一話【怒りと悲しみ】
深い深い森の中、ロズはモーブを前方に睨みながら走り続ける。つかず離れずの距離を保っていることには気づいていた。つまりモーブは自分をどこかに誘い込んでいるのだと。
「だからといって、放っておくわけにもいかないからな!」
こうなったらどこまでもついていってやると覚悟を決めた途端、モーブはスピードを落とした。
「森の中にこんな場所が……」
うっそうと生い茂る森の中に、ぽっかりと円形の広場が作られていた。
「知りませんでしたか? ここは装者たちの秘密の特訓場ですよ。街中だとあまり激しい訓練はできませんし、飛び道具を扱うなら流れ弾の心配もありますからね。ここでならお互い思い切り戦えるでしょう?」
「そうだな。じゃあ、スクレが追い付くまでに決着をつけておくか。これ以上逃げ回られると面倒だ」
「逃げていたわけじゃありませんよ。ただ場所を変えたかっただけで」
モーブは直剣を、ロズは棒を構える。
「せえっ!」
先に仕掛けたのはモーブだった。
鋭さと豪快さを併せ持った斬撃は、数々の敵を打ち倒してきたヌエに大きな傷を付けた。
「くっ!」
思わぬ攻撃の重さにヌエを握る力が緩む。その隙を突き崩すように、立て続けに無数の刃が襲い掛かる。同時に数人の男を相手にしている錯覚を覚えさせる。
嵐のように絶え間なく繰り出される攻撃を凌ぎながら、ロズはじっと相手を見つめていた。
「こいつ、この程度か?」
意表を突かれた最初の攻撃は少し危なかった。しかしそれ以降の攻撃は、半ばコントロールを失った力任せの単純なものだった。
装者の中でも群を抜く身体能力のロズは、力と力のぶつかり合いで同じ装者に負けることはあり得ない。加えて相手が冷静さを失っているとなれば、既に結果は見えていた。
「こいつ……俺のことなんて見えていない。俺を倒すのはただの通過点で、その後スクレをいたぶることだけを考えてるんだろうな」
師匠との訓練、スクレとの旅を通して成長したロズにとって、ただ復讐心に取りつかれ正気を失いつつあるモーブは駄々をこねる子供のように見えた。
「悪いな。お前の言い分を聞いてやれなくて」
ヌエを持ち直すと、これまで正面から受け止めていた攻撃を横から弾くようにさばき始める。モーブの剣が徐々に空を切り始めた。
「受けられるよりも空振りするほうが意外と疲れるだろ? それに比べ、俺は体力の消耗を最小限にできる。お前も装者ならこれぐらいできないのか?」
「うるさい! 馬鹿にしないでくださいよ!」
「……力の差も見極められないか」
振り下ろされる剣の先を強く弾いてやると、とうとうモーブの手から剣の柄が抜けた。ブンブンと回転しながら宙を舞う剣は、やがて彼の背後に突き刺さった。
「なっ!?」
剣の行方を見ていたモーブの横腹に思い切りヌエを叩きこむ。水平に飛ばされたモーブは地面を転がり、体中が泥と落ち葉で汚される。
「ヌエ第二の型“蛇の道”」
装者の糸を張って弓状に変形したヌエを左手に、右手で実体化した矢をつがえる。放たれた四本の矢はモーブの両手足を地面に縫い付け、流れ出した鮮血が土に染み込んでいく。
「痛ってえ……強すぎだろこいつ……」
ロズは歩み寄り、モーブを見下ろした。
「俺はお前に恨みは無いし、スクレはむしろ罪悪感を抱いている。これ以上お前を痛めつけることはしたくない。お前が二度と襲わないと誓うなら解放してやるし、今後のお前の生活をちょっとくらいサポートしてやってもいい」
その提案に対し、彼は唾を吐いて答えた。
「ハハ……ごめんですね。俺の人生の再スタートは、スクレを切り刻んでやらないと始まらないんですよ。それが叶わないなら、いっそここで俺を殺してくれよ」
「……またそれか」
ロズは頭が痛くなってきた。スクレといい、この男といい、なぜ自分の周りには命を投げ捨てても構わないという者が多いのか。
しかし、この男を殺したくないし、放っておくわけにもいかない。とりあえずスクレの到着を待って辛抱強く説得するか。
そう思ったときだった。
