九話【スクレの覚悟】
ロズ、スクレ、ニーニャの三人はネイサの居城の一室に通された。三人とも手は縄で縛られたままで、それぞれの背後には剣を構えた装者が立つ。少し離れた場所にも数名の装者が立ち、万が一に備えて目を光らせている。
それでも今のロズにとっては窮地とは言えなかったが、スクレが自ら望んで拘束された以上、ギリギリまで彼女の意思を尊重しようと決めていた。
「待たせたな、みんな」
この城の主であり、この世界を支配するネイサが現れた。
見た目の年齢はスクレと同程度の少女で、性格は明るく朗らか。面倒なことは嫌いで、日々の仕事を使用人に丸投げすることも多い。
そんな彼女が向ける冷たい視線は、実質最強の装者であるロズすら凍り付きそうだった。
「……それにしても、随分変わった三人が集まったな」
ネイサは三人の顔を順に見ながらつぶやいた。
「ロズ……お前は元の力を取り戻したようだな。にもかかわらず、あの日の獣のような姿とは違い、穏やかな顔をしている。マグテスの教育は正しかったようだな」
そう言ってロズの肩をぽんぽんと叩いた。
「スクレ……お前のことは西の村に暮らし始めた頃から気にかけていたが、無事に本に成るだけど経験を積んでくるとはな。嬉しいぞ。その黒髪に何を秘めているのか興味もある」
そう言ってスクレの長い髪を撫でた。
「そして、この機械の少女……何者なのだ? ただ人を模した機械というわけでもなさそうだが」
「ニーニャはニーニャ!」
「はは、そうか。ニーニャというのか」
そう言って彼女の頭を撫でた。
ネイサは三人の正面に立つと、手にしている杖で床をトンと叩いた。
「お前たちはマグテスたちを殺してはいないだろう。顔を見ればだいたいわかる。しかし確実とは言えないし、他の者たちも納得しない。しかしタイミング良く、スクレが本に成る条件を満たしている。この場で彼女を本にして事の次第を確認しようと思うが、どうだ?」
ネイサの言葉はスクレに向けられている。
その言葉を待っていたとばかりに、彼女はビブリアの女王を見据えて口を開いた。
「あたしはそれで構いません。しかしその前に、あたしの話を聞いていただけませんか?」
「もちろんだ、聞こう」
「ありがとうございます」
スクレはロズを一瞥すると、意を決したように話し始めた。
「あたしの体には、ネイサ様が長年求めていた“人間になる方法”が刻まれています。あたしが本に成れば、すぐにでも人間になる儀式の準備を始めることができるでしょう」
「まさか……それは本当か!?」ネイサが目を大きく見開く。
「もちろん嘘ではありません。しかし、その前にお願いがあります」
「ふむ。それは何だ?」
「ここにいるニーニャに、ネイサ様の力を移していただきたいのです」
ネイサは虚を突かれたように目を丸くし、周囲の装者たちも似たような表情を見せる。
「……どういうことだ? 順を追って説明してほしい」
「――ネイサ様は、人間になる儀式を異世界のどこかで行うのでしょう? そうしなければ人間になった瞬間ビブリアが崩壊し、全てが無駄になってしまうから」
「そのつもりだ。全ての白本と装者を連れ、異世界で人間になり、共に暮らそうと考えている」
「しかしあたしのように、ビブリアを離れたくない者もいるでしょう。その者たちはビブリアと共に消滅するしかありません」
「……そうだな。私もそれだけが気がかりだった」
「あたしとロズは、その対策が見つかるまであなたから逃げ続けようと考えていました。しかし、運命のめぐりあわせか、その対策が見つかりました。ここにいるニーニャがその鍵です」
全員の視線がニーニャに向けられる。
何のことかわからない当の本人は「ん?」と首をかしげる。
「ここに来る直前、あたしたちは別の世界にいました。その世界はニーニャを失った瞬間に消滅してしまいました。つまりこの子には、世界というか――時空というか――そういったものを維持する力があるんです。ニーニャちゃん、そうだよね?」
「うん。そうだよ」
すると彼女は、自分がいかにして世界を維持することができるのか、そのメカニズムを事細かに解説し始めた。聞いたことの無い単語や数式の連続に誰もが困惑していたが、ただ一人ネイサだけは理解しているかのようにこくこくとうなずいた。
「――確かにその理屈なら、私がニーニャに改良を加えれば力の一部を与えることができそうだ」
「その言葉を聞いて安心しました」
スクレがホッと息をつくのをロズが見ていた。
城に連行される途中、彼女は「ビブリアを守る当てがある」と言っていた。それはニーニャの能力のことだったのだ。
大した奴だとロズは感心したが、全ての問題が解決できそうになったことで決定的になったことがある。
「だからあたしは、本に成ることを受け入れます。もうどこにも逃げたりしません」
スクレはついに本に成る。そのために仕えてきたとはいえ、ロズの心は晴れなかった。
ネイサが目配せすると、ようやく三人の拘束が解かれた。
「わかった、ご苦労だったな。今この場で本にしてもいいが、どうする?」
そこまで考えていなかったのか、スクレは頬に手を添えて少し考えだした。
答えが出たのか、パッと表情を明るくしてロズの服の袖をつまんだ。
「一日だけ待ってください。ここまであたしを支えてくれた彼と、最後の時間を過ごしたいのです」
「そうか……わかった。明日の昼頃に迎えを寄越そう」
「感謝いたします」
こうして、ネイサとの話し合いは終わった。
ロズはマグテスと住んでいた自分の家に帰った。その傍らにはスクレの姿もあった。
ニーニャはネイサの居城に残った。どこか通じるところがあるのか、二人はすぐに意気投合していた。ネイサとしても、ニーニャの体の構造などを綿密に調べる必要があるのだろう。
家で一息ついたロズとスクレは、マグテスとモーブの火葬を手伝いに行った。
葬儀を生業にする装者と共に二人の冥福を祈り、彼らの遺体を混沌の炎に捧げる。彼らの姿が消えるとともに、炎はゴウッと一瞬激しく燃え上がった。
天まで届く白い巨大な炎は、ネイサがこの世界からいなくなれば役目も無くなり、消えてしまうだろう。そんなことは構わないと、この日もゴウゴウとうなりながら燃え盛っていた。




