十話【ロズとスクレ、最後の時間】
その夜。
ロズとスクレは共にマグテスの家にいた。「最後の夜なので、一緒に過ごしませんか?」彼女のほうからそう提案したのだが、ロズもそのつもりだった。
「待ってろ。とびきり美味いもの作ってやるからな!」
ロズは冷蔵庫からありったけの食材を引っ張り出し、鮮やかな手さばきで調理を進めていく。ヌエ第四の型の影響か、自分に宿った三人分の調理技術がプラスされ、次々にレシピが浮かんでくる。
自分で自分の腕前に驚きながら腕を振るい、二人では食べきれないほどの料理がダイニングテーブルの上に並んだ。エプロンを着けた彼の後ろ姿を笑顔で見ていたスクレは若干ひきつっていた。
「どうぞ、召し上がれ!」
「い、いただきます」
「俺もいただきます!」
料理は最高の出来だった。箸が止まらないどころか加速する。それはスクレも同じのようで、いつも上品に食べる彼女が少年のようにがっついている。
二人とも食べるのに夢中で、会話はほとんど無かった。ロズは「最後の夜がこんなのでいいのか?」と思いもしたが、目の前にある幸せそうな顔を見るうち、まあいいかと料理をひたすら口に運び続けた。
「一緒にお風呂に入りませんか?」
そう聞いたとき、ソファーの上で腹を撫でていたロズはひっくり返った。
装者は白本の身の回りの世話をするのが一般的で、入浴もそれにあたる。白本は水に長時間浸かると体がふやけてしまうため、湿らせたタオルなどで体を拭いてあげることになる。
ロズとスクレは別々の家に住んでいたため、その機会はあまり無かった。異世界に行っても彼女が頑なに拒むので、共に入浴するといった経験は一度も無かった。
「ま、まあ……お前がそう言うなら……」
「いや、あの……動きがギクシャクしてますよ。変に意識しないでください……」
「そういうお前だって、やけに顔が赤いじゃん……」
白本も装者も子供が作れない体だからか、互いに異性として意識することはあまり無い。
二人は脱衣所で裸になる。当然体は男と女そのものだが、そういった理由から普通の人間のような生理現象は起らなかった。
しかし恥じらいが全く無いわけでもないので、スクレは大きめのタオルで体を隠している。
「じゃあ、洗い始めるぞ。洗う順番は?」
「髪からお願いします」
「了解」
ロズはスクレの髪をシャワーで流し、シャンプーを手に取って揉むように馴染ませていく。たちまち彼女の髪はもこもこの泡に包まれた。
「この髪も、もう見納めなんだな」
無意識につぶやいてしまった。
白本の髪は銀色であるが、人間になる方法を知ってしまったスクレは、そのショックからか半分黒く染まっている。彼女はそれを気にしていつも帽子をかぶっていたし、ロズも初対面のときはひどく驚いた。
「あたしの髪、どうですか?」
先ほどのつぶやきが聞こえたのか、スクレはそう尋ねた。
ロズは本心で答えた。
「好きだよ。神秘的で」
「そうですか」
彼女はそれきり何も言わなかった。
二人の目の前には鏡がある。ほとんど曇ってしまって二人の姿はぼんやりとしか映らないが、ロズには彼女が微笑んでいるように見えた。
二人は入浴を終え、温まった体のままベッドにもぐりこんだ。ロズの一人用のベッドに二人が入っているため、大きく寝返りを打つと落ちそうになるほど窮屈だった。
入浴とは違い、並んで寝ることは多かった。そのため新鮮味は無かったが、これが最後の夜と考えると、体が眠るのを拒否するように目が冴えてしまった。
「はー。たらふく食って、風呂に入って、ふかふかのベッドで横になる……すぐに眠っちまいそうだな」
「はい。そうですね……」
そう言ってみるものの、やはり眠気はやってこない。スクレも同様なのか、何度かもぞもぞと体勢を変えながら眠気を呼び込んでいるが、どうにも効果が無いらしい。
「眠れないのか?」
「はい。今から緊張してしまって……」
「そりゃそうだよな。白本にとって本に成るのは最大の目標だし、お前の場合はビブリアの今後にまで影響するんだもんな。白本の半分くらいは、目の下にクマを作って本に成るらしいぞ」
「ふふっ。それじゃかっこつかないですね」
「ははっ。そうだな!」
笑い終えると、スクレが顔をこちらに向ける。
「じゃあ、ロズさんが眠れないのは?」
「俺は……なんでなんだろう? 主人を本にする夢はもうすぐ叶うし、念願だったヌエ第四の型も習得した。師匠を亡くしたのは辛いけれど、心残りも緊張する理由も無いはずなんだけど……」
「ひょっとして、あたしと別れるのが辛いからじゃないですか?」
彼女の顔を見ると、目を細めていたずらっぽい笑みを浮かべていた。
「お前、そういう顔もできるんだな」
「失礼ですね!」
「いや、ごめんごめん。殴るなって。今まで見た表情で一番可愛かったよ」
「……本当に?」
「本当だって。俺が普通の人間だったらほっとかないね。襲っちゃうよ」
「…………」
スクレが静まり返る。
今のはちょっとセクハラだったかと思っていると、スクレが体をすり寄せてきた。
「……何なら、試してみますか? 人間の男女がするようなこと」
「……いいのか?」
「あなたとなら」
「……俺も、お前となら。でも、ちょっともったいないな。そんな貴重な経験、ぜひともお前の体に刻んでおくべきなのに、もうページは空いてないんだろ?」
「だからいいんじゃないですか。本に成ったら、ネイサ様に全部見られちゃうんですから」
「二人だけの秘密ってことか」
「そういうことです」
そして二人は、知識を頼りに体を重ね合わせた。この手の知識が豊富なのは白本たるスクレで、彼女にリードされる形になったロズだったが、たまにはそれも悪くないなと思い始めた。彼女自身もまんざらではなさそうだった。
ランプの暖かい光に照らされながら、二人の体が一つになる。激しく揺れる。それでも吐き出しきれない感情を愛の言葉に替えて交わし合った。
相手の体に自分の存在を刻むように、何度も何度も――。
いつの間にか朝になっていた。
ほぼ同時に起床した二人は、互いの顔を見て大笑いした。
「ひっでークマ!」
「ロズさんこそ!」
二人は改めて浴室で体を清め、ネイサの使用人が迎えに来る前に身支度を整えた。
あと数時間でスクレは本に成る。




