二話【生きる伝説】
オジーに連れられて歩き続けるスクレ。一体誰に会わせてくれるのか、それは彼の口から教えてもらうことはできなかったが、目的地が見えたところで得心がいった。
「あの家は……まさか」
「ああ、そうだ。嬢ちゃんのような若い白本でも、名前くらいは聞いたことがあるだろう?」
広々とした野原に、灰色の四角い無骨な家が建っている。家の周囲に花々や農作物が実っていなければ、それが家とすらわからないかもしれない。
しかし正面に立てば、扉とインターホンがある。初めて訪れるが、彼の家はこんな風になっていたのかと感慨にふけってしまう。
突っ立っているスクレを尻目に、オジーはおもむろに前に歩み出て、インターホンのボタンを押した。
「どうも、オジーです。こんにちは……ああ、はい。今日はちょっと別件で用事がありましてね。予定より早めに訪ねさせてもらったんですが……はい、ありがとうございます」
どうやら話が付いたようだ。オジーがぐっと親指を上げてウインクする。
スクレは自分の体が熱くなるのを感じていた。握りしめる両手がじっとり汗ばんでいく。この世界に住む者で、彼の名前を知らない者はいない。スクレが表の女王なら、彼は裏の王と言っても過言ではない。
「はいよ……」
開いた玄関の扉の隙間から、しわがれた声が這い出して来る。
果たして出てきたのは、隣に立つオジーよりも、先ほど会ったヘルティク夫妻よりも高齢の、やせ細った老人だった。
目を引くのは彼の両足。ズボンの裾から見える足は黒いカーボン製で、靴べらのような平べったい形になっている。かつてのアンサラー侵攻の際、黒い巨人の足止めをした際に使い物にならなくなり、後に切断したという噂は本当だったらしい。
「……ネグロさん!」
ようやくスクレは、今も生き続ける伝説の装者の名を呼ぶことができた。
「どうぞ」
ネグロは小さなリビングに二人を案内し、おぼつかない手つきで茶を淹れると、カチャカチャと音を立てながら差し出した。
「あ、ありがとうございます!」
「ありがとさん。これを飲んだら、挨拶がてらちょっと点検させてもらってもいいですかな?」
「ああ。よろしく頼む」
スクレはティーカップに口をつけながら、横目でネグロの後ろ姿を見ていた。かなりの高齢のわりに背はスッと伸びているが、それ以外はごく一般的な老人の姿に面食らっていた。彼が歴戦の装者という事実は、部屋中に乱雑に置かれた異世界の調度品が語るのみだ。
「このご老人が、本当にネグロさん?」そう思わずにはいられなかった。
ネグロという男を一言で表すなら「最高にして最良の装者」。ビブリアの住民の多くはそう語る。彼を称える言葉は枚挙に暇がない。
全ての白本は彼に守ってもらいたいと願い、全ての装者は彼に畏敬の念を抱く。その存在は、歴史に残る大犯罪者“アンサラー“すら無視できなかった。
しかし、強すぎる光を放つネグロだけに、彼から目を逸らす者も多かった。特に装者は自分の自信を砕かれ、無力感に押しつぶされそうになるため、避ける者は多かった。
ネグロ自身もそれは自覚していた。だから街外れに家を建て、そこで極力誰とも関わらない生活を始めた。
アンサラーたちとの戦いの末にネグロは両足を失ってしまった。
それが原因で一線を退いたネグロは、後進の育成に努めた。足を失ったのが良い意味で隙を作ったのか、これまでネグロを恐れていた装者たちも彼に教えを請うようになった。
生涯をビブリアに捧げたネグロはとっくに隠居し、今では数少ない友人と、義肢装具士のオジーが訪れるのみとなっていた。
――そんなネグロさんに会えるとは思わなかったけど、これじゃあ……。スクレは落胆するしかなかった。
かつて彼が人付き合いを避けていたせいか、それとも自分が無意識に引け目を感じているのか、ただ話しかけるのもためらわれる。仕方なく茶を飲んだり、部屋を見回したりするしかなかった。
それに何より、あの体だ。白本を守るどころか、自分の身を守ることすらできないのでは……これではネグロを連れて行ったところで、ヘルティク夫妻に拒否されるおそれもある。
そんなスクレの心配などつゆ知らず、オジーはさっさと茶を飲み干すと、持参してきた道具箱を手に立ち上がった。
「よし。そんじゃ始めますか」
「ああ、よろしく頼むよ」
オジーはネグロを椅子に座らせると、彼のズボンを脱がせて義足の調子を確認する。
