五話【保管庫への道】
スクレ・ネグロ・マハドの三人は“聖水を回収する”という目的の下、協力関係を結んだ。
マハドの妻いわく、岩を積み上げたピラミッド型の祭壇の一角に、内部の保管庫に続く通路があるらしい。ただし彼女が亡くなった今、正確な位置はわからず、手探りで探していくしかない。
スクレが異世界に滞在できる時間は残り三日と半日程度。それとなく「三日以内で見つけられないか」と尋ねたところ、順調に行けば大丈夫とのこと。
順調じゃない――つまり悪魔と呼ばれる大蛇の妨害を受ければ不可能になる。とどのつまり、聖水探しは三人とディーモンの戦いということだ。
話が終わった頃には日が落ちかけていた。スクレとしてはすぐにでも祭壇に戻りたかったが、ディーモンの動向を考えれば危険すぎる。マハドも彼女の焦りを察したのか、翌朝早く出発しようと約束してくれた。
三人は邸宅の三階にある寝室に向かった。二台のダブルベッドがあったので、一台はマハドが、もう一台はスクレとネグロが使うことにした。
マハドは疲れからかすぐに寝息を立て始めたが、スクレはなかなか寝付けなかった。胸の鼓動がいつもより大きく感じる。
「眠れないのか?」
背を向けていたネグロが声をかける。
「やはり初対面の装者と一緒のベッドは気が引けるか? なんなら、儂は屋上で寝てきても構わんが」
「い、いえ……あたしのことはお構いなく」
言って布団に潜り込む。昼間とは打って変わって涼しくなり、少々カビ臭いものの分厚い布団がありがたい。
「心配するな、お嬢ちゃん」ネグロのくぐもった声が聞こえる。「聖水は必ず手に入れる。そして、嬢ちゃんの装者は助かる。そのために儂がついてきたんだ」
老いぼれた装者の言葉をどれだけ信頼すればいいのか。スクレは測りかねていたが、今は心もとない励ましでもありがたい。
目を閉じ、自分の呼吸音を聞いているうち、スクレは眠りに落ちていた。胸に灯った希望の火を守るように、布団の中で丸まっていた。
「さあ、出発しましょう!」
軽い朝食を終え、荷物を積んだマハドは努めて明るく振舞っていた。
「空元気だな。よほどディーモンとやらが恐ろしいのか、それともスクレを元気づけようという考えか」
「ネグロさん。今の言葉、絶対にマハドさんに聞かれないようにしてくださいね」
マハドのモーターボートは小さく、三人と食料、ロープや銛などを積み込めばいっぱいになってしまう。水上では逃げ場が無いと考えれば、彼が一層ディーモンとやらに恐怖するのは仕方のないことかもしれない。
その証拠に、ディーモンに気付かれないようにとボートは鈍行で祭壇に向かったのだった。
祭壇の高さはおよそ二十メートルで、水深が約五メートル。見晴らしが良くなってしまったこの国では、その存在感が一層際立っている。
朝日を受けて水面が煌めき、反射した光が四方から祭壇を照らす。皮肉なことに、人間たちを押し流した神罰の雨がその美しさを際立たせていた。信者のマハドなどは、時々うっとりしながら神々しい岩の建造物を見上げていた。
「――さあ、着きました。保管庫への入り口はこの近くのはずです」
マハドはボートを祭壇の北東にある鐘楼に係留した。ちょうど目線の高さに大きな鐘がぶら下がっている。
「妻の話によれば、祭壇の中央と鐘楼とを線で結んだ位置。その二段目は一見すれば普通の岩ですが、引き戸のように横にスライドするそうです」
「わかった。確認するが、聖水は円柱型の瓶に入っているんだな?」
「はい。大きさは人の前腕程度で、少なくとも十本は常時保管されているとのことです」
「儂らは一本もらえればそれでいい。後はお前さんが仲間のために持って帰ってやるといい」
「ありがとうございます。あなたにも神のご加護があらんことを」
マハドは両手を合わせて祈りを捧げると、ネグロも渋々それに従った。
「スクレさんは昨日お話した通り、ここでディーモンが来ないか見張りをお願いします。もしも奴が来たら、この鐘を思い切り鳴らし、すぐに鐘楼の梯子を上がってください。奴が悪魔とはいえ、水中からそう高くは跳べないでしょう」
「はい。わかっています」
三人がそれぞれ役割を確認すると、まずマハドが服を脱いで下着姿になる。左腕の傷は昨日見たが、彼の全身には無数の痣や傷があった。おそらく水害の際に付いた傷で、彼が九死に一生を得たことが伺える。
次にネグロが服を脱ぐ。褐色の肌は健康そうに見えるが、老人らしく肉が削げ落ち、力強さは皆無と言っていい。何より両足の義足がスクレには痛々しく見えた。マハドに関しては義足を初めて見るのか、好奇心と遠慮で目が泳いでいる。
「では行きましょうか。無理はしないでくださいね」
「なに、儂のことは気にせんでええよ。お互い無事に帰れるように願おう」
