【母なる国5】
塔の足元の広場には誰もいなかった。ガイド4に話を聞けば、人間たちは次の戦争に向けての準備を始めているらしい。第二七〇五次戦争では人間は攻める側だったので、母体を取り戻した今、守りを固めなければならない。人間側は機械人形側と違って戦時中の増員が禁止されているうえに、力もリアルな人間レベルに抑えられる。そのため、一年のインターバル中の備えが次の戦争を左右するらしい。
「ふーん。そっか」
シゾーは気のない返事をするが、ガイド4は気にせず彼を塔の中に案内した。細かい構造の違いを除けば、機械人形側の塔と酷似している。二人でエレベーターに乗れば、上っていく感覚もあの時とそっくりだった。
エレベーターを降り、幅広の通路を歩いていく。人間の皮をかぶった機械人形たちは左右の部屋を行き来し、二人の姿を尻目に忙しそうに働いている。今回の戦争の推移を基に、次回の作戦を練っているようだ。
「この扉の向こうです」
ガイド4は暗証番号が見えないようにパネルを叩き、解錠された扉が開く。
彼を前に薄暗い廊下を歩くと、やはり母体は玉座に座っていた。戦時中と違うのは、彼女の頭に乗るティアラの形状くらいだった。
シゾーが正面に歩み寄ると、母体は軽く顎を上げた。試しに左目だけで彼女の顔を見ると、やはり中身は機械だった。
「ありがとうございます。母体と話をしたいので、少し外してもらっていいですか?」
「そうはいきません。いかにシゾー様とはいえ、母体と二人きりにすることは許されていないのです」
「そうですか……わかりました。じゃあ、僕の後ろにでも立っててください」
ガイド4は相変わらず無表情だったが、どこか不服そうにしながらも言うことに従った。
さて、久々にやってみるか。シゾーは軽く頬を叩くと、母体に顔を近づけた。
「……!」
彼女がぼうっとしていた目を軽く見開く。
シゾーは自分の顔に文字を浮かべていた。白本の体には自分の経験が文字になって刻まれているが、長い時間を生きた彼は一部の文字を浮かべることができ、声を出さずに会話を試みた。
『イエスならまばたきを一回、ノーならまばたきを二回しろ』
最初にそれを伝えると、シゾーは意思疎通が可能かテストをした。
『お前は母体か?』
母体は一回まばたきをした。
『お前は人間か?』
母体は少し時間を置いてまばたきを二回した。
『お前がこの世界を守っているのは本当か?』
母体は一回まばたきをした。
大丈夫そうだ。そう判断したシゾーは本題に入ることにした。
『この世界を捨てないか?』
その質問に、母体はすぐに返事することができなかった。
母体はこの星を守る最後の砦として生まれ、今では機械人形の戦争の目的として利用されている。その生き方を知って「僕と似ているな」とシゾーは思った。自分は復讐に囚われ、母体は課せられた役割に囚われている。
ただ、自分はその運命を受け入れている。復讐のために生き、復讐のために死ぬことを納得している。しかし、母体はどうなんだ?
母体は人形のようにピクリとも動かない。所詮は機械。他の機械人形と同じように、ただ自分の役割を全うできればそれでいいと思っているのかもしれない。
しかし、そうではなかったら? 別の道を歩みたいと思っていたら?
「…………」
母体は変わらず動かない。
白本の最大の使命“立派な本に成る”を捨てた時から、シゾーは他の世界への関心を失った。その世界も、そこに住む生物がどうなろうと知ったことではない。
ただ、今回は腹の立つことが多すぎた。何よりムカついたのが、“囚われ者”同士の母体が求められるままに利用されていることだった。
パチ――パチ――
母体が二回まばたきをした。
所詮は機械か。シゾーは落胆しかけたが、母体のまばたきは三回、四回――何度も繰り返される。母体は迷っている――そのように見えた。
「ワタシ――ハ――」
母体の口が開く。初めて聞く彼女の声は、幼い少女のように無垢だった。
「自由ニ――ナリタイ――!」
ぎゅっと力強くまぶたが閉じられる。
シゾーはそれを「イエス」と判断した。
「さっきから何をしているんですか?」
後ろで見ていたガイド4がシゾーの肩をつかもうとする。その手をシゾーは振り向きざまに左手の刃で切りつけた。小さな傷口から即座に発火し、瞬く間に全身を覆った。
「何――ナニナニナニヲ――?」
燃えながら迫り続ける機械人形を足蹴にして、母体を玉座から立たせる。ティアラを抜き取って放り投げた。カランカランと寂しげな音と共に転がっていく。
すると、けたたましい警報と共に赤いランプが点灯し、通路の奥にいる人間の皮をかぶった機械人形たちが一斉に駆け寄ってくる。
「悪いけど、お前たちのお姫様はこの世界に嫌気が差したらしい」
シゾーの体が白い炎に覆われる。母体の腕を引き、自分の傍に引き寄せた。
「五千年以上も戦い続けたんだ。そろそろこの星と一緒に眠れ、人形共」
あかんべーと舌を出しながらの死刑宣告。
白い炎と共に体が消え、つかみかかる手が宙をつかむ。
シゾーと母体は別の世界に移動し、彼女の加護を失った星はやがて崩壊した。
「……ゾー。シゾー」
ゆさゆさと体を揺らされ、強制的に目覚めさせられた。自分の顔を覗き込んでいる母体を遠慮なくにらみつける。
「なんだよ。起きたからいい加減離れろ!」
彼女の手を押しのけて起き上がる。ろくに眠れなかったから疲れが全く取れていない。
「で、何の用だ?」
「あの――腕――」
ナイトテーブルの上から針と糸を手に取り、胸の前に掲げた。どうやら千切れた腕を縫ってあげたいらしい。
彼女の厚意に対し、大げさにため息をついて答えた。
「そういうのはいらないって言っただろ? お前は何もせずに、どっかその辺で適当に遊んでろよ」
母体ははっきり言って、何の役にも立たなかった。そもそも搭載されていたのは空間を維持する機能だけだったので、シゾー自身もあまり期待していなかったが、それ以上だった。
縫物は当然できない。料理ももちろんできない。扉を開けたり閉めたりすることも最初はできなかった。逆に最初からできたことといえば、平らな道をまっすぐ歩くこと程度だった。
そのままというわけにもいかなかったので、シゾーは最低限の体の動かし方と、機械的で平坦な言葉遣いを直した。
「なんか勢いで連れてきちゃったけど、とんだ役立たずだったな。僕も焼きが回ったか?」
「役立たず――? 焼きが回った――?」
「うるさいな。僕はまだ眠いから、さっさと部屋から出てってくれ!」
彼女を部屋の外に押し出すと――見た目は少女でも体は機械なので猛烈に重かったが――もう一度ベッドにもぐりこんだ。
「……そういえば、あいつの名前をまだ決めてなかったな」
いつまでも“母体”と呼ぶのも味気ないし、またあの世界の夢を見てしまいそうだ。
さて、どうするか? 誰かに名前を付けるなんて初めてだな。
あれこれと考えているうちに、シゾーは再び眠りに落ちた。部屋の外から覗く銀色の瞳に見守られながら。




