【母なる国1】
繭の国にポツンと建つ居城。その一角、自室でシゾーは支度を整えていた。
雨や汚れから身を守る外套とブーツ。通気性に優れたシャツ。最低限の水と食料、自分の体を治すための糸などを入れたショルダーバッグ。
そして、テーブルの上には幅広の二枚の刃。片方には踊る悪魔の姿が、もう片方には光を放つ天使の姿が刻まれている。シゾーは刃を軽く研ぐと、悪魔の刃を右の手の平から腕に、天使の刃を同様に左腕に収納した。
仕掛け絵本の白本として生まれたシゾーは、小さな物なら体の中に収納することができた。
手を広げ、腕に力を籠めると刃が飛び出し、緩めれば刃が引っ込む。何度か繰り返し、動作に支障がないか確認する。
最後に、異世界への移動に欠かせない栞だ。シゾーは自前の栞に、ビブリアに忍び込んで盗んできた栞を混ぜる。そうすることで、その栞の持ち主と同じ世界、近い場所に飛ぶことができる。ビブリアの外で白本と装者を始末することで、自分の手掛かりを残さないというメリットがある。
シゾーは自分の髪に栞を結び、帽子をかぶって隠してしまう。必要なら栞をあらわにして「自分も白本の一員だ」と油断させて近づき、腕に仕込んだ刃で相手を仕留めることもできる。
「――さて。今日も行こうか」
濁った紫の瞳に冷たい光を宿し、シゾーは国の端にある混沌の炎に向かう。
混沌の炎の薪は白本と装者の遺体だ。繭の国の半分は墓地になっており、かつてビブリアで戦争を起こした者たちの遺体が眠っている。シゾーは定期的にそれらを掘り起こして炎を維持していた。
自分より一回り大きい程度の白い炎に、まず両腕を入れる。パチパチと肌が弾ける感覚ははじめこそ怖かったが、もう何とも思わない。
指先から腕の感覚が無くなってきたところで全身を炎に入れる。すると意識は遠のき、体も心も真っ白な空間を漂い始める。復讐の炎に焼かれ続けるシゾーが唯一安らかな時間を過ごせる空間だ。
「アンサラー……さん。エスティエイン……さん。みんな…………」
自然と慕っていた者たちの名前が口から漏れる。
「――――さあ、そろそろだ」
出口が近いのを感じる。シゾーは体勢を変えて着地に備えた。
すとん。硬い地面に軽やかな着地を決める。百年近く続けていれば、もはや地面が沼だろうが炎だろうが焦らず着地できる。
「……白いな」
降り立った場所の対一印象はそれだけだった。
清潔感を通り過ぎて、もはや菌すら付着していないのではと思える通路が前後左右に伸びていた。低い天井には何本もの細いパイプが並んでおり、耳をすませば液体や空気が高速で流れているのがわかる。電気配線をまとめた極太のケーブルも同様に天井を走る。
現場の状況を把握するにつれ、自分が通路というより血管の中にいる気分になってきた。
しかしシゾーにとってはどうでもいい。彼にとって大事なのは、いかに復讐の相手に近づき、仕留めるかという一点のみだった。
「……感じる。こっちだ」
シゾーは足を左の通路に向ける。盗んできた栞は異世界への移動だけでなく、ちょっとしたレーダーにもなる。元々の持ち主の大まかな距離と方角が把握できるので、後は研ぎ澄ませた感覚と長年の勘を頼りに歩けばいい。
もうすぐだ。この道をまっすぐ歩いて、二番目の交差点を右に曲がれば、いる。
シゾーは足音を忍ばせ、最後にもう一度だけ二枚の刃を出し入れした。準備は整った。
そして顔だけ覗かせようとして、匂いを感じた。血の匂いだ。
「なっ……!?」
視線の先には予想通り白本と装者がいた。死体となって。装者の体からはおびただしい量の血が流れ、傍で倒れる白本の体に染み込んでいた。
その様子を、一体の人型の機械が見下ろしていた。皮膚は無く、人間の骨や内臓が機械化されたような外見に、シゾーは“ロボット”という単語を思い出した。
どうやら、ここで装者とロボットが戦ったらしい。床にはロボットが装備していたと思われる銃が破壊された状態で落ちている。ロボットの右手にはべったりと血が付着し、おそらく怪力で装者たちの体を打ち砕いたことが推測される。
「……あの機械野郎、僕の獲物を横取りしやがって!」
この得体のしれない相手に感じたのは怒りだった。もはや復讐が生きる道となったシゾーにとって、その目標を奪われることは耐え難い屈辱だった。
ロボットは背を向けている。その背中、人間で言えば背骨にあたるパーツに右手の刃を突き立てた。
悪魔の装飾が施された呪剣“グリジャグル”は、傷口から相手の体に呪言を流し込み、体の自由を即座に奪う。身体能力に乏しいシゾーにとって、装者のような屈強な敵を相手にするのに適した武器だ。
ブォン!
咄嗟に身をかがめたシゾーの頭上をロボットの腕が通り過ぎる。金属の拳が通路の壁にめり込んだ。
「動きが止まらない!?」
ロボットが手を引っこ抜いている間に距離を取る。
そうか。人型とはいえ、機械に呪いは通じないのか。
グリジャグルの思わぬ欠点に動揺するシゾーに、ロボットが再び迫る。文字通り人間離れしたパワーに捕まればひとたまりもないが、白本の軽い体と、それを活かす経験を身に着けたシゾーにとっては緩慢な動きだった。
「炎剣“ヴォルナール”」
左腕を伸ばし、ロボットの顔面を鷲掴みにする。手の平から突き出した天使の刃がロボットの口から後頭部を貫いた。シゾーは相手の胴体を足裏で蹴り飛ばすと同時に、反動を活かして自分も距離を取る。
すると、傷を付けた箇所からオレンジの炎が噴き出した。炎は瞬く間に頭部を覆い、十秒経った頃には全身火だるまになっていた。
さすがに熱さは感じないようだが、高温にさらされた電気系統が焼けただれ、ガクガクと震えた動きを繰り返すとその場に倒れた。ザリザリと手足を床に擦り付け、やがて動かなくなった。
呪剣“グリジャグル”が動きを封じるのに対し、炎剣“ヴォルナール”は相手を燃やす。炎と刃物を極端に恐れる白本にとって最も相性の悪い武器で、シゾー自身もはじめは自分の体に収納するのをためらったほどだ。しかし今は護身用の武器としてもグリジャグル以上に信頼している。
ヴォルナールを腕の中に戻したシゾーは、その場に倒れる二人の死体と一体の機械を見下ろした。
「……全く気分が晴れない」
復讐の横取りをしたロボットを破壊したところで一割も怒りが収まらない。とはいえ、これ以上はどうしようもない。
繭の国に戻ろう。そう思った時、誰かの視線を感じた。
「誰だ!」
顔を向けると、一人の男が銃を向けていた。通路と同じ真っ白に近い軍服に、がっしりとした体つき。何より鋭い眼力が、彼が猛者であることを証明している。
「……君は人間か? いや、そんなことはどうでもいい。この光景を見れば十分だ」
男は銃口を下ろし、まっすぐシゾーに向かって歩き出し、彼の手を力強く握った。
「我々と共に機械人形と戦い、“母体”を奪う手伝いをしてくれ」