二人は護身用の手銛をつかみ、水に飛び込んだ。
水は澄み、沈んだ街に潜る二人の姿がよく見える。マハドが先導し、その後ろをネグロが追う。義足とは思えない滑らかな泳ぎにスクレは感嘆を漏らした。
二人は一度潜ると二、三分ほど祭壇に積まれた石材の表面をなぞり、浮上して一息つく。体が休まったところで再び潜水し、また続きをなぞっていく。途中で軽食や昼寝を挟みつつ、同じことを夕方まで繰り返した。
スクレは緊張感をもってディーモンを警戒していたが、基本的には暇だった。本当なら自分も潜って保管庫の入り口を探したかったが、白本は水に弱い。体の半分は紙でできているので、水に潜ればたちどころに体が水を吸収し、最悪の場合体がバラバラに分解してしまう。
「これが今のあたしにできることなんだ」そう自分に言い聞かせながら、やはり退屈な時間を過ごしていた。
結果的に、この日は収穫が何もなかった。
周囲を警戒しながらの潜水は体力の消耗が激しく、早朝から始めたとはいえ何十回も潜ることはできない。スクレとネグロが増えた分だけ、食料の魚なども確保しなければならない。
帰りのボートの上は空気が重かったが、前向きな言葉を発したのは意外にもネグロだった。
「なに、心配ない。明日には見つかるさ」
「何か根拠があるんですか?」
「根拠はない、勘だ。だが、儂の勘は当たるぞ」
そんな馬鹿なとスクレは思ったし、マハドもきっと同じように考えたはずだ。
しかし彼の勘は本当に当たった。
ボートの上で先に昼食の缶詰を食べていると、水面から興奮した様子のマハドが顔を出した。
「見つかりました! ネグロさんが入り口を見つけましたよ!」
ネグロもすぐに浮上し、顔に付いた水をぬぐった。
「石材の中に一つだけ、取っ手のように不自然にくぼんだ箇所があった。洪水の影響で祭壇が歪んでしまったのか、かなり重いがどうにか動かせる。マハドと二人がかりなら、時間はかかるが開くだろう」
「ほ、本当ですか!?」
スクレの顔がパッと明るくなる。この世界での滞在時間は残り一日半だが、どうにか間に合いそうだ。
「とはいえ、油断はできない。引き続き見張りを頼むぞ」
「はい!」
***ネグロ視点***
三人は昼食と昼寝を挟み、日が傾き始めたところで聖水探しを再開した。
「儂はこんな脚だ。水中での力仕事は頼りにしてるぞ、マハド」
「お任せください。こう見えて力仕事は得意ですから」
精神的な負担が軽減されたことで、二人の動きは軽くなっていた。
「ふっ……ぬおぉ……!」
マハドは水中で体を横に倒し、くぼみに指をかけ、重い物を持ち上げるように両腕・腹筋・背筋に力をこめる。水中でなければ不可能な扉の開け方だったが、それでも扉は「ズ……ズ……」とわずかにしか開かない。数センチ開いたところで、ネグロも隙間に手を入れてわずかながら力を貸す。
二人が力を合わせても、一度の潜水で開くのは十センチ弱。夕方までに潜水を繰り返し、ようやく大人一人が通り抜けられるほど開いた。
「もう時間がありませんね。中の様子を一度確認したら帰りましょうか」
「そうだな」
ボートから懐中電灯を持ってきた二人は順に保管庫に入り、暗闇に支配された内部を照らした。
懐中電灯の先では、錆び始めた金属製の祭器が棚に並べられていた。洪水による衝撃を扉が防いでいたおかげか、内部は水で満たされている以外は荒れていない。中には高価そうな装飾品も置かれているが、二人は目もくれず目的の品を探した。
息が苦しくなってきたところで、マハドが大げさな身振りで保管庫の角を指していた。
そこには南京錠が掛けられた地味な箱が置かれていた。大きさは大人三人が入れそうなほど。試しに開けようとするが、南京錠はしっかりと蓋をロックしている。
「鍵を探すのは……ほぼ不可能だな。鍵も箱も水中で破壊するのは難しい。どうにか解錠するしかないな」
そう結論付けると、二人はボートに戻ることにした。
「保管庫を開けっ放しにするのは、ちょっと気が引けますね」
「気にするな。盗人の姿は見当たらんし、仮にいたとしても聖水の箱を開けられるとは思わん」
「私としては祭器の一つでも盗まれるのは心が痛みますが……そうですね。割り切ります」
ボートに戻ると、スクレがぼうっと空を見上げていた。別の意味で舟をこいでいたのか、声をかけると彼女はビクッと体を震わせ、慌ててネグロたちに手を貸した。
後は聖水が入っていると思われる箱を開けるだけだ。その報告に彼女は上気し、少女らしい笑顔を見せた。それを見て、ネグロは若い頃共に旅をしたじゃじゃ馬娘のことを思い出した。
「どうしたんですか、ネグロさんまで呆けて。お疲れですか?」
「いや……何でもない。明日に備えて早く休もう」
マハドはうなずくと、拠点に向けてボートを進めた。




