六話【決意改め】
小さな宿をアルメリア・ブルームのメンバーが貸し切り、夜になるとあちこちの部屋から大きないびきが聞こえてきた。
「相変わらず、起きていても眠っていても騒がしい人たちですね」
彼らの眠りを妨げないようにと、宿の廊下を静かにアルメリアが歩いていた。
そんな彼女の横にはロズとスクレがいた。
「悪いな。あんたもゆっくり寝たかったんじゃないのか?」
「私は平気です。その気になれば一週間寝なくても平気ですから。それより、もうビブリアに戻るんですか。もう少しゆっくりしていっても良かったのに」
「これ以上厄介になるのも気が引けるからな。それに、あんたの言葉で俺の決意も固まった」
「そうですか。力になれたようで幸いです」
三人は宿の二階から一階のリビングに降りてきた。カーテンを開けると程よい月明かりが差し込み、三人の姿をぼんやりと青白く照らした。
「アルメリア……さん。あのとき、俺を止めてくれてありがとうございました」
ロズは床のカーペットに膝を着けて頭を下げた。
「俺は勘違いしていました。思えばスクレに出会った頃から、何度も『死にたい』って聞かされて、それがスクレの望みだと勘違いしていました。でも、違うんですよね。誰だって死にたくない。額面通りに受け取って、『生きたい』っていう願いを見落としていました」
ロズは顔を上げ、スクレとアルメリアを見ながら宣言した。
「俺は今度こそ、真の意味でスクレの味方になります。もう迷わない。ビブリア全てを敵に回しても、スクレを裏切るようなことはしない。これが、俺の決意です」
ロズは立ち上がると、スクレと共に自分たちのことを詳しく説明した。最初の出会いから、これまでの旅のこと。スクレの体に「ネイサ姫が人間になる方法」が刻まれていること。それが実行されればビブリアが消滅すること。
「なるほど……私が思っていたより辛い事情があったのですね。わかったような口を利いてすみませんでした」
「謝らないでください、感謝してるんですから」
「しかし、具体的にはどうするんですか? 本に成る条件を満たした白本を、スクレ様が放置しておくとは思いませんが」
「そのことですが……正直に報告しようと思います。ネイサ様に」
ロズの視線を受けて、スクレが話を引き継ぐ。
「ネイサ様に正面から陳情します。『あたしにはネイサ様を人間にする物語が刻まれています。しかし、それが実現すればビブリアが消滅してしまう。それを防ぐ手段を見つけるまで待ってもらえませんか』と」
二人の計画を聞いて、アルメリアは腕を組んで小首をかしげる。
「正直な感想ですが、聞き入れてもらえるとは思えませんね。ネイサ様は人間になるためにビブリアを作ったのでしょう? 長い年月の末ようやく願いが叶うというのに、それを待つとは……」
「だから、俺がいます!」ロズが拳を握る。「ネイサ様が力づくで来るなら、俺が命がけで食い止めます。もしもビブリアにいられなくなったら、スクレと共に異世界で暮らします!」
しばらく無言で見つめ合うと、アルメリアが笑みを見せた。
「いいものですね。私はヴェラード様やシックザール様の命令を聞いてばかりでしたが、あなた方は共に最善の道を探ろうとしている。自分で考えることを半ば放棄していた私では、これ以上のアドバイスはできませんね」
彼女が右手を差し出すので、ロズとスクレは順に彼女と手を握り合う。
「ご武運を」
「ああ」
「ありがとうございました」
ロズとスクレは手をつなぎ、白い炎に包まれて去っていった。
二人の決意を見届けると、アルメリアは笑みを浮かべながら自分の部屋に戻った。
「……それにしても、やっぱり緊張するな。ネイサ様、絶対怒るだろうなあ」
ビブリアに戻ってくるなり、ロズはそんなことをつぶやいた。
