【ロズ】
異世界へと続く、曲がりくねったチューブのようなトンネルを飛ぶ。背中から生えた黒い翼が羽ばたくたび、シャランという涼しげな音が生まれる。異世界で盗みを繰り返すのが俺の生業だが、こうして次元トンネルを一人孤独にシャランシャランと飛び回るのが一番好きな時間かもしれない。
「おっ? 見えてきたな」
トンネルの先にまばゆい光が見えてくる。経験上、この光がまぶしいほど高価なお宝が見つかりやすい。その点で言うと、今回降り立つ世界は中の下というところか。
「しょぼいな……。まあ、贅沢言わずにお仕事お仕事」
はた迷惑で申し訳ないが、俺の故郷は“異世界での窃盗”で成り立っていると言っても過言ではない。俺の評価を上げ、一流の盗賊として認められるためには仕事を選んでいる暇など無いのだ。
「さて、行くぞ。ブリーガン七つ道具の一“万能鍵”!」
右手の人差し指を突き出すと、指先から光に包まれ、徐々に凹凸のある鍵の形に変化する。あらゆる錠を開けるだけでなく、異世界への扉を開く力を持つ、俺たちブリーガンの必需品だ。
突き出した人差し指を、ちょうど鍵を回すように右に九十度回す。すると目の前に半透明の扉が現れ、カチャという音と共に鍵が開く音がする。次元トンネルと異世界とがつながった音だ。
その扉を開くと、今回の異世界のパノラマが目に飛び込んだ。
「ちっさい国だな」
第一印象はそれだけだった。
空に大地が浮かんでいる。しかし「大地」といっても決して広くはなく、人間の大人なら端から端まで走っていけるほどの面積か。俺の翼なら数分でそれができる。
眼下の大地の中央には、この国の権力者が住んでいると思われる居城がある。その前方には、城に見守られるようにこぢんまりとした家々が軒を連ねる。
それ以上に目を引くのは、居城の背後で燃え盛る巨大な白い炎だ。ゴウゴウと唸りを上げながら天を焦がすその姿には神々しさを覚える。
「とはいえ、あんなのは金にならないな。そうなると、やっぱりあの城が狙い目か」
ここでブリーガン七つ道具の二“姿隠し《シースルー》”を使う。両手の親指を口に入れ、その爪を同時に噛むと、一瞬にして自分の姿が透明になる。隠密行動には欠かせない。
あくまで透明になるだけなので音などは隠せない。音を立てないようにゆっくり降下すると、外を出歩く住民たちの姿もよく見えるようになった。
「普通の人型と、一部だけ虫のように変質した奴がいるのか。あと、体中に刺青を彫っている奴もいるな」
ますます変な国に来てしまったなと思う。
まあいい。俺は盗みに来ただけだ。この国の住民とコミュニケーションを取りに来たわけじゃない。
透明なまま居城の上空を旋回し、どこに降り立つかを見極める。
「おや、あれは?」
二階のテラスに一人の男が寝ている。デッキチェアに寝そべり、グオーとこの位置まで聞こえる大いびきをかいている。粗野な男だな。
そんな男はともかく、目を引いたのは隣のテーブルに積んである本だった。俺の国にある本と装丁も何も大きな違いは無いが、妙に惹かれる存在感がある。まるで、本に命が宿っているような……。
ゴクッ
つばを飲み込む。盗賊としての本能が、俺の体をあの本に差し向けた。
そっとテラスに降りる。男は変わらずいびきをかいている。気付かれた様子は微塵も無い。
それでも音に気を付けつつ、一冊の本を手に取る。赤い装丁の安っぽい本だ。中を読んでみると、一種のファンタジー小説のようだ。描写の細かさには舌を巻くが、読んでいて面白いとは感じない。自叙伝と表現したほうが近いかもしれない。
次に目を引いたのは、黒と銀のグラデーションが美しい装丁の本だ。中央には少女と、変な姿の獣が描かれている。日の光を反射して水面のように煌めいていた。
「綺麗だな」思わず手を伸ばす。
ガシッ!
