八話【猿と蛇と虎とロズ】
スクレがロズを助けるべく奔走している間、ロズは夢を見ていた。それは彼と面識のない、三人の装者の夢だった。
***猿の夢***
「お前は猿みたいな男だな!」
自らの主人にそう言われ、男はニカッと笑った。
男はとにかく落ち着きのない装者だった。主人の白本以上に好奇心が強く、時折主人を置いて勝手にどこかへ行ってしまうことも多かった。仲間の装者からは「無責任な奴」と評価されていたが、不思議と軽蔑はされず、むしろ人気者だった。
そんな彼と組む白本も、はじめのうちは彼に対して不信感や不安を抱く者が多かったが、次第に彼の明るさにほだされて楽観的になってしまった。
「主! 次の世界も楽しみじゃのう!」
「おう! しっかり護衛も頼むぞ!」
そして二人が訪れた世界で出会ったのは、石器で獣たちを狩る人間たちだった。二人が訪れた世界の中では最も文明レベルが低く、それゆえに貴重な経験ができそうだと滞在を依頼すると、彼らは快く受け入れてくれた。
彼らが振る舞う野性味溢れる料理を腹いっぱい食べると、途端に眠くなってきた。
そして目を覚ますと、彼らは無数の獣たちに囲まれていた。彼らは知らなかったが、その人間たちは別の部族の人間を捕らえると、自分たちが将来狩る獣を育てるため、毒で眠らせて放り出すという習慣があった。
白本が栞を燃やせば、その場でビブリアに帰ることができる。しかし毒の効き目が強かったのか、主人の白本は目を覚まそうとしない。
グルルとのどを鳴らしながら、四つ足の肉食獣が周囲を囲む。その数およそ三十。次第に距離を詰め、体長二メートルを超える巨体が飛び掛かる。
「ウオオォォォォーーーーーーーーッ!!」
装者は実体化させた棍棒を手に獣たちと戦った。主人を守りながらの戦いは彼の動きを鈍らせ、体には多くの傷が刻まれた。
朝日が昇り目を覚ました白本が見たのは、三十匹の獣の死体と、自分を守るように仁王立ちする従者の死体だった。
猿の夢はここで終わった。
***蛇の夢***
「あんたは蛇みたいな女ね」
自らの主人にそう言われ、女は微笑みながら舌を出した。
女は地味な装者だった。黒く長い髪で表情が隠れ、自分から口を開くことも少ない。仲間の話題に上がることはめったに無く、彼女の初対面の印象は「幽霊みたいな女」というのが大半だった。
「ほら。次の世界でもしっかり守ってね」
「はい……」
彼女が生涯仕えた白本は一人だけだった。その白本は高飛車な少女で、無理難題を従者に言いつけた。
装者は彼女の意見を尊重した。命令は必ず実行し、彼女が異世界を回るときは邪魔にならないよう少し離れたところから見守っていた。主人が襲われそうになれば、得意の弓矢でわずか二秒で射抜いた。
彼女の献身のおかげで、少女は立派な本に成ることができた。本に成るため別れるとき、二人は赤ん坊のように泣きじゃくった。
そして主人は本に成り、従者は混沌の炎に身を投げた。
蛇の夢はここで終わった。
***虎の夢***
「君は虎のような男だね」
自らの主人にそう言われても、男は無言だった。
男は寡黙な装者だった。無駄な話はせず、ただ自分の仕事をこなしていた。仲間は彼の話題を意識して避けており、むしろ存在自体を頭から抜こうとしているきらいがあった。
「じゃあ、次の世界でも頼むよ」
「ああ」
彼の主人は中年の白本だった。白本としては高齢で、それ以上本に成るのが遅れれば“廃棄”されるか、本の虫に堕ちるかのどちらかの運命が迫っていた。しかし巡り合わせが悪いのか、彼が訪れる世界は特に記憶に残らない平凡な世界か、すぐに帰らなければならないほど危険な世界ばかりだった。
「次で最後にするよ。君には迷惑をかけたね」
「ああ」
果たして最後に訪れた国は、後者だった。神か、悪魔か。見たことも無い異形の生物たちが地と空を覆い、血で血を洗う争いを繰り広げていた。たった二人の来訪者が立ち入る隙間など無いほどに。
肩を落とす主人の前で、従者は駆け出した。二人の気配を察して近づいてきた未知の生物に、手甲をはめた拳を振るう。赤紫の血を浴びるほどに装者の動きは鋭くなり、何事かと押し寄せる生物を瞬く間に葬っていく。ネグロが最良の装者なら、彼は最強の装者と陰で称されていた。
虎の装者は戦いに明け暮れ、白本はその光景を目に焼き付けた。