「何を情けないこと言ってるんですか! アルメリアさんの前であれだけ強気で宣言しておいて!」
「それとこれとは別だろ! あの言葉に嘘はねーけど、相手は女王様なんだから緊張は仕方ないっての!」
「まったく……。本当に、頼りになるのかならないのかわからない人ですね」
この日のビブリアは珍しく曇天だった。この世界で雨が降ることは無いが、降ってもおかしくないほどの分厚い雲が空を埋め尽くしている。
「なんだか縁起が悪いですね。実はネイサ様は全部知っていて、もうとっくに怒ってるのかも……」
「おいおい、お前まで弱気になるなっての。こうなったら当たって砕けろだ! いざとなったら砕ける前に逃げる!」
「じゃあ、先にあたしの家に行って栞を持ってきたほうが良さそうですね」
「そうだな。結局寝てないから、できるなら一眠りしてから城に行きたいが……」
ロズが大あくびをすると、それにつられてスクレもあくびをした。
「伏せろ!」
唐突にロズが叫び、彼女の頭を無理やり押さえつけた下げさせた。
その直後、彼女の頭の上を小石が猛烈な速さで通り過ぎ、背後に消えていった。
「ちょっと! 舌を噛みそうだったじゃないですか!」
「黙ってろ! 敵だ!」
ハッとしてスクレが身構え、彼女の盾となるように前に立つ。実体化させた武器を手に前方を睨むと、森の中から人影が現れた。
「モ……モーブさん!?」
「よお、スクレ。久しぶりだなあ」
笑顔で手を振る紫の髪の男。一見スクレの友人のようだが、彼女の震え方と、何より男が持つ直剣がただならぬ雰囲気で場を包み始めた。
「止まれ。何者だ、お前?」
「何だ、そいつから聞いたことが無いんですか? その女のせいで異世界に取り残された、かわいそうな装者君ですよ」
モーブは止まらず、ロズの首元を指差しながら近づく。
「っていうか、なんであんたが俺の指輪持ってるんですか? 結構汚れてるし、傷も付いてるし……。なあ、スクレ。お前の新しい装者は随分粗野な奴だなあ」
「この指輪の持ち主?」
ロズはつい先日スクレから聞いた話を思い出した。
「そうか。お前だったのか」
「わかっていただけました? なら、さっさと返してもらえませんかね。お気に入りなんですよ」
「……そうだな」ぐっと指輪を握る。「本当なら、そうするべきだ」
「……ハア?」
「悪いが、この指輪はもう俺とスクレの絆の印なんだ。そうでなくても、自分の主人だった相手に、そんな殺気を向ける奴に返す気は無い」
「なんですか、それ? 俺は被害者だっていうのに、これ以上傷つけようって言うんですか?」
「俺の話のほうが筋が通っていないのはわかる。まずは、落ち着いて三人で話し合いでもしないか? 他の物で穴埋めしたっていい」
「……ふうん。一応俺のことも考えてくれてるんだあ」
一瞬ニタリと下卑た笑みを浮かべると、剣を振り上げたモーブが跳んだ。渾身の斬撃をヌエで受け止め、ガキンと痛烈な音が森に響き渡る。
「じゃあ、その女の命だけで我慢してあげますよ! その指輪もどうでもいい! 邪魔するならまずあなたから切り刻みますよ!?」
「くっそ! 最初から交渉は無理だと思ってたけど、案の定だったな畜生!」
モーブはつばぜり合いの状態から飛び退くと、森の奥に向かって駆け出した。
「どうしますか!?」
「追うに決まってるだろ! あんな奴を野放しにしたら、今後いつどこで襲われるかわかったもんじゃねえぞ!」
モーブの背中を見失わないよう走ると、装者ではないスクレはあっという間に引き離されてしまう。
「あたしに構わず先に行ってください! 見失うのだけは避けないと!」
「……わかった!」
彼女を一人にすることに一抹の不安を抱いたが、言う通りでもある。迷いを振り切って全力で後を追った。




