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黒髪に秘めたスクレ=ヴェリッタ  作者: 望月 幸
第四章【祝福の国】
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一話【助けを求めて】

挿絵(By みてみん)

「教えてください! あたしの装者を助ける方法を!!」


 スクレはその場にいた本の虫(ヴルム)に訴えた。

 このままでは、きっとロズは目覚めない。昔の自分なら、それを喜んで受け入れて、元の生活に戻ろうとしたはずだ。

 だけど今は、そんなことは耐えられない。罪悪感――それだけではない。スクレの胸には熱いものが込み上げてきていた。


「ス、スクレちゃん! とりあえず落ち着きな!」


 困惑するヴルム――オジーというらしい――がそっと彼女の肩を押さえる。スクレよりずっと年上で皺だらけの手に触れられ、徐々に呼吸が落ち着いてくる。


「あ、ありがとうございます……」

「一体、何があったってんだい? 俺で良ければ話を聞くが……」

「……実は」


 スクレはこれまでの経緯を簡単に伝えた。ロズと共に旅に出始めたこと。彼が乱暴ながらも自分に尽くしてくれたこと。しかし奇妙な傷を負い動けなくなってしまったこと。彼への恩を返すために治してあげたいこと。

 目を逸らすことなく真剣に聞いてくれたオジーは、得心がいったと大きくうなずいた。


「それなら、良い案がある」

「本当ですか!?」

「ああ。お前さんはまだ若いから知らないかもしれんが、この村にはどんな傷や病気も治せるっていうヴルムがいるんだ。もっとも、最近はずっと休業してるから、今更力になってくれるかどうかは知らんがな……」

「それでもかまいません! ありがとうございます!」


 スクレは思い切り頭を下げると、教えてもらった道順に沿って駆けだした。

 スクレの家はヴルムの村の入り口にほど近い場所にある。まだヴルムにはなっていない彼女なりの遠慮だった。

 それに対し、ロズを治せる可能性があるヴルム――ヘルティク夫妻のいえは村の奥地、つまりはビブリアの西端にあるらしい。

 体力が尽きるまで走り続けたところで、ようやく目の前にヘルティク夫妻の函が現れた。


「ここが……そうみたいね」


 一目でわかると聞いていたが、それも納得だ。

 目の前には巨大なシロアリの巣のような、山のように盛り上がった土の塊があった。扉や窓が付いていなければ、本当に何らかの虫の巣だとしか思えない。これほど粗野な住処は、ビブリアでは間違いなくここだけだった。


「で……でも、他に選択肢も無いし……」


 異様なたたずまいに尻込みしてしまったが、こんなことをしている間にも刻一刻とロズの容体は悪化していく。

「よし……!」意を決し、スクレは身なりを正して一歩を踏み出し、ついに扉に手をかける。


「入るならさっさと入らんかい! 鬱陶しい!」


 中からの怒号にスクレは吹っ飛びそうになった。壁一枚隔てた声量とは思えない。


「しっ、失礼します!」


 慌てて中に入ると、中は広々とした一室になっていた。トイレや浴室につながると思われるスペースには扉が付いているが、それ以外は一切仕切りが無いので、ドーム状の大きな空間になっている。小ぢんまりとしたスクレの函とは正反対だった。

 その一室の端、窓の傍には並んでロッキングチェアに座る二人のヴルムがいた。

 シロアリの巣という印象の函だったが、それもそのはずで、二人はシロアリのヴルムに変貌していた。足二本に腕が四本。肌は微かに透き通る白色だった。極めつけとして、煎餅のように木片をバリバリとかじっていた。


「おう、嬢ちゃん! 何の用じゃ!?」


 男のヴルム、ヘルティク夫妻の夫のほうが大声を出す。怒っているわけではなさそうだが、とにかく声が大きいので威圧感がある。


「突然お邪魔して申し訳ありません。あなた方がヘルティク夫妻ですか?」

「おお、そうじゃ」

「ええ、そうですよ」


 二人が肯定する。妻のほうは夫とは違い、穏やかで安心感のある声だ。

 スクレは本日二回目となる現状の説明を始めた。夫の相槌が大きいので必要以上に怯えながらの説明となってしまったが、目的を伝えることはできた。


「――嬢ちゃんの言いたいことはわかった。だがね、儂は力を貸せんよ」


 帰ってきた答えは拒否だった。妻も申し訳なさそうにゆっくり首を振る。


「『どうして?』って顔だから教えてやるよ。

 まず、そのロズっていうガキを治すことはできるはずだ。治すのは女房の役目なんだが、今まで治せなかった患者はいねえ。大怪我、大病、呪い――なんでもござれよ!」

「そ、それじゃあ……どうしてですか?」

「単純だよ。材料がえんだ」

「材料が無いなら、取りに行けばいいのでは?」

「そんな単純なものじゃねえ。なぜなら、その材料は異世界にあるからだ! いいか、よく聞けよ!?」


 夫妻はスクレに椅子を勧めると、詳しい事情を話し始めた。




 治療をするためには、まず妻が患者を診察し、治療に適した薬品や道具を用いる。それらは二人が旅をしていた頃に見つけたもので、どの世界に何があるのか完全に記録している。

 そして出番となるのが夫だ。彼には「行き先を決められるスピン」を作る技能がある。

 たとえば「この病気を治すにはA国のBという薬草が必要だ」となった場合、A国に行ける栞を作り、Bという薬草を採りに行くというわけだ。

 