一週間後、白本は本に成るだけの経験を積むことができ、その代償として装者の命の灯は消えかけていた。振るい続けた拳の骨は砕け、全身の筋肉はズタズタに傷付き、体表には乾いた血が大量にこびりついていた。
「私のために……こんな姿になるまで戦って……」
白本は彼の体を抱くと、一言「構わない」そう聞いた。虎の夢はここで終わった。
白本は本に成るためにネイサ姫の居城に向かうと、彼の偉業を称え、遺体を手厚く葬ることを懇願した。
***ロズ***
「オレは……わたしは……俺は…………」
混濁する意識が徐々にまとまり、ようやく自分の状態を把握することができた。
「俺は、ロズ。シゾーに刺されて、体が動かなくなった。それから先は覚えていないが、妙に体がだるい……ずっと眠っていたのか?」
閉じていたまぶたの向こうから光を感じる。ただの光なのに、随分懐かしく感じる。
目を開けると、土でできた見慣れない天井が視界に入った。視線を右に動かすと、面識のないヴルムの老婆が椅子の上でうたた寝していた。容姿からしてシロアリのヴルムと思われる。
「誰だ、このおばさん……うげっ!?」
視覚と共に他の感覚も戻ってきた。口の中に苦みと生臭さが充満し、不快感が頭を突き抜けて一気に覚醒へと導いた。
「くっさ! にっが! うぷっ……ぐがあ……!!」
悶絶しながらベッドから跳び上がると、今度は左から何かが飛び出し、ロズの胸元に突っ込んできた。まだ体の力が戻り切っていないロズは抵抗もできず、枕にボスンと頭を深く沈めた。
「こっ、今度は何が……!?」
見下ろすと、そこには艶のある長い髪。黒から銀のグラデーションを描くその髪の持ち主は一人しか知らない。
「スクレ!」
「ロズさん! 目を覚まして、良かった!」
無意識に彼女の体を抱きしめそうになり、ハッとしてやめてしまった。ところが、逆に彼女のほうがロズの体を抱きしめた。
このとき、ロズは装者の本能で察した。スクレの雰囲気が変わっている。本に成る条件を満たしたのだと。
「あらあら、目を覚まして良かったわ。それじゃ、邪魔者はしばらく外に出ているわね」
ヴルムの老婆が部屋から出ようとすると、その前に二人の男が飛び込んできた。
「ほらな、言った通りだろう! 儂の女房の治療に失敗なんてありえねえんだよ!!」
「良かったな、スクレちゃん! それとロズ君も!」
「うおっ!? 知らない奴が増えた!?」
「はいはい。あなたたちもちょっと外に出ましょうね」
三人が外に出ると、しんと部屋が静かになった。二人きりになるのはいつものことなのに、なぜだかロズは背中がむずがゆくなった。
「えっと……俺が寝てる間に何があったんだ?」
「それはもう大変だったんですよ? あたしの武勇伝をしっかり教えてあげます!」
ロズは黙って彼女の話を聞いた。
スクレが彼のために奔走したこと。
伝説の装者であるネグロの協力を得たこと。
異世界で悪魔と戦ったこと。
そして、本に成るだけの経験を積み終えたこと――。
「やったじゃねえか! おめでとう、スクレ!」
ロズは満面の笑みで彼女の手を握った。
自分が仕える白本が本に成ることは、装者にとって最大の喜びだ。加えて、その決め手になったのが自分を助けるための冒険だった。病み上がりでこれ以上の喜びを表現できなかったのが心苦しかった。
「あーくそ。俺もその場面に立ち会いたかったな。まあそれは仕方ないとして、今日は盛大にパーティーでも開くか? 俺と師匠でめいっぱいのご馳走を作ってさ! そんで、明日にはネイサ様に本にしていただくんだ」
「あの……」
「ん? どうした? めでたいことばかりなのに、随分暗いじゃねえか」
「大事な話をしたいんです。それも、できればビブリア以外の場所で……」
ロズは頭は良くないが、主人の心情を全く読み取れないほど愚かでもなかった。
彼女のその表情は、これまでに何度か見てきた。“あの話”に関係のあることだ。
「――わかった。ただ話をするだけなら大した準備もいらないな。明日にするか?」
「はい。病み上がりで申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
「気にすんなよ。俺の体の頑丈さは知ってるだろ?」
「ふふ、そうでしたね」
彼女の笑顔を見て、つられてロズも頬が緩む。
この日が、二人がビブリアで穏やかに過ごせる最後の日となった。