オジーさんには悪いけど、何とか理由をつけてネグロさんは諦めよう。スクレがそう思ったときだった。
「それで本題なんですがね。このスクレって嬢ちゃんが装者を探していましてね。なんとか力になってもらえませんか?」
「んなっ!?」
慌ててオジーにつかみかかる。「いらぬお節介を!」とポカポカ叩き続ける。
「おいおい、やめねえか。ここにはそういう目的で来たんだろうが」
「それはそうなんですけど! あたしにも都合というものが!」
二人は言い争いを始めかけたが、自分たちを見つめる冷たい視線を感じて動きを止めた。
「儂に、この嬢ちゃんに仕えろ……と?」
感情の無い一言。ここまで来ると、オジーも自分の軽はずみな頼みを後悔し始めたようだ。
「い、いや……ずっと仕えてくれってわけじゃねえんですよ! あなたならヘルティク夫妻のことはご存知でしょう? この嬢ちゃんがね、とある装者を助けるために訪ねたんですが、断られてしまいまして……。ただ、ちょいと事情があって他の装者には頼めないんですわ。それで、ネグロさんなら力になって……くれるかと……」
オジーの声が消え入りそうになる。そんな彼の横で、スクレはぎゅっと両こぶしに力を入れてうつむいていた。
「……お前の話を聞く必要はない」
それは拒絶の言葉。
やはり駄目かと諦めかけたが、ネグロは彼女の顔を見据えて言葉を続けた。
「儂に要件があるのは、君のほうだろう? それなら、君の言葉を聞かなければならない」
……そうだ。あたしはオジーさんの善意に甘えて、全てをまかせきっていた。これは自分と、自分の装者の問題だというのに。
正面から見据えるネグロの眼には、冷たさも温かさもない。ただ真剣だ。
こんな眼は自分にはできない。だから、スクレは何度も深呼吸し、自分の言葉をひたすらにぶつけた。
「あたしの装者が死んでしまいそうなんです! 彼は乱暴者で、世間知らずで、図々しいけど、あたしを守るために全力を尽くしてくれる! 誰よりもあたしを見てくれている!
あたしの函にも心にもずかずか踏み込んできて……最初はそれがたまらなく嫌だったけど、今は泣きたいほどに寂しいんです!!」
スクレが思い切り頭を下げると、床に落ちた涙がいくつもの染みを作った。
「お願いしますネグロさん! あたしに力を貸してください!!」
その姿勢のまま数十秒。隣のオジーも頭を下げた。
「……昔のことだ。儂が装者として、最後に仕えた白本」
二人が顔を上げると、ネグロは窓の外を見やりながらつぶやいていた。
「あの子と君はどこか似ている……なぜだかそう感じる。なぜだろうな。見た目も、おそらく性格も違うだろうに。ああ、そうか。なんとなくわかった」
口元に笑みを湛え、視線だけスクレに向けた。
「わがままなところがそっくりなんだ。他人より自分。他の人の迷惑なんて知ったことではない。周囲を振り回すことが当たり前だと……いや、振り回している自覚すら無い」
その言葉に、火が出そうなほど顔が熱くなる。相手が伝説の装者とはいえ、初対面の相手に見抜かれたうえに堂々と指摘される。まさかこんな辱めを受けさせられるとは!
先ほどとは別の涙があふれそうになったところで、彼はオジーに向かって足を差し出した。
「メンテナンスではなく交換を頼む。久々だからな……汎用二型義足がいいだろう。あれなら使い慣れているし、比較的軽量だから今の儂でも苦にならない。耐久性だけ心配だが、一度きりの旅なら問題あるまい」
呆然とする二人の前で、急かすようにぷらぷらと足を振る。
「どうした? 早いほうがいいんだろう?」
「へ、へい! ただいま!」
オジーはスイッチが入ったように飛び跳ね、部屋の隅にあるクローゼットを開けた。そこにはネグロの服と一緒に、何本もの義足が吊り下げられていた。そのうちの二本を取り出すと、あっという間に交換を済ませてしまった。
ネグロは立ち上がると、数歩歩いてみたり、軽く跳んでみたりして装着具合を確認した。
「うむ、いい具合だ。自分で着けられないこともないが、やはり君が着けてくれるのが一番だ」
「そ、そいつは光栄で!」
ネグロの賛辞にペコペコと頭を下げる。
彼らの支度をずっと見ていたスクレにネグロが顔を向ける。ようやく彼の笑顔を見たと思った。
「さあ、準備はまだ終わっていないぞ。久々の異世界だ。儂と一緒に装備を見繕ってくれよ、ご主人様」




