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黒髪に秘めたスクレ=ヴェリッタ  作者: 望月 幸
第三章【閉じ込められた国】
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五話【呪剣“グリジャグル”】

挿絵(By みてみん)

「う……」


 しばらく闇の中を歩いていた気がする。そのうち目の前に光が現れ、徐々に大きくなっていく。出口だ。


「出口だっ!」


 声を上げながら勢いよく起き上がると同時に、頭をしたたかにぶつけた。猛烈な痛みのおかげで一瞬で目が覚めた。


「いってえ……ここは?」


 そこは脱出ゲーム参加時に潜り込んだ、カプセルホテル状の遊戯施設の一室だった。出入り口の窓の外を見れば、テーマパークの従業員と思われる人物が覗き込んで何かを言っている。

 装着していたヘッドギアを外し、狭苦しかったカプセルの中から這い出る。


「ああ、良かった! どこも異常はないかい!?」

「あ、はい……多分」

「そうかそうか……! しかし、念のためだ。休憩室に送ってあげるよ」


 男性従業員の肩を借りながら――実際はそんな必要も無かったのだが――ロズは施設内の休憩室に連れていかれた。普段は慣れないVR体験で体調を崩した人のために開放されているが、今はコンピュータ《管理人》の暴走被害に遭った人たち、つまりロズ・アンナ・リヴの三人のために使用が制限されている。

 どうやらテーマパーク側はなるべく警察に頼らず穏便に処理するつもりのようだが、それはこの世界の人間ではないロズにとってありがたかった。

 休憩室の自動ドアが開くと、中には見知った顔の人たちがいた。


「ロズさん!」


 スクレが飛び掛かり、ロズの体を抱きしめた。彼女がかぶっている帽子のつばが頬に食い込む。


「スクレ、お前は無事だったのか?」

「あたしは普通にゲームを楽しんでました。でも、いつまで経ってもロズさんたちが目を覚まさないので、ここでずっと待っていたんです」


 周りを見れば、アンナがこちらに向かって笑顔で手を振っていた。彼女の周りには涙ぐむ女性たちがいるが、彼女の仕事仲間か友人かもしれない。

 リヴも休憩室の隅でジュースを飲みながら手を振っていた。彼は一人だけだったが、既に夜なので彼の友人たちは帰ってしまったのかもしれない。

 それ以外に人はいないので、あの命がけの脱出ゲームに巻き込まれたのはこの三人だけだったようだ。


「さて、皆さんお疲れのこととは存じますが、ゲーム内で何があったのか話をお聞かせ願います。これから当脱出ゲームの担当者を連れてまいりますので、少々お待ちください」


 それだけ言い残すと、従業員はさっさとその場を後にした。ゲーム中の事故の責任を早く押し付けたいのかもしれない。

 その後ろ姿を見送ると、リヴがおもむろに立ち上がった。


「それにしても災難でしたね。だけど、全員無事に脱出できて良かったです」


 彼はアンナに歩み寄り、彼女に握手を求めた。


「ええ、本当ね。あなたの書き置きのおかげで助かったわ」

「それは良かった」


 二人は力強く手を握り合い、抱きしめ合った。ある意味命がけで戦った間柄ということもあり、特にアンナの方は感極まっている。


「ロズさんも、本当にありがとうございました。僕の頼みをちゃんと聞いてくれて」


 アンナの抱擁を解き、次はロズに握手を求めてきた。

「こちらこそ」とロズは手を握って腰をかがめる。リヴの体を抱くようにして、彼の耳元に口を近づけた。


「カップルの条件は“年齢”だろ?」


 すぐそばにいるスクレにも聞こえない音量でそっとつぶやく。


「考えてみれば、お前の様子がおかしくなったのも、フミさんに告白したのも、アンナさんのすっぴんを見た日だ。化粧をしているときのアンナさんは二十代にしか見えないが、実際の年齢はおそらく四十代。ダンさんとちょうど同じくらいだ」

「……そうですね。それで?」

「“年齢がカップルの条件”と確信するには、自分も含めた残る二組も条件を満たしている確信が必要だ。すると、どうしたって疑問が生じるだろ」

「それはどんな?」

「リヴ、お前は百歳近いということか? そして、俺が産まれて一年程度だとなぜわかった? ついでにもう一つ言わせてもらうと、お前はひょっとして……白本じゃないのか?」


