそんなに嬉しいのか、疑問に思って聞いてみる。
「私はコロナウィルスにかからないからね」
堂々と自信ありげに言う。何故、コロナウィルスにかからないのか、理由を聞いてみた。
「私は朝晩とお経を唱えているから、〇〇〇神が守ってくれる」
また出た〇〇〇神。これだからカルトは。その男は袖を捲って、手首につけた数珠ブレスレットを誇らしげに見せる。どうやらその数珠ブレスレットをつけていると、コロナウィルスに感染しないらしい。おめでたい頭だと思う。
「コロナウィルスが蔓延することで、この国は良くなる。〇〇〇神の教えに従う人はコロナウィルスにかからない。逆に〇〇〇神の教えに逆らう人はコロナウィルスに感染する。このパンデミックで生き残る人は〇〇〇神に選ばれた人だ」
カチンとくる物言いだ。志村けんさんが亡くなって寂しい気分になっていた私には、納得いかない。
この男にとっては、コロナウィルスで〇〇〇神が人類を選別している、ということのようだ。
コロナウィルスが蔓延することで、自分達カルトは残り、それ以外の〇〇〇神の教えに逆らう人は少なくなるらしい。
「コロナウィルスは一度かかると後遺症が残る。免疫が狂って病気にかかりやすくなって、ガンになりやすくなるんだ」
この男は医者でも無ければ、ウィルス研究者でもない。おそらくはカルトの中でそのような話になっているのだろう。
何故、そんないい加減なことを信じて口にできるのだろうか? 少し考えてみる。
コロナウィルスにかかった人をカルトの信者に取り込もう、ということではなかろうか。
カルトにお布施をし、謎の数珠ブレスレットをつけてお経を唱えれば、コロナウィルスの後遺症を抑えられる、とか言って信者を増やす作戦なのではないか?
「私は君のことが心配でこれを持ってきた」
そう言って男はテーブルの上に数珠ブレスレットを置いた。私につけろ、ということらしい。コロナウィルスにかからなくなるお守り。
既にこの男の頭の中ではストーリーができあがっている。信仰と善意で私にこの数珠ブレスレットを贈っている。
これで私がコロナウィルスにかからなければ、それはこの男の善意と信仰のおかげとなり、そのことに私が感謝してカルトの信仰に帰依してマジメな信者になる、というところだろう。
私の心の叫びは、
( ̄~ ̄;)「コイツ、アタマ、オカシイヨー、タースケテクレー」
である。
この男はいかに〇〇〇神が素晴らしいか、いかに教祖様が素晴らしいか、とかいうのを、語るだけ語って、気分よく帰っていった。
彼にとっては、コロナウィルスで苦しむのは〇〇〇神の加護の無い人なので、どうでもいいのだろう。
世の中がコロナウィルスパニックになっているこの時、ものの見方次第では、コロナウィルスのパンデミックも歓迎する人がいる。彼のように。
人々がこれからどうなるか、という不安にかられる中で、彼は日々が楽しく、明るく元気に暮らしている。もっとコロナウィルスが蔓延すればいい、とでも思っているのだろうか。
何事も立場と見方で変わるもので、今の状況を楽しんでいる人もいる、ということ。
人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である。と、言ったのは喜劇王チャップリン。
国によってはマスクが足りなくなり、グレープフルーツの中身をくりぬいたものに糸をつけてマスク替わりにしたり、オムツをマスクに見えるように改造して、顔に着けるというところも。
これはマスクを付けていないことに言いがかりをつけられて暴行されるために、なんとかマスクらしきものを顔に着けないと安心して外出できない、ということもあるらしい。
イベント自粛に、店舗では客足が遠のき、コロナ疲れと言われる昨今。
しかし、疲れた、勘弁してくれ、もう嫌だ、どっか行ってくれ、と願おうが祈ろうがウィルスが、じゃあ、と言っていなくなってくれる訳でも無い。
ならば笑ってこの状況に付き合っていくしかない。おかしなカルトの信者だけが楽しんでるのもカチンと来るので。
暗くなったりイライラしてもしょうが無い。一歩引いて見てみれば、喜劇となる状況を楽しみつつ、コロナウィルスがどこまでやらかしてくれるのか、人はそれすら利用して何をやらかしてくれるのか。
それを見せてもらうとしよう。
ブラジャーを改造してマスクにするという、かつて女性下着で顔を隠して活躍する、週刊少年ジャンプの主人公のようなことがリアルになってしまった現実とは、まさに喜劇的ではないだろうか。
そしてマスク不足の中で、異業種でありながらマスクを作った下着メーカーはスゴイ。
コロナウィルスが無ければ、ブラジャーマスクとはコメディの中にしか無かっただろうに。
追い込まれた気分につけこんでくる、怪しいカルト、インチキ医療に気をつけるには、現状を冷静に見る気持ちの余裕が必要となる。
いつまで耐えなければならないのか、となるほどに悲観的になり余裕は失せる。
今を耐えつつ楽しめるところを見つけて、この状況にメンタルを削られないようにして。
イワシの頭も信じれば神になる。それを信じるのは人の自由ではあるのだが。
コロナウィルスにかからない、というお守りやお札も人気のようで、一部ではコロナバブルとでもなっているのだろうか。
人の不安につけ込むのもビジネスのやり方かもしれないが。
おかしなデマやいい加減な治療法などに騙されないように、気をつけていただきたい。