「……ッ!」悲鳴を上げそうになるのをこらえた。
伸ばした右手を、今の今までぐうすか眠っていた男がつかんだ。いや、眠ったままつかんだ。
「……ん? 何だ、これ?」
ようやく男が目を覚ました。
鋭い目つきは獣を連想させる。力もすさまじく、振りほどこうとしても巨大な岩に挟まれたかのようにビクともしない。
俺の姿は依然として透明なままだ。だから男は、自分が何をつかんでいるのかわかっていない。その隙を突けないかと考えたが、遅かったようだ。
「よくわからんが、これは人の腕だな。侵入者か」
その言葉の直後、俺の視界が吹っ飛んだ。天地がひっくり返る。
この男に振り回されてるんだなと理解したときには、ビタンとテラスの床に背中から打ち付けられていた。
***
「……んあ……?」
目を覚ますと、そこは牢屋だった。正面には鉄格子があり、それ以外は冷たい石の床、壁、天井。俺の国には「十回投獄されたら一人前」なんていう言葉があるが、何度経験しても屈辱しか感じないのは俺がまだ若造と言う証拠なのか。
七つ道具を使えば脱獄なんて簡単だ。しかしそれが今できないのは、目の前に見張りがいるからに他ならない。あの目つきの悪い男だ。
叩きつけられた衝撃のせいか、透明化も翼も解除されている。自分の無様な姿が晒されているかと思うといたたまれない。
「よお。目覚めはどうだ」
「最悪……」
「そうか、正直者でいいな。強がって『意外と快適だな』なんて言い出したら永久に閉じ込めておくところだった」
「まじかよ……」
「冗談だ。こんなちっちゃい国に、お前のような侵入者を何日も閉じ込めておく余裕なんて無い」
男は真顔のままそう言うので、徐々に不安になってきた。このまま、こんな化け物のような強さの男に見張られたまま飢え死にさせられるのか。それとも即座に処刑されてしまうのか……。これまでの盗賊人生で最大のピンチに、血の気が失せてめまいを覚えそうになる。
しかし、男が下した判決は思いもよらないことだった。
「お前はさっさと自分の世界に帰れ。ただし、その前に罰として面白い話をしてもらう」
そう告げてニカッと笑った。
俺が入れられた牢屋は居城の地下に作られたものらしい。牢屋から出され、男に連れられて上の階に上がる。縄も手錠もかけられないのは「そんなもの無くても俺はお前を逃がさない」という自信の表れのようで腹立たしかったが、実際にこの男から逃げられる気もしなかったのがさらに悔しかった。
男の名は“ロズ”といい、この“ビブリア“という国を守るのが使命らしい。最悪の男に近づいてしまったわけだ。
言われるがままに居城の二階に上がり、大部屋らしき一室の前に立つ。扉には「図書室」と書かれた札がかけられていた。
「さあ、入れ」
「はいはい」
促されて入ると、この国の住民がざっと百人は集まっていた。それだけならまだしも、部屋の前方に向かって椅子がずらりと並べられ、そのほとんどの席が埋まっている。
俺は盗賊見習い時代の教室を思い出した。大きな違いと言えば、彼らの表情が遠足前の子供のように興奮をにじませていることか。
「ロズさん、そいつが今回の侵入者ですか!?」
「ああ、そうだ!」
「悪そうな顔してますね。俄然楽しみです!」
どういうことだ? まさか、これから百人がかりで俺をリンチにするつもりか?
残酷な光景を思い浮かべそうになったが、俺への罰は予想外のものだった。
「それじゃあ今日は、この盗賊さんの冒険譚やら何やらを聞かせてもらおう!」
「わあー!」
理解が追い付かないというのに、ロズは俺を彼らの正面に連れていき、そこに置かれていた肘掛椅子に座らせた。
「……いや、あの。どういうことだ?」
「さっきも言っただろ? 面白い話をしてもらうのがお前への罰だ」
「そう言われても、俺はただの盗賊だぞ? コメディアンとか吟遊詩人とか、しゃべりで生計を立てているような人間じゃない。面白い話だなんて……」
「そうか。じゃあ、言い方を変えよう。お前の故郷の話とか、どうして盗賊になったかとか、他にどんな世界に盗みに入ったとか……そういうのを話してくれればいいんだ。なるべく詳しくな」
どうやら酷い目に遭わずに済みそうでホッと胸をなでおろすが、なぜ彼らはそんなことを望んでいるのか?
