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黒髪に秘めたスクレ=ヴェリッタ  作者: 望月 幸
最終章【みんながいた国】
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四話【ロズが生まれた日】

挿絵(By みてみん)


 雲一つない夜空の下、居城の中庭に儀式を執り行う者たちが集った。


「皆、ありがとう。何かあったときはよろしく頼む」


 儀式の中心となるのは、ビブリアの女王であるネイサ。普段着ることのない祭服に袖を通し、その面持ちには緊張の色がうかがえる。


「はい! 必ずネイサ様をお守りします!」


 ネイサを守るのは、彼女の使用人と腕利きの装者たち十名。現在白本に仕えていないフリーの装者だが、いずれも輝かしい実績を持つ実力者ばかりだ。


「何も起こらないのが一番ですが……」


 そして彫師のマグテス。手にはアタッシュケースを持っており、その中身は刺青を彫るための墨と針が収納されている。


「何だマグテス。ずいぶん弱腰じゃないか」顧客の一人である装者が話しかける。

「危険は無いに越したことはないでしょう?」

「それはそうだが、この面子だ。どんな怪物が生まれちまっても対処できるさ」

「そう願いたいですが……」


 マグテスの心配をよそに、いよいよ儀式が始まった。

 地面には電子回路のような複雑な図形が描かれている。それぞれの回路の端には拳大の窪みがあり、全体の中央には二回り大きな円が描かれている。

 ネイサは灰が盛られた三つの器の内一つを手にすると、それぞれの窪みに一握りの灰を盛る。器が空になると、別の器を持って同じことを繰り返す。

 全ての窪みに灰を盛り終えると、ネイサは中心の円に立った。手にした純白の杖は仄かに発光しており、彼女の尋常ではない力がこめられていることがうかがえる。


「いよいよ始まる……」


 寒くもないのにマグテスの体が震える。今すぐアタッシュケースを開き、すぐに自分の役割を果たせるように準備を整えたかった。


「愛しい我が子よ、眠りから覚めなさい。愛しい我が子よ、眠りから覚めなさい。灰は骨に。灰は肉に。灰は血に。命は私が与えよう。使命は私が教えよう。愛しい我が子よ、立ち上がりなさい――」


 呪文らしき言葉を紡いだネイサは、光る杖で地面をトンと叩く。


「うおっ!?」

「こっ、これはっ!?」


 回路が激しい発光を始める。ドクンドクンと心臓の鼓動のように光が明滅し、それぞれの円に盛られた灰が回路の上を滑るように飛んでいく。ネイサが中央の円から離れると、飛んできた灰が円の中で混ざり合い、徐々に人の形を成していく。

 真っ白な灰の塊は徐々に血色を増し、やがて肌色になった。卵のようにつるりとした頭部に凹凸が作られ、鼻や口などの器官が作られていく。頭頂部からはピンク色の髪がザワザワと生え揃い、円柱を組み合わせたような丸っこい体にたくましい筋肉が盛り上がる。


「すげえ……!」


 装者の一人が漏らした言葉に、マグテスも心の中で同意した。目の前に生まれつつある赤ん坊のような青年が、まるで地上に降臨した神か天使に思えた。

 やがて光が収まった頃には、全員の視線の先で美しい肉体美を備えた裸の男がたたずんでいた。


「おめでとう」


 ネイサが歩み寄ると、青年は寝起きのような顔で彼女を見下ろした。


「私はネイサ。このビブリアの女王だ。そして君は、白本を守る装者。わかるか?」


 青年がうなずくので、さらに説明を続ける。


「しかし君は少し特殊だ。白本だけではなく、装者……さらにはこの世界全てを守ってほしい。そのために君を生み出したのだ」


 その言葉を聞くと、青年は自分の体のいたるところをペタペタと触り始めた。

 全員が彼の行動を訝しみながら見ていると、彼は突然顔を覆った。指の隙間からは見開かれた眼が覗く。


「オレの……わたしの体じゃない……俺は一体どうなって……」


 ただならぬ気配を感じて、マグテスは思わずアタッシュケースのロックを解いた。


「ご主人様はどこに……? 無事か? 戦いは終わったのか? 気配を感じない…………」

「どうした? さっきから何を言っている?」


 スクレが彼の体に触れようとしたときだった。


「触るな!!」


 突如青年は彼女の首筋に噛みついた。そのまま肉を食いちぎると、片手でネイサを投げ飛ばした。


「貴様!!」


 武器を実体化した装者たちが襲い掛かる。

 確かな実力を持った十人の装者なら、あの謎の青年も簡単に取り押さえられるだろう。マグテスのそんな予想はすぐに外れた。

 生まれたばかりの青年に武器は無い。にもかかわらず、一人だけ時間の流れが速いのかと思えるほど装者たちの攻撃を軽やかにさばいていく。ひとたび拳を繰り出せば、防御の上からでも相手を打ち倒す。