 しかしここで問題が生じる。

 ヴルムはいわば「白本の使命を放棄した白本」なので、基本的に装者の護衛を受けることができない。それでも若い内は無事に旅から帰ってくることができたが、年を取るにつれて自分のほうが危機にさらされる場面が増えてきた。

 自分たちの力は過ぎた技術だ。そう悟ったヘルティク夫妻は新たな特別製の栞を作ることをやめ、後継者を育てることも放棄した。

 そしてヘルティク夫妻は過去の存在になり、依頼に来る者は皆無となった。




「そう……でしたか」


 ヘルティク夫妻を責めたくもなったが、元々慈善行為として人々を治してきた二人だ。自分の身の安全を優先して辞めてしまったとしても、それを非難などできない。

 それでもどうにか交渉の材料は無いものか……そう逡巡するスクレに、妻のほうが声をかけてきた。


「この人ったら、大事なことを話し忘れてるわ。どうしても助けが必要な人が来たら、助けてあげるんでしょう?」


 それは天啓に聞こえた。スクレの目が見開かれ「どういうことです!?」と詰め寄る。


「実はね。数は少ないけど、栞のストックはあるのよ。どの世界にも一度は行けるから、きっとロズさんを治療することはできるわ」

「そ、そうだったんですか!? それじゃあさっそく――」

「待て待て! 儂を置いて勝手に話を進めるな!!」


 夫が今日一番の大声で話を遮る。


「――確かに栞のストックはある。だが、その栞を作るのにも異世界の材料が必要じゃ。一本たりとも無駄にはできん。『こいつになら譲ってもいいだろう』と思える奴にしか渡さん。

 その点、嬢ちゃんは話にならん! 装者も連れていない小娘白本に譲れるものか!!」

「で、でも……!」


 スクレは反論できなかった。

 おそらく、自分と同じように泣きついてきた者はいたはずだ。しかし彼らはしばらく仕事をしていないという。それはつまり、並の実力では栞を譲ってもらうことなどできないという証明だ。

 まして自分は、肝心の装者ロズが床に伏している。彼を治すために彼の力が必要とは、なんて皮肉な展開か。


「悪いな、嬢ちゃん。これは依頼者あんたらのためにも言ってるんだ。人を治したいっていう想いは、強けりゃ強いほど自分が見えなくなっちまうからな。最悪の場合共倒れさ」

「ごめんなさいね……。私たちは、実際にそんな人たちを見てきたのよ」


 自分より遥かに長く生きている二人が目を伏せるのを見て、スクレは二の句が継げなかった。

「あの人を助けてくれ!」と誰かが自分を頼ってくる。そんな人たちを異世界に送り出し、そして帰ってこなかったら……。「あの人」を含め、自分は同胞を一度に何人も葬った殺人者も同然になる。

 それでも周囲は「仕方なかった」「助けようとした結果だ」と慰めてくれるだろう。その優しい言葉が、ヘルティク夫妻にはどれほどの重荷になっただろうか。


「……お邪魔しました」


 自分でもそう言ったかわからないほど小さな声で、スクレは函を出るしかなかった。




 後ろ手で扉を閉じたスクレの目に入ったのは、とっくに別れたはずのオジーだった。


「その様子だと、駄目だったみたいだな」


 スクレはうなずいた。どうしていいかわからず、今はそっとしておいてほしかった。

 それでも構わずオジーは話しかけてきた。


「実は俺も、一年くらい前にここに来たんだ。病気になった親友を治してほしくてさ。でもその時は、嬢ちゃんと違ってすぐに追い出されたよ」

「それは……どうしてですか?」

「嬢ちゃんも言われたと思うが、あの二人は『どうしても助けが必要な人』しか助けねえ。俺も親友も、二人のお眼鏡に適わなかったってことさ。

 もう昔のことだから白状するが、そいつは異世界で傍若無人なふるまいをする悪党でさ。ヴルムに堕ちてからも嫌われ者だった。俺も親友とか言いながら、あいつが異世界でがめてきた物を山分けしてもらうのが目的だった。ヘルティク夫妻は、俺らのそんな汚い部分をお見通しで断ったんだな」

「…………」

「でも、嬢ちゃんは話を聞いてもらえた分だけ可能性がある。今更罪滅ぼしでもないが、俺にできることなら協力するぞ」


 そしてスクレは、一縷の希望にすがるように事情を話した。


「――つまり、嬢ちゃんの力になってくれる装者を見つけてくればいいってことか」

「そうは言いますが、あたしに協力してくれる人なんて……」


 先日の帰り道を思い出す。動けなくなったロズを引きずって道を歩いていたとき、すれ違った誰もが自分たちを腫れ物扱いしていた。オジーもそのあたりの事情はよくわかっているはずだ。


「……いや、そうとも限らねえ」

「えっ?」

「確かに普通の装者なら協力は期待できない。それなら、とっくに隠居した装者ならどうだ?」


 それなら可能性はあるかもしれない。

 しかし、隠居したということは装者として戦力外ということだ。混沌カオスの炎の薪になってもおかしくない、その程度の存在であるはず。

 スクレの不安をかき消すように、オジーはニッと笑って不揃いな歯を見せた。


「ついてこい。超一級品のご隠居に会わせてやる」

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