俺の疑問を察したのか、横に立つロズは俺を見下ろしながら笑顔で説明する。
「お前も薄々勘づいていると思うが、俺たちは普通の人間じゃないんだ」
「いや、一目瞭然だが」
「体の構造が違うのはもちろんだが、他にも習性と呼べるものがある。異世界への好奇心が強いんだ。本来はこの城の裏にある混沌の炎に飛び込んで異世界に行くんだが、危険を伴うし、子供や老人は一層荷が重い。だから、お前のような侵入者や旅行者なんかがこの世界に来たときは、異世界の話をしてもらうように頼んでいるんだ」
「ふうん」
この男の言っていることに嘘は無さそうだ。他の者たちもうなずいたりしている。
どのみち、断ったところでメリットは無い。おとなしく従ったほうが身のためだ。
自分の身の上を話すことなんて初めてだが、これはこれで良い経験になるかもしれない。
「じゃあ、話すよ。そもそも俺の故郷の国では盗賊になるなんて一般的で――」
***
その夜、俺は客室で一泊することになった。
俺の話は意外にも好評だった。話しながら「こんな話の何が面白いんだ?」と思いもしたが、彼らはどんな話でも目を輝かせて聞いてくれた。俺も気分を良くして何時間も話してしまった。
その後居城に住む者たちと食事をとり、風呂に入り、適度な疲労感と満腹感を抱えてベッドに寝ているところだ。まぶたが徐々に重くなっていく……。
「……って、いやいや! 俺は盗賊だろ! どこの世界に食事と寝床を恵んでもらう盗賊がいるんだよ!」
このままじゃ腑抜けてしまう。何か盗んで、さっさとこの世界を出てしまおう。そう思ったときだった。
「あんなところに明かりが?」
窓の外にぼんやりと明かりが灯っている。暗くてわかりにくいが、周囲の景色と記憶を頼りに考えると、あれはロズに捕まったテラスの辺りだ。
「行ってみるか」
念のためにと透明化を施し、窓からテラスに向かって飛び立つ。
果たしてそこには、予想していたとおりロズがいた。頬杖をつきながらテーブルに積まれた本の一冊を読んでいる。
「おい、そこにいるんだろ? 気が散るから、さっさと降りてこいよ」
ロズは視線を本に向けたまま言った。とっくに俺を察知していたらしい。観念して言うとおりにする。
「なんでこんなところで本を読んでるんだ? 部屋の中のほうが明るいし落ち着いて読めるだろ」
「部屋の中だと、お前のような不届き者の存在を感じるのが難しくなるからな。ビブリアの守護者として、常にある程度気を張っておかないといけない」
「そりゃご苦労様」
テーブルに視線を寄越すと、あの黒と銀の本が目に入った。思えば、この本を手にしようとしたときに捕まったのだ。
特別な本なのかと尋ねると、ロズは首肯した。
「本当はいけないことだが、数ある本の中でもこの本だけは特別扱いしてしまうんだ」
「もし、俺がもう一度盗もうとしたら?」
「ぶち殺す」
「じゃあやめとく」
笑顔で洒落にならない殺気を放たないでほしい。
「……俺、もうこの世界を出るよ。なんだかんだで世話になったな」
「なんだ。一晩ゆっくりしてけばいいのに」
「これ以上生き恥を晒したくないからな。盗みに失敗した以上、さっさと退散する。盗賊は引き際も大事なんだよ」
「そっか。それじゃあ止めはしない。じゃあな」
「おう」
互いにひらひらと手を振り、俺は翼を羽ばたかせて夜空に上がる。ある意味互いに敵同士なので、これぐらいのさっぱりした別れがちょうどいい。
万能鍵で空中に作った扉の前に到着する。これを開けば故郷に続く次元トンネルに入れる。
「結局、盗めたのはこれだけか」
右目に指を突っ込み、取り外す。小さなボタンを押すと、ロズたちがいた居城の見取り図が立体映像として表示される。
ブリーガン七つ道具の五“記録眼”は、見たものを記録する機能を搭載している。主に潜入捜査の際に使用する道具で、事前に建物の構造や人物の配置などを記録することで盗みの成功率を上げるのに役立つ。
「今回は俺の負けだが、次は絶対その本を盗んでやるからな!」
***
盗人の少年が消えた夜空の下、ロズは黒と銀の装丁の本を撫でていた。
「なあ、スクレ。俺、ちゃんとやれてるよな? この国を守れてるよな?」
答えは返ってこない。そこにあるのはただの本なのだから。
しかしロズは、満足げにフッと笑った。
「随分女々しいなって? 許してくれよ。みんなにはこんな顔、絶対に見せないからさ」
ロズは顔を上げ、ぐるりと首を回す。
ここはビブリア。白本と装者たちが暮らす国。その全てを慈しむように、ロズは目を細めていた。