 一頭の猛獣を相手に、ただの人間たちが右往左往する――そんな光景だった。


「何だ、ありゃ……失敗どころの話じゃねえぞ……」


 マグテスの横には一人の男の装者が残っていた。完全に腰が引けてしまったのか、手にした刀がカチャカチャと音を立て続けている。


「ちょっとよろしいですか?」

「あ、ああ……マグテスさん。何ですか? 逃げる相談ですか?」

「そんなことできるはずがないでしょう。彼を止めなければ、最悪ビブリアが滅んでしまうかもしれません」

「そっ、そんな大げさな……」

「大げさではありません! ネイサ様の治療もすぐに行わなければ危ない。ネイサ様の死は、すなわちビブリアの死です」


 その言葉を聞いて、男はつばを飲み込むと鋭い目つきを返した。


「……俺は何をすればいいですか?」

「時間がありません。私の言うことを順次実行していってください。まずは……」マグテスは自分の左袖をまくった。「その刀で、私の左腕を切り落としてください」




「みんな、まだ戦えるか!?」


 この場で最も腕の立つ装者が問う。常に最前線で青年の攻撃を受け続ける彼は数えきれないほどの傷をこさえていた。


「まだ……いけます!」

「こんな若造に負けてられませんよ!」


 多くの死線を潜り抜けた経験とプライドが装者たちを立ち上がらせる。

 そんな彼らの姿を青年は燃える瞳で見回しているが、さすがに一対多という人数差が響いているのか、大きく肩を上下している。


「奴も疲れ始めている! それにマグテスが何かやろうとしている! このまま全員で時間を稼ぐぞ!」

「おうっ!!」


 装者たちは大きく踏み込まず、青年への挑発と防御に徹した。彼の攻撃は力と速さこそ並外れているが、あまりにも単純だ。徐々に攻撃のリズムをつかんできた装者たちは、目が追い付かなくても動きの予想で対処し始める。余裕が出てきたのか、装者の一人が傷ついたネイサを居城の中へ避難させる。


「みんな! 待たせた!」


 全員が疲労困憊となりつつある中、マグテスの声が中庭に響いた。

 彼の右手には、先ほど切り落とされた自分の左腕が握られていた。腕には禍々しく燃える炎のような刺青が彫られていた。

 前線で戦う装者たちが一瞥すると、マグテスに指示を求めた。


「またすげえの彫ったな! それで、俺たちはどうすればいい?」

「彼の動きを封じてください! ほんの数秒で構いません!」

「マジか……。こいつ相手に力比べはキツいなあ!」


 しかし全員とっくに覚悟は決まっていた。

 最後の力を振り絞った装者たちが一斉に飛び掛かる。そのうちの数人はあっけなく返り討ちに遭ったが、無事に懐に潜り込んだ三人が青年の手足を抑え込む。


「オオォォォォーーーーーーーーーーッ!!」


 青年の咆哮が天を衝く。

 三人の装者は圧倒されながらも決して力を緩めない。


「今だ、マグテス!」

「ありがとうございます!」


 マグテスと、彼の腕を切り落とした刀の装者が同時に駆けだす。


「頼みましたよ!」

「はい!」


 刀の装者は先んじて飛び出すと、身動きの取れない青年に向かって刀を振るう。青年の肩から腰に向かって斜めに大きな傷が付き、大量の血が噴き出した。

 それを見届けると大きく横に飛んでマグテスに場所を譲る。


「ギャアアッ!」

「すみません! しかし、これで終わりです!」


 マグテスは手にした左腕を突き出し、傷口に思い切り押し付けた。

 すると、左腕に彫られた刺青が激しく発光しながら、流れ出る血を吸い始めた。

 さらに不思議なことが起こった。青年の傷口から血が霧のように噴き出し、彼らの頭上を覆い始める。その赤い霧には、ぼんやりと三つの顔が描かれているように見えた。

 やがて血の霧も刺青の中に吸い込まれると、青年はガクンと頭を垂れて気絶した。

 青年を押さえつけていた装者たちは彼を横にして、緊張感と一緒に大きく息を吐きだした。


「……やったのか、マグテス?」

「……はい。成功です」

「一体何が起きたんだ? 俺には何が何だかさっぱり……」

「簡単に言うと、彼の“力”のみを刺青に封印したんです。ほら、あれを見てください」


 マグテスが指差す先には、力を封じたという彼の左腕が転がっていた。それは白く変色しながら形を変えていく。最終的に、人の背丈ほどの巨大な一本の骨のようになってしまった。


「あれが彼の“力”の形のようですね。詳しいことは調べてみないとわかりませんが、彼はだいぶ弱体化したはずです」

「そうか……。お前が優れた彫師ということは知っていたが、まさか“力”を封じるなんて芸当ができるとはな」

「一か八かでしたがね」

「謙遜するな。しかし、これはどうしたもんか……」


 装者の一人が“マグテスの左腕だったもの“を拾い上げる。


「とにかく、俺たちが勝手に決めることはできない。ネイサ様が治り次第判断を仰ごう」

「ええ、それがよろしいでしょう」


 マグテスは刺青の道具を片付けながら、縄で縛られた青年を見た。獣のような戦いぶりとは打って変わって赤子のように眠る彼の顔を見て、一つの想いが浮かび上がってきた。


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