第百七話 呼び鈴
古いわが家にインターホンはないが、呼鈴はある。ところが最近どこか故障したようで、チャイムは一階の台所と階段を上がった壁の二箇所に設置してあるのだが、二階の方が鳴っていないようなのだ。
ある日、ネットで商品を注文して「本日発送しました」とのメールを受けてから二日が過ぎたので、今日こそ届くはずと朝から耳をそばだてていたのに、昼食を摂るため階下に下りて行くと母が言った。
「さっき誰か来んしゃったようばってん、玄関まで行っても誰もおらんしゃった」
郵便受けを見に行くと、案の定不在票が入っている。九十二歳の母の動きはカタツムリのように遅いし、宅配便も数をこなさねばならないので悠長に待ってはいられないのだ。
そこで腹を決めた。そしてひらめいた。おそらく、コードレスの呼鈴があるはずで、コードレスならば配線工事は不要だから面倒くさがり屋の水田でも取り付けられる。
ネットで探してみると千五百円程度から二万円以上まで様々な種類があるので、その中から『ワイヤレス・人感チャイム』なるものを三千六十円で購入した。これは押しボタンがなく、頭上に設置した人感センサーが来客を感知して電波を送り、二階に置いた受信器のチャイムが鳴る仕組みだ。
わが家の玄関の軒先には十年近く前から人感ライトが設置してあって、夜間に人が近づくと照明がパッと自動で点灯する仕掛けだが、これも水田が脚立を立てて配線工事して取り付けたものだ。今回は電池式なのでものの十分くらいで発信部分を木ネジで取り付けた。
ワイヤレスだから受信器まで電波が届くかどうかが問題なのだが、玄関に近い二階の窓際に置いてみたら難なく受信できることが判明した。これで宅配便が来て旧来の呼鈴を押そうが押すまいが人感センサーが感知して、二階のチャイムを鳴らすことになる。
設置した日の夜十時頃、音量を『大』にしてあるチャイムがけたたましく鳴り響いた。こんな遅くに誰だろうといぶかりながら下りて行って、玄関の戸を開き、路地まで出て周囲を見回すが人影はない。
「くそっ、やっぱり野良猫か」
と声に出して舌打ちする。人感ライトの場合は感知範囲が広いので、家の前を通過する車や自転車や猫が点灯させることは確認済みだ。もしかしたら蛾がセンサーの前をヒラヒラ飛んでも点灯するのかもしれないが、チャイムの場合は感知する範囲を絞ってあるので、たぶん野良猫だろう。
人感センサーならぬ猫感センサーともいえるが、これまで猫をしょっちゅう見かけていて、わが家の玄関先はブロック塀に沿って裏庭に回るための、野良猫の恰好の回遊コースになっているのだ。隣のおばさんと、はす向かいのおじさんが餌を与えているため、水田に猫の区別はつかないが、見かける茶色の猫も白っぽい猫も黒っぽい猫も丸々と太っている。
のみならず、就寝する際に受信器のスイッチを切らなかったため、真夜中の三時頃にチャイムがけたたましく鳴って快眠を妨げられたので怒り心頭にきた。おそらく二本足の泥棒ではなく野良猫の仕業にちがいない。
そこで、朝メシを食べ終えると直ちに物置から長さが九十センチのコンクリートパネルの切れ端を引っ張り出し、隣家と共有するブロック塀と建屋の間に立てかけて裏庭と往来できないようにした。しかも、その上にさらにコンクリートパネルの切れ端をそろっと載せたので高さは百八十センチになり、跳び越えることはまず不可能になった。強い風で上のパネルが落ちたり全体が倒れたりして猫の上に落ちることがあるかもしれないが、思う壺だ。
さらに、玄関先のカイズカイブキの幹と家屋とブロック塀の間に水を入れた二リットルのペットボトルを四本と、セメント煉瓦を五個立てて並べた。煉瓦の上に飛び乗ったりすれば煉瓦が倒れて痛い目に合うことになるだろう。往来できないことを学習するまでは人感チャイムを鳴らすかもしれないが、やがては玄関に近づかなくなることを期待する。
ところで、これではまるで水田は猫に何か怨みでもあるかのようだがそうでもない。怨みがあるとしたら今回のことでチャイムを何度も鳴らしていらつかせたことだけだ。
だが、ウィンストン・チャーチルは『犬は我々を尊敬し、猫は我々を見下しているが、豚は対等に見てくれる』と言ったらしいが、水田もそんな気がするのだ。子猫は別にして成長した猫の目は黒目部分が小さくて蛇の目を連想させるので、本能的に好きになれないのかもしれない。
また、中国の伝説に、妹喜、妲己、褒姒の三悪女がいて、妹喜は夏の桀王を、妲己は殷の紂王を、褒姒は周の幽王を溺れさせ、国を亡ぼすに至ったと伝えられているが、この三人の目と猫の目が、同じ目をしているような気がしてならないのだ。
通行止めにしてから一時間後くらいに二階のチャイムが鳴ったので、来客か、はたまた野良猫かと検分に行ってみる。すると、風も人影もないのに煉瓦が一個倒れコンクリートパネルが少しずれていたので、ほくそ笑みながら元に戻した。
「妹喜、妲己、褒姒、オレはお前たちには負けんぞ」