「そんなに死にたいなら、僕が殺してあげますよ」
木陰から何かが飛び出したかと思うと、モーブの体に煌めくものを突き刺した。
シゾーだった。異世界でロズを死に追いやった張本人がビブリアに潜んでいた。
「何のマネ――うあぁ!?」
シゾーが左手の刃を引き抜くと、その傷口から炎が噴き出した。炎は瞬く間にモーブの体を悲鳴ごと覆い隠した。じたばたともがいても勢いは衰えず、焼け跡にはいびつな黒炭のように変貌したモーブの無残な姿だけが残った。
「シゾー……なんてことを!」
つがえた矢をシゾーに向ける。彼の持つ謎の刃を警戒してのことだ。
にもかかわらず、シゾーは余裕の笑みを浮かべる。
「なんてことって、お前の手伝いをしてやったんだろ。こんな危ない奴、さっさと処分しちゃうのが一番効率的じゃないか」
ロズを見据えたまま焼死体を足蹴にすると、モーブだった黒い塊がボロボロと崩れた。
「っていうか、こいつを連れてきたのは僕なんだけど」
「何!?」
「面白かったよ。故郷に戻れる喜びと、自分を見捨てた主人に復讐できる喜びか、犬みたいに尻尾振っちゃってさ。僕の言うことをちゃんと聞いてくれたよ」
「言うことって、俺とスクレを始末することか? 残念だったな。そんな三流に負ける俺じゃない。見てのとおり無傷の勝利だ」
ロズは自分でそう言いながら、言い知れぬ悪寒が這い上がってくるのを感じた。
俺を不意打ちするために、嫌悪する俺との共同生活を数日過ごした奴が、こんな単純な作戦を立てるか?
シゾーはロズに向けて指を二本立てた。
「僕がこいつを連れてきた目的は二つ。一つはこの場所に連れてくること。まあ、ある程度見晴らしが良い所だったらどこでも良かったんだけど。そしてもう一つは……」
言葉を区切ると、すうっと大きく息を吸った。
「誰か来てくださーい!! 人殺しだあー!!」
天に向かって叫んだ。
訝しむロズに、再び邪悪な笑みを浮かべて説明を再開した。
「もう一つは“本命”にお前を始末してもらうためだよ。誰も知らないだろうが、僕はたびたびビブリアに入っていろんな情報を集めてるんだよ。どいつもこいつも憎らしいけれど、それを我慢してね。
その甲斐あって、お前のことも色々知ることができたよ。お前の過去とか、弱点とか」
シゾーの言葉の向こうから、何者かが走り寄ってくる足音が聞こえてくる。そのリズム、音質は聞きなれたものだ。
「やっぱり、弟子の不始末は師匠がつけないと……そう思わない?」
シゾーに言われるまでもなく、足音の主が誰なのかわかっていた。
「ロズ君!?」
木々の向こうから師匠が現れた。
するとシゾーはたちまち目に涙を溜め、涙声を出しながらマグテスにしがみついた。
「うぐっ……マグテスさん。僕が見つけたときにはこんなことに……。怖いよお……」
「ちっ、違う! そいつの言ってることはでたらめだっ!」
言ってからハッとした。自分は武器を実体化している。そのうえ、死体には今も自分が放った矢が突き刺さっている。当然マグテスは、それがロズのものだということを知っている。
「……先ほど、この子が血相を変えて家に飛び込んできたんです。ロズ君らしき装者が、森の中で別の装者と争っていると。君はちょっと短気なところがありますが、成長した君ならもう大丈夫だろうと……そう高をくくっていたのですが」
「だから違うんです! 俺の言うことが信じられないんですか!?」
「信じてあげたい……ですが、少しでも疑いがある時点で許されないのです。それが、私が君を引き取った条件なのですから」
「何ですか、その話は……?」
「それは……いえ、もう無駄なことです」
マグテスは泣いていた。とめどなく涙を流しながら、自分の首元の刺青をなぞる。すると細かい装飾が施された剣の柄が現れ、それをつかむと一気に引き抜いた。極端に細く長い刀身は、ロズが初めて実物を拝むレイピアだった。
マグテスはシゾーに離れているようにと告げると、レイピアの切っ先をロズに向けて構えた。
「ロズ君……残念ですが、あなたを処分させていただきます」