 ロズの質問に対し、リヴも口を近づけて「案外馬鹿じゃないんですね」と言った。その声はゲーム内で聞いていた声とは違い、恐ろしく冷たい。


「おおむね想像通りですよ。僕は産まれて百年ほど経った白本です。あなたが一歳ほどというのは、実はわかりませんでした。理想は、あなたとアンナさんが書き置きを信じて、何も考えずに出てくることでした」

「だから、書き置きにカップルの条件を書かなかったのか」

「そりゃあ、十歳の少年と百歳の老婆がカップルなんて変な話ですし。それに、僕が純粋な人間じゃないというのも知られたくなかった」

「どうしてお前だけ、カップルの条件をいち早く察することができたんだ?」

「簡単なことですよ。実は、僕の左目は義眼になっていて、生き物とそれ以外とでは見え方が変わるんです。とある世界で手に入れたんですが、今回の脱出ゲームではNPCを見分けるのに役立ちました。それさえわかれば、このゲームは半分クリアしたようなものですから」


 リヴはスクレと同じ白本で、ゲーム開始時からすでに場の状況を把握していた。予想していたとはいえ、ロズは驚きを隠せなかった。


「……そうか、まさか異世界で白本と出会うなんて偶然があるなんてな。俺たちはすぐにビブリアに戻るから、お前も早く戻ったほうが――」


 グリッ。

 右腕の内部がえぐられるような、恐ろしい感触が神経を突き抜ける。握手する右手を見れば、リヴの手の平から刃が突き出し、深々と右腕に突き刺さっていた。


「偶然じゃねえよ」リヴの声質が変わる。「この世界に来たのも、つまらねえゲームに付き合ってやったのも、お前ら二人を油断させて近づくためだ」


 この少年は危険だ。危険すぎる。わかっていても体が動かない。


「動けないのが不思議だろ? これは“グリジャグル”という呪剣で、傷を付けられると体が動かなくなり、やがて体の機能が全て停止して死に至る。俺はビブリアで試験的に生み出された“仕掛け絵本”の白本で、少しだけ体内に物を収納できるんだ」


 動け。動け!

 何度願っても動かない。体中の神経をごっそり抜き取られた気分だ。それなのに視覚や聴覚が生きているのが恐怖を増幅させる。


「あの……お二人とも。いつまで抱き合ってるんですか?」


 スクレが怪訝そうに尋ねる。

 さっき、リヴは「お前ら二人を」と言った。それなら、次に狙われるのは――。


「あっ、すみません。ロズさん、なんだか急に眩暈がしたみたいで……」


 リヴの優し気な声が耳に突き刺さる。

「駄目だ、スクレ! 近づくな!」たったそれだけの言葉が出てこない。呪剣グリジャグルによる麻痺が顔にまで広がる。


 動け! 動けよ! どうして動かない!? 守るって誓ったんだろ!? 嘘だろ……!? やめろ。やめろよ! あ、ああ…………!!


「ぅぐっ!?」


 スクレの悲鳴。そう思った。しかし違った。

 装者の力か、それとも奇跡か。ロズの力が呪いを上回り、かろうじて動いた腕がリヴを投げ飛ばした。

 白本の体は脆い。ロズの怪力で投げ飛ばされたリヴは壁に叩きつけられる。腕が千切れ、彼の目の前に落ちた。傷口からは血や肉が見えず、代わりに紙の束が見える。紛れもない白本の体の特徴だ。


「お前が……シゾー…………」


 今度こそ体が動かない。正面でくずおれるリヴも、部屋の端で固まっているアンナたちもぼやけていく。今まで感じたことのない倦怠感に支配されていく。


「ロズさん!!」


 リヴが再び動き出すより早くスクレが動いた。ロズの体を抱き、スピンを激しく燃やす。


「今回は……引き分けみたいだな……」リヴも己の栞を燃やしながら呪言を放つ。「だが、次は無いぞ! この命が完全に燃え尽きるまで、僕は何度でも舞い戻ってやる……!」


 リヴは未だかつてないほど恐ろしくなった。不意打ちさえ無ければ取るに足らない相手だ。それなのに、かつての巨人よりも、狼王よりも、目の前の少年が恐ろしい。もしも体が自由なら、きっと震えていただろう。


「必ず晴らす! アンサラーさん……エスティエインさん……みんなの無念を!!」


 シゾーの怒声を耳に残し、ロズは長い眠りについた。

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