六話【また独りぼっち】
スクレは何度も異世界の移動を経験してきた。しかし、今回は今までで最も移動時間が長く感じた。
あの少年は異常だ。誰かに敵意を向けられることは何度もあったが、それらの比ではない。近づくものすべてを切り裂き、燃やしてしまう邪悪さがあった。
早く逃げないと――早く逃げないと――! 気にしても仕方がないのに、スクレは何度も背後を振り返りながらビブリアに飛んだ。
「――着いた!」
転がりながら混沌の炎を抜け出る。ビブリアは変わらず快晴。ただそれだけがありがたかった。
「ロズさん、動けますか? ロズさん?」
脱力するロズに声をかけ、頬を叩いたりするが、何も反応が無い。考えたくなかったが、まるで死体だ。微かに感じる鼓動だけが彼の生存を保証している。
「……ちょっと引きずりますけど、我慢してくださいね」
スクレはロズの腕を自分の肩に回すと、一歩一歩踏みしめるように道を歩き始める。スクレの華奢な体にとって彼の体は重く、すぐに体中が汗ばんできた。呼吸も乱れる。こんなに体を酷使するのはいつ振りだろうか。
しばらく歩いていると、道の先から一組の白本と装者が現れた。これから異世界に旅立つ者たちだ。
「あのっ! すみません!」彼らも気づいたのか、スクレたちに視線を向ける。「ロズさんが……この人が怪我をして動けないんです! 手を貸していただけませんか!?」
スクレの必死の呼びかけを、彼らは無視した。横を通り過ぎ、足早にその場を去っていく。
「えっ?」
振り返れば、彼らは顔を寄せ合って話し合っていた。
「おい、あれってスクレだろ? マジで旅を再開したのか」
「それよりロズですよ。あいつは関わらないほうがいいですって……」
スクレは何も言えなくなっていた。
昼時ということもあり、その後も何度か白本や装者とすれ違った。
しかし彼らの反応は同じだった。無視するか、腫れ物に触るように適当な相槌を打つか、そのどちらかだ。ロズのズボンは膝が破れ、スクレの長い髪からは汗がしたたり落ち、顔や体にピタリとまとわりつく。
「ロズさん……ごめんなさい……ごめんなさい…………」
いつの間にか涙も流れていた。汗と混じって顔がぐしゃぐしゃになる。
スクレは知らなかった。髪が半分黒くなり、ずっと引きこもっていた自分が触れがたい異端な存在となっていたこと。明るく乱暴者のロズが、実は自分と同じ孤独を抱えていたこと。大好きだと思っていたこの世界が、自分を愛していなかったこと。
「やっぱりあたしは、生きていても仕方がなかったんだ……。こんな……こんなことになるなら…………」
とっくに体も心も限界だ。いっそこの場で倒れてしまえば楽に違いない。そう思ったら、ふっと足の力が抜ける。
「危ない!」
倒れ込む体を、誰かの腕が支えてくれた。
「……んん」
重いまぶたが開く。目の前には知らない天井がある。
「良かった。目を覚ましましたか」
しわがれた男性の声。その方向に視線だけ向けると、背筋の伸びた高齢の男が立っていた。
「……あなたは、誰ですか?」
「私はマグテス。ロズ君の師匠であり、同居人ですよ」
マグテスは水に浸したタオルを固く絞ると、汚れ放題になっていたスクレの顔を丁寧に拭いていった。
借りた濡れタオルで体を拭き、冷たい水を口に含むとようやく気分が落ち着いてきた。
「じゃあ、ここはロズさんとマグテスさんの家ですか。そうだ、ロズさんは!?」
「ロズ君はこっちだが……顔を見るかい?」
すぐに首を縦に振ると、マグテスはためらいながらも彼女をロズのベッドに連れて行ってくれた。
ロズは一見眠っているようだった。しかし、直に触れてみないとわからないほど呼吸も鼓動も弱々しい。右手には包帯が巻かれ、じわりと血が滲んでいる。
「右手に深い傷があります。しかしロズ君の体力と回復力なら、この程度の傷は致命傷になりえない。もっと別の原因がこの子の体を蝕んでいる……」
「……治るんですか?」
スクレの問いに、マグテスは何も答えない。
「スクレさん。体力が戻ったら自分の函に帰りなさい。後は私が診ておきますから」
「そう……ですね。よろしくお願いします」
ロズの部屋を出る前に、もう一度彼の顔を見る。
彼の首元には、スクレの函からくすねた指輪がかけられている。彼女にとっていわくつきの大事なもので、これを奪われたことがロズとの旅のきっかけになった。彼を担いでいる間にいくらでも奪い返すチャンスはあったが、なぜかそれをしなかった自分に驚いた。
「スクレさん?」
「あ、すみません。それじゃあ!」
慌てて家から飛び出し、西の村にある自分の函に駆けていく。
この数か月色々あったが、ロズとの旅はこれで終わりだ。後はマグテスに事情を説明して指輪を返してもらい、再び引きこもって生活すればいい。それで元通りだ。
「うっ……ふぐっ……!」
止まっていた涙が再びあふれ出す。嗚咽が止まらない。顔を乱暴に拭う度転びそうになる。
ロズは自分を守ってくれると誓った。見方でいてくれると誓った。それなのに自分は、“また同じ過ちを繰り返すのか?”
西の村にたどり着く。大勢の本の虫とスクレが住む村だ。この村には高い能力を持ったはぐれ者たちがひっそり暮らしている。
「おい、スクレだろ? どうしたってんだ?」
村の入り口で談笑していた二人のヴルムが声をかける。同じはぐれ者同士、彼らはスクレにも分け隔てなく接してくれる。
涙をぬぐい、何度も深呼吸して呼吸を整えると、スクレは拳を握り締めて叫んだ。
「教えてください! あたしの装者を助ける方法を!